月夜見 冬蒲公英 “蒼夏の螺旋”より





   ………………。


 ことことこと、と。どこからか小気味のいい軽快な音がして意識が呼び戻される。視界の真ん中、一番最初に目に入ったのは、枕の上へ投げ出していた自分の大ぶりな手。祭日に有給を足して三連休にしたものの、その初日が随分な冷え込みとなったため、
『今日はお出掛けなしだね』
 最愛の奥方がそんな可愛いことを言ってくれて、羽伸ばしにと充てた一日目。先週は妙に残業が多かった自分へと、気を遣ってくれたらしい。同居を始めて二度目の冬。当初の拙さもどこへやら、十分過ぎるほどに気遣いだとかフォローだとかがこなせるようになった可愛いルフィ。出張の度にこの世の終わりみたいな今生の別れみたいな顔になっていた坊やが、いつの間にやら平気平気で送り出してくれるようになり、
『…こら、もうっ』
 こちらからじゃれついて甘えかかるのへも、初めのうちは戸惑うように含羞
はにかんでいたものが、このところなんぞ…軽くではあるが"ぺし"なんて手を払おうとしたりして、軽くあしらえるようになったほど。
"…逞しくなったもんだよな。"
 元来は、そんな変化に驚嘆するどころではないくらい、明るくて明るくてただただ屈託がない子であった筈なのだ。
"………。"
 だって一度は諦めたことだからと、ルフィはそんな言い方をしていた。自分が此処に居ると叫ぶことが出来ない身になってしまったから、もう居ないものと思ってもらわなくちゃならなくて。だから…もう二度と逢えなくなってしまったゾロ。あんなに大好きだったのに、思い出すしか出来なくなったゾロ。やがては自分をおいてどんどん先へと進んでしまい、いなくなってしまうゾロ。そんな事実がとっても辛くて寂しくて。一緒にいた青年へもその断片でさえ洩らしたことがないくらい、胸の奥底に秘めていた大切な存在だったという。それが…再会が叶って、それだけじゃあない、体も元通りに戻って。その傍らに居られるようになって。毎日"夢じゃないのか"って思った。そして、それが夢じゃあないならば、もう二度とお別れしたくなくってと、たいそうナイーブになっていたルフィ。

   『俺、もう限界かも知んない。
    このままゾロの傍にいたら、心がズタズタになっちゃうかも知れないよう。』

 言わなきゃ通じないこと。状況に流されて、曖昧なまま"通じているだろう"なんてズボラをしていちゃあいけないこと。自分の言葉で言わなきゃあいけない大事なこと。それを怠ってしまったが故に、知らずルフィを追い詰めてしまった自分。あの後も性懲りもなく何度か泣かせてしまったなと、ちょいと苦々しいことをも思い出す。幸せボケしてばかりいるその反動で、とんでもない落ち度や失態をしでかしてしまい、その度に泣かせては思い切り後悔させられて。そしてまたまた幸せを噛みしめて…。
"………。"
 カーテンを引いた寝室は仄暗いが、まだ陽は幾らか高い筈で、こんな時間にどうして横になっている自分なのか。
「…ルフィ?」
 空っぽな腕の中なのに気がついて、ああ…と、やっとすっかり眸が覚めたゾロだった。


            ◇


 台所へと足を運ぶと、調理台に野菜や何やあれこれ広げて、ご本人は"ことこととと…"とキャベツをすこし幅のある千切りにしているところ。陽射しは既に西に傾きかけているせいか、直接射し込む光で明るい…とまではいかないが、それでもすっきりと居心地のいい空間だ。その真ん中に立っていた主役の奥方が、
「…あ、起こした?」
 戸口に立った気配に気づいてこちらへ"にひゃっ"と笑って見せる。小柄な中学生のままの、小さな肩に小さな手。眸の大きな童顔が眩しいばかりに微笑んで、
「テレビで何かやってない? マラソンとか、バスケットとか。」
 退屈なんだろうと見越したらしく、そんなことを言ってくるから、
「いや。それよか何か手伝おうか?」
 その方が楽しそうだからと切り出すと、う〜んと困ったように眉を寄せ、それからこくりと頷いて見せる。
「ん、じゃあ。お願いします。」





