月夜見
  
   
柳緑花紅
          〜スプリング・サークレット "蒼夏の螺旋"番外編

        *このお話は同シリーズ『千紫万紅』の後日談ですので、
           ご面倒ではございましょうが、そちらから先にお読みください。
 


 鼻先に甘い香りがして眸が覚めた。
「んにゃ?」
 辺りはしんと静かで薄暗いが、そんなすぐ目の前にかざされていたものがあって、ぱちりと見開かれた射干玉
ぬばたまの眸がそれを捉える。ところどころにマゼンダ…小豆色の縁取りが見える小さな白い花々が、コサージュのように固まって咲いている小さな枝の先の、
「…沈丁花だ。」
「ふぅ〜ん。そうか、これがそうなんだ。」
 差し出していた"誰かさん"の声がして。視線を先へと延ばすと、ソファーの脇に立つフロアスタンドの黄昏色の明かりの中、見慣れた顔があるのに気がつく。
「あ、お帰り、ゾロ。」
 ぬくぬくの大きなブランケットの中、もぞもぞと身を起こすと、
「ただいま。」
 長身の彼がわざわざ少し屈んで。自分の額を、寝癖でくっついた前髪越しにこちらのおデコへコツンと当てて来てくれる。甘いクセのある独特の香り。初夏のクチナシと、秋の金木犀、そしてこの沈丁花は、それぞれの季節を代表する、香りの強い樹花として代表的なそれである。大きな手の先、節太な長い指が摘まんでいた、煉絹(ねりぎぬ)のような白が可憐なコサージュを受け取ると、鼻先に近づけて深呼吸をし、香りを確かめる。
「春の匂いだ。」
「そか? こないだは梅を見て言ってなかったか? あと、フリージアにも確か…。」
 数え上げながら、スーツを着替えにだろう、大股に寝室へ向かったゾロの大きな背中へと、
「だから。春は一杯良い匂いがするって…。」
 何だか揚げ足を取られたようで、言い返しながら"うんっ"と拗ねたが、フリージアなどというしゃれた花の名前を覚えていた彼だというのが何だか可笑しくて、気を取り直しつつ"くすり"と吹き出してしまったルフィである。
「ご飯は? 食べた?」
 お昼寝用のブランケットを大雑把にたたんでソファーの背に引っ掛ける。むくむくのムートンスリッパに素足を入れ、パタパタと寝室へ向かうと、クロゼットの扉に張られた縦に長い鏡の中、既に手早く普段着に着替えて、襟や袖口を直しているゾロの顔がタイミングよくこちらを見やる。
「ああ。出がけに言ったろ? 食って帰るって。」
 その男臭い顔が、けれど…少しばかり物言いたげで。スプリングコートとスーツとを吊るしたハンガーを押し込みつつ、クロゼットの扉をパタンと閉じながら、
「それと、もう一つ言っといたことがあったよな。」
「?」
 怪訝そうに小首を傾げる少年の方へと振り返り、
「先に寝てろって言ったよな? 確か。鍵だけかけて、チェーン外しといてくれりゃあ良いからって。」
 今は時計の短針があと少しで頂上を越えんとしている時間帯だ。終電ほど切羽詰まってはいなかったが、それでもかなり遅くなるとの予測があったから、出掛けにちゃんと言い置いたのに。彼の言わんとするところが重々判ってか、表情を少々ぎこちなく強ばらせ、
「…寝てたもん。」
 一応の返事をしたが、
「誰がソファーでって言ったよ。」
「うう"…。」
 叱られてしまったと判ってだろう、小さな肩を窄
すぼめた様子が何とも幼くてかわいらしい。浅い色の木綿のパンツにネルのチェックシャツとモヘアのセーター。相変わらず童顔で細身の彼には、中学生くらいの女の子でも着ていそうな格好がこれまたよく映えるものだから。ついつい忘れかけてしまうのだ。実は自分と2つしか年齢差がない彼だということを。ついつい…思い出の中から飛び出して来た、中学生の少年のままだという扱いをしかかっては、
「子供扱いして言ってんじゃないんだからな。あんな寝方してたら風邪引いたりするから…。」
 誰へなのだか、言い訳っぽい付け足しをしてしまうゾロである。



