蒼夏の螺旋
  
 
秋憂葛湯
 

 
 季節の変わり目というと、気候の変化に体の微調整が追いつかなくなり、体調がどこかで怪しくなりがち。あああ、年は取りたくないやねぇ…なんて言ってたら、ウチではPCくんまでもが容態がおかしくなってしまいましたが。(笑…えません。)中でも秋の訪れや深まりは、殊更不意に自覚出来るそれ。昼間はまだ体を動かせば汗ばむほどでも、朝晩の冷え込みが、ふと、身を縮めるほどにも強くなる。いつまでも残暑が厳しいものだからと油断していて、陽が落ちてからの帰宅となって初めて、肌に冷たいくらいの夜気に気づいて、
『ああ、しまったな。袖のある上着を持ってくりゃ良かった』
なんて後悔しちゃった経験、一度くらいはありませんか?






   ――― さらさらと。


 カーテンを透かして射し込む光が、壁や床で踊るように揺れている。すぐ傍らを通り過ぎる風の気配がする。様々なものの息づく気配。瞼を閉じていてもそれと分かる"朝の訪れ"を感じて、少しずつまどろみの深みから意識が浮かび上がってゆく。肌に触れるのは薄い方の羽毛布団の感触。奥方が数日前に夏掛けから取り替えたもので、そろそろ朝晩が寒くなって来たからねと言ってた割に、
『…暑いよう…。』
 コトの余熱にうんうんと汗をかいては、パジャマを着せようとするこっちの手を払ったりしているのが、何とも可愛らしい少年だったりするのだが。
(笑)
"…ん。"
 鼻先に擽ったい感触がする。ああ、これはルフィの髪の感触だなと、仄かな甘い匂いについつい頬が緩んだ。愛しい愛しい想い人。柔らかな頬、小さな手、薄い肩。片手で軽々と抱き上げられるほどに、まだまだ幼
いとけない小さな恋人。本当は3つ違いの従兄弟同士。でも、ちょっとした経緯があって、現在のルフィの外見は やっと小柄な高校生か、無難に中学生。下手をすれば背の高い小学生に見えるほどに幼いままだ。7年間も時間が止まっていた少年。その7年間を、離れ離れに過ごし、もう一生逢うことの叶わぬ彼岸同士に立つ身となったと、お互いにそう思い込んでいたものが。とある騒動を経て再会し、もう離すものかとこの腕の中、しっかり捕まえて…3回目の夏が行き過ぎたところ。再び出会うまでは"可愛がっていた従弟"という認識だけだ思っていたが、どうやらそれだけではなかったらしくて。人付き合いの下手くそな、剣道と学業以外に関心も湧かず、無味乾燥、それは味気無い毎日を、味気無いと気づきもしないでただ過ごしていた自分が、そうでいられた…彼が傍らに居るというだけで、それだけで他には何の不満もなかったほど、唯一無二の宝物。自分にそれは懐いてくれていた、愛らしくもやんちゃな彼の存在があったからこそ、それで充実していたし、そんな彼が不意に失われてからの7年間は…どこで何をして過ごして来たやら。振り返れば…何かしらに身も震えるほど意欲が高まることなく、ただただ流されて惰性で過ごして来た自分だったらしいということに気づいて苦笑が漏れたほどなゾロであり。再会して初めて気がついたそんなこんなに、彼の存在感の大きさをあらためて感じ、何があってももう離さないと、様々な障害…主にとある"お母様"からの横槍(笑)にも負けず、頑張って頑張って大切にして来た、最愛の伴侶なのだが、

  "…んん?"

