月夜見
    青葉瓊花   〜蒼夏の螺旋・幕間
 


 陽が落ちてから降り出したらしい雨は、この季節のそれにしては静かなこぬか雨で、帰宅したゾロのスーツの表面に、霧をまぶしたように水気がまとわりついていたのを見て、初めて気がついたルフィだったほどだ。
「傘をさすほどのこともなかったんでな。」
 一度何かの折にブリーフケースに入れてそのままになってた折り畳みの傘のことだろう。持ってはいたが使わなかったんだと、ゾロはそうと言って上着を脱ぐと、慣れた手つきでハンガーに掛けたが、
「あ、そのまま入れちゃダメだよ。」
 開けられかかったクロゼットの扉を小さな手で押さえて、
「乾かさなきゃ。」
 そう言ってハンガーごと受け取ったルフィは、家の中で乾いてるところは…とキョロキョロしながら居間の方へ戻って行った。そんな具合に言動がどこか"若妻"っぽくなりつつある彼であると、ひょんなことで気がつく度、背の高い従兄弟はついつい苦笑するのだった。


 五月のうちには結構降ったのに、六月に入った途端、からりとした晴天ばかりが続いた。昨日、今日なぞは30度を越す"真夏日"で、エントランス前の花壇に植えられたアジサイも萎
しおれるばかり。今年は"空梅雨"なのかなと思っていた矢先のこの雨で、
「空梅雨なんかじゃないよ。長期予報では例年通りに降るって言ってたもの。」
 仕事の関係から情報収集には余念のないルフィがそうと言い、
「ひなセンセーも髪が"しとっ"として来たから近いわねなんて言ってたし。」
「…ルフィ、省略のし過ぎだ。」
 よく判らんぞ、それ…と、訊き返すゾロに、粒マスタードを添えたボイルドソーセージと冷えたビールとを、まずはとトレイに乗せて居間まで運んで来たルフィは"あ、そっか"と小さく舌を出す。余談だが、ビールのつまみには枝豆かスナック菓子の"イカの姿揚げ"が最高だったなぁ…。(今は飲まないけど)
「あのね、ひなセンセーっていうのはPC教室の先生。表計算とか書類の書式設定とか、ビジネスクラス担当なんだけど、時々はキッズクラスの様子を見に来てくれるんだ。」
 マンションの一階には、個人経営の塾やエレクトーン教室、そして地域活動の一環としての文化教室が設けられていて、その内の"パソコン教室"の非常勤講師のアルバイトをしている彼なのだが、このほど、小学生低学年対象のキッズクラスが新しく立ち上がり、ルフィもアシスタントとしてそちらへ出向の身となった。
「柔らかい真っ直ぐの髪を腰まで伸ばしてる女の人なんだけれどね、湿度が上がると髪がしっとりしてくるから、雨が近いとかいうのが判るんだって。」
 そんな風なルフィの説明に、ソファーに腰掛けたゾロは"あっ"という顔になる。
「細身で線の細い感じの、背の高い人じゃないか? それ。」
「? うん。よく判ったね?」
 ゾロが会社ではなく此処いらに居る時間帯と、ルフィが教室に出入りする時間帯は、当然のことながら重ならない。よって、直接引き合わせる格好では紹介した覚えはないけどなと思ったのだろう。現に"誰のことだか判らないぞ"という反応をしたくせにと、細っこい肩の上、小首を傾げて見せるルフィへ、
「向こうは俺らをよく知ってたみたいでな。駅で会ったことがあるんだが、いきなり"ルフィくんのお父様ですか?"って声かけられた。」
「………☆」
 タイミングよく、台所で電子オーブンが"チン☆"と、温めましたよという電子音を立てる。今夜のメニューはメイタガレイの煮付けと高野豆腐の玉子とじに、おぼろ昆布とかまぼこのおすましとグリーンピース一杯の豆ご飯。その豆ご飯を温めていたのだが、
「お父様って…。」
 その合図を聞きつつも…ルフィは意表を衝かれたことからその場に立ち尽くして見せるばかり。といっても、が〜んとショックだったのではなくて、
「…お前、自分の年齢
とし、ちゃんと説明してんのか?」
 どこか恨めしげな声を出すゾロへ、
「事務方の人へ出した履歴書にはちゃんと書いたんだけど…。ぷぷっっ。」
 何だか可笑しくって…と、引き付けるように笑い出し、
「ヒ、ヒナ先生はそんな書類とかいちいち見てないだろうから、見た目だけで俺のこと"中学生くらい"って思ってるのかもしんない。」
 元々から童顔であることに加えて、とある事情があって、実際の年齢からはほど遠い幼い容姿をした彼なのだが、
「それにしたって、それじゃあ…俺、幾つだと思われてんだよ。」
 ますます憮然とするゾロだ。ちなみに、ルフィが十四歳だと思われているとして、親が十六歳の時に生まれた子ならゾロは三十歳、法的なことを考えて
十八歳まで待って??作った子だとして三十二歳だと思われていることになる。そして…ロロノア=ゾロ青年は、実は今秋十一月に二十四歳になると来て。
「そうまで老けて見られたってことなのかな。」
 堪らずに"うくく…"とばかり、笑い続けるルフィに唇を曲げて見せて、ゾロは手酌でビールをグラスへとそそぐと少々やけっぽく一気にあおって見せた。