 近づきつつある"春"の気配がちらほらと、都心にいても分かるほどとなった。ファッションモールの気の早いウィンドウ・ディスプレイからではなく、例えば…淡くラベンダーの色が混じり出した空の色や、舗道沿いなどに植えられた沈丁花だとか。あと、旬を迎えて出回り始めた真っ赤なイチゴだとか。
「イチゴって五月じゃなかったか?」
「うん。ウチの近所の露地ものはそうだったよね。」
 彼らの実家はちょこっとばかり田舎、今風に言うところの近郊地方都市にある。沿線地域から離れて少し歩けば、視野一杯に青々と広がる田畑もあって、子供の頃、温室栽培ではないイチゴを青空の下で摘んだ思い出もある。桃やさくらんぼ、プラムのちょっと前だったよな気がするんだが、いつの間にこんな冬場が旬になったんだろうかと、お夜食にしてはちょいとしゃれた…洗面器くらいはありそうなガラスの大鉢にてんこ盛りのイチゴを、向かい合って摘まんでいる二人だったりする。どこか浮世離れしたところの多々あるルフィが見境なしに買い占めた訳でも、ゾロの勤める商社が買い付け過ぎたものを現物支給された訳でもなくて。
(笑)つい昨年までルフィの育ての親みたいな立場にあった"とある青年"が、春のご挨拶を添えたリンゴ箱大の1ケースいっぱいもの新鮮なイチゴを、今朝方わざわざ送りつけて来たのである。ご近所へのおすそ分けにもジャムにするにも限度があって、何とか新鮮なうちにと頑張って食べている次第。夜中だというのに妙に爽やかに甘酸っぱい"ひととき"を過ごしている二人だったが、
「今週の土日、休めるぞ。」
 赤く染まりかけた指先を手ぬぐいで拭いながら何気に言ったゾロへ、
「え? ホント?」
 こちらは練乳が垂れた指先をぺろと舐めながら少年が顔を上げる。それへとにっかり笑ってやり、
「ああ。年度末の仕事、全部やっつけたからな。文句はないだろってやつで、堂々と休めるぞ。」
 …この人がこういう"宮仕え的"な言い回しをするのは、何だかあまり似合わないのだが、
"渡り剣士とか海賊さんとかじゃないからね。"
 こらこら、ルフィくん
(笑) 場外への脱線はともかく、
「あ、じゃあ、今日の残業って。」
 そのために彼が自分から構えて受けて立った代物だったらしいと、今やっと判ったルフィだ。それへと多くは語らぬまま、にんまり笑い、
「そういうことだ。…どっか行きたいとこ、あるか?」
「わ、わ、どうしよう。二日だったら一泊旅行とかも出来るよな。」
 急に言われても困るぞという口調だが、顔は正直なものでそれは嬉しそうにほころんでいて、
「えとえっと、どっか近場でいいトコ探しとくな?」
 まるでサプライズ・プレゼント。わくわくと嬉しそうな少年の様子へ釣り込まれるように、
「ああ。先輩に頼めば車も借りられるから、どこでも構わんぞ?」
 こちらもにこにことやさしく笑っているゾロだが、
「あ、でも。」
 ふと…ルフィは何かに気づいたような顔になって立ち止まる。
「? どした?」
 あまりに分かりやすいブレーキに、やはり釣られてキョトンとするゾロへ、
「う…ん。あのさ、まだ三日もあるから、もしかしたらさ…。」
 遠慮気味に、ふと思ったことを連ねた少年である。何しろこの男の頼もしさは、少年へ向けてのそれだけに留まらず、職場でも"期待のホープ"として周囲の方々に頼り(アテ)にされており、特に上司からの信頼もかなり厚いと知っている。ぶっつけに呼び出されての打ち合わせや取引・交渉などなどでもあっさりと対応出来てしまう勘のよさや、高飛車ではない程度に押し出しの良い、自信に満ちた頼りがいのありそうなところが買われていて。よって急に仕事で呼び出されて"お流れ"となった休日がこれまでに結構あったのを思い出したルフィであるらしい。
「………。」
 そういう種の遠慮だと、皆まで聞かずともこちらもピンと来たゾロは、
「何だ? 仕事の方を取ってほしいってのか? お前。」
 おもむろに身を起こし、向かい合う少年の顔を真っ直ぐに見やれば、
「う…と。」
 ほんの僅かの迷いを示してか、シャツの大きな襟の中へ埋めるように顎を引き、うつむく気配を見せたものの、
「………やだ。」
 上目使いになって悪戯っぽく笑った顔が、何とも言えず…愛しくて。
「だろ? 気にすんじゃねぇよ。」
 もしもそんなことんなったら"嘘つき"って目一杯怒りゃあいいさと、やさしい恋人は屈託なく笑ってくれたのだった。