 甘くて柔らかな、それはそれは まろやかで暖かな温みに…何だか訝(おか)しいなと違和感を覚えた旦那様である。鼻先にほやほやと柔らかな額髪が、何だか妙に熱くはないか? 髪だけではない。腕の中、すっぽり収まっている小さな身体も、こんな朝っぱらから火照って熱い。パジャマもしっとりとしすぎいていて、
"昨夜は…。"
 熱帯夜じゃあなかった筈だ。真夏だって数えるほどしか そうまで暑い晩は訪れなかった東京。ましてや…冒頭で触れたように、そろそろ秋も加速がついて深まろうかという頃合い。たとえ昼間は夏日並みの気温になっても、朝晩の気温はぐぐっと下がっている。
"…あっ。"
 はっと閃いたその途端に、バチィッと目も覚めたゾロだ。こうまで明るくなったというのに、腕の中、いつまでも起き出さないルフィだというのもそもそも訝しい。もともとはそんなに朝に強い彼ではないのだが、それでもご亭主であるゾロの朝の身支度や朝食の準備にと、毎朝張り切って先に起き出している彼なのに。そんなルフィを腕に抱え、上体を起こして…丸ぁるいおでこへと手のひらをすべり込ませる。
「………やっぱり。」
「うにゃ…? ぞろ? おはよー…。」
 ふにゃふにゃとした声を出す奥方に、
「おはようじゃないぞ?」
「ふに?」
 ありゃりゃ〜? ご挨拶、間違えたのかなぁ〜? そんなお顔になる鈍
トロい反応からして既に怪しい。
「お前、凄い熱が出てるぞ?」
「ねつぅ〜?」
 ああ、意味が分かってないらしいなと、そこまでの重症なのかと少々ドキドキ。この、まだまだお若い旦那様は、若いに似合わず…日頃からそれは落ち着いた人なのだが、コトがこういった"疾患関係"の話となると、自分が頑丈な分、何をどうしたらいいのかが分からずに浮足立ってあたふたしてしまう節がある。怪我の手当ては得意で上手なのに変だよねぇと、
"…あ、そうだった。"
 一昨年の冬場、やはりちょっとだけ風邪気味になったルフィであり、その時にもあたふたしたのをルフィ本人から"怪我には冷静なのに…"と笑われてしまったのを思い出した。その時はどうしたかを、うんうんと必死になって呼び起こす。
"えっと、確か…。"
 こういう"困った"にいつも頼り
あてにしている、階下のコンビニの若奥さんに電話して、近所の病院を訊き、容体を聞かれるままに説明して…。
「そうだ、そうだ。」
 その時に自分は何をしたかを少しずつ思い出す。
「…ふや?」
 おでこに前髪を汗で張りつけた、真っ赤なお顔のルフィを再び…そぉっとベッドの真ん中へと寝かしつけ、掛け布団を顎まで上げてやり、
「良いな、寝てるんだぞ?」
 一人、ベッドから抜け出すと…まずはバスルームの脱衣場に嵌め込みになっているクロゼットへ。そこから大きめのバスタオルを何枚か掴み出し、
"ハンドタオルもいるよな。"
 おでこに載せる濡れタオル。それを思ったゾロだったが、いやいや今時には"冷却シート"っていうのがあるから、使わないのかな? 思いつつも一応はと、2、3枚を手に取ると、
「あ、ゾロ。それは下ろしたてだから、汗とかあんまり吸わないよ? すぐに使いたいなら、下の段のが良いよ。」
「そうか…って、おい。」
 一丁前にC・ディオールのなんだよ、商店街の福引で当てたんだよと、ふにゃんと笑っているルフィが、いつの間にやらぴったりと背後について来ていたのへと振り返り、
「さっき、俺は何て言ったかな?」
「うっと………?」
 小首を傾げて見せてから、
「忘れた。」
 あはは…vvと 明るく笑うのを、軽々ひょいと抱え上げ、
「寝てろって言ったろうがよ。」
 熱でハイになってる奥方らしく、再び寝室へ戻ると、ベッドの上へまずはバスタオルを敷く。いっそシーツを取り替えてしまう方が良いのだが、そうすると寝床が一気に冷えてしまうため、とりあえず体を横たえる部分だけでも乾いた感触にしましょうということで、後々で交換しやすいバスタオルを敷いて、
「ほら。大人しく寝てるんだ。」
「何で〜? もう朝だよ?」
 そうだ、ご飯のスイッチ入れて来なきゃと、性懲りもなく身を起こそうとする小さな奥方を、
「だから…っ。」
 掛け布団でくるむようにしてからベッドへと押さえつける。
「うやい…。」
 腕の中から見上げてくるのは、何すんの〜という、相変わらず状況が一番判っていないらしき不満顔。
「早く支度しないと、ゾロ、会社に遅刻しちゃうじゃんか。」
 判ってんの? と。ご本人は"めっ"というお顔をして見せたらしかったが、半分しか瞼の上がっていない童顔は、熱に熟れて赤く染まっている分、痛々しくさえ見えて、
「俺のことは良いから。」
 大きな手でわしわしと、質の細い猫っ毛を撫でてやる。頭も触れて分かるほどに熱く、これは早いところ対処せねばと、ゾロとしては落ち着けない。だというのに、
「良いことじゃないだろ〜?」
 小さな奥方、ますます"むむう"とお顔を顰めた。そして、自分を寝かしつけた旦那様の手を"ふんぬぬぬ…"と押し返しながら身を起こす。ただでさえ消耗しているのに、くったりと張りのないお顔をしているくせに、要らないところで頑張って見せる彼なものだから、
「だから。余計な体力使ってどうするんだ。」
 軽々と腕の中、抱きすくめて抵抗を奪い、どうしても素直に横にならないというのならと、掬い上げるようにひょいっと抱えて…そのままベッドの端に腰を下ろしたお膝の上へと奥方を座らせる。
「分かってるか? お前、熱出してんだぞ?」
 お顔のピントもぼけていて、いかにも力のない様子。こんな問答をやってる場合ではないのにと、それこそ段取りを急ぎたいゾロは、
「これからお医者に行こうな?」
 熱に浮いた愛しいお顔へと話しかけたが、


