ロロノア家の人々
  
 
“春まだ浅き…”
 


 実りの秋の豊かだったことを 土地におわすという神様に感謝し、山野辺の小さな村もいよいよの冬を迎えて、何とはなしに…息をひそめるように身を縮めるように、静かな趣きに包まれていたのだが。節気の中でも最もくっきりはっきりとした節目、年の初めを迎えるにあたっては。その迎春の準備に、誰もが童心に返ってか、わくわくと沸き立つ気持ちを押さえ切れないでいる様子だった。
『これから冬なのに、何で"迎春"なんだ?』
 漢字ではこう書くのよと 中学生になったばかりのお嬢ちゃんから教わったお母様。この寒いのに"春を迎える"とはまた気の早いこと。何かの間違いじゃないのかとご亭主に訊けば、
『今は太陽の巡りが基準になってる暦だが、昔の暦は月の動きで計算されててな。それでそっちの暦だと年の始まりが、今の2月の中頃だったんだそうだ。』
 厳寒期の真っ只中ではあるけれど、そこまで過ごせば春もすぐそこだ。そんな風に、年の初めは春の初めでもあったその名残りから、新しい年を迎えるって事を"迎春"っていうんだよと。それは落ち着いた声音でもって、きちんと説明してくれた師範殿へ。普段から武道にしか頭を使っとらんのではなかろうかと、一番に思い込んでた奥方は、
おいおい
『ほえぇ〜〜〜っ、ゾロ凄げぇ。』
 すっかり感心した声を出して見せたものだった。………実を言えば、師範殿もつい最近まで"何でだろうな"と不思議に思っていたらしく。何かの折に、隣村に住まう大師範にこっそりと聞いておいたらしいのが"コトの真相"なのではあったが、
『お父さん、凄いっvv
 何はなくとも"お父さんフリーク"なお嬢ちゃまが、娘らしい面立ちになりつつあるその頬を、ほのかな薔薇色に染めて尊敬の眼差しを向けたのは、言うまでもないことであった。




 そんなほのぼのとした会話も交わされつつ、大掃除と年末のご挨拶に奔走し。お餅もついて、お赤飯も炊いて、祝いのお重や御馳走も作って…と、バタバタと迎春の準備も整って。道場にも純白のしめ繩や真新しい樒
しきみ、お神酒に塩にお供え物などなどが神棚へと捧げられ、母屋の方でもお鏡餅やら松のお飾り。玄関と客間と居間には、赤い葉の南天や赤い実の千両、純白の菊に緑の松の小枝を配した新しい生け花。やれやれと息をついてる暇もなく、年が明けたら氏神様へ新年のご挨拶。新しいのを頂いて来た 火除け厄除けといった魔除けのお札があちこちに掲げられ、若主人が初水を汲み、それから大師範のお屋敷やご近所にご挨拶にと回って、今年もどうぞよろしくと、笑顔を確かめ合ってのち。子供たちにはお年玉と羽根突きや凧揚げといった新春の遊戯。大人たちは飲めや唄えやと新しい年が来たことを皆でお祝いして、それはそれは賑やかに盛り上がり………数日が過ぎた。