            ◇


 ベッド脇のサイドチェストには、小振りのショットグラスに生けた沈丁花。仮眠には丁度よかっただけ寝た上での寝起きだったところへ、お夜食にビタミンたっぷりのイチゴなぞ食べたりしたものだから。どこかしんなりとすぐにも眠れそうなテンションだったものが、今は気持ちばかりが妙に冴えてしまっている。
「…なあ。」
「んん?」
 パジャマに着替えて、あ、忘れてたと、パソコンのメールで時差がある本局からの業務連絡が入ってないかを確認して。明かりを落としたフラット内をパタパタと寝室まで向かえば、先に入っていた布団を長い腕で持ち上げて、暖まった中に迎えてくれる。大好きな匂いのする腕の中へと取り込んでくれて、ちょっとふざけて"ん〜"なんて髪の匂いとか嗅いでみたりして。そんなゾロの頼もしい胸板に頬を寄せ、まるで城壁の中に守られるような心地となって。だのに…やっぱり眠くないからか、ふと、ルフィは小さな小さな声を掛けていた。遅くなったくらいだから疲れているのだろうに、小さな声での呼びかけへ反応してくれたゾロへ、
「ゾロは、ファーストキスって誰としたんだ?」
 唐突なことを訊く彼で。
「…なんで。」
「だってさ。」
 アレからしばらく、ちょこっと拗ねていたと判る。軽く、若しくはムードたっぷりに唇を重ねた後、いつも、
『……………。』
 微妙に何か思うところがあるというような顔になる"間"があったから。

