family


 他の家々の立ち並ぶ道から、少し山沿いへと入り込んだその道の先。
 少し古い黒塗りの板塀の続く先に、この村だけではなく、この界隈では有名な家が、正確には道場と住居を1本の廊下で結んだ建物が存在する。
 質実剛健という言葉はこの家の為に存在するのだろうか? 初めてこの家を訪れた人はそんな感想を、誰一人間違いなく持つ、そんな堅固な印象の家だった。


 家の当主、その道場の師範はロロノア・ゾロという。かつては海賊狩りとして海賊達にその異名を恐怖と共に噂されていた人物。ひょんなことから、その稼ぎの種であるはずの海賊になってしまい、剣士としての特性はその長い航海の間に充分に生かし、その海賊団の副船長的ポストに存在し、やがては大剣豪と呼ばれる世界一の剣豪の名をその手の中へと収めた男だった。
 そしてそんな世界中に怖いものなど存在しないかと思われる彼が唯一畏怖する人物。それが彼の奥方だった。
 元の名をモンキー・D・ルフィという。
 ゾロがいたその海賊団のキャプテン。やがては世界最高の至宝「ワン・ピース」をその手中に収め、海賊王としてその名を天下へと知らしめた彼が、何故に今彼の船の剣士の『奥方』となり、この地での道場の「奥様」として存在しているのか、その辺りのみの話を進めるわけにもいかない(笑)が、とりあえずは二人は幸せに、そんな称号を持っている人物とは傍目にも分からないほど普通な生活を送っていた。
 二人の間には、二人に良く似た可愛い一男一女がいた。
 妹は外見が母親に良く似ていて可愛らしい、周りの人々にも無条件に受け入れられるような、人々の視線を集めてしまうようなそんな不思議な魅力を持ち、しかし父親譲りのどちらかというと生真面目なその性格が災いしてか、幸いしてか、周囲からはしっかりモノのお嬢さんという称号を、小さな頃から頂いていたりしていたものだった。
 兄のほうは父親の外見を寄りよく受け継ぎ、しかし性格はどちらかというと海賊王となった母親に良く似た、よく言えば大胆不敵な、悪く言えば破天荒な性格で、昔から父親を悩ませ続けた。母親といえば、自分の性格に自覚があるのか、長男が何か問題を起こしたとしても「へーきだ!」と何事もなかった様に笑い飛ばしていて、専ら彼への小言は父親が担当していた。道場へと呼び出され、目の前に座るようにと言いつけられる、それは彼にとって小言の始まるファンファーレのようなものだった。


 そんな彼だが、実は小さな頃から疑問に思っていたことがある。
 何故自分の母親は、あんなに…確かに「大剣豪」という称号を持つことは伊達ではなく気が遠くなるくらいに強いが、どちらかというと寡黙すぎる男なんかと結婚したんだろう。子供である自分から見ても、恐らく母親は小さな家庭にと納まるような器ではないし、成長をしてからは…『海賊王』という途轍もなくでかい称号を持っていることに気付いてからは、その気持ちは一層強くなっていった。
 どうして? いかに父が大剣豪だとしても、ならば母は『海賊王』なんだろう? 何でこんな村で、有名ではあるが一道場の奥様、という地位で満足しているんだろう?
 そんな疑問をぶつけると、母親はいつも真っ赤になってテレまくって、真相を自分達兄妹へと話してくれたことはなかったのだが。
 だからこそ、彼の疑問は燻り続け、やがては父親への反抗的な態度へと変化していった。自然、道場へと呼び出され、注意を受ける回数は増えていったのだが、それが余計に彼の父親へ対するライバル意識が育つ礎となっていった。

―――― そして、彼らが駆け巡ったというその世界の海への憧れというものが、彼の内で確かに息づいてきていたのだった。



「…何で降りれないのに、こんな高い木の上へ登りたがるんだ?」
いくつの時だっただろうか?
 ある日、母親が自分を抱き締めながら、そんな疑問を口にした。家の裏山にあるその背の高い木へ、するすると登っていって余りの高さにすくんでしまい、心配げに下から見ていた妹が慌てて母親を呼びに行った。助けに来たはずの母親の暖かな、安心するその温もりの中、その柔らかな頬に気持ちよさそうに擦り寄った。
「なあ?何でだ?」
「だって」
「?」
未だに心配そうに妹は木の上の、母親と兄が下りてくるのをじっと見つめている。
「登れば、あの山の向こうにあるって母さんが言ってた、『海』って奴が見えるかと思って」
初めて口にした海への憧れだった。そして、彼はその時の母親の笑顔を一生忘れない。あの嬉しそうな、懐かしそうな、まるで弾けるような笑顔。父親は結婚することで、この、海の中で笑っていた海賊王を陸の上へと繋ぎとめた。
 じゃあ、自分は? 自分は何をしたくて海へとこんなに憧れるんだろう?



