蒼夏の螺旋 “餅花繭玉”
 

 宮城の塩竈といえば、高級な本まぐろが水揚げされる漁港として有名な港町だそうで。あと、塩竈神社にはとても有名な大桜があるのだそうな。
「でも、あんまりそういう"名物"って地元民ほど詳しくないよな。」
「詳しい人は詳しいんだろうがな。」
 微妙にご近所ではなかったり、はたまた身近すぎて当たり前のものとなっているがため、特に"珍しいもの"と感じないほど馴染んでいる場合には、成程"名物"という意識はしなかろう。
「寒くないか?」
「うん。平気だよvv
 世間様の"お正月"からワンテンポほどズレて、暮れ・正月の帰省からのUターンに逆らうように東京から離れたお陰様で、駅でも列車でも揉まれたり押されたりしない余裕の旅だった。日本海側ほどには積雪しないとはいえ、気温は都心に較ぶるべくもないほど がくんと低い。都会の厳冬の寒さなぞ、ここいらの晩秋のからっ風みたいなものだと思ったほど。少しでも露出している肌に容赦なく突き刺さる、細かい針のような"痛い"寒さで、だけれど…ああ、何か懐かしい冷えだなと感じもした。改札を出て、さあタクシー乗り場に向かおうかと駅舎の外へと出たところが、
「うわぁ〜。」
 周辺の変わりように随分と驚いたのがルフィである。冬晴れの陽射しに照らし出された風景たちは…道路の幅も広くなり、今時のビルやらお店やらが居並んで…と、彼が遠い記憶の中で覚えていたそれらよりもすっきり整備されており、ずっと垢抜けた雰囲気に様変わりしていたからで、
「凄げぇ〜、綺麗になったんだなぁ。」
 キャメルのダッフルコートの襟元、渋めの赤いマフラーに埋まった小さな顎をもっと下げるようにして。あんぐりと口を開けて感心したのが…一見"中学生"くらいの男の子なものだから。もっと奥まった地方から出て来た山の子かと思われたらしく、たまたま通りすがったOL風の二人連れが肩を縮めて"くすす"と微笑ましげに笑っていたが、
"まさか自分たちと同世代だとは思わないよな。"
 それへこそ苦笑が絶えないのを堪
こらえるのに苦労する、こちらはゾロだったりするのである。何しろこの坊や、見た目と実年齢が少しほど異なる。つやつやの黒髪に、溌剌とした張りをたたえた大きな琥珀色の瞳。ふかふかの頬に柔らかそうな小鼻、表情豊かな口許という童顔に、ちょいと小柄で細っこい手足、薄い肩をした可憐な肢体という、14、5歳くらいの いかにも幼いとけない少年風の外見をしてはいるが、実は実は。丁度 四年制の大学を卒業している年齢、22歳という、しっかり"大人"の彼だったりするのである。
「何年振りになるんだっけ?」
 こちらもそんなに並ぶ人の姿の無さげなタクシー乗り場へと、とこてこと歩きつつ訊いてみると、
「んとね、2年前の夏に実家には一応戻ったでしょ?」
 でも、あん時は父上・兄上と対面しただけで、そのまま真っ直ぐ東京に帰っちゃったからねぇと思い出してるルフィであり、
「だから こっちには、えと…9年? 10年振りかな?」
 大雑把にみても そんなくらいになるんじゃないのかなと、手ぶくろに包まれた小さな手で指折り数えて見せる。それとは逆の手元に提げられた、小振りなボストンバッグをそっと取り上げて、
「そっか。そんなにもなるのか。」
 ルフィ贔屓だった母さんや くいなも喜ぶぞと話を振れば、
「でもサ、ビックリされないかな。」
「何が。」
 電話やメールでのやり取りは、既に親しげなそれを続けてもいる。お正月に着なさいと晴れ着を送ってももらったし、懐かしいお料理のレシピなど、メールで頻繁に教えてもらってもいるらしいのに、今更何を言い出すかなと、ゾロが怪訝そうに眉を寄せれば、
「だって俺、全然育ってないじゃん。」
 ちょっとだけ。困ったような、寂しそうなお顔になって、眉を下げて微笑って見せる。異常なことだと驚かれ、それからそれから…もしかして。人ではないよな物でも見るような、ぎこちない目で見られてしまうかも。そうまでは行かずとも、要らない気を遣わせてしまうかも。だったら辛いし、気が重いけど、それも仕方がないことだからと割り切ってはいるの。だから。駄々は捏ねないところが、ほら、ただの"子供"じゃあない。そんなルフィの言いようへ、だがだが、ゾロは"ふんっ"と鼻で息をつき、
「馬鹿なことを気にしてんじゃねぇよ。」
「…っ、馬鹿ってなんだよ。」
「ちゃんと事情は話してあるんだ。」
 お前が帰って来た、あの夏のうちにな。ちょいと偉そうに胸を張るゾロだったが、実は…すぐさまという運びではなくって。ルフィの兄上が、事情を記したお手紙を手に親戚筋を丁寧に回って下さった方が先。世間一般的には十分に仰天するよな大事件でもあって、限られた内輪にだけ通達のいったそんな運び、