            ◆


 窓の外にはしとしとと雨の音。まずはとビールで簡単に喉を湿してから少し遅めの夕食を食べて、再び戻った居間でテレビを点ける。今年は世界的なサッカーイベントが日本と韓国とで共同開催されている。スポーツは好きだが、どちらかと言えば自分で体を動かす"実践派"で。プロ野球の中継もたまにしか観ないゾロは、最初こそルフィの付き合いから何となく観ていたものが、今は進んでこうしてチャンネルを合わせている。世界的レベルのプレイの見事さに、彼なりに感動があってのことならしい。これも一種の"一流は一流を知る"というやつなのだろうか。
う〜ん この時間では今日あった試合のダイジェスト番組しか放送してはいないが、
「今日は昼間にスペイン戦があっただろ。丁度商品開発部が進めてるプランの取引先がスペインの会社だったんで、結果が出るまで落ち着けなかったってさ。」
 職場で仕事にまで絡むほどに世間様では大きな関心事なのだと知って、それもまた新鮮なことだったらしくって。そればかりが理由でもなかろうが、にわかの"通"になりかけている現金さだったりするから、
"…そんなだから"おじさん"扱いされるんだってvv"
 ルフィが"可愛いなぁ"とこっそり思っていることは当然"内緒"だ。まだ晴れている時間帯だったか、陽射しに目映く照らし出された芝生の緑へ鮮やかに映える、黄色いユニフォームを着た選手たちが軽快に駆け回る画面へと、座ったソファーからやや身を乗り出すようにして熱心に観入っているゾロを横目に見やって、ルフィはさっき彼が持って帰って来た手紙の束を仕分けしていた。自分はリアルタイムの中継で終了までを既に観ている。横で観ていると"次はこうなる"という余計な解説をつい入れてしまいそうになるからで、画面よりもゾロの男臭い横顔の方を嬉しそうに眺めながらの作業だったが、
「…あれ?」
 半分くらいは何かしらのDM
(ダイレクトメール)封筒ばかりだったその中に、すっきりとした筆書き文字の縦封筒を見つけて手が止まる。
「ゾロ、これ…くいなって、もしかして くいなお姉ちゃん?」
「………え?」
 なかなかの達筆で綴られた裏の差出人の名前を眺めながら差し出された封筒へ、ゾロの方もまた意外そうな、驚きを隠せないという顔になる。長い腕を伸ばして来て、
「何だろ、一体。」
 ルフィが母方の従弟なら、このくいなというのは父方の従姉だ。ゾロが幼い頃から通っていた剣道道場の師範の娘でもあって、少しばかり年上。今は女だてらに師範代として後進の指導に励んでいるという。
「そういえばサ。ゾロ、お姉ちゃんに勝てるようにはなったのか?」
 ルフィも小さい頃によく遊んでもらったので覚えている。つややかな黒髪をいつもさっぱりした短髪に切り揃えていて、それはほっそりと華奢だったのに、竹刀を持たせればそこらの男の子たちより断然強くて。ゾロでさえずっと勝てずにいたことをよ〜く覚えている、大した"女傑"であった筈。サイドボードの引き出しからペーパーナイフを持って来ながら、そんなことを訊いてくるルフィへ、
「高校に上がった頃には勝ててさた。」
 どこか忌ま忌ましげな言い方をする。だが、
