月夜見
   浅夏薫風 “蒼夏の螺旋”より

 


          



 筆者の愛用している『季語集』によると、七夕や星祭り、天の川に朝顔は"秋"の季語になるのだそうな。というのが、昔の日本の暦はなかなかきっぱりしていて、それによる季節区分は、

 ・春…1月、2月、3月(今の2月10日〜5月9日頃)
 ・夏…4月、5月、6月(今の5月10日〜8月9日頃)
 ・秋…7月、8月、9月(今の8月10日〜11月9日頃)
 ・冬…10月、11月、12月(今の11月10日〜2月9日頃)

だったそうな。(よって、"皐月晴れ"の本当の意味は"初夏五月の清々しい晴天"ではなく"梅雨の晴れ間"のことである。)今の暦からは一ヶ月強ほどズレるとはいえ、春なんてこれから寒くなる頃。何も実生活上での何から何までをこの区切りに合わせることはないのではあるが、江戸の粋筋辺りになると、そこはやっぱり"江戸っ子"としての意気地があってか。たとえ雪が降っても、
『もう"春"だから綿入れもしまったし足袋も履かない』
とか、そういう見栄は張ったらしい。我慢も風流のうちでしょうか。昔の人って一体…。



 いよいよの夏の到来である"七月"に入ると、だが、空模様は途端にどこかどんより曇って来る。空梅雨っぽいなと言われていた年度でもこの時期にははっきりしない天候が多くて、プールの授業では水の中の方が暖かいなんてこともざらで、油断して早めの"夏風邪"を拾うこともしばしば。そうそう水泳には縁のない大人たちには、通勤電車の冷房が女性には強すぎて辛い時期でもある。あれって"除湿モード"には出来ないんでしょうかね? 引っ切りなしにドアが開くから無理なのかな?
"…ふう。"
 最寄り駅の改札を出ると、さすがに人の絶対数が違うせいだろう。湿度の高い雑踏や空気の悪い電車から解放されて、やっと一息つける気がする。これも鍛練の賜物か、日常生活レベルの運動くらいではさほど汗はかかない体質で、表面的には"涼しい顔"をしているが、暑いものはやはり暑い。今日は結構陽が射していた方で、その上、湿度は梅雨レベルと来たものだから最悪だ。こういう蒸し蒸しする日は、キンキンに冷やしたビールを乾いた喉へ一気に流し込みたいもの。そういう誘惑が…道筋のあちらこちらの居酒屋や立ち呑みバー、果ては自動販売機からまで熱烈なウィンクを投げて来るのをじっと堪
こらえられるのも、

  『今日は焼き肉にするからね?
   ビールも一杯冷やしとくから…早く帰って来てね?』

 お日様のような笑顔でもって送り出された今朝の言い付けを、ちゃんと覚えていればこそ。いや、焼き肉云々ではなくて、愛らしくもお元気だった"若妻"の、魅惑の笑顔の方の吸引力の話であるのだが。
"…あれ?"
 あと少しで住まいという、マンション前に辿り着いた彼は、だが、マンション用のエントランスのすぐ隣り、ガラス張りで素通しなコンビニの店内に気づいて立ち止まる。一階に小さめの店舗を幾つかと各種の文化教室を収容している建物なのだが、表通りに面しているのがまずはこのコンビニ。通りの方へ向けて雑誌のラックが置かれてあるその向こう、レジカウンターの前で、見慣れた顔が制服らしいエプロン姿の女性店員と睦まじく話しているのが覗けたから、
"何してんだ、あいつ。"
 鮮やかなマリンブルーのTシャツは、先日、南米の某国の優勝で幕を下ろしたサッカーの世界大会の記念にと売り出された、日本代表のレプリカ・ユニフォーム。今頃にこれを着ていると、何だかちょっと間が抜けて見えなくもないけれど、家の中やご近所にちょっと出掛ける程度の普段着になら構うまい。ただ、細っこい肩や背中が中で泳ぐほどにサイズが違うものだから、その愛らしさにこそ、人々の微笑ましげな目が集中しているようである様子。
"………。"
 まださほど暗い時間帯ではないものの、煌々と明かりのついている店内から外は見えにくかろう。よって、こちらには気がつくまいなと、そして、どうしたものかと、ちょっと思案。このまま先に自宅へと上がってしまおうか。相手はお仕事中の身、そうそういつまでもお喋りしてもいられまいから、すぐに埒をあけるに違いない。…とはいえ、
"………。"
 なんだか懐かしい思いがして、ついつい見とれた。ルフィの姿が幼いままだから思い出したものがあったから。