  『何でまた、当事者の一人んなる あんたが、
   なんも話してくれよらんね。(ああ、しまった、これでは博多弁/笑)』

 そんな風に向こうから急っつかれて、しぶしぶと説明のお手紙を書いて出した…というのが正しい順番であるらしいのだが。
「二人掛かりで"早く会いたい、連れて来い"って どんだけ言われてたかは、お前だって知ってるだろうがよ。」
「うんっvv
 寒さのためだけではない紅潮をその頬に散らしたルフィであり、そんな…いじらしいほどに愛らしい小さな奥方を、丁度目の前にてドアが開いたタクシーへと乗るように促したゾロだった。
"そもそもは、俺が日延べし倒してたのが いけないんだしな。"
 そう、やっとのことで実現に運んだ、今日はゾロの方の実家へのお里帰り。前々から、あちらさんの側からのみならず、ルフィの側からも"早く逢いたい"と折りにつけ口にしていたのだが、自分の実家だというせいもあっての ゾロののんびりした態度から、どんどんと先送りされまくってのこの結果。

  『ヒナちゃんに言って攫って来てもらっちゃうんだからねっ。』

 自分と同じく女子の部でずっとずっとチャンピオンだった、剣道界の猛者にして従姉妹のくいなが、そんなに逢わせたくないっていうんなら、こっちにだって考えがあると言い出して。お友達の黒崎ヒナさんが何とゾロの間近にいるから、その彼女に頼んで、ルフィちゃんだけ連れて来てもらうって手だってあるのよなんて、怖いことまで言い出すに至り、とうとう観念してこうしてやっとの里帰りが敢行されたという訳で。
「覚えてるか? 俺んチの近所にサ、広っぱがあったろ。」
 動き出したタクシーの車窓を流れてゆく、都心と変わらない風景に目をやりながら、ルフィは傍らの旦那様へとそんな声を掛けて来た。ルフィの方の実家の近所には、更地というにはなかなかの野性味にあふれた枯れ野が広がる空き地があって、子供たちの格好の遊び場になってもいたような。
「エースにメールで聞いたらサ、今はスーパーマーケットが建ってるぞってさ。」
 どこも色々変わっちゃったんだなって、こっちを向いてちょっとだけ眉を下げて見せた可愛い奥方。残念そうなお顔だったのへ、何だか…こちらこそ胸のどこかが つきんと切なくなってしまって。
「………。」
 小さな肩を間近に引き寄せ、よしよしとつやつやの髪を撫でてやる、不器用な旦那様だったりするのである。






            ◇



 父方の本家が剣道の有名な流派の道場を守っていた関係で、物心が付くか付かないかというほど早い時期から、当たり前なことのように竹刀を握っていたゾロで。毎日毎日、朝も早よから夕刻までと、暇さえあれば続けられた本格的な鍛練の連続に。辛いとか詰まらないとか思ったことはなく、けれど、楽しいからと打ち込んでいた訳でもなく。何となく、箸の上げ下ろしみたいな感覚で こなしていたんだと思う。よほど肌に合ったのか、本人も知らない素養があったのか、それとも…無心でいたのが良い方に働き、勘やら何やら、この道に必要なあれこれが抵抗なく体にすんなり馴染んでしまったか。気がつけば同じ年代に敵はなく、そうなると周囲が期待もし、続けるのが当然ごとという扱いになり。そんな結果、子供らしい遊びも知らぬまま、子供らしい笑い方も知らぬまま。どこか無愛想で武骨な、取っ付きにくいばかりな剣道少年になっていた。関係筋の大人たちには有名な存在だったが、すぐ傍らという身の回りには親しい友人というものも殆どいなくて。まだ十歳かそこらという頃から既に、孤高の中に泰然としている、可愛げのない…もとい、恐るべき子供になっていたと思う。そんな彼にも、ただ一人だけ、その凍ったような頬をほころばせることの出来る相手がいて。