「ふ〜ん、そうなんだ。」
 ルフィの相槌のどこか曖昧な響きが気になって、
「何だよ。」
 眉を寄せて聞き返す彼であり、その鋭角的な顔がぐっと厳しく冴えたのへ、内心でうっとりしつつ、
「だってさ。なんか印象がさ。」
 何となくながら、彼女には頭の上がらないゾロだったという印象が強すぎるせいだろう。彼の言を信用しない訳ではないが、あれほど華奢だったにもかかわらず、くいなの方が強いという印象はなかなか払拭されないルフィであるらしい。言外にそう思っているらしい彼だと、ゾロの方でも判るのか、ふんと鼻先で息をついて見せて。そのまま手紙の封を切った彼は、中から取り出して広げた、一切装飾のない白便箋にこれも達筆で綴られた文面をしばし黙って眺めていたが、
「またか。」
 吐息をついてテーブルの上、数葉の便箋たちをぱさりと投げ出した。
「何? ねぇ、なんて?」
「お前に会いたいから、一度連れて帰って来いってさ。お袋もうるさいんだよな。」
「え、ほんとに?」
 途端、ゾロのしかめっ面と反比例なくらいに"わくわくっ"とした顔をして見せるルフィだ。
「覚えてんのか? ウチのおふくろ。」
「うん。おばさん、いつも俺に"女の子だったらゾロのお嫁さんに来てもらうのにねぇ"って言ってたもん。」
 殊更無邪気そうに…どうかすると嬉しそうに応じた彼だが、
「………。」
 ゾロが"おいおい…"と呆れて絶句したのは言うまでもない。どこか浮世離れした風情の強い、ぽよんとした雰囲気のある母ではあったが、自分の甥を掴まえて何を吹き込んでいたのやら。この少年は、人懐っこくて愛らしいところから、親戚の間でも結構可愛がられていはしたものの、
「そいで、くいなお姉ちゃんはさ、それじゃあ、ウチにお婿に来る?って言ってた。道場はお姉ちゃんが継ぐから、何もしなくて良いんだよって。ゾロも稽古に来るからしょっちゅう会えるよって。」
 にっこにこと続けたルフィへ、
"あいつらは…。"
 頭痛がして来たゾロである。どうやらロロノアさんチは、さりげなく"女性上位"なお家であるらしい。
(冗談はともかく、実力が物を言った家には違いなく、父の兄である伯父はおっとりした人だが、これがまた剣を持たせたら人間国宝並みの強さで、時折その筋の公安関係の道場へも指導に招かれている。お行儀はきっちりと、だが、男女の区別はしないというのが基本方針な道場だったせいか、力をつけさえすれば男と対等扱いなところに惹かれて門をくぐる女性たちも多く、
"そういう乙女御前が山ほどいる道場だからなぁ。"
 くいなが師範代の座に落ち着いたここ数年は特にその傾向が強いらしくて、華やかなんだか恐ろしいのだか、頼もしき女性剣士たちが寄り集う"白百合の園"と化してもいるのだとか。大学生時代から故郷を離れての一人住まいを始めていて、ただでさえ遠くなったため、ゾロはもう随分とその道場にも足を運んではいないのだが、
"帰りゃあきっと呼び出しを食うに決まってるからな。"
 それなりの力をつけたゾロだと認めていればこそのことではあろうが、彼女やその後輩たちの"女傑ぶり"を思い出して少々うんざりしかかった彼である。………で。