 手を洗った旦那様に課せられたのは、

  @玉ねぎ1/3、ショウガ1片、長ネギ10センチほどをみじん切りにして、
  A大きめのボウルに豚ひき肉 300gと一緒にしてこねる。

「シュウマイか?」 
 この段取りだけでそうと分かった辺りは、さすが体育会系。合宿だなんだで食事の支度に縁があった名残りかも。大きな手が手際よく動くのへニコニコと笑いながら、
「惜しい。…似てるけどちょっと違うんだなvv」
 B材料に塩コショウで味をつけ、カタクリ粉と風味づけのお酒とゴマ油。千切りに刻んだキャベツの方は塩をしてしんなりさせ、水気を絞って。そちらは後で細切りのキュウリとロースハムを加え、甘酢とゴマ油で和えて中華風酢の物にするらしく、
「夏場なら、キャベツを春雨に変えて、錦糸玉子を足して酢を強めにすると良いんだよな。」
 そうそうvv 冷やし中華のつけ汁っぽい味にしてねvv
「あと…は、かき玉のお吸い物でもつけるかな。それと…。」
 そんな風に言いつつ、戸棚を掻き回して取り出したのがビーフンで、
「これをもどして炒めて。うん、それでいっか。ニラはないけど青ネギで代用して…っと。」
 今の今、メニュー全般がバシッと決まったらしい。生椎茸やニンジン、キャベツ、薄切り豚バラを火の通りを考えて切り揃え、茹で上がったビーフンと共にこちらは一時待機。
「あ、もう良いよ。」
 粘り気が出て来たところで、ミンチの下ごしらえは終しまい。そこへと奥様が取り出したのはチクワである。
Cこのチクワを半分の長さに切って、脇を片方だけ切って開いて、その中にこのミンチを詰めます。
 この時、チクワの内側に小麦粉を薄くまぶしておくと、具がすっぽ抜けたりはしません。とはいえ、あんまりパンパンに詰めないように。それと、チクワも"おでん用"なんていうような大きいサイズのは避けましょう。このあと加熱しますので、あんまり大きいとチクワが膨張してとんでもないものが出来上がります。
(笑)
「大したもんだよな。」
「んん? 何が?」
 てきぱきと手順を進めるルフィ奥様に、ゾロが感心して見せた。
「何にも…レシピとか本とか見ないで、メニューを組み合わせたり作れたりってのは凄くないか?」
 ゾロも多少は心得があるが、品数が既に違う。
「そっかな。」
 ご本人には今の今まで自覚がなかったらしいが、
「最初の頃はインスタントが多かったろうが。」
 当初はゾロがルフィの怪我を心配するあまり、揚げ物は厳禁とか何とか"禁止令"を一杯出していたので、マカロニを別茹でしないで良いグラタンとか、混ぜるだけのちらし寿司とか麻婆豆腐とか、そういうメニューが多かった。そんな風に例えを上げ、それに比べたら…と続けると、
「…うん。そだな、そうかもな。」
 小首を傾げつつも、ゾロの言いたい理屈がルフィにも分かったらしい。そして、
「子供の頃は不思議だって俺も思ってたな。」
 そうと付け足し、にかっと笑った。
「ウチのばあちゃんとかさ、ゾロんチのおばちゃんとかさ、凄げぇ料理上手かったじゃん。お母さんっていうのはさ、特別な資格がいるのか、さもなきゃあ そういう人種? そんな特別な人なんだろなって思ってた。」
 早くに母親を亡くし、母方の祖母の家に預けられることが多かったルフィは、実母の手料理というものはほとんど覚えていないらしく、だが、その母に教えたのだろう祖母の料理が大好きだったと言う。
「あっと言う間に、ただの肉や魚がお料理になるんだもんな。」
