蒼夏の螺旋

   紫雲英草(げんげそう)〜サンジさんBD記念作品
 



 沈丁花とか桜とか、菜の花とかミモザにスイートピー、フリージアにレンゲ、馬酔木にユキヤナギ。春に咲く花は割と小さい花が多いでしょ? バラとかガーベラとかシンビジュームとか、一点もので映えるのに比べたらサ。そいで、一面に斑
ムラなく敷き詰められてるように見えても、近づくとそうでもないんだよね。でさ、もっと向こうの方がたくさん咲いてるように見えちゃうの。向こうの方が向こうの方がって。何でだろうね、遠い方にばっかり一杯あるよに見えちゃうの…。




            ◇



 その街は一見すると海沿いの閑静な避暑地か別荘地といった観があり、どこかくすんだ年代ものの家々が並んでいて。気侭に暮らす人々は、どの家の住人も会社勤めなどには縛られておらず、庭をいじったり散歩に勤しんだり、それはのんびりとした日々を送っていて。とはいえ、一線から退いた顔触れにしては…なかなかに年若く、子供たちも幼くてそれは元気。吹きつける潮風に髪をなびかせ、明るい笑顔にてはしゃいでは、大人たちの顔をも明るくほころばせてしまう。そう、此処はIT関係の自宅勤務者ばかりが住まう街。片田舎のゆったりとした空気の中で、悠々自適な生活を送り、時々回線の向こうの大きな都市の市場やらシステムやらとアクセスしては、適切な指示を出したり助言をしたり。これでも結構、社会や世界を支えている顔触れがたんと集まっていて、意外な大御所が隠れていたりもする、なかなか侮れない街だったりするのである。そんな街の一番奥。その向こうには海への断崖が控えているばかりという奥向きに、広々とした庭の豊かな緑に埋もれるようになっている邸宅があって。どこぞの貴族の別荘を思わせるような瀟洒な屋敷に住まわっているのは、主人である若夫婦とその愛娘。それから、とても有能な女性の執事さんと、てきぱきと働く使用人の方々が十数人ほど。こちらのご家族も、一見しただけだと…親からの莫大な遺産でもあっての優雅な暮らしぶりかと思われるほどに、あくせく働いてなんかいないような風情に見えもするのだが。

  "…う〜ん。"

 どこか古風で、何とか建築とかアールデコとか、そういった本格的な様式が冠せられそうな造りの優雅なお屋敷には…ともすれば不釣り合いな。ちょいと大きめのサーバーを幾つもどんと据えた本格的なコンピュータが設置された部屋のデスクに陣取って、やはり幾つかあるモニターのうちの一つ、最新式の解析率が高い鮮明画像も美しく、黒い髪をした東洋人の少年の姿が次々に映し出されている画面を、飽きることなく眺めている人物がある。軽やかな風にさらさらとその裾が遊ぶ、指通りのいい真っ直ぐな金の髪を前髪だけ殊更長く伸ばしているのは、昔の長かった逃亡生活の名残り。顔を、表情を、ついつい隠したがる癖が染みついており、そんなせいでか…直接会う人々はこんなにも若くこんなにも美麗な面差しをした男だとは知らなかったと驚いて下さるほど。やや切れ上がった目許には宝石のように光を凝縮したような水色の瞳を浮かべており、線の細い鼻梁や抜けるように白い頬、少し肉薄の、なればこそ小さく笑うと妖冶な表情になることもある口許などの繊細な印象は、あまりに玲瓏で美しく、彼の本当の年齢を曖昧にして来たことへも随分と貢献して来たという。ほっそりと、だが、強靭な、鋼の芯でも呑んでいるかのような背条をピンと伸ばし、まるで詩人か音楽家のようなロマンチックな容貌をしたこの若主人こそ、世界中の経済に関わる人々や業界、政治家たちをまで自在に操ることが出来る、世界最強のビジネスエージェント"Mr.サンジェスト"こと、ムシュ・サンジである。

  "む〜ん。"

 世界の政財界の大立者。このコンピュータールームに座したままにて、列強各国の経済状態をちょいとくすぐって踊らせることだって出来るという、とんでもないその手腕は、彼の…とある事情から身を置いた、気が遠くなるほどに長い長い"生"の中で少しずつ積み上げられた蓄積の賜物であり。昔はただ無難に生き続けるための居場所を細々と保つためにと必要最低限に扱っていたのだが、身を一か所に落ち着けることが出来るようになったその途端に、あれやこれやと しがらむものに搦め捕られてしまい、気がつけば此処からあまり動けない身となってしまった。それが自分の立場や利潤だけに関わるものならともかくも、世界経済の均衡を左右するような事情になってもいるとあっては、無責任に放り出せもせず。これは少々豪気に構え過ぎた。扱うネットの規模縮小にかからないとねと、贅沢な苦笑を浮かべている今日この頃なのだそうだが、