   「………。」

 ふと。
"………あれ?"
 何か。妙な感触が。顔見知りの女傑たちが頭の中を一瞬掠めたそのビジョンの中に、動態視力が物を言ってか、とある顔を見とがめた彼であるらしく、
「…なあ、ルフィ。ヒナ先生って、もしかして、黒崎ヒナって言わないか?」
 目顔で"読んでも良い"と示された手紙に目線を落としていたルフィへと、そんな声をかけている。
「そだよ? …あれ?」
 頷いてから、フルネームなんて、それこそ言った覚えはないのにと、小首を傾げるルフィだが、
「…そっか、黒崎の姫御前だったか。」
 こちらは逆に、確かめられた事実へ"う〜ぬぬ"と唸ってそんなことを言い出すゾロであり。
「"姫御前"?」
「ああ。…そうだな、お前は知らないか。」
 怪訝そうな顔になっている恋人さんに気づくと、背条を伸ばしてからポンポンとお膝を軽く叩いての"おいで"をする。
「………vv」
 途端に怪訝そうなお顔はどこへやら。隠しようのないご機嫌そうな顔になり、ソファーの上に手をついて、ちょっとばかり這うような格好で傍まで寄ると、座ったままで大きな手がひょいっと抱え上げてくれるから。こういう辺り、恋人さんとか若妻というよりも"座敷犬"という感が強いのだが
(笑)、まあそれはさておいて。
「高校最後の剣道の全国大会でさ、くいなが、女子の部のチャンピオンが自分の後輩なんだけど、エキジビジョンで手合わせしてほしいって言ってるんだって言って来てな。」
「…ちょっと待ってよ。」
 一気にそうと言ったゾロに、ルフィは横座りのまま凭れかかっていた胸元から少しばかり身を起こす。
「全国大会のエキジビジョンでしょう? くいなお姉ちゃんトコの道場での昇段試験とか大会とかじゃなくて。」
 インターハイとか国体クラスのそれだろうに、
「お姉ちゃんの裁量でそんなこと出来たの?」
 そうと解釈出来るような言いようだったのが気になった。ゾロが高校3年生の時といえば、くいなの方だってそんなにも大人ではなかった筈だ。昔ほどではないかも知れないが、それでも年功序列とか格式とか、会社以上に古めかしいことがうるさい世界であろうに、一女子学生がそんなことを勝手に決められたのかと、不審に思ったルフィだったのだが、
「表立っての"役付き"だった訳じゃあなかったがな、理事のジジ様たちの間じゃあ"孫娘アイドル"だったし、後輩たちからは"お姉様vv"って圧倒的人気で慕われてたからな。将来的に剣道界を引っ張ってく中枢となるお姉さんだってんで、結構我儘言っても聞いてもらえてたみたいだぜ?」
 おいおい。
「そんな訳で、その年だけ特別にってことで、男女のチャンピオン同士で三本取りの立ち合いをしたんだ。」
「…それで?」
「だから、さ。二本取ってから、これじゃああんまりかもなと思ったから、最後の一本は…。」
「負けてあげたの?」
「…そうと意識はしなかったがな。」
 だが、再び身を起こしたルフィは、ちょこっと…顎を引いての上目使い、下から覗き込むような見上げ方をしてくる。
「なんだよ。」
「手を抜いたって思われた。」
「………。」
 見かけこそ"中学生"だが、中身はゾロと2つしか違わない。しかも、つい最近まで一風変わった青年と、型にはまらない世渡りというものを7年間も続けていた彼だ。どこか不安定な歳月を、人々の間を擦り抜けるようにして寂しく過ごして来た彼だけに、そういう機微にも聡いのだろう。
「そうかもな。凄っげぇ顔して睨んでた。」
 ゾロも否定はせず、
「………で、それが。」
「ああ。黒崎ヒナって子だった。」