            ◇


 同府県内に住んではいたが、それでも列車を乗り継ぐだけの距離はあった親戚同士で。子供同士が幼い頃はルフィたちの方が遊びに来る時の方が断然多くて。そのうち、彼らの母親が病気で早逝。船乗りで家に不在な期間の多かった父だったせいか、正月や盆のみならず、夏休みや冬休み、春休みまで、近くの母方の祖父母の家に兄弟で預けられることが多くなった彼らであり、そうなるとあまりこちらへ来る機会も減って。だが、その代わり、もう中学生になろうとしていた自分の方から、ちょくちょく足を運んでいたものだった。
『あのね、あのね。お兄ちゃん、あのねvv』
 一人っ子の自分にはずっとずっと弟のような存在で、ルフィの側でも実の兄以上に懐いてくれていて。子供らしくない寡黙さを"近寄り難い"と思われがちな、そんなせいでそれほどにぎやかな交友関係も持たないし、それで平気でいた大人びたゾロ少年が、だが、その代わりのようにルフィにだけは、気を回し、声を掛け、休みの度に連れ立って出掛けたりしていたものだった。
『………。』
 ルフィの側は、天性の明るさと人懐っこい笑顔のせいだろう、仲のいい友達も多くて。住まいの近所や待ち合わせの場に通りかかると、いつも誰かと一緒にいて何やら話し込んでいたりする彼だったが、
『…あ、ゾロだ。』
 こちらに気づくと、どんなに話途中でも"じゃあな"とあっさり手を振って、友達の方と別れてこちらへ駆けて来た。例外なくいつもいつもがそうで、約束をしていた訳ではない訪問の時でもそうだったのが、何だか"特別扱い"をされているようでくすぐったいほど嬉しかったけれど。そんなくらいで喜ぶのは何だか癪だったから、ずっとずっと仏頂面の陰で隠していたっけ。
『どしたの? おばあちゃんにご用事?』
『ああ。』
『あ、叔母ちゃんのおはぎだっ。なあなあ、オレが持ちたいっ。』
『ダメだ。お前、すぐ忘れて振り回すだろ?』
『ちぇーっ。』
 膨れてもすぐに屈託のない笑顔に戻って、他愛のないことを次々に話す。昨日は晩のご飯に何が出たとか、計測会があってクラスで一番駆けっこが早かっただとか。エースが合気道の部活を始めたんで帰りが遅くなっただとか、テレビで新しく始まった時代劇の主人公の殺陣回りがそれはそれは下手っぴで、あれだったらゾロの方がずっと上手なのにとか。さして語り口が上手な訳でもないというのに、どんなに些細な内容のことでも、彼の話すあれやこれやは全て漏らさず聞き取って、いつまでも覚えておきたくなるような気分になった。内容云々よりもそれらへ対する彼らしい感慨というものが、何とも可愛らしかったり可笑しかったりしたからで。それでいて、憤懣の方向性は似ていたし、悔しい話へは心からの同情が起こって、ついつい頭や背中を撫でてやったりもした。


            ◇


"………そういえば。"
 今はさほどでもないものの、昔はあまり口が立つ方ではなかったゾロだったというのに。そんな従兄弟と遊んでいて退屈しなかったのだろうか、ルフィは。こんなにも後になって思い出す辺り、そんな素振りを一度として示さなかった彼だということでもあろうが。
"…う〜ん。"
 妙なことを思い出し、ついつい立ち尽くす彼の視野の中、不意に少年がこちらを見、パッと顔を輝かせた。そうして、トートバッグを肩に掛け、カウンターへと手を振りながら自動ドアのあるこちらへと向かって来る。まるで、今し方まで思い返していた、小さかった頃の彼、そのままに。
「…ゃあね、サミさんvv」
「じゃあね。明日ね。」
 挨拶と共に彼が口にしたのはカウンターに居た女性の名前なのだろうが、ゾロにはやはり覚えがなくて、
「おっ帰り、ゾロvv」
「あ、ああ。ただいま。」
 ちょろっと物問いたげな顔をしたのを読んだのだろう、

  「あの人はここの奥さんのサミさんだよ?」

  「…え?」(…すみませ〜ん。/笑)

 そういえば…お野菜への蘊蓄やら旬の食材のお料理法やら、何かと教えてくれるんだよと、いつも言ってはいなかったか?
「…ご挨拶した方が良かったかな?」
「ん〜、今度で良いんじゃない?」
 とゆことで、今度ご挨拶に行くそうです。どか、よろしく。
(笑)