  「…おはよー。」

 まだ瞼が半分ほども上がっていないままに、それでも起き出して来た奥方へ、お勝手で朝の御膳のお魚と お御々つけにと取り掛かっていたツタさんとお手伝いさんが、揃って"あらあら"と微笑ましげなお顔を見せる。
「おはようございます、奥様。」
「おはようございます。今朝はまたお早いですね。」
 とはいえ、もう既
とうに松も取れて、暦の上では"寒の入り"に入っていたし、道場の方では近々…少しだけ山間に入って沢の水に膝まで浸かっての"寒稽古"を予定しているため、早く体を引き締めておきましょうと思ってだろう、昨日一昨日辺りから、門弟さんたちや通いの生徒さんたちも頑張って稽古に励んでいる。そんなこんなで村で一番早くお正月気分が抜けたお屋敷でもあるのだが…どうやら奥方だけは別だったらしい。
「うにぃ〜〜〜。」
 まだ眠たいけど、ゾロは早々とお布団からいなくなってたし、坊やのそれだろう"とたとた…"という忙しい足音がお廊下に引っ切りなしに駆け回るのが煩くて、それでつい。意に反して起きてしまった奥方であったらしい。
「みおは、まだ寝てるの?」
「いえ。カルタ取り大会が明後日になりましたでしょう? ちかちゃんや よしこちゃん、ちよちゃんと練習するからって仰有って、随分早くにお出掛けになられましたよ?」
 皆さん、本当にちゃきちゃきとよく動く人の揃ったお家であることよ。
「もうすぐ御膳に致しますからね。お顔を洗って来て下さいませな。」
「はぁ〜い。」
 家族が皆して居なくなってたものだから、お勝手の温もりに触れに来ただけであるらしく、厚手のネルのパジャマの上へ綿入れを羽織った姿の若奥様、とたとたと 寝間のある母屋の奥へと後戻り。茶の間に置かれた火鉢の上、鉄瓶に沸いているだろうお湯を使うためだ。何だか年々寒がりになられてませんか、そうみたいね、昔は"雪だ"って言うと もっと薄着で一番に飛び出してらしたのにねと、ツタさんとお手伝いさんとでクスクス微笑ましげに話しつつ、
「あ、そうそう。」
 お顔を洗う洗面器を忘れて行かれたみたいだわと、ツタさんがホウロウ引きのを手に土間から上がる。縁側廊下はすっかりと雨戸も開けられており、随分と遅くなった陽の出もさすがにもう顔を出していて、透き通った朝一番の光が斜めに差し込み始めている。そんな中を とたとた…と進んでいて、


  ――― がたんっ


 という、ちょっと乱暴な音がした。またぞろお元気な長男坊が乱暴に障子を開け立てしたのだなと、背後のお廊下を苦笑混じりに振り返ったツタさんだったが、

  「…? どうなさいました? お嬢様。」

 障子を杖にするかのように、片手で掴みしめているのは。長くて艶やかな黒髪を、今は背中までさらりと降ろして、いかにもお嬢さんらしき様子でいた みおちゃんの方だ。お行儀もいいしっかり者で、元気ではあるけれど、その立ち居振るまいには…このところ娘さんらしい品のよさが見え隠れして来たと評判の、そんな彼女が何でまたと、怪訝そうに声を掛けたツタさんへ、
「…あ。」
 何か言いかけたそのままに。障子の升目になった桟に、上から順にガタガタと指を滑り落とすようにしてなぞらせて。へたへた…と一気に力が萎えたいう雰囲気で、その場に座り込んでしまった彼女であり、
「お嬢様?」
「…お母さん、呼んで。」
 どこか…頬を真っ赤にしたままのお顔を上げると、今にも泣き出しそうな声にて、そんな風に言い出した。
「お母さん。お母さんじゃないとダメなの。お母さんを呼んで。」
 言ってる端から…こらえられなかった涙がとうとう、なめらかな頬へ つうと零れたものだから、
「あ、えと…。」
 騒ぎを聞きつけて駆けつけた若い方のお手伝いさんは、一体何があったのやらと、この家の宝物であるお姫様の取り乱しように焦ったようなお顔をしたが、
「…分かりました。」
 さすがはツタさんで、こちらは落ち着いたもの。コートを羽織ったまま、長いフレアスカートをお花のように広げて、お廊下に座り込んでしまったお嬢ちゃんの傍らへと寄ると、細い肩をそぉっと抱えて、何事か耳打ちしながら立ち上がらせて。
「急いで奥様を呼んで来てくださいな。」
「あ、はいっ。」
 お手伝いさんへとそう言って、自分は みおちゃんを連れて子供部屋へと、ゆっくり向かったのであった。