  ……………成程。


「もしかして"初めまして"って挨拶したとか。」
「………した。」
 肩を落として答えるゾロへ、ルフィもまた何とも言えない顔をして見せる。
「ホントにゾロって、女の人への融通が利かないよな。」
「悪かったな。」
 正確には、感覚が古い。守ってやろうとか手を抜いて相手をせねばとか、子供扱いするか、若しくは"眼中になし"扱いをする。くいなのような女傑が身近にいても、だ。いや、そうだったからこそ、実はそうそう弱くもない彼女たちを、だが、しっかり庇えるほどに強くあらねばと、無意識の内にもより頑張った彼なのかも?
うむむ ともあれ、今の彼が会社でもそうなのかどうかは生憎と知らないルフィだが、そうそう簡単に器用になれるものとも思えないし、自分に対しての接し方を見ていれば何となく判りもするというもので。あと、関心がないからだろうか、よほど毎日のように会う人でもない限り、顔を覚えようとしないから困ったもの。…それにしたって、このルフィからそういう方面で突っ込まれていては終しまいではなかろうか。あはは
「ヒナ先生ってさ、男嫌いなんだよね。」
 ルフィは小さなため息をつくと、そんな言葉を紡ぎ始める。
「俺は子供扱いだから別ならしいんだけど、職員の人とか生徒さんとか、女の子には優しいんだけどある程度以上の大人の男の人には"つんっ"てしてて。」
 ゾロのおとがい辺りをその懐ろから見上げつつ、
「もしかしてさ、ゾロのこと、好きだったのかも知れないね。」
「はあ?」
「だってあれほどの美人だもん。本人に意識はなくたってさ、ちやほやされる環境にいたと思うんだ。それが、ゾロからは"眼中にない"って扱いされてさ。そういうの初めてだったのかも。」
「そんで、傷ついたんで男が嫌いになったってか?」
「そこまでは言ってないよぉ。」
 妙な方向へと先走られて口許を尖らせるルフィに構わず、
「考え過ぎだ。小手先であしらわれたのをずっと根に持ってたってだけだろさ。」
 いやに素っ気ないことを言う。
「ゾロ?」
 大した言いようではないながらも、どこか悪口に近い言葉であり、そんな風に誰かを腐すなんて彼らしくないなと小首を傾げるルフィだったが、


  「俺が意識し出して、ほだされでもして。
   やっぱり女の人の方が良いからって彼女の方へ気持ちが傾くんじゃないかとか。
   そういう余計なこと、考えてないか? お前。」

  「……………。」


 嘘でも"そんなことはない"と一言言えば済んだだろうに。それとも、自分でもはっきりと意識まではしていなかったのだろうか。顎を少し引いてこちらを覗き込んで来るゾロに気づくと、
「…あ、えと。」
 はっと我に返ったらしいが、あまりに意表を突かれてだろう、返す言葉を見つけられずにいる。どちらのチームだか、ゴールが決まったらしい歓声がテレビから溢れて来たが、それも何だか白々と聞こえる静寂の中、
「そういう考え方、何でするんだ?」
「…だって、さ。」
 シャツ越しに胸板へと擦り寄る頬の柔らかな感触、小さな温み、幼い形の手、まだ少し高めの声。体温が上がると匂い立つ甘い香りに、目の前に来ている真っ黒な髪のつやまでが愛惜しいのに。どうして彼は、何もかもを…こちらの心までもを、いつかは形を変えてゆくものとわざわざ自分で決めてかかって及び腰になるのだろうか。
「突然傷つくよりは、前以て少しくらい覚悟しといた方が楽だって。もしかしてそう思ってるのか?」
「………。」
 そういう恋なのだと、永遠を誓えない辛い恋なのだと、まだどこかでそんな意識の抜けない彼なのだろうか。最初の数ヶ月、散々彼を不安にさせたその名残りか、それとも先のことを考え無さ過ぎる自分が呑気すぎるのか。
"先のこと、か。"
 そういえば。この少年を7年も傍らにおいて、持てる限りの愛情の全てを惜しみ無く注ぎ込んでいたあの異邦の青年は、ただでさえ不安だった筈のルフィを気遣って、いつだって至れり尽くせりに気を回していたようだった。きっと、少年から笑顔を絶やさせぬことへこそ粉骨砕身の努力を惜しまなかったのだろう。もしかしたら永遠を生きたかも知れなかった二人だったから、尚のこと、そればかりを考えていたに違いない…と判るような言動を、今もなお、続けている男である。