          



 エントランス・ロックを解いてマンションへと入り、メールボックスを確かめてから、ホールのカウンターにいた管理人へちらっと会釈する。元からもこういうご挨拶はきちんと交わしていたゾロではあるが、
「おじさん、こんばんわ。」
「ああ、こんばんわ。今夜は一緒なんだね。」
「そうなんだ♪」
 ルフィが来てからはこういうお喋りのやりとりまで加わって。彼の屈託のなさには、ゾロの身辺までが何となく賑やかになったような気も。エレベーター・ホールに向かい、ゲージが降りて来るのを待つ。階段を使っても良いところだが、ついついお喋りをしてしまうそのはしゃいだ声がご近所の迷惑になってはいけないからという辺り、なかなか気を遣っている彼らでもある。
「サミさんトコ、明日、お店の前に七夕飾りを出すんだって。その飾り付けをお手伝いさせてもらうんだ。」
「そっか。七夕か。」
 商社勤めの人間には、暦は縁が遠いような薄いような。季節と物流の関係には成程詳しいものの、消費者の皆様のお手元へナイスなタイミングで届けるまでの"お膳立て"がお仕事なものだから、ついつい扱いとしては自然と半年は先取りな話題になってしまう。ちなみに、今現在ロロノア青年が担当している企画はクリスマスに関するもので…内容は秘密☆
こらこら 同じ課の別の班は、提携している某ショッピングモールの"お歳暮商戦"のアイデア企画をひねっているのだとか。…ご苦労さんであることよ。
「先にお風呂行く?」
「そうだな、軽く浴びるかな。」
 部屋へと上がると、二人ともが冷蔵庫へ直行。お買い物の中の生鮮ものを入れて、お夕飯の材料やもう出来上がってたお総菜を取り出すルフィの傍ら、ネクタイを緩めながら缶ビールを開ける旦那様であり、
「じゃあ、ビールはあとあと。」
「あ…じゃあ、先に食う。」
 缶ごと取り上げようと伸びて来た小さな手からくるりと回って逃げを打ち、そのままの"飲みながら"で着替えにと奥の寝室に向かった背の高い従兄弟殿に、
「もうっ。」
とむくれて、だが…続かずに。ルフィは"あはは…"と声を立てて笑ってしまったのだった。


 夕飯前のこんな直前にコンビニへ降りていたのは、サミさんからのメールで"デザートにいい果物が入ってるよ"とのお誘いを受けたから。今夜はもうメニューも決まっていたため準備は簡単で、ホットプレートをテーブルへと出して、お肉はさっきタレや香味野菜につけておいたのを平らなバットごと取り出して。お総菜とおみおつけを軽く温めて、生野菜をガラスのボウルへ盛りつけて、炊きたてご飯をさくさく掻き混ぜ、はい完了。
「ゾ〜ロ、出来たよう。食べよう。」
 取り皿とビール用のグラスを出して並べて。きっちりセッティングの出来たテーブルへと旦那様を誘
いざなえば、
「おーっし。」
 ラフな服装に着替えたゾロが待ってましたとやって来る。夏向きの晩餐が並んだテーブルを挟んだ差し向かい。
「さ、どーぞ。」
 ちゃんと冷やしておいた瓶のビールの栓を抜き…ちょっと重いので立ち上がって、両手で支えて差し出せば、
「お、サンキュ。」
 スリムなグラスを傾けて待ち受ける。ビールでも日本酒でも、最初の1杯はルフィがお酌をするのが習慣で、食事時には滅多に飲まないながら…水割りや酎ハイなどの場合は、マドラーで掻き回すのをやらせてもらう。それからやっと、

   「「いただきますvv」」

 食べ盛りではあるけれど、自分が食べることよりも美味しそうな顔をする相手を見るのが楽しい今日この頃な奥方は、
「タレ、足りてる? あ、おみおつけは…ご飯と一緒が良いのかな?」
 自分の箸も持たずに世話を焼こうとする。そんな彼の様子に、
「ルーフィー。まずは自分の腹を落ち着けな。」
 苦笑混じりに呆れた旦那様が、
「ほれ。」
 食べ頃に焼けたお肉を、長い腕を伸ばしてお口まで運んでくれたりするものだから、
「あ、えと…あ〜ん。」
 ついつい条件反射でしっかり応じていたりして。………う〜ん、前作に引き続いて、またまた"バカップル再び"な描写になるのだろうか、このお話も。
(笑)
「…なあなあ。」
「んん?」
 筆者の心配する声が届いたのか、ふと、ルフィが。どこかあらたまった…トーンの違う声を出す。何だか落ち着きがなかったのは、このお話をいつ持ち出そうかと騒いでやまない胸の高鳴りを、押さえつけ切れないでいたせいもあったようで。