            ◇



 昨夜まであれほど元気でいたお嬢ちゃんが、目許を真っ赤に潤ませて、大急ぎで敷き直された布団へと横になっていたものだから。静かにされど速やかに呼ばれたルフィは、一遍に眠気を吹っ飛ばしてしまったほど。
「ど…っっ!」
 これは一体どうしたことかと、我を忘れて叫びそうになったところを、ツタさんとお手伝いさん、二人がかりで押さえ込まれ、

  「…お静かに。」
  「はい…。」

 この家での女性陣は基本的に"無敵"である。
(笑) …冗談はともかく。一体何事なのかと、無言のままに上目遣いでツタさんのお顔を窺えば、

  「お嬢ちゃま、大人になられたのですよ。」
  「…おとな?」

 はっきり言って、ルフィもゾロと大差無いほどに朴念仁である。微妙なことへの物分かりの悪さ、察しの悪さは天下一品。ただ、この場にいるのが女性ばかりであることと、みおちゃんが"お母さん"だから自分を呼んだと聞かされて、

  「…あ、ああ。」

 何とか…気づくことが出来た。
"そういや、こないだ その話をしたんだっけ。"
 ツタさんたちを除いたならば、この家には みおちゃん一人しか女の子はいない。もはやほぼ"住み込み状態"のお手伝いさんたちではあるものの、万が一にも二人ともがいなかったなら、こういう"女の子"ならではな、しかも微妙にセンシティブなことへは誰が対処するのかというと…そこはやっぱりルフィしか居ない訳で。その点を物凄く不安だと感じたツタさんたちは
(笑)、自分たちがどっちもいなかったなら、一番のご近所で一番頼りになる、居酒屋さんの"えるど"の女将さんを頼るんですよと、奥方へ重々言い聞かせておいたのだ。
「大変だったなぁ。」
 特に病気ではないのだと、その時に簡単な説明は受けてもいたが、それでもなかなかピンと来なかったルフィで。子供を育てる心意気では、誰にも負けないほど立派に"お母さん"ではあるけれど、実際の体機能は立派に"男の子"なので…いつまでも無邪気なこの奥方には"即座に理解しろ"という方が無理なのかも。だというのに。壊れ物でも扱うように、枕に乗っかった頭を そろぉっと優しく撫でてくれるルフィには、
「…お母さん。」
 ぐすぐすと泣いていたお嬢ちゃん、やっとのことでホッとしたようなお顔になった。
「怖かったのか?」
「…うん。」
 何だか妙な感触があって、ちかちゃんのお家でお手洗いを借りてそうだと分かって。それで言い訳も しどもどと、慌てて帰って来たお嬢ちゃんだったらしくって。
「学校でちゃんと習ってたんだのにね。」
 他の子がその日だったりすると、ちゃんといたわってあげてもいたのにね。含羞みと興奮と…ちょっぴりの切なさとに頬を赤くして、お母さんのちょっと腕白さんなてで撫でてもらっている みおちゃんであり、
「お腹が痛かったり気分が悪くなったりするっていうからな。今日はそうやってな。」
 優しいお声をかけてもらって、今日ばかりは才気煥発差もすっかりと影をひそめたお嬢ちゃま。大人しげに粛々と、こくりと頷いて見せたのだった。








  ――― そしてそして。



  「…っ! なんだって!」


 ばたばたした余波から随分と遅い目の朝ご飯になったルフィが、お腹空いちゃったとお茶の間に現れたのを捕まえて。どうしてみおちゃんが寝込んでいるのか。そしてそして、何でまた、自分が見舞ってはいけないのかを、大きめのどんぶりに自分で好きなだけご飯をよそっている奥方へ問いただそうと…しかかった旦那様だったのだが。
『大きな声を出さないの。』
 ぺしっと、まずは おしゃもじで口を塞がれ。それから、ぼしぼしぼしぼし…と。後にも先にもルフィがこんなにも気を遣ったことはないだろうというほどの小声で、簡単に事情を説明して。それで飛び出した第一声が、