  "う〜ん。"

 そんな大物様が、さっきから何をか唸っていらっしゃる。事業は順風満帆、美しく才気にもあふれた若々しい奥方と、そしてそして愛らしいお嬢ちゃんを得て、私生活の方でも彼が望んだそのままにそれは穏やかに幸せで。物資精神、両面にてこの世の春を満喫している筈の美丈夫が、だがだが、此処のところ何だか気難しそうなお顔を時々見せるものだから、

    「一体どうなさったのかしら、旦那様。」
    「お仕事のことはよく分からないけれど…順調なのでしょう?」
    「それはもう。
     是非とも提携をアドバイスをっていう降るような申し出や問い合わせへ、
     お屋敷の方の秘書な筈のロビン様も駆り出して、
     フル回転で応対なさってらっしゃるほどですもの。」
    「奥様もベル様もお健やかにつつがなく。」
    「ベル様は とっても"おしゃまさん"になられてvv
    「そうそうvv お出掛けの時は、
     お母様とお揃いのお色や素材の洋服じゃないと ヤとか言って愚図られたりしてvv
    「赤ちゃんの専門雑誌から、モデルにって引き合いが山と来ているそうよ?」

 だってあんなに愛らしくていらっしゃるのですもの、当然よねぇ〜〜〜vvと。まるで我が子みたいに自慢げに笑って、さて。

  「一体どうなさったのかしらね、旦那様。」

 最初の疑問へと立ち戻ってしまうから、ある意味では平和なメイドの皆様だったりするのであるが。此処は筆者がさりげなく訊いてみましょう。これこれサンジさん。一体何をそんなに気鬱げになさっていらっしゃるのですか?


  "………最近、ルフィが冷たくて。"

   ――― おいおい。


 こういう持っていきようは、つい最近やったばっかしなんですが。
(笑) 便りが無いのは元気な証拠。日々の生活が忙しいくらいに充実しているからこそ、遠く離れた自分へまで、気を回せずにいるという"理屈"は分かるし、何より…ほぼ毎日のように事務上の定時連絡という形にて、ネット回線を通してお顔にもお声にも接してはいるのだからして。そんなにも頻繁に逢っていて何をか言わんやと、事情をよくよく知っているナミさん辺りにまで呆れられそうなことに心痛めてらっさるサンジさんで。

  "そうは言いますけどね。"

 直接逢うのと比べれば、そんな逢瀬は前以て録画した画像とのご対面とあまり変わらない…だなんて、何とも贅沢なことを思うムシュであり。

  "第一、ルフィの態度自体だって…。"

 どこかしら素っ気ないよな気がして、それが少しずつ積もり積もって、今や"はぁあ"と何とも切ない溜息になって胸の奥からあふれ出してしまうほどの物思いにまで育ってしまった。

  "………。"

 もしかして自分は、あれもこれもと欲が深すぎるのだろうか。事業は順調で…月に何度かは"修羅場"もなくはないけれど、世情や騒動に振り回されない、充実していてのんびりした生活を堪能出来ており。その追跡から逃げ回りつつも憧れてやまなかった美しい妻が、今では傍らにいて優しく微笑ってくれるその上。妻に似た愛らしい娘は、日に日に彼女なりの抑揚で言葉を覚えているらしく、目映いばかりの笑顔を向けてくれるし。そんな幸いに満たされた健やかで幸せな毎日が、当たり前のものとして"明日"を乗せてやってくる。こんなにも恵まれた環境にあるというのに、人も羨むような幸いを満喫出来ているというのに。まだ足りないとぶうたれるなんて、贅沢にも程がある、それはそれは強欲な自分なのだろうか。

  "…でもなぁ。"

 自分にとってのルフィは、別格なのだから仕方がない。ずっとずっと永いこと、自暴自棄にさえ見切られた"死なない身体"を持て余して、どうでも良いやと何もかも投げ出すように過ごしていた。切っても刺しても、恐らくは…水や雪や土に埋もれても、何度でも蘇ることが出来た忌ま忌ましい身体になったことで、自分は此処に居るのだという、一番に大切な自己主張、生きている証しを叫ぶことも出来ないまま、まさに"亡霊"のようにただ"存在"していただけの幾歳月。