  「あのね。………明日って何の日だ?」

 何やら勿体ぶった切り出し方なだけに、彼にとっては思い入れの深い"記念"の日なのであろう。七月に入ったばかりの"明日"と言われても。
「…明日?」
 言われてすぐさま思い出せるほどの、はっきりした"何か"が果たしてあったっけかなと。その男臭い顔を考え込む格好へと少々堅くしかめさせつつ、ゾロは"はて…"と小首を傾げて。片やのルフィは、手を止めてわくわくと待っている様子。お互いのお誕生日は月が違うし、此処にいない家族の生まれ月をわざわざこういう場で訊くものだろか。
"まさか、あいつの誕生日ってんじゃあ…。"
 ふっと思い出したのが、ハニーブロンドを長めに流した、嫌みなほどに端正な顔立ちの、長身痩躯の色男だったが、


   "……………あ。"













   「……………あの制服って、どこのを真似してたんだ?」

   「…っvv」


 さすが覚えていたんだねと、途端にルフィが眸をきらきらと輝かせての満面の笑みを見せる。
「別にどこのって訳じゃなかった。夏服で良かったからな。合服だったら、ブレザーにせよ詰め襟にせよ、ちょっとは考えたけど。」
 そう。明日は、彼らが7年もの別離の時を経て、劇的に"再会"した丁度その日だ。小さな乗換駅の古い階段。デイバッグを肩に降りて来た、それは無邪気そうな男の子が、まさかまさかこのルフィであったとは。その時は思いもしなかったゾロであったのだが、
「…けどな。明日をそんな"めでたい日"にすんのは、ちょっとズルくないか?」
「??? なんで?」
 喜んでいるところへ珍しくも水を差す彼であり、キョトンとして見せるルフィへ、
「お前、ホントは、も少し前の日から、俺が何時にあの駅まで帰ってくるのかだとか、細かく調べた上で待ち構えてたんだろう? 俺の姿だってもっと前の日にもう見てたんだろう?」
「あ、うん。…でも、それは。」
「ずるいよな、自分だけ。」
 珍しくもお行儀悪く。テーブルに両の肘を突いて、重ねた大きな手の甲の上へ顎の先を置いて…という、ちょこっと前屈みのいけない姿勢で。眇められた視線で少しばかり責めるように真っ直ぐに見つめられて、
"あやや、どうしよう…。"
 怒らせちゃったのかなと、たちまち小さな肩が窄
すぼまったから、

   "……………可愛いな。"

 セッティングをした例の二枚目は今だに少々癪な相手だが、まるで天国から自分のためにだけ戻って来てくれたような、この小さな彼には。見ていて抱いていて幸せを覚えこそすれ、拗ねたり恨んだりというよな気持ちは全く涌かないゾロである。しょげかかる小さな愛しい少年へ、あらためて何を囁きかけたやら。パッと顔を上げたそのまま、真っ赤になって小さな拳を振り上げるのが明るい窓越しに見えて。初夏の薄暮のその中で、やたらと幸せそうな小さな窓は、まるで夜空に上った一等星。伝説流れる天の川のように、数多
あまたあふれる夜景の灯火たちの中、一際目立つ星になる。

   ――― そんな意地悪言うんだったら、
       サミさんからもらって来た短冊あげないんだからね。

   ――― 要らないね。
       これ以上何か、神様に叶えてもらいたいことなんてないからな。

   ――― …う〜〜〜っ!/////



   やってなさい。(さあ、皆さんもご一緒に。)



  〜Fine〜  02.6.29.〜6.30.


  *SAMI様のサイト"Erde."さん、20,000hitおめでとうございます。
   こういうワンパターンなお祝いしか出来ませんが、
   宜しかったらお受け取り下さいませです。

  *ちなみに、今夜のメニューは、
   枝豆とビールと、
   サニーレタスで包んで食べる焼き肉。
   お野菜も沢山食べないとということで、
   鷄と根野菜の"いりとり"。(筑前煮に似た炒め煮です)
   おみおつけは、売り出しだったあさりで赤だし。
   デザートはよく冷やしたキウイフルーツ
   …というところでございますvv


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