 ただ切るだけ炒めるだけというのではない"お料理"の不思議。ころころしたニンジンやジャガ芋が、特別な煮方でほくほくして甘い肉ジャガになる。生臭くてギラギラの魚が、しっとりふかふかの茶色い煮魚になる。ジャガ芋をゆでてつぶして、炒めたミンチとタマネギと混ぜて。小分けに取って衣つけて揚げて。まるでコックさんみたいな手際で、きちんとコロッケを作ってしまえる。そんなにも色々なものをいちいち本とか見ないままに、しかも同時進行で作り分けてしまえるのだから、これはもう一種の手品。凄い凄いって感動してた。
「でもさ、自分でやってると…うん、折り紙と一緒だって思う。」
 小さな手で長い菜箸をかしゃかしゃと振って、大きなボウルへテンプラ用の衣を作りながらそんな言いようをするものだから、
「折り紙?」
 妙な例えにゾロが聞き返すと、
「うん。…あ、中華鍋、火にかけて。」
 テンプラ用の揚げ物鍋の隣り。ビーフンを炒める準備をしてもらい、D詰めものチクワに衣をつけて揚げながら、そちらの方にも取り掛かれる器用さよ。
「ほら、ヤッコさんとか鶴とか、三宝さんとかボートとか、カブトにお財布に、えとえっと、紙風船に重箱とかパクパク三角クチバシとかオルガンとか。作り方のお手本をわざわざ見なくても作れるのって幾つかあるじゃん。」
 パクパク三角クチバシというのは…途中まで"ヤッコさん"と折り方が一緒なんですが、う〜ん、どう説明すれば良いのかな。立体的なその裏側に、両手の人指し指と親指とを突っ込むところがあって、縦にも横にも口がぱくぱくと開く"手遊び折紙"のことです。(わ、判りますか?)
「あれみたいなもんでさ。頭ん中に一旦入っちまえば、結構勝手に手が動いて味も思い出せて、考えるより先って感じで手際よく作れるもんなんだよな。」
 E衣をつけたチクワは低温でゆっくりと揚げます。表面に色がついたら引き上げて、仕上げに高温で二度揚げをします。ゆっくりの揚げ物の横で手際よく、豚バラ肉と野菜を炒め、もどしたビーフンを加えて塩こしょうと醤油で味つけ。それをお皿に盛り付けると、同じコンロに平たい鍋をかけて、F煮汁を作ります。だしに砂糖多めの甘口照り焼き風(お好みでチリソース風でも可)の味つけをし、そこへ、揚げたチクワを入れて煮からめます。火は通っているのでそんなに煮込まなくてもよく、お好みで引き上げて包丁で斜めに切って食べやすくし、皿に盛って煮汁を上からかけると、
「…ああ、これかぁ。」
 チクワの挟み揚げ煮込みの出来上がりvv 安上がりなのにそう見えないし、子供受けして美味しいこと、請け合いですvv
「ゾロんチのおばちゃんが得意だったでしょ? 俺も大好きだったから、こないだメールで作り方とか材料とか教えてもらったんだ。同じ要領で茄子の挟み揚げも作れるよ?」
 くふふと笑う。
「サンジの料理はまた別でさ。」
 話しながら別の鍋を火にかけて、さてお吸い物にかかります。
「こ〜んな小さいペティナイフ1本で。まな板も使わないで、鉛筆削るみたいにサクサクって鍋の上で材料刻んで、下ごしらえとか済ましちゃうもんな。」
 まあ…あの方の場合は、腕前も記憶容量も趣味を越えてましたから。
(笑) そんなこんなとお喋りしながら、ちょっとズボラして粉末の関西風昆布だしを水に溶き、ミネラル塩と薄口しょうゆでちょちょいと味付け。
"…ちょっと薄いかな?"
 関西人にはこれで十分なんですがね。
(笑)関東の方には甘みが要るそうなので、お砂糖を少々。煮立つ寸前にお玉でぐるぐるかき回し、溶き玉子を少し高いところから細くそそぎ入れると、ふわふわのかき玉汁の出来上がり。
「はい、晩ごはん、完成っ。」
「…酢の物は?」
「あああ、しまった。忘れてたっ。」
 お後がよろしいようで。
(笑)