  ――― そこへと前触れもなく飛び込んで来た、一人の小さな少年が。

 このまま自分というものさえ手放してしまいそうな、形の無い怖さ。そこから果てしのない狂気に呑まれるやもしれないという、最後にして最大の恐怖に恐れおののきながら、ただ自己とだけ向かい合っていた、生きたまま死んでいた自分を救ってくれたルフィ。それはそれは暖かで、鮮やかな生気に満ちた存在で。それまでと変わらずに屈託なくお元気で、時々は…変わってしまった身の上へこっそり泣きながら、それでもね。そこに確かにある存在として、自分に向かい合ってくれた。彼を守ることでずっと生きてゆけると、心の中に強い支柱を築いてくれた。鏡越しの冷ややかな"自分"という存在にしか触れられなかったサンジに、柔らかで暖かな"命"の温度を思い出させてくれた人だから。そしてそして、そんな彼がずっとずっと心に秘めていた想いが…もう一つの誰かさんの想いを引き寄せて。その結果、今の彼らの幸いがあるのだけれど…。

  "…その代わりに、か。"

 それと引き換えにすることでこんなにも満ち足りた幸せを得た。それほどまでにも、それは貴重で掛け替えのない物だったのだと、今でもしみじみ痛感している。愛惜しくも切ない痛みに、幼い力できりきりと胸の奥底がつねり上げられているような気がしてやまな思いを運んでくる、数々の思い出。身を切るほど寂しかったろうに、自分の前ではお日様みたいな明るさでいつも笑っていてくれた、お元気で優しかった小さなルフィ。裏の世界に生きていたあおりで、時には…生身の体だったなら命が幾つあったって足りないほどの危ない目にも遭ったけれど。小さな彼を懐ろに抱えて死線を掻いくぐって駆けていた時は、不思議なことに"生き延びなければ…"という充実感や、生への執着や躍動を強く強く感じもしていて。

  "もうあんな想いには巡り会えないのかな。"

 何も危険な身に戻りたいのではなく、切ない孤独にひたりたい訳でもない。きっと自分の中でも、その当時の記憶は多分に美化されているのだろうし、そんなことをしなくとも、生きているということへの実感はしみじみと味わえてもいる。ただ、時折どうしようもなく切なさがあふれてやまないのだ。小さなルフィ。質の良いビロウドのように、なめらかで柔らかな存在だった。いつも傍らで笑っていてくれた、あの真珠のような無垢な輝きを、ふと思い出しては焦がれてやまない自分に気がついて、誰へのものでもない苦笑が洩れる。


  「…パパ。」


 ふと。背後にぱたりぱたという小さな足音がして。デスク前からゆっくりと戸口の方へ振り返れば、淡い玉子色のワンピースを着た幼い愛娘が立っている。まだ1歳と10カ月の小さな小さな姫君は、このところ歩く速度も速くなり、何かに気を取られて駆け出すと、大人でもなかなか捕まえられないのよとナミさんが苦笑していたほどであり。
「? どうしましたか?」
 にっこり笑って立ち上がり、すぐ傍らまで歩みを運ぶと、スルリと屈み込んで目線を合わせる。すぐに抱き上げては奥方から叱られていたお父さんも、最近になってようやっとこうやって自制出来るようになった。小さな姫はまだまだ意志の疎通がはかれるほどには言葉を操れず。それでも"あーあ、くんね…でしょ?"などと、解析出来そで出来なさそうな、微妙なおしゃべりを聞かせてくれて、若いお父さんの目許口許をほっこり和ませてくれる。
「そろそろお昼だね。ママのところへ行ってみようか。」
 白いカーディガンを着た長い腕へ抱き上げると、甘い香りのする幼子は大人しくも父上の胸板、懐ろに落ち着いて。自分を覗き込む優しい面差しへと天使の笑みを見せてくれる。ストライドも大きなサンジだから、さほどに速足にならずとも、家族の使うリビングへまで あっと言う間に到着をして。だが、

  「…おや?」

 此処に間近い食堂の方からは、ほのかに暖かな食事の香りも届いているというのに。ナミやロビン、それと このベルの世話をしているナニーの姿がないのがちょっと不審で。
「皆、どこに行ったんだろうね?」
 まさかそれで"異変を告げに"と父上を呼びに来たベルちゃんだったのか? 自分の立場はようようわきまえているから、それなりの防犯対策は万全に整えてあるはずなのだがと思いつつ。ちらとでも感じた不審へは相変わらず俊敏に立ち上がる警戒モードの冴えを、その肌身の下へと忍ばせながらも、腕に抱えた愛娘を怖がらせないようにと平生のお顔のままにゆっくりとリビングから出る。厨房の方から料理を仕上げる気配はするから、待ったく誰もいない訳ではない。春まだ浅き季節だからと、締め切られた廊下の窓の向こう。少しばかり萌え初めの兆候を滲ませつつある梢の隙間から見えた中庭に、鮮やかなオレンジ色の髪が見えて、
"…なんだ。"
 そんなところにいたのかと、ほっと胸を撫で下ろす。今日は良い陽気だからと、昼食前のわずかな一時、庭に出てちょっとした散策を楽しんでいた奥方なのだろう。丁度傍らにはそこへと出られるガラス扉があったので、ママのところへ行こうねと、二人して陽の明るい庭へと出てみる。まだ芝草は育っておらず、それでもどこからか…沈丁花の甘い香りがする早春の空気は清々しくて。