        ***

 いつもと同じような、しかしどこか違う空気を含んだ空の高い日。
 何日か前は、はっきりいって家の中は怒涛の嵐の中にあった。妹が、彼氏を両親に紹介しようと家へと招待したからだ。
 自分達は仲のいい兄妹であったから、妹がある特定の人物と付き合い始めていたのは知ってはいたし、本人に会った時も「さすがはオレの妹が選んだ男だ」と感心さえしたものだった。物静かだが、中に秘めるものは強い自分の妹。きっとあの男なら彼女のそんな性格も柔らかく包んでくれるに違いない。自分が初めて彼に出会ったときに、持った印象はそんなものだった。
 その妹を、たとえ言葉にはしていなくても、眼の中にいくら入れても痛くないとしているようなあの父親が、態度を硬化させるだろうことは、自分じゃなくても想像出来ること。
 しかし、例え今父親の態度があんな状態でも、自分も先へと進まなくてはいけない。妹はもうオレがいなくてもきっとあいつが守ってくれる。
 今がその時だと前から決めていた。
 自分は自分の足を使って歩き出すんだ。


「親父?」
この時間なら、母親といつものように茶を嗜んでいるはずだった。綺麗に手入れをされたその雪見障子を開けると、いつもの場所で庭を向いて座っている二人の姿があった。少し鴨居を避けるために首を傾げて、中へと入るといつまでも同じ笑顔の母親が自分達の横へと座るようにと促した。
「どしたんだ?そんな改まった顔して?」
「うん、…なあ、親父、話があるんだけど?」
「何だ?」
父親の物静かなその言葉は、自分が小さい頃からやはり変わらない。
「オレ、道場は継がない」
二人は一瞬、息を呑んだように見えた。静かな時間が流れ出す。誰も、何も口にしない。呼吸の音さえ、まるで潜めてしまったかのようだった。
「何でだ?」
我慢できなくなり、口火を切ったのは母親の方だった。
「夢があるから」
「ゆめ?」
自分を見た母親の顔が、まるで煌いたように見えたのは気のせいではなかったのかもしれない。
「だから、道場は継げない」
「継がないで、何をやりたいというんだ?」
静かに父親が尋ねる。そういえば父親には叱られた記憶と稽古をつけてもらった記憶しかない。昔から稽古中に不意に見せるあの眼を、ふと思い出した。普段は、本当に生きているのか、と思うほど物静かな彼だが、ふとした瞬間に見せるあの表情にだけは、力強いものを感じた。何もかもを見下ろしたようなあの眼は、さすがに世界中の剣士の頂点を極めた男なんだと改めて認識する。
 きっと偉大すぎる自分の両親。そう、海へと出たいと思うのは、彼らが生きてきたその海域へと行きたいと願うのは。 ―――― そんな二人へときっと近づきたいが為。
 彼は小さく、気付かれないように深呼吸をした。
「オレは海に出る」
「何?」
「オレは海に出る、そしてグランドラインへ行くんだ」
その言葉を聞いた両親は互いの顔を見合わせた。その複雑な表情の中には、何がよぎったのか、彼には想像することも出来ない。彼らがそう呼ばれている海域で、今の称号を手に入れたのは知っている。しかし、いやだからこそ、そんな要素を全て取り除いたとしても、その「グランドライン」と呼ばれるその海域の名は彼の血を粟立たせるような不思議な感覚を呼び起こしてしまって、もはや何も、彼の足枷になることは出来ない。
「…ゾロ?」
グランドラインの言葉を出した途端、押し黙ってしまった夫の顔を、心配げに覗き込んだ母親に彼は小さく笑った。
「本当は、今日、もう行くつもりだったんだ」
「え?」
「何も言わないで行くつもりだった」
「な、それって家出っていうんだぞ!!」
「うん、でもグランドラインって凄い海域、なんだろ? 死んだら二人にはもう会えないんだな、って思ったから」
自分の言いたいことは全て告げた。
 彼は何もかも吹っ切れたような表情で、立ち上がった。静かにそのまま部屋から退いて、その部屋の中にはパタンという、障子の閉める小さな音だけが残った。
「…ルフィ?」
「何で呆然としてるんだよ」
夫が何も言わないのではなく、子供かわいさのあまり呆然としていた様子に気付き、少し呆れて母は笑った。そして息子の手によって閉められたその障子を振り向いた。
 いつもはどちらかというと自分に似て少しどたばたとした息子のクセに、今日は何だか大人びて見えた。彼の決意の表れなのだろう、その様子に頼もしく背中を見つめてしまった。かつて、良く自分が見ていた、無条件に信頼していたその背中に良く似てきた、と思いながら。
