ロロノア家の人々
     
お父さんのお誕生日 A  “Tea time”より


 
          



「お父さんはやっぱ、お酒が一番好きだろう。」
 日々の日課である剣の習練が終わって、お友達の衣音くんと二人、広っぱに飛び出して行こうとするのを何とか引き留めて。裏庭でこっそりと訊いてみた兄上は、父にそっくりな…と大人たちは言うものの、本人と妹の二人にはそうは見えてないらしいお顔を鹿爪らしい表情に構えると、そんな風に助言をくれた。
「お酒?」
「うん。お家で飲むだけじゃあ足りないからって、時々サミさんのとこでも飲んでるだろ? 俺やお母さんやお前だったら、お外でしか食べらんないものだけどもサ。お父さんはいつもお酒だけを注文するじゃん。」
 サミさんというのはご近所の居酒屋さんの若い女将さんのことで、お店のお名前は『えるど』というのでお間違えのないように。お酒の量り売りや大町への大量発注なども請け負ってくれるお店で、女将さんの作るお総菜や付き出しも滅法美味しい。そこで時たま、お食事にとご家族で遊びにも行くらしく、
「ご飯のおかずでは特にどれが好きってないみたいだしサ。果物だってどれでも食べてるし。」
「でも、こんにゃくは嫌いよ? あと甘いお菓子とか。」
「だから。今は好きなもんを話してんだろ?」
 あはは…子供たちにも知られてんのね。
(笑) 母上がまとめて一気に一週間分ずつ割っている薪の束が高低様々な高さに積み上げられたところへと、それぞれに腰掛けての子供たちの真面目な会議。晩秋の午後の金色の光が、幼いお子たちの髪や頬を淡く照らしていて、傍から見ている分には何とも可愛らしいが、
「お酒ってそんなに色んなのがあるの?」
 今回の話題は少々大人向けである。
(笑) お家で見るのは、大きな徳利に入ってたり、お燗をつける"銅鼓どうこ"、冷酒用の"ちろり"に入ってたりする透明なお酒。温めると何だか独特な匂いがする、お薬みたいな辛いお水。みおちゃんはそれしか知らなかったが、
「うん。色んなのがあるよ。」
 そうと応じてくれたのは、みおちゃんと同じ真っ黒な髪をした男の子。お兄ちゃんの大親友の衣音くんだ。
「外国の方のとかだと、麦から作る茶色のもあるし、葡萄から作る赤いのもある。ジュースみたいに青いのや水色のもあるそうだし、ビールはサイダーみたいに泡が立つお酒だろ?」
「あ、そっか。」
 夏にだけ、お父さんが飲んでたのを思い出す。
「それに、師範とかウチのお父さんが好きな和酒にしても、物凄く高い高級なのから安いのまで、色んなのがあるんだって。」

  筆者註・別に"日本酒"という呼び方でも構うまいとは思うのですが、
      原作では日本刀も単に"刀"という呼び分けをしてますし。
      そこでここは"和酒"という表現を選ばせていただきました。