   「イヤだ。」

   ………はい?


 今、なんと?
「行かないからね。それより、ゾロ、お支度しないと。なんか寝坊しちゃったから、早くしないと遅刻しちゃうよ?」
 ん〜っんんっと。旦那様の広い懐ろの中で腕を何とか突っ張って、そこから抜け出て身を起こすんだという構え。
「あのな…。」
 何遍言ったら分かるかなと。話が丸きり通じていない状況へ、精悍なお顔をホトホト困ったという表情で塗り潰したゾロだが、


   「風邪なんて、大人しく寝ていれば治るんだからね。」

   ………おや?


 身を起こすだけで"はあはあ…"と、肩で息をするほどキツいらしいのに。それでも…頑張って頑張って、ゾロの膝から降り立つと、
「おとと…。」
 ヨロヨロっと前のめりにバランスを崩しかかって、だが、はっしとサイドボードに手をかけて体を立て直す。
"ルフィ?"
 そういえば。さっき、タオルを取りに行ったゾロを追って脱衣場までついて来た時だって、今のように身を起こしてベッドから降りて、廊下を進みながら、自分の体が何か変だと気がつく要素は幾らでもあった筈。先程は"それにさえ気づいていないのか"と呆れたゾロだったが、壁だの家具だのに杖代わりにと掴まりながら、キッチンの方へ向かおうとする彼を見て、
"………。"
 どうやらそうではないらしいと、それこそ…今頃になって気がついた。次の棚、次のドアノブ…と、掴まるものを次々に目指し目指して進んでいる彼だということは、何かを手掛かりに すがらねば歩けないという自分の容体を、きっちり"判って"いる彼だということではないのか?
「ルフィ…。」
「会社、行かなきゃダメなんだからね。」
 振り向きもせずに言い放つルフィであり、これはもう…決定的。つまり、
"自分のせいで休むな、か。"
 前に風邪をひいた時にも、泡を食ったゾロがそのまま…1日だけながら会社を休んだことを、ルフィはずっと気に病んでいた。殊更に手洗いやうがいをするようになり、出来るだけ体調管理に気を遣うようにもなったのも、それからだったような気がする。ゾロの負担になることを最も嫌うルフィだから、病気というこんな不可抗力さえも捩
じ伏せてしまいたい彼なのだろう。とはいえ、
「………っ。」
 足元が萎えたように、力なく へたりと座り込んでしまった姿を見てしまっては、
「ルフィ。」
 何でもないことと彼を捨て置いて、平生の調子で会社に出掛ける訳には行かないゾロであり。………なのに、
「大丈夫か?」
 そのまま腕へと包み込むように抱え上げると、
「大丈夫だから。ゾロは、出掛ける用意して…。」
 降ろしてようと言いたげに、腕を懸命に突っぱねて見せる。出来るだけ安静にさせたいのに、その本人がこれでは埒が明かない。聞き分けのない子供の がんぜない駄々こねのようにも見えるが、
「俺はホント大丈夫なんだから。こないだの時のは覚えてるから、大人しく寝てれば良いって知ってるからサ。」
「ルフィ…。」
 大丈夫を連発し、
「ほら。早く行きなってば。」
 大儀そうにそれでも何とか上げた手で、ゾロの肩を押して見せる。
「遅刻しちゃうから。ね?」
 それこそ"聞き分けのないこと言わないで"と、哀願するような響きさえあって、
「…ルフィ。」
 相手を思いやる気持ちの熱さでは、いつだって負けるつもりのないゾロではあるものの、だんだんと呼吸が荒くなってきたルフィであるのを見るにつけ、このままではますますの無理をしかねないという懸念が胸に沸き立って来た。落ち着いて横になってくれなくては、安静にしていてくれなくては、治るものだって悪化する。だがだが、こういうことへの彼の頑固さ・頑迷さ、本っ当によくよく重々知っているゾロであり、