「そーかー、グランドラインかー」
「お前、良くもそう能天気にしてられるな」
「ええ?オレ、絶対に止めないぞ。気持ち分かるからな」
「気持ち?」
「わくわくして、時間がもったいないんだよ。何かが…今行かないと逃がしてしまうような気がして」
気付けの代わりにと、再度お茶を淹れ直すその手が自分の前に湯飲みを置いたのを見て、父は改めてそれを口にした。自分の気持ちが表れてるのか、少しその煎茶が苦く感じられる。その表情を盗み見て、母は苦笑した。
「実際、あの時行かないと、お前とは会えなかったからなー」
「そうかよ」
「そうだ」
自分の言葉に真っ赤になったかつての自分の船の剣士の表情に、母はにしし、と笑った。あの船に乗っている時と全然変わらない同じ笑顔で。
「お母さんっ!お母さんっ!」
いつもはどちらかというと物静かな娘が慌てた様子で、息子と入れ違いで部屋へと飛び込んできた。自分の湯飲みを口元へと運んでいた母は、再度苦笑する。
「どした?」
「お兄ちゃんが!おっきな荷物持って!!」
「どうした?」
何事もなかったかのようなその表情で父親が返すと、娘がじれたように叫んだ。
「家を出てくって! 二人のこと、宜しく頼む、って! 今近くにいた生徒さんたちに無理やりに止めてもらっているけど!」
「…行ったほうが良いと思うけどな? 父親としては、な?」
楽しげに笑いながらそんな事を言い出す妻に、父親は改めて立ち上がった。歩き出した彼の後ろを、妻がこちらは足取りも軽くついていく。玄関先へと近づくにつれ、なるほど大騒ぎになっている様子が聞こえてきた。
「放せって!」
「お兄ちゃん!」
自分達の前を駆け抜けた娘が、慌てて兄の前へと走りこんだ。彼はその様子に開け放たれたその玄関の上がり框に立つ両親の姿を認めた。
「…親父、母さん?」
「おい」
その低い父親の声に、師範の鋭いその声に、その場にいた人間がはっと虚をつかれたかのように、顔を上げる。いつもと変わらずに笑っているのは、彼の隣に立つ奥方のみだった。
「…お前みたいな息子はもう知らん! 出て行け! 海へでもどこなりと行けば良い」
その言葉を口にして、にやり、と父親は笑った。その笑顔に母はにっかりと笑う。
「ああ! 出て行くよ! 大剣豪だからって威張るな! クソ親父! オレは海に出るんだ!」
「ほう? 出来るならやってみろ?」
「出来るなら、って何だよ!?」
「オレ達の息子が海に出る、っていうなら越えてもらわなきゃな?」
「ああ? 何をだよ!?」
そういえば稽古をつけていて感じたこと。その太刀筋が、自分の振るう剣に良く似ている彼だということ。自分にはまだまだの腕だが、あれぐらいなら何とかあそこの海ででも生きていけるだろう。父がその両腕を組んだまま、外見は自分に良く似て特徴あるその緑色の髪を揺らす息子に向かって嘲う。
「―――― そりゃあ、当然だな、オレ達二人を、だ」
「そーだ! やれやれー!!」
その言葉に…囃し立てた母以外の、その場にいた全員が息を呑む。それは「海賊王と大剣豪」、二つの頂点を極めよ、と言っていることではなかろうか。
「望むところだ!!」
「ち、ちょっと待ってよ、お兄ちゃん! お母さんも止めてよ!」
「ん? いいんじゃないのか? オレもこのくらいの年で海に出たぞ!」
「分かってるわよ! そこでお父さんと会ったんでしょ!」
「だから今、海に出るなら、止めないのだ! ―――― なあ、放してやってくれ」
呆気に取られて長男の腕を掴んだままだった生徒達が師範の奥方の言葉に、慌ててその手を放すと長男はにやり、と父親の表情に良く似たその笑いを残し、くるりと踵を返して走り出していった。みるみるうちにその姿は遠くなる。何かを言おうとして、結局声を掛けられなかった娘がくるり、と二人のほうを振り向くと
「知らない! お父さんとお母さんのバカっ!!! だいっ嫌い!!!」
と叫んで走り去ってしまった。生徒達は気を遣って暇の声も簡単に、さっさと道場へと戻ってしまった。その中でいくらかの間、呆然と立ち尽くしていたらしい。
「…バカ?」
自分を指差しながら、隣に立つ妻へと思わず尋ねてしまう。
「だいっきらい、だってさ」
娘の恋人との交際をあまり快く思わずに、彼女を傷つける態度をしてしまった時でさえ、そんな言葉を娘に投げ付けられたりしなかった父親のショックは相当のもので、思わず隣にいた妻の肩へと縋り付いた。