  『くそー。
   このかわいい唇を、このやわらかい愛しい唇を、
   あんな野郎に"一番乗り"されるとは。
   しかも俺の目の前で奪いやがってよ。』

 そんなこんなと、ちょろっと考えてるみたいだなと、何となく察することが出来て、何だか苦笑がこぼれそうになるルフィだったから。さっきお腹いっぱい食べたイチゴの"贈り主"からの業務連絡メールを見て、ふと思い出してしまったのだろう。(この辺りの詳細は、拙作『千紫万紅』を参照してください/笑)
「なあなあ、誰と? いつごろ? 誰かと付き合ったこと、少しくらいはあったんだろ? なあ。」
 そんなこと…寝しなに唐突に聞かれてもなあと言いたげな顔になるゾロへ、
「…言えないのか?」
 おっとと。語調がかすかに沈んでしまい、ルフィのテンションが妙な方向へ捩
よじれそうになる。溌剌と元気で、時々は我儘を言いもして。そんなような明るく陽気な、本来の彼にすっかり戻ったようでいても、時々は臆病そうな顔を覗かせる。その、よく響く声ややさしい匂いや安心出来る温みや、言い出せばキリがない彼の何もかもへ全身で反応してしまうほどにゾロのことが大好きだから。失いたくはない嫌われたくはないと、一途に思う気持ちの裏返しで、そんな臆病な顔も持つようになったルフィ。痛ましい顔だけは二度とさせたくなくて、
「そんなもん居ないって、何で思わない? 俺がずっと剣道バカだったのは知ってるだろうが。」
 出来るだけ冗談めかそうと話を逸らすと、すかさず、
「居ない筈ないじゃん。ゾロくらいカッコ良くて、けど生真面目なくらい融通利かない人に。」
「…なんだ、その"生真面目なくらい融通利かない人"ってのは。」
 ちょ〜っと引っ掛かる言い方だ、確かに。
(笑)やや憮然としたような顔になったゾロへ、逆にルフィは"くふふ"と笑って、
「だからさ、物によっては断るのが下手だって言うのかな。大して負担じゃないことなら、ま・いっかなんて思って、断る面倒より付き合っちゃう方を選ぶトコあるじゃん。」
 そんな言いようをする。
「小さい頃、俺にだってそういう感じで良く付き合ってくれたじゃん。ホントは観たくもなかったくせにアニメの映画とか連れてってくれたり、テレビの野球中継観たかったくせに、あんまりねだるもんだからって縁日に連れてってくれたりさ。」
 天真爛漫、にっこ〜っと笑って言う彼へ、
「あのな…。」
 何か言いかけて、だが、
"ま・いっか"
 ほら。そういうところを言われているんだってば。
(笑)話すまでは承知してくれそうもないなと場を読んで、ゾロは渋々と口を開いた。
「付き合ってたって言えるのかどうだか。彼女…らしき相手が居たことは居たさ。」
 ほ〜らご覧と、ルフィがちらっと微笑う。俺の自慢のゾロに、女の子が関心を寄せない筈がないんだからと、そんな気分でいるのだろう。だとしたら…結構な進歩、随分な余裕である。ほんの何カ月か前までは、そんなことになったらどうしようと、怯えてさえいたのだから。そして、それをこそ心配したゾロだったのだから。
「いつ?」
「大学に入ってすぐくらいかな?」
「じゃあ、えと、5年前?」
「ああ。」
 そんな昔ってこともないじゃんと、ちょこっと心配になったのか、ルフィはゾロの胸元へ擦り寄った。ぱふっとパジャマにくっつけた頬で、温みと匂いと、頼もしい張り具合の胸板の感触を確かめる。その頬へ、低めに絞られたゾロの声の響きが直接伝わって来た。
「同じ高校から進学した連れがいてさ。最初の一年はまだ専攻分野に分かれないで基本の学科回りになるから、何かと一緒に居ることが多かったんだが。そいつが合コンで知り合ったっていう女の子と付き合いたいって持ちかけて来てな。」