 親友の博識ぶりに、妹以上にぽかんとしたのが兄上で、
「…詳しいのな、お前。」
 学校でも道場でも、それこそ陽が昇ってから暮れるまでの一日中、ほとんど一緒に居るのに、何でまたこの幼なじみはこういうことに詳しいのだろうかと、心底驚いたのらしいが、
「父さんにってお中元とかお歳暮で沢山届くからな。和酒とワイン以外は人にあげちゃうけど。」
 衣音くんはけろりと応じた。彼のお家はというと、武道関係の装具や道具、道着などを作ったり仕入れたりしているお店屋さんで。お父さんは居職…主にお家で作業する職人さんだが、その傍らにはお商売の取引もしているし、何と言ってもあの"大剣豪"に一番間近いお道具屋さん。そんなせいか、大町の大きな問屋さんだとか武道関係の協会関係者などなどが節季のご挨拶を欠かさないのだそうだ。
「お前んチにだって、それこそ"付け届け"っていうのが沢山届いてる筈だぞ?」
「?? 何だ? それ。」
「良くは知らないけどさ。名前やお顔を覚えてて下さいねって印象づけるのに、これを贈った人ですよって形で美味しいものとか何とかプレゼントすることなんだって。ウチの職人さんが言ってた。」
 ………成程、そういうことに通じてる大人が近くに居るんだね。お兄ちゃんたちのお話の間に割り込んで、
「お酒の高いのって?」
 みおちゃんが訊くと、衣音くんはやさしい仕草で小首を傾げた。
「さあ、よくは知らない。でも、たった1本をわざわざ桐の箱に入れて"どうぞ"なんて贈り物にするくらいのもあるみたいだよ?」
「それって凄いことなんか?」
 そうと訊いたのはお兄ちゃんの方で、
「うん。だってさ、まるで物凄く高いお茶椀とか有名な人の描いた巻物とかみたいじゃないか。」
 出された例えがまた良く分からなかったらしくて、
「う〜ん………?」
 坊やが本気で困ったような顔になる。同い年でありながら、しかも同じように剣術を習い、陽が暮れるまで一緒に遊んでいながらのこの差である。それがどういう意味なのかがこの年齢で既に分かる衣音くんって一体。
(笑)
「お前、ホンっトに何でも知ってんだな。」
「まあな。先々頼りにしてくれよ♪」
 優しく目許を細めて笑っているが、こらこら、そんなことを気安く言ってたりするから、先でホントにすっかり頼り
あてにされるんだってばさ。(笑) それはともかく、
「そっか。」
 お話は何とか分かった。
「高いお酒ってやっぱりそれだけ美味しいのよね?」
「そりゃあそうだろな。」
 お兄ちゃんたちが頷くのへ、
「…そうだっと。」
 不意に、何にか気がついたらしい妹御はひょこんと薪の上から飛び降りて。
「どした?」
「うん。決まったの。」
 にっこりと、お母さんによく似た可愛らしいお顔をほころばせて見せる。なかなか自信がありそうな様子だが、とはいえ…此処までのお話の中からいきなり解決策とやらが飛び出したのは、あくまでも彼女の胸中へ、だものだから、
「何がだ?」
 ついてけなかったお兄ちゃんが納得の行かない様子でいると、お嬢ちゃんは"うふふvv"とますます嬉しそうに笑った。
「あのね、お兄ちゃん"はじかみユリ"って知ってる?」
「???」
「あ、西の崖に夏に咲いてるユリだろ?」
「そうvv あれって、キュウコンが凄く美味しいってツタさんが言ってたでしょ?」
「…そうだっけ?」
 これに関しては門外漢なのか、衣音くんも知らなかったらしくて。視線を向けられても"ふりふり"と首を横に振って見せるばかり。そんな二人へ、
「ユリネっていって、ほくほくして美味しいんだって。はじかみユリのは大きいし甘いしで、とっても美味しいんだけれど、高いとこにあるからなかなか手に入らなくて、お値段も高いんですよねって。」
 それはそれは嬉しそうに説明する彼女なものだから、
「………おいおい、まさか。」
 日頃からお元気一杯なやんちゃ坊主として名を馳せているお兄ちゃんたちでさえ、お嬢ちゃんの思いつきの雲行きの怪しさには、その幼いお顔を危なっかしそうに曇らせて見せたのだった。