  「ま〜ま、とっと、く〜や。」

 母を見つけてにこにこと笑顔になったベルが話しかけたのへ、あらあら…とナミがこちらを振り返る。淡いピンクのカシミアのアンサンブルにセミタイトのスカートという、すっきりとしたいで立ちの彼女であり、

  「残念。ベルに引き留めてもらおうと思っていたのに。」

 間近になった夫と娘と。二人の傍らへ自分の方からも歩み寄りながら、だが。くすくすと悪戯っぽく笑ったナミさんは、そんなことを囁いて。

  「???」

 どうやら自分は此処には来ない方が良かったらしい言いようであるが、さて、その真意がサンジには判らない。夫がその腕の上へと座らせる"子供抱き"をしたベルちゃんが、キャッキャとはしゃぐのをいなしつつ、
「あ、ほら。ご到着よ?」
 目映いほどの笑みを浮かべたナミさんが視線で示した先には、表から真っ直ぐ真っ直ぐ乗り入れて来た車が1台。自分たちの待つポーチまでなめらかにすべり込んでくる。シルバーメタリックの自分の車であり、運転席にはロビンの姿。だが、ナミは"ご到着よ"と言った。家人に対してそんな丁寧な言い回しなしなかろう。一体どんな客人を乗せて来たのかと、前以ての説明をされていなかったサンジがキョトンとしていると、やがて停車した車の後部ドアがゆっくりと開いて………。


  「サンジっっvv


 弾むような、張りのある声とともにそこから飛び出して来たのは誰あろう、

  「………ルフィ、か?」

 真っ黒な髪は相変わらずに、まとまりが悪い くせっ毛で。丸ぁるいおでこが全開になったままこちらへと駆けてくる。深みのある琥珀色の瞳は大きくて、闊達そうな光を浮かべており、小さな小鼻や愛嬌のある口許も、薄い肩も小さな手も、なんら変わっていないままな愛しい子。ぱふんと抱きつかれて、
「あ〜う?」
 間に挟まった格好になったベルが、小さな手でぺちぺちと…懐かしいおでこを叩いたのを間近に見やって………。

  「サンジ?」

 まだ凍りついたままなところへ再度、ルフィの声が掛けられると、

  「…ルフィっ!」
  「あやや…。」

 タイムラグを取り戻さんという勢いにて。呆然としていたものが一転、今度は弾かれるようにぎゅうっと抱き着いて来たサンジだったものだから。びっくりしたベルちゃんが泣き出してしまったというハプニングに、その場にいた全員がおたつきつつも大笑いした、何とも可愛らしい再会の場となりました。



  ――― だからさ、今日はサンジの誕生日だろ?
       プレゼントは何が良いかなって散々考えたんだけど浮かばなくて。
       そしたらさ、
       ゾロが欧州
こっちへの商談の予定が出来たからって、
       その間、お前はサンジのトコに厄介になってなって言ってさ。
       でもホントはな、
       わざわざ直接逢う必要まではない商談だったらしくてサ。
       だから、俺が来たのはゾロからのプレゼントだ。
       俺からのプレゼントは、えっと、
       今日一日、何でもしてやるってのはどうだ?



 相変わらずに愛らしい少年の口上も、ちゃんとその耳に届いていたのかどうか。まるで母親に取りすがるみたいにしがみついて来た金髪碧眼の美丈夫様は、そのまま…一途な想いを滲ませた何とも切ないお顔になったまま、随分と長い間、小さな坊やを離しませんでした。


  ――― 勿論、あたしやベルがちゃんといるのにって思えば
       あの激情ぶりって、ちょっとは口惜しくはあるけれど。


 それだけ…いつも憎らしいほどにクールな彼が、こんなにも感情をあらわにするなんて滅多にないこと。それも"嬉しい"という暖かな気持ちなのなら、何にも問題はありませんと。マダム・ナミさんも柔らかく笑って、少し早いめにやって来た"春の使者"くんをやっぱり愛しむように見つめたのでありましたvv




  〜Fine〜  04.3.2.〜3.3.


  *ゾロさんも思い切ったことをしたものです。
   このままサンジさんが返してくれなかったりするかも、とは
   考えなかったのでしょうか。
おいおい
   ウチの特殊設定の"お誕生日作品"となってしまいましたね。
   こんな代物ですが、サンジさん、ハッピー・バース・デイvv

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