  "あれだってそうだったんだもんな。"

 此処で一緒に暮らすようになったばかりの、一昨年の丁度今頃。こんなにも傍にいたゾロにさえ気づかせないように、こっそりと秘やかに…笑顔の陰で息を詰めて。それはそれは不安な胸の裡
うちを、ずっとずっと隠し通していたルフィだったのを思い出す。ただの従兄弟で居候。いつかゾロに恋人でも出来れば、自分の居場所がなくなってしまうのではなかろうか。そんな間柄の不安定さに小さな胸を痛めながらも…ゾロの負担にだけはなりたくないからと。不安に押し潰されそうになっていたにも関わらず、心細げな素振りや気配なぞ、微塵も見せはしなかったルフィ。天真爛漫、お元気小僧のそのままに帰って来た訳じゃあない。年齢相応に奥行き深くて、思慮深く。繊細でありながらも…他者を思いやるためには意志の強いところも見せる"正しい優しさ"を身につけた、中身はちゃんと大人の彼なのだ。


   「………判った。」


 肩を落としての溜息混じり、それでもはっきりとした…降伏の一言を口にしたゾロ。腕の中の小さな奥方の、熱に潤んだ瞳を見やり、
「ちゃんと会社に行くから、ルフィはいい子で寝てるんだぞ?」
 強情の張りっこをしていてもしようがない。自分が傍らにいるのでは落ち着けないと…会社に出ればその間、此処で安静にしていてくれると言うのなら、その通りに運んでやった方が早いのかも。そうと判断したゾロであるらしい。途端に、
「あ…。」
 見るからにホッとして、強ばっていた小さな身体からも力が抜けた。彼もまた、ゾロが強情なことを重々判っていたから。ルフィを思うあまり、何もかも放り投げてしまうのではないかと、それが…嬉しくない訳ではないけれど、それじゃあいけないと憂慮していた彼であったから。
「あ、ご飯は…。」
「良い。このまま、出るよ。」
 言い負かされたからというような突き放すような言い方ではなく、出来るだけ柔らかい口調でと応じてやって、
「コンビニで菓子パンでも買うさ。…あ、そうそう。サミさんにお願いしますって言っとくからな。」
 再び寝室へと逆戻りし、タオルを敷いたベッドにそぉっと奥方の小さな身体を降ろしてやって、
「今日は会議や会合の予定もないから、早くに帰れる。」
 そのまま…壁に嵌め込みの収納へと体を向けて、引き出しからはシャツと靴下を、扉を開いた上部のクロゼットからは、幾つか下がったスーツの中から適当なものを引っ張り出し、パジャマから手際よく着替えてゆく。

   「………。」

 大きな背中。何でかな、ちょっと素っ気ない。ああそっか。ゾロにしてみれば、意に添わないことだからか。…何か変なの。好きだから、俺なんかの風邪なんかに手を焼かないでほしいだけなのにね。でもでも、それ言うと、ゾロだって"看病したいだけなのに"って言い返すんだろな。どっちも"いけないこと"を思ってる訳じゃないのにね。人を好きになると、こういう矛盾したことも起こるんだな…。
「…ふぃ。ルフィ?」
 いつの間にか。もうキチンと着替えていたゾロで。呼ばれていたのにすぐに反応出来なくて、
「…あ。うん、なに?」
 お顔を覗き込まれて反射的に笑って見せた…つもりなんだけど。ゾロのお顔、ちょこっと心配げ。…あやや、ほやんとしたお顔になってたのかも。
「いいな? サミさんに声をかけてくから、お医者に行くなり来てもらうなりして、安静にしてんだぞ?」
「うん。」
「洗濯だとか掃除だとか、晩ごはんの支度だとか、絶対にするな?」
 会社に出るという方向で折れた以上、そっちの言い分は聞いてもらうからな…と。ネクタイを結びながら言い置くと、
「うん。ちゃんと寝てる。」
 そうと応じる割に、ベッドの上、正座を崩したような座り方の、脚の間にお尻を落とし込んだような恰好で身を起こしたままなルフィであり、
「ホントにホントだぞ?」
 スーツの上着を羽織りながら念を押すと、小さな手を伸ばして来て、その襟元を直してくれつつ、
「大丈夫。寝てるから。」
 ふにゃいと何とか笑って見せる気丈さよ。それがまた却って心配ではあったが、これ以上グズグズしていても、ルフィは落ち着いて横になってくれないままだろう。
「じゃあ、行って来る。」
 最後の一瞥、ベッドの上の奥方を不安そうに見やってから。寝室のドアをそっと閉じ、控えめなスリッパの音がすたすたと玄関へ向かう気配。脚が長いゾロだから、あっと言う間に玄関に到着して。ゴソゴソと靴を履く音。ガチャンと重々しい音がしたからドアを開けたんだと分かる。それから"こつり…"と、ちょっとためらうみたいな最初の一歩。息を殺して聞き耳を立てていると、やがては…こつこつって靴音が連続して聞こえて。ひゅぅうん…バン・ガチャンってドアが閉まった音がして終しまい。