            ◇



 2人には少し広いテーブルを埋め尽くす料理の数々。最後のうっかりへの茶々はともかくも、あの腕白坊主がと思うとド偉い進歩…というのか、変わりようだと思う。体を動かすことが大好きな子であり、お料理と言えば"食べる方"専門。それが…見事に家事を切り盛りしつつ、パソコンのインストラクター目指して勉強中。勿論、スポーツの方だって相変わらず大好きで、近所の子たちのジュニアチームに混ぜてもらってサッカーだのキャッチボールだのと、ともすれば先頭に立って張り切っているんだとかいう話も漏れ聞くが。それにしたって…これだけの食事の準備をほいほいとこなせる手腕は大したもの。
「…凄いもんだよな。」
 テーブルに並べられた夕餉の数々へ、今更のように感心するゾロに、
「やだなぁ、もう。」
 そんな大仰なことじゃないのにと、ルフィがくすくす笑う。
「あのね、大好きな人へとか好きな人と食べるんだとか、そう思って作るから、頑張れるし覚えられるんだよ?」
 屈託なく。そう言って笑うルフィ。こうやってその傍らに居られることが、実は途轍もない奇跡なのだと、ゾロはあらためてしみじみと思う。
"…そうだよな。"だから"なんだよな。"
 色々な奇遇が重なることで、この場所へと帰って来てくれた小さな少年。そして、そんな奇遇だけでなく、ゾロに逢いたいと思い続けていてくれた彼自身もまた、自分にとっては宝石のような掛け替えのない存在だ。ルフィと再会するまでの何年か。それらもそれなり、充実した日々、歳月を送っていた筈なのに。目標だって、期待や思い入れだって、その折々にちゃんとあった筈なのに。ルフィと暮らすようになってからの1年と半年。その鮮烈な日々の方こそを、その充実こそを本物だと感じる自分がいる。どの日を思い出しても、どの騒動を取っても、楽しかったりドキドキしたりをするすると思い起こせるし。今日は間違いなく幸せで、明日へもその余韻を持ってゆけるほどにワクワクがして止まらなくって。
「? どしたの? ゾロ。」
 席に着きながら、小首を傾げる幼いお顔に見つめられ、
「…いいや、何でもない。」
 ついついうっとりと見とれていた顔つきはそのままに、自分も席に着く。
「じゃあ、食べよっか。」
「ああ。」



   ――― 今日も美味しく、いただきます♪



   〜Fine〜  03.2.8.〜2.10.


   *カウンター66000hit リクエスト
       oyoneさま『"蒼夏の螺旋"設定にて、お料理に頑張るルフィ』


   *すぐ前にUPしたお話の続きみたいになっちゃいました、どうかご容赦を。
    しかも風邪に捕まって上がりが遅れました、すいません。
    途中から"簡単なお雑炊の作り方"の方が良かったかなとか思いましたが、
    そこまで負けてなるものかと、頑張ってみました。(何をだ。/笑)
    小器用なルフィだけでなく、ゾロもまた何だか別人ですが、
    会社では切れ者で通ってる人だと思います。
    この落差、同僚さんたちに見せてやりたいです。
(ぷくくvv)
    なお、本文中でご紹介したレシピたちは、一応正しい手順です。
    味付けは…それぞれのお好みで。
おいおい


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