  『このままあんたの傍らに置いといて、どんどん傷ついていくばかりなようなら、
   力づくででも連れて行こうと思ってた。』


 今でも"辛いなら帰っておいで"と余計なお世話な"危険メール"
(笑)を寄越してくる御仁であり、ルフィの側からも結構頼りにしている節がちらほらと。悔しいことながら、あの、中身はかなり年寄りな"人生の達人"にはおいおい どこまで行ったって追いつけはしなかろう。
"………。"
 男の嫉妬はみっともない。心の中でぶんぶんとかぶりを振って振り飛ばし、
「頑張るから。」
 そんな声をかけている。
「…?」
 意味が分かりかねてか、顔を上げてこちらを見やって来る少年へ、
「お前が先のこと怖がらないで済むような、そういう相手になれるように頑張るから。…な?」
 深色をたたえた眸の真摯さが、こちらの眸の奥底まで浚っていくように覗き込んで来て。途端に甘い痛みが、いや、何とも言えない切ない温かさが、胸の底、じわりと沸き立つのを感じた。
「………うんっ。」
 相変わらずに不器用で。時々"壊れもの"のように傷つきやすくなってしまう自分のこと、取り扱いかねもするのだろうに。そういうことには慣れぬ手で、無骨で大雑把な手で、それでも何とか守ろうとしてくれる、判ってやろうと…自分にだけはずぼらしないでいてくれる優しい男。
"温ったかいや。"
 その大きな手でそぉっとそぉっと撫でてくれるだけで良いのだ。もっと強くなろうとそんな気持ちが沸き立つから。困らせてはいけない、ではなくて、負けるもんかと。いつかは背丈だって力こぶだって追いついて追い抜いてやると思ってた、小さい頃ずっとそうだったように、自然とそう思える自分に戻れるから。シャツの襟元の切れ目から覗いているのは、男臭い色香を感じさせる鎖骨やら首条やら。そこへと手を伸ばすと日頃からの呼吸で軽く抱え寄せてくれるから、おとがいの深みへと頬を埋めて口づけを幾つも落として。くすぐったがるやさしい恋人へ、ぎゅうっとしがみついて、こちらも幸せそうに笑うルフィである。


   「…なあ、ゾロ。」
   「んん?」
   「雨、降っててもサッカーって滅多に中止になんないって知ってる?」
   「へえ、そうなんだ。」
   「あさっての日曜のチケット、実はあったりするんだけど、観に行こっか?」
   「………それって。」


     ………それって。
(笑)



   〜Fine〜  5月末頃〜02.6.11.


  *5月はあれほど降ったものが、6月はピタッと降らなくなって。
   まま、W杯には丁度いい日和ではあるんですがね。
   梅雨のお話なんで、やはり降ってる時にUPしたいなと、
   ちょこっと"おあずけ"してたお話です。

  *瓊花(たまばな)というのは、紫陽花の別称だそうで、
   タイトルを考える時の虎の巻、『季語集』で見つけました。
   別に国文科だった訳でもないのに、
   こういう辞書を持っている変な奴でございます。

  *ルフィの親戚というのか親御さんだけしか紹介していなかったので、
   今回はゾロの周辺をちょっとだけ。
   いつぞや勢いだけで書いた『さ〜くら咲いたら』と
   もしかしたらイメージがダブっているのかもしれませんが、
   微妙に違いますので念のため。
   こちらの親戚筋はこれ以上出すつもりはないんですけれどもね。
   だって、お話がややこしくなるし。(何を今更/笑)


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