            ◇


 その"はじかみユリ"のユリネを取って来て、居酒屋さんのサミさんか仕出し屋さんのちかちゃんトコのおばさんに買ってもらおうと思いついたらしく。崖の上からロープを使って降りてこうと構えたらしいのだが、足掛かりを無くして滑り落ち、腰に回していたロープだけで支えられる格好で、ぶら下がってしまったお嬢ちゃんであったらしい。
「ばかっ!」
 これにはルフィも笑ってはいられない。鋭い声で叱咤して、
「大人でも難しいことなんだぞっ! こんな小さい子供に簡単に出来る筈がないだろうがっ!」
 子供たちには優しい母が、これまでにないくらいキツい声で恫喝した。
「サミさんが通りかかったから気づいてもらえたけど、その前にロープが切れてたらどうしたんだっ! 大怪我くらいじゃ済まないんだぞっ?!」
 泥だらけになったジャンパーの、細っこい両の腕を掴み取ると、幼いお顔を見据えつつ、その真ん前へと屈み込む。
「いいか? ゾロだってきっと同んなじことを言うぞ。いや、もっと怒るかもしれない。そんなことで大事な みおが大怪我したら、母ちゃんだってゾロだって、凄っごく凄っごく悲しいんだぞ?」
「ふみぃ………。」
 もう既に"ひっく・うっく…"と泣きじゃくっているところへのお叱りに、俯いたお嬢ちゃんのしゃくり上げる声が大きくなった。
「ご、ごめなさい…。」
 次から次へと沸き立つ涙にうぐうぐと声を詰まらせて、高い高い崖から宙吊りになって怖かったうちは、けれど泣かなかったお嬢ちゃんがぽろぽろと泣きじゃくるものだから、
「お母さん…。」
 傍で控えていたお兄ちゃんも、衣音くんまでもが、くすんと鼻を鳴らし始めて、
「ごめんなさいっ。…俺も、ダメって止めれば良かった。危ないよって、衣音が言ったのに、俺も一緒に行くって………っ。」
 お兄ちゃんの自分がいれば大丈夫だろうと、根拠のない安請け合いをしてしまったからと、大反省して泣き始めれば、
「俺もごめんなさい。もっと一杯"ダメ"って言えば良かった。二人で見張ってたら大丈夫って思って…っ。」
 衣音くんまで"ごめんなさい"と頭を下げる始末。そうなると、
「ううう………。」
 元来、叱るのが苦手なルフィとしては、どこまで怒ればいいのかと、彼までもが困ったような顔になる。そんな彼らを傍らで見ていたサミさんが、
「もう二度と、こんなことしない?」
 見かねたように、静かな口を挟んで来た。
「こんな危ないことをして。お母さん、きっと、心臓が縮むかと思ったよ?」
 ねぇと見やった先で、ルフィも"うんうん"と何度も首を縦に振った。
「凄いことが出来るのばかりが"良い子"じゃあない。お父さんやお母さんはね、ほんのちょっとしたことが嬉しかったりもするんだよ? お父さんのためって思ってやったことなら、いつもやってるのと同じことでもね、お父さん、凄く嬉しい筈だ。」
 ましてや、あれほど"みおちゃん命"なお父さんならねと、まま、これは此処では言わないが。
(笑)
「怖い想いもしたろうしね。この崖に限ったことでなく、落ちたら危ない高いところとか、流れの速い川だとか、会わずの林みたいな暗いところ。いつも大人が危ないよって言う場所には近づいちゃいけないし、遠いところに出掛ける時は、ちゃんと行き先を大人に言っておくこと。この二つをお姉さんと約束してくれたら、はじかみユリに負けないくらいの値打ちがあるプレゼントをお父さんに用意してあげるよ?」
 サミさんはそう言うと、涙でぐしょぐしょになった みおちゃんの柔らかな頬を、そっとそっと撫でてやったのだった。










           




 さて、その日は丁度お父さんのお誕生日の前の日で。いつもと同じ"普通の平日"だったにもかかわらず、奥方や子供たちがなかなか帰って来なくって。
「ツタさん、何か聞いているか?」
「いいえ。どうなさったんでしょうね。」
 奥方はいつの間にか姿が見えなくなっていたので、これも行方が判らない。子供たちが遊んでいる広場や神社の境内にも、村のあちこち、お友達のお家にも、門弟さんたちが手分けして回ってくれたが姿もない。今日は一緒に遊んでないよと、お友達の皆さんもそんな風に言うものだから、これはますます奇妙なこと。
「衣音くんも、まだ帰っていないそうなんですよ。」
「そうか…。」
 坊やの大の仲良しで、しっかり者の男の子。変な言いようだが、彼が一緒ならそんなに無茶はしなかろうと、そんな気がする師範でもあって。
「ルフィがいなくなったのも、あの子たちの稽古が終わってからなんだな?」
「はい。それより前には、お勝手の方でお手伝い下さってましたから。」
 となると。そうと決まった訳ではないが、ルフィが一緒であるのなら…大人で力もある彼なのだから、そうそう案じることもないと、自分で自分に言い聞かせていたものの、
"………。"
 まさか裏山や会わずの林に迷い込んで、助けを待っているのではなかろうか。ルフィは自分ほどには方向音痴でないけれど、思わぬ行動を取るところが丸きり改善されていない節があるからなあ…と、そんな具合に心配がムクムクと沸き起こった来かけた、そんな頃合いに、
「ただいま〜。」
「今、帰ったよ〜。」
 お呑気な声が玄関から響いて来た。慌てて家人の殆どがそちらへ向かえば、それぞれに頬を真っ赤に染めた3人が、三和土
たたきの土間から玄関の框へと上がって来たところ。陽が落ちて外気も一段と冷えて来たせいだろう。
「どこに行ってたんだ、こんな遅くまで。」
「あ、ごめんごめん。衣音くんを送ってったもんだから、遅くなっちゃって。」
 悪びれもせず、そ〜れはあっけらかんと母上が応じ、
「お説教は後でちゃんと聞きます。だからその前に、子供たち、お風呂に入れてやってくんないかな。」
 やっと帰って来たという安堵の感慨から目が眩んだか、よくよく見やってはいなかった子供たちのお顔や姿だったが、言われて見れば…何だか泥だらけの砂まみれだ。
「この寒いのに泥んこ遊びか?」
「だから、説明もお説教もあとあと。お願いだから………っくしゅっ!」
 言いながら、鼻がくすぐったかったかくしゃみをした奥方の様子に、
「さようでございますね、先にお風呂で温まった方が良いでしょう。」
 ツタさんも気を回し、お手伝いさんに目配せを一つ。一応沸かしてはあるので、着替えやら何やらの支度に向かってもらったのだ。
「さあさ、お風呂に入ったら晩ご飯ですよ? 今夜は猪汁に、頂き物のさつま揚げを甘辛に煮ましたからね。」
「わあっvv」
「お父さん、お風呂、早くっ!」
「…お前たち。」
 言いたいことは山ほどあったが、こうして無事に戻って来たのだし…と、ホッとしたそのまま押し切られ、已なくお子たちに手を引かれて風呂へと向かう師範殿である。