   ――― ……………。

 しんと静まり返ってしまったフラット。その沈黙が…何でだろうか、形は無いまま、でも大きな大きな塊りになって、身に迫って来るようで。
「…ぞろぉ。」
 自分で自分の二の腕あたりを抱き締める。変だな、急に寒くなって来たかな。会社に行ってくれないと困るって思ったのはホントなのにな。企画部の若手の中でも、近年にはないほどのレベルの新進気鋭よ、成長株よと注目されてる出世頭で。小さいものながら、彼一人に任された渉外企画も既に幾つか。あんなに大きな商社で、まだほんの二十代の若手がそんな風に責任のある仕事を任されるだなんて、引っ繰り返せば…途轍もない注目と期待をされているゾロなのだとルフィにも判るから。頑張ってほしいし、邪魔なんてしたくはない。

   ………………でも。


   "寒いよぉ。"


 くすん、て。お鼻を啜ってしまった。やっぱ風邪なんだ、お鼻の奥が痛いもん。パジャマなままのお膝を見下ろして、はふうと溜息。頭もぼうってするし、何だか急に寒くなったような気がして、だのに…掛け布団を引き寄せる気力も沸かない。
「ゾロぉ、寒いよぉ。」
 居ないと判っているから、来てはくれないと判っているから。だからやっと言えた。ホントはね、ずっと傍に居てほしかったの。心細くならないようにって、ぎゅうってして温めててほしかったの。でも、そんなの我儘だって判っているから。我慢しなくちゃねって思ったの。ゾロはそれでなくたって優しいから。頑張って強がらないと、絶対絶対出掛けてくれない。
"どっちかって言うと、根負けしたから…みたいだったけれどもな。"
 大丈夫だからと納得したからではなくって、このままでは埒が明かないからって。強情っ張り同士の言い合いが続けば、結果としてルフィの負担が増えるだけだからって。やっぱりルフィのことを思いやった上で、しぶしぶといった感じで根負けしてくれたゾロだったみたいだけれど。
"…優しいんだもん、ゾロ。"
 我慢と我儘って字が似てる。大丈夫だからってゾロんこと突っ撥ねたの、どっちなんだろう。ルフィの側も物凄く頑張って我慢して、会社に行ってって言ったんだけど。ゾロの方から見たら、それもまた"我儘"になんのかなぁ…。
「…うう"。」
 寒くて寒くて、寂しくて。


  「………………ゾロぉ、どうしよう。すごい寒いよぉ。」


 ついつい、もう一回だけ呟いてしまった。もう少ししたらサミさんが来てくれるから、それまでの間だけ。ホントの気持ち、いっぱい言っておこう。いっぱい甘えたこと言っておこうって。そんな風に思ってたら………いきなり。