「??? なんでそんな話をゾロに持って来るの?」
「相手の子が、自分の連れの子と一緒にでなきゃイヤだって、条件出して来たんだと。」
「…ああ。」
 つまり"一対一でというお付き合いは出来ない"と言われた訳やね。
「それで頭数合わせにって格好で付き合わされてな。しばらくしてそいつらが一対一で付き合うようになった頃、こっちも続きというか延長というかで、二人で待ち合わせて逢ったりしてたんだが。」
 どこを見ているのだか、腕の中を全然見下ろして来ない。何をどう思い出しているんだろうかと、ルフィはゾロのパジャマをそっと握った。少なからず不安が沸いて来たからかもしれない。………と、
「…そいで、言われたんだよな。」
 その手を…パジャマをついつい掴んでしまった手を、下から上がって来た大きな手に捉えられて、
「なんか気になることがあるみたいねってな。そいで"それっきり"になった。」
「…気に、なること?」
 何だか…意味が判らなくって。キョトンとしているルフィの手を、包み込むように軽く掴んだまま、
「だからさ。逢ってる最中に、だ。近くを走り抜けてく中学生とかに、いつもいつも目が行ったりしてみろや。」
 ゾロはそうと続けた。
「お前くらいの背丈で、お前みたいなパサパサの頭してて、お前と同じで少し舌の足りない話し方する、お前に似てるよな子にばかり目が行ってたらしくてな。」
「………あ。」
 先程の『ま・いっか』にしてもそうだ。傍
はたからは同じような妥協の"ま・いっか"に見えても実のところは微妙に違う。ルフィが喜ぶならその方が自分にも嬉しいことだったからと、それで選んだ"ま・いっか"と、可もなく不可もなくの"ま・いっか"を一緒にされてはちょっと困るのだが、かと言ってそんな繊細そうな機微、自分の柄ではないし。それにそんな微妙なことを、このおおらかな少年へわざわざ改めて説明するのは何だか照れ臭くて、それこそ"ま・いっか"の苦笑でもって胸の中に紛れ込ませてしまったゾロである。良く言えば甲斐性、悪く言えばずぼら。但し、この愛しい少年にまつわるものだけは特別性の、むしろ喜んでの"ま・いっか"。いつの頃からか、そういう傾向が身についていて。そしてそれは、行方不明になってしまった彼と会うことが適わなかった…親戚中で"亡くなったもの"とされまでした、あの"七年間"という歳月の間も働き続けていた感覚らしくて。
「じゃあ、さ…。」
 そんな程度のお付き合いしか思い出せないということは? 自分の小さな手をやさしく包んだままでいる彼に、自分のやわらかい頬を埋めるように擦りつけたままの、それはそれは頼もしい懐ろの持ち主である彼に、ルフィはおずおずと訊いてみる。すると、
「ああ。俺の"ファースト・キス"とやらは、今年の正月二日の夕方の6時頃に、ウチのリビングでお前としたのがそれになる。」
 そんなきっちり細かく。
(笑)
「えと…。」
 こちらから聞いたこととは言え、話の行方がえらいところへと辿り着き、
「…ごめんな。俺は初めてじゃなくて。」
 おいおい、そっちかい。あらためて顔を覗き込まれ、ちょこっとばかり怖じけるようにそうと囁くルフィの小さな体をぐいっと引き寄せて、
「いいさ。しょうがない。無理からされたようなもんなんだしな。」
 ゾロは割り切ったようにそうと囁いた。こらこら。そういう言い方があるかい。
(笑)笑ってる場合じゃない、結構真摯な顔付きでそんな風に言ったゾロは、
「その代わり、これからはずっと俺だけのだ。いいな?」
「うと…うんっvv」
 大威張りでのノロケ合い。えらいもんを聞いてしまいましたね、お客さん。
こらこら