 翌日の朝早く。サミさんから届いたのは、それは沢山の美味しそうなお料理が一杯。まだ全部出来上がってはいない、もう一手間ほど温めたり蒸したりが残っていそうな段階のものが多くて、
「このひろうすと茶椀蒸し、それからこっちの吹き寄せと卵とじにはね、奥さんとみおちゃん、坊やと衣音くんとで協力して採った"はじかみユリ"の百合根がたっぷり入ってるんですよvv」
「あらあら。」
 一株が同じ重さの銀ほどもするという、それは高価で美味しい百合根。まずは都会の料亭や好事家に届けられるため、こんな田舎では口にすることなど不可能なほど珍しいものだ。
「それと、こっちはいつもの大吟醸の特級誂え。先月タチバナの町のオークションで競り落とした逸品なんだ。これも奥さんとお子たちからのご注文だからね。確かにお届けしましたよ?」
「まあまあまあ。」
 それはまた素晴らしいものをとビックリしているツタさんの背中を、戸口の陰からちらりと見やって、
「…ったく。」
 早起きな師範殿は道場の方へと向かいつつ、どう咬み殺しても浮かんでくる苦笑への対処に困っていた。

   『遅くなってごめんなさい。』

 風呂から上がってご飯を食べて、さてと。昨夜の遅く、門限破りの理由を師範殿が問いただすと、
『子供たちはクタクタだから、今夜はもう寝かせてやって。』
とばかり、手を合わせて"お願いのポーズ"をしたルフィは、大人だけになった居間で、旦那様とツタさんを前に、今日の午後のとんでもない騒動の一部始終を話してくれた。
『俺もサ、反省しちゃった。目の前で俺がいろいろと突拍子もないことをひょいひょいってやってるのってサ、あの子たちには"誰にでも出来ること"って感覚になってしまうのかもしれない。』
 それがために、今回のような途轍もないことを自分でやってみようだなんて、しかも…坊やの方ではなく、あの大人しげなお嬢ちゃんが思い立ってしまったのかも。そうと感じて肩を落とした奥方は、
『そいでさ。俺が崖に飛びついてその百合根っての掘り出して、籠に一杯くらい採ってサミさんトコに持ってって、あれこれお料理に使ってもらうことにしたんだ。明日の朝に届けてくれるって。それと、今お店にある一番高いお酒をそれで売ってもらった。』
 もう二度と危ないことをしないという約束との交換条件。普通に叱って"もうしません"と約束させても良かったが、ただの悪戯とは毛色が違うこと。みおちゃんだって、大好きなお父さんのためだと思えばこそ、あんな恐ろしい崖に取りつこうだなんてことを思いついたのだろうし。
"ルフィといい、みおといい。"
 どうやらあの手のお顔は、愛らしさに似合わない突拍子もないことをしでかす相であるらしいなと、師範殿は大きな肩を落としながらの溜息を一つつきつつ、改めてそうと思い知ったご様子である。



   "ま、可愛いから、いっか。"


   ………おいおいおいおい、おいっ。お父さんっっ!





   〜Fine〜  02.11.14.〜02.11.15.


   *久世様に言われるまでコロッと忘れておりました。
    そうよね、このシリーズがあったんだった。
    お父さんが大好きな みおちゃんが、頑張らないでどうしますか。
    というわけで、もう当日は過ぎちゃいましたが、
    こちらのお話もこのコーナーに追加です。


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