  「ほら見ろ。やっぱり心細いんじゃねぇかよ。」

  「………っ☆」


 いきなり寝室のドアが"ガッチャ★"と開いたから、奥方もビックリしたの何のって。
「な、なななな、なんで?!」
「わざと足音をさせて、出掛けた振りをしただけだ。」
 雄々しい胸板を思い切り突き出して、えっへんと大威張りするご亭主であり、
「俺が日頃から足音を消して歩いてるの、全然気づいてなかったのか、お前。」
「…そんな変なこと、まず気がつかないって。」
 ぺしっと裏手で思わず突っ込みを入れた奥方で。熱がある割に冴えております、ルフィさん。
(笑) …じゃなくってだな。つかつかと歩み寄ったベッドの端へ、ふさんと腰掛けた旦那様。ルフィの小さな身体をひょいっと。軽々と、だが、大切に、腕の中へと取り込んで。
「あのな、ルフィ。確かに、仕事ってのは大事なものだ。営業の外回りであれ、事務処理であれ、任されてることへの責任ってのがあるし、それは本人一人の稼ぎとか成績とかがどうこうするだけの話なんかじゃあない。物によっては部署全体に響くことだし、コトによっては大きなプロジェクトが台なしにだってなりかねない。」
 懐ろの中、向かい合った幼
いとけないお顔に、噛んで含めるように囁きかける。
「ルフィは…俺の評価が落ちたり、取り掛かってる企画が立ち行かなくならないようにって、心配してくれてるんだよな。」
 熱のせいでいつもより柔らか髪に頬を寄せ、
「でもな。俺、こんなに容体の悪いルフィを独り置いてなんて、やっぱ出掛けられんのだ。会社に出たとしても、集中出来ないに決まってる。」
「………ぞろぉ。」
 優しい言葉が本当に嬉しい。こんなにも大切に想ってくれているゾロ。でもね、それじゃあいけないって、そんな甘いことを言ってちゃあダメなんだっていう、大人の世界の理屈も知ってるから。嬉しいのに悲しいっていう、何だかとっても複雑な想いに胸が一杯になる。困ったようなお顔になった奥方に、
「心配しなくても良い。」
 大きな手で髪を梳いてくれながら、ゾロは柔らかな響きの声をそぉっと掛けてくれた。
「丁度…なんて言い方をしちゃあいけないけど、今はそれぞれに案件のプランを練ってみようって構えてた期間なんだよ。」
 先日、先の企画がすっかりと終止符を打ったばかり。幾つかあるチームの中、一番暇といえば暇になったばかりの彼らであるらしく、
「だから。看病させてくれ。な?」
 背広のポケット、大きな手で"ごそっ"とまさぐって、携帯電話を掴み出すと、
「…あ。岸本センセーですか? ロロノアです、こんな早くに済みません。」
 先の風邪引きや何やでルフィやゾロがお世話になっている、近所の内科の医師の名前を口にする彼であり、
"………ふに。"
 小児科も担当している優しい若先生のお顔を思い出しながら、ルフィも観念して旦那様の胸元に頬をくっつける。
「…はい。あの、ルフィがちょっと熱を出しまして。………はい。そうですか? お願い出来ますか? …はい。お待ちしてます。」
 どうやら往診に来てくださるらしい話向きであり、ピッと電話を切ったゾロが自分のおでこをルフィのおでこに"こつん"てくっつけて来る。
「岸本センセーが来てくれるからな。もう大丈夫だ。」
「うん。」
 センセーも頼りになるが、それよりも、
"ゾロがいるのが一番嬉しいようvv"
 その頼もしい腕の中に抱え直してくれて。立ち上がると…そぉっとそぉっと、ベッドの真ん中、小さな奥方を寝かしつけてくれる。でもね、
「………お。」
 ぎゅううって。懐ろから剥がされたくないようって、一生懸命にしがみつけば。起こしかけてた中途で体を止めて、腕立て伏せの途中みたいな不自然なカッコのまま、じっとしていてくれる。いつだって甘やかしてくれる優しいゾロ。
「ほら。案外と元気なのは分かったから、おとなしく寝てな。」
 お薬やお医者様よりも、ゾロが傍に居てくれるだけで、風邪なんかすぐに治ってしまうような、そんな気がした奥方である。どっちでも良いから、早く治して元気になってくださいませね?





  〜Fine〜  03.10.9.〜10.25.


  *今年は夏が短くて、あっと言う間に秋が来ましたね。
   筆者も油断していて風邪を拾いかかってしまったほどです。
   この人たちは滅多に病気になんて罹
かからないんだろうなと思いつつ、
   それでも一度は書いてみたかったネタだったので、
   この機会に書いてみました。
   そして案の定、いつも以上に甘い愁嘆場…。
   風邪も呆れて退散するって。
(笑)

  *私信ですが、岸本礼二様、ラストにお名前お借りしました。
   ルフィの掛かりつけのお医者様です。
   どっかで出てもらおうと企んでおりましたが、
こらこら
   こんなどさくさ紛れで済みませんです。

back.gif