 それから…胸元へと抱え込んだ少年の頭の上で"くあぁ"と大きな欠伸を一つ。ごめんな、今日はもう寝るわと、そのまますとんと眠りについたゾロであり、
"…へへvv"
 珍しくも置いてけぼりを食ったのに、何だか何だか妙に嬉しくて。ぎゅっと抱っこされていた腕が少しばかり緩むと、何とか手を伸ばしてサイドランプのスイッチをオフにする。そんなルフィの鼻先へ、沈丁花の甘い香りがふわりと掠めて。
"春なんだ。"
 も一度"くふふvv"と微笑むと、愛しくも頼もしい恋人の懐ろの中、小さな体をより密に寄り添わせ、少しでも沢山触れていられるようにと張り付いて、ゆっくりゆっくり訪れた眠りの中へと泳ぎ出す。出来ることなら、夢の中でも彼と出会って、楽しく過ごせますように…。



          ***


「あら。」
 窓辺に置かれたテーブル前で、ふと、そんな声を上げた妻に気づいて、
「どうしました? ナミさん。」
 ついつい選んでしまう、どこか堅苦しい言葉遣いは、長年の習慣だからそう簡単には抜けないらしい。自分の声が聞こえる範囲内に必ず居てくれて、呼べば何もかも放っぽり出してすっ飛んで来る優しい夫の、端正な顔へくすんと微笑って見せて、
「ほら、ルフィくんからのメールよ?」
 もう随分とお腹が目立って来ている美人妻は、自分が見ていたモニター画面へ夫の注意を促した。
「ルフィから?」
 日本ではいわゆる"年度末"にあたる時期ということで、このところ取り交わす連絡事項も少なくはないが、このアドレスはプライベートなものだからそっちの用件ではないということになる。何事だろうか、おちょくり半分に山ほど贈ったイチゴの礼なら、届いたのだろう昨日すぐさまというノリで送って来てくれたしなぁと(こらこら、やっぱりかい/笑)、画面を見やったサンジのターコイスブルーの眸が…ぱちりと瞬く。
「…何です、こりゃ。」
 そこへと転送されて来ていたのは一枚の写真。彼
の少年が大好きな、例の日本人青年と二人、仲睦まじくソファーに腰掛けている写真であり、相手の膝の上へと乗り上がりながらデジカメのオートシャッターのリモコンを画面に向けているルフィを、それはそれは愛惜しいというやわらかな笑顔で見やりつつ、頼もしい両の腕で包むように抱え込んでいるゾロという構図は、誰がどの角度から見ても…甘くてお熱い"恋人同士"のじゃれ合いの図。
「ほら。先月のバレンタイン・デイにあなたが私の写真を送ったでしょう? だからじゃないの?」
 ナミが指さした写真の下にはメッセージが一行。

  《一番大好きなゾロと》

 そんな書き込みがしてあって。
「…なるほど"お返し"って訳ですね。でも、なんでまたこんな中途半端な日に?」
 ホワイト・デイというのは、日本固有の、一種こじつけの記念日だから、彼らにはなかなかピンと来なかったのかも。どうせならルフィ一人で写ってるのを送ってくれりゃあ良いのにと、判りやすい憎まれ口を利く夫へ、
「またそんなこと言って。何だかんだと裏の有りそうなちょっかいを出すから、あちらからもこういう意趣返しをされちゃうのよ?」
 夫人は少々呆れたように苦笑する。彼が、あの少年をそれは愛しいと思ってやまない気持ちは分からないではないのだが、
「ホント、困ったパパよねぇ。」
 思わず自分のお腹にそっと手を添えて"話しかける"と、
「ハニーに早く会いたい気持ちが高じて、ついついあっちへ向かうだけですよ。」
 いけしゃあしゃあとそんなことを言い出す彼だ。
「…何度も言うようだけど、女の子とは決まってないわよ?」
 間近になった…まるで蜂蜜をくぐらせたような、甘い光沢の金色の髪を指先で梳き上げてやりながら、そんな"牽制球"を放てば、
「ご心配なく。男の子なら、女性尊重主義を叩き込んでやりますって。特に、ナミさんを大切にするようにってね。あ、マザコンにはならないよう、気をつけますよ、勿論。」
「………。」
 掛けている椅子の背に長い腕をしっかり回し、蕩けそうなほどやさしい笑顔を向けてくれる彼へ、この人はもう…という苦笑がこぼれる。少しばかり高緯度のこの地にも、もうすぐ春が訪れる。そして初夏には新しい命がお目見えする。
"男の子なら"ルフィ"って名前にしたいって言ったら困るかしらね。"
 小さな企みにくすくすと微笑った美しい妻は…そんな自分に見惚れて言葉もない若き夫へ、何事か甘えた声でリクエストしたらしくて。飛び上がるようにして部屋から飛び出して行った彼を見送り、モニターでやはり幸せそうに笑っている二人の姿を、ナミは慣れた手つきで記録階層へと取り込んだ。


   春はもうすぐ。ちょっとだけお待ちを…。


  〜Fine〜 02.3.11.〜3.12.


  *タイトルの"柳緑花紅"というのはなかなか面白い言葉で、
  『柳は緑、花は紅。自然のまま、何の手も加えられていないということ』
   天然自然、もしくはピュアとかナチュラルという意味ですかね。
   緑と紅という組み合わせが何とも嬉しかったんで使ってみましたvv

  *ホワイトデイ企画はやらないつもりだったのですが、
   何となく手が空いたので。(おいおい)
   この二人はなんか面白い組み合わせで、
   しかもサンジさんが美味しいポジションにいるので、
   もしかしたら、またいつかご登場いただくやもしれません。


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