  「ゾロっ!」

 もっとずっと小さい頃にはご近所に住んでいたものが、母上が亡くなったことから電車に乗らねばならないほどの遠くに引っ越してしまった、三歳違いの従兄弟のルフィ。ルフィの父上とゾロの母とが兄妹だという間柄ではあるのだが、顔立ちや性格はまるきり似ていない、それは無邪気な、お日様みたいだったこの坊やにだけは、どういうものか…心許していたゾロで。わざわざ母からの御用を引き受けては足を運んだり、夏休みや冬休みには遊園地や映画に行こうと誘ったりもしての、彼には珍しいほどのお付き合いを続けていて。そして…ルフィの側からも、このちょいと気難しそうな雰囲気の堅物の従兄弟に、それはそれは懐いていた。ご近所のお友達やらクラスメートやら、顔見知りの殆どの人々たちから愛されていた、屈託のない"王子様"は、けれど。ゾロがひょこりと訪れると、誰よりも優先してパタパタと嬉しそうに傍らまで駆け寄ったし、お喋りの途中でもさっさと切り上げて"バイバイ"と向こうへ手を振って見せた優遇振り。その日も、何だかそわそわと落ち着かない様子で、ゾロが来るのを今か今かと家の前にて待っていて。姿を見るなり向こうから、寸の詰まった手足を振り振り、一生懸命に とてちてと駆けて来て、

  「こっちだぞっ。」

 有無をも言わせず、ゾロの手を取って駆け出した。どちらかと言えば片田舎の、小じんまりとした作りの母方の祖母の家に住んでいたルフィ。お友達が沢山いたせいだろうか、外で駆け回って遊ぶのが大好きで。人付き合いが少なかったせいで、鍛練の延長のジョギング以外にはあまり外で過ごすことも少なかった、道場にいるか自分の部屋で宿題でも片付けているかという、至って淡々とした日々を送っていたゾロに、子供らしい遊びを色々と付き合わせてくれた存在でもあった。小さい頃の鬼ごっこや隠れんぼに始まって、竹の物差しやテレビのリモコンを使ってのヒーローごっこ。夏は神社へ縁日を見に行ったり花火大会に出掛けたり、冬は雪玉をぶつけ合ったり霜柱をどっちがたくさん踏むかを競争したり。春になったら自転車での遠出をしような、町まで映画を見に行くんだと約束したりと。周りの者が呆れるくらいに、べったりと仲がよかった二人でもあって。
「どうしたんだ? ルフィ。」
 久し振りだなというご挨拶の会釈もなしの、いきなりのこの展開に、あんまり物に動じないゾロでさえ驚きを隠せずにいて、少しほどながら眸を剥いてしまったほど。そんなに力があるでなし。それでもぐいぐいと引っ張ってくる勢いには ただならないものがあって逆らえず。週に1度は訪れているせいですっかり馴染んだ町角、辻などを幾つか通り過ぎたその果てに、やっとのことで二人が辿り着いたのは。町外れに寂寥感をたたえて広がる原っぱだった。冬の乾いた陽射しを受けて、見渡す限りに背の高い枯れ草の生い茂った広っぱは、吹きつける北風にますます寂しげな声を立てるばかりでいて、こんなに寒い中で遊ぶ場所としてはあまり適当な場所ではない。だというのに、ルフィは"にぱーっ"とそれは嬉しそうなお顔を隠しもせず、
「こっちだぞ、ゾロ。」
 さらに奥まった方へと、遠来の従兄弟を誘
いざなった。一応は道らしきものが、ヨシだろうか背の高い枯れ草の株の並びを縫うようにして、奥まったところへまで付いてはいる。そこをネズミの仔のようにちょこまかと分け行って、少し進んだ辺り、