「もう港へと着いた頃、かな」
その一騒動から何日か経過した頃、不意に自分の前に座っていた妻がそんな事を言い出した。お茶請けに、と準備していたお煎餅をぱり、と齧るがどこか気分は他へ行っているのがその表情からも良く伺えて、夫は手にしていた筆をぱたりと置く。
「そうだな」
「体を壊したりしてなきゃ、いいけどな…」
「母親な表情だぞ?それ」
「母親、だからな!」
威張って胸を張るその様子に夫は堪らず笑い出す。妻だけは、海にいるときも陸に上がってからも、そして何年を経過しようとも変わらない。そのまま変わらずにいてほしい。そんな言葉は飲み込んだ。
「で、さっきから何を書いているんだ?」
丁寧な塗りの文箱は、珍しく紐解かれていて、独特の背筋がしゃんと伸びるような、そんな墨の匂いがする。
「手紙」
「手紙?」
「グランドラインの中のバラティエUへ、な?」
「あ! サンジとナミの所か!」
「紹介状って訳でもないけど。グランドラインへ入るとすれば、避けては通れない場所だろう?」
「そだな」
「まあ、アイツを見ればオレ達の子供だ、ってのは一目で分かるだろうな」
「そうそう、障子を閉めたあいつの背中、すっげーゾロに似ていたぞ」
立ち上がって大好きな広い夫の背中へと妻は抱きついた。
「何だか久しぶりに会ったばかりの頃のゾロを見た、って気がした」
「…オレの方がかっこいいだろうが」
「自意識過剰、だな、相変わらず」
呆れたように背中で呟く声に、夫はくくく、と笑った。その様子にきっと背後でむうとした妻の表情まで見えるようだった。 
「―――― あいつだって負けないぞ? ゾロは勿論かっこいいけどな!」
肩に回された妻の腕に、添えるように夫は自分の掌を置いた。
「良い仲間、見つけられるといいなあ…」
「大丈夫だろ、アイツはお前に似ているからな、きっと良い仲間を見つけるさ」
「…そうだな」


 やがて、世界中で持ちきりになる噂の主がいた。
 カリスマ的な魅力を持ったその人物は、とびっきりの明るい笑顔を持ち、緑色の髪を持ち、鋭い切っ先の剣を振るう。
 謎に包まれた彼の出生の秘密が、実はその前時代に色々と逸話を残しまくっていた「海賊王と大剣豪」の縁りのものであるということは、一部の者達が知っていただけだった。
 世界は新たに誕生した英雄の数々の逸話に歓喜することになる。


   〜Fine〜


 「新海賊王誕生物語」(←おいおい)

 …実は物凄く楽しかったりしました(笑)
 Morlin.さまの後を、というのは、本当に「どーしよー、こりゃ、逃げるしかないかもなー」
などというプレッシャー状態にまで落ちていましたが(笑)、実際書き始めると妄想爆発。
 きっと彼は良い仲間を見つけることでしょう!
 そしてかっこいい恋人を! (既に男性って決め付けているのか!?SAMI)
 面白い機会を与えてくださったMorlin.さまへありったけの感謝を捧げます。
 そして「波の随に」の掲示板で、期待してくださった沢山の方へ
心からお詫び申し上げます、ごめんなさい〜!!!


  *きゃ〜〜っ! かっ、かっこいい!!
   なんて男前で、腕白そうな子なんでしょうか。
   海へ出るんだという発想からして、私には想いも寄らなかったものだけに、
   やっぱりSAMI様だなぁと、感動してしまいました。
   お忙しいにもかかわらず、我儘にお付き合いくださって、
   本当にありがとうございました。
   もうもう、どんな天罰が当たっても文句言いません。
   (という声が天に届いたか、いきなり風邪ひいてる奴ですが…。)


SAMI様のサイト『Erde.』へ⇒**


戻る