  「ほら、見ろっ。」

 やっと立ち止まったルフィが小さなお手々で指差して見せたのは、

  「………あ。」

 でっかいホウキを立てて穂の部分を掻き分けて空間を作り、天井には要らないからと柄の部分を切り落としたような。生い茂った枯れ草たちをしっかと束ねて天井代わりにした、天然素材で作った簡易のテントのような代物である。枯れ草が密に生えていたせいだろう、壁に当たる胴の部分もしっかりしていて、中の空間も結構広い。ちょっとした休憩になら十分に用を足す、なかなかに立派な作品であり、
「え…? もしかして、これって…。」
 こうまで息せききってゾロを連れて来て"ほら"と見せたということは? 傍らに立つ小さな従兄弟くんを見下ろせば、
「おうっ、俺が作ったんだぞ。それも一人でだっ。」
 ふぬぬと胸を張り、どーだ まいったかと大威張り。
「ゾロが来るって ばあちゃんから聞いてたからさ、昨日のうちから作ってたんだぞ?」
 雨降ったら困るなって思ったけどと、ははって笑うその小さな手には、よく見れば沢山の細かい傷がある。子供の柔らかい手で、しかもあまり器用とは言えないルフィがこうまでしっかりした"屋根"を束ねるには、何度も失敗したりして かなり苦労を重ねた筈で。背丈も握力も、手の大きさも腕の長さも、まとめて掴んどいて一つにまとめるという知恵やタイミングやその他もろもろ。何もかもが微妙に足りなかった筈で。机のように中に置かれた林檎の木箱が泥だらけなのは、これに登ってお屋根を作った彼なのだろう。不安定な木箱に登っては何度も転げ落ちたりもしつつ、さぞかし"んきぃ〜〜〜っ"と来たろうに。ちょっとやそっとの時間ではこなせまいから、お友達からのお誘いも断って、これにだけかかっていたのだろうに。ゾロをびっくりさせたい、一緒に遊びたいからと、精一杯に頑張ったのだろうということを偲ばせた。
「…凄いな。」
「そか?」
「うん。凄いぞ、ルフィ。」
 顔が冷たさで強ばっていたけれど、頑張って"にかっ"て笑って見せる。すると、それこそ弾かれたみたいに…物凄いご褒美をもらったみたいに、これまでで一番眩しいくらい嬉しそうに笑ってくれたルフィであって。
「そか。ゾロも嬉しいか?」
「ああ、凄い嬉しいぞ。」
 言うとますます喜んで喜んで。"キャハハvv"と転がるような声を立てて笑ったルフィで。こんな凄いものを作った従兄弟を偉いなと思ったし、こんなにも嬉しそうに笑ってくれた彼だったのに、自分も凄く嬉しかった。なのになのに。何でかな、泣きたくなって来た不思議な気持ちがしたのもゾロには初めての体験で。どんなに厳しい極寒の中での稽古にも音を上げなかったゾロだのに、じわじわと熱くなって来た目許とかツンとして来た鼻の奥。どうしようか、このままだと泣いちゃうかもしれないと、頬が凍りそうなほど冷たい風が吹きつける中でちょっと困って来たところへ………。









  ――― ぞろ? どうした? ぞろ? なあ、ぞろ…?


 ゆさと。肩を揺すぶられてハッとする。
「………え?」
「え、じゃないって。もう着いたよ?」
 心配そうにお顔を覗き込んで来ていたのは、あの頃よりかは少しほど育った、でもでも まだずんと幼いルフィのお顔。
「車に酔っちゃったの?」
 タクシーも停まっていて、ドアが開いているそこから冷たい外気が入って来てもいる。いつの間にか眠っていたらしく、ただの転寝にしては眉間にしわを寄せていたので心配になったルフィらしい。まさかに夢を見て気持ちを翻弄されてたなんて言えなくて、
「ああ、いや。大丈夫だ。」
 慌てたように笑って見せた旦那様であり。そんな車内へ、
「そうよ。そんな奴、放っておきなさい。」
 きりりと芯の張った威勢のいい声が外から飛び込んで来たりする。
「あっ、くいなお姉ちゃんだっ!」
「ルフィ〜〜〜っっvv やぁっと会えたのね、久し振りvv
 パッと肩越しに振り返ったルフィを、実に手際よくタクシーから引っ張り降ろし、
「いゃ〜ん、どうしよぉ〜vv 全っ然っ、変わってなくて可愛い〜〜vv
 日頃は道場で"鬼娘"だの"夜叉姫"だの呼ばれてる、鬼より怖い師範代のくせに。一体どこからそんな引っ繰り返った声が出せるんだかと、ついのこととして ぶちぶちとつぶやくゾロへ、
「…聞こえてるわよ。」
 ぼそりと一言、こっちへは低いお声でクギを刺すのも忘れないお姉様。後で道場で待ってるからねと怖い台詞を付け足して、彼女にとっても小さな従兄弟くんを さあさと家の方へと連れてってしまう。こちらはタクシーから荷物を下ろし、料金を払っていた分、出遅れてしまったゾロだったが、
"…ま・いっか。"
 久し振りの実家の門構えを眺めやり、ルフィを相手にだけ、年相応な子供だった自分を思い出す。あの頃からもう既に、小さなルフィに心奪われていた自分なのかもなと、冬の乾いた陽射しにどこか眩しそうに目許を細めて見せたゾロだった。





  〜Fine〜  04.1.4.〜1.8.

  *カウンター 117,117hit リクエスト
    エータ様『子供時代の冒険譚とか』


  *Morlin.が幼い頃に暮らしていたところも結構な田舎でして、
   田圃の畦道を通って学校に通ってましたし、
   近所には神社を覆う雑木林とか、
   小学校の運動場くらいの広っぱとかもありました。
   セイタカアワダチソウとかススキとかが沢山生い茂っていて、
   冬枯れの季節は隙間が生じるのでそこへと入り込めるため、
   この話に出てくるみたいな家を造ってみたり、
   ジャングルみたいだと駆け回ったりしたもんです。
   今時の子供には…けどでもねぇ。
   いくらこういう環境があっても
   "人的"な理由から絶対に真似させられない御時勢なのが、
   何だか寂しいことだなぁ。


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