  「…っ! なんだって!」

 である。愕然としているゾロを尻目に、
「そういう訳だから、今日と…そだな。明後日くらいまでは寝込んだままかもしれないって。」
 でも、病気じゃあないからね、と。安心しなさいと言い置いて、ヤマメの塩焼きとお新香と、出し巻き玉子に大根おろし、ジャガイモとキャベツのおみそ汁という朝ご飯を制覇にかかる。このルフィがご飯よりも優先したことというだけでも相当の一大事。ましてや、愛しくて愛しくて目の中に入れても痛くない…どころか、目の中に隠しておきたいくらいのお嬢ちゃまの身に起きたこと。いたわってやって当たり前で、可哀想にビックリしたろうよなと、ルフィが思ったような感情を抱いたかと思えば…さにあらん。

  「………ゾロ?」

 何だか様子がおかしいなと、居間の広い角卓の斜め隣りの上座に座ったままながら…微妙に項垂れてしまったご亭主へと声をかけると。
「…うん。そうか。」
 何だかお返事も ちとおかしい。
"………はは〜ん。"
 かつかつと軽快にお箸を運んで、一人分とは思えない量のおかずを平らげつつ、ルフィにもやっとのことで察しがいった。
「みおが、大人に、なったのが、寂しいんだろ。」
 直径30センチはあったろう大皿に、それぞれ2段に盛られてあったおかずをすっかりと平らげて。むくんく・もぐもぐ、おみそ汁をごくごく。それで"ふう、御馳走様"とお腹がやっと落ち着いた奥方。火鉢から下ろした鉄瓶からお湯を取ると、お茶を二人分淹れて、一つをご亭主へと差し出しながら、
「そんな風にしょげてたら、却って みおが気にするぞ?」
 一応のクギを刺しておく。それは判っているゾロであるらしく、こくりと頷いたがそれでも…いつもなら頼もしい筈の作務衣の肩が、しょんぼり萎えたままなのが何とも分かりやすい。やれやれと眉を寄せ、
「間違っても"お赤飯を炊かなきゃ"とか言うなよな。」
 これもまた間違われやすいこと、当事者には恥ずかしかったりするのだからと、一応言っておくと、
「……………けるか。」
 何やら小声で呟くお父さんであり、
「…え?」
 聞こえなかったぞとルフィが訊き返すと、
「赤飯なんか炊けるかって言ったんだ。」
 おおう。何だか随分と打ち萎れていらっしゃるご様子。
「…なんか怒ってねぇか? ゾロ。」
「怒ってなんか…。」
 声が途切れる。それから、ややあって。はあぁと大きな溜息をつき、

  「いかんな。」

 何とか…顔を上げて見せるところは、そうそういつも情けないお父様ではないというところか。
「何だかな、がつんと やられた気分になっちまってた。」
 やっとのことで湯呑みへ手を伸ばし、ほどよい温度になったお茶に口をつける。大きな手の中、軽々と持ち上げられた手びねりの大きな湯呑み。伏し目がちになってお茶を味わう旦那様のお顔を、何やらこちらも感慨深げに眺めやり、
「ゾロのそんな顔、前にも見たことあったよな。」
 ルフィがしみじみとした声を出す。
「そか?」
「うん。確か…ほら、みおが"もうお父さんとはお風呂に入らない"って言い出した時とか。」
「………☆」
 そういや ありましたな、そういう話。
(笑) やはり がぁっくりと落ち込んでしまったお父さんではなかったか。
「やなことを思い出させるんじゃない。」
 むむうと口許を曲げたゾロに"うくくvv"と笑って見せて、だが、
「お父さんには何かと試練が多いのな。」
 豪気なお母さん、ちょっとばかり同情のお顔をして見せる。ルフィのように別け隔てのない一緒くたな接し方ではなく、坊やには男らしい子になってほしくて対等に、そしてお嬢ちゃんには…娘らしい子になってほしくてと、ちょこっとおっかなびっくり接しているゾロだと判る。彼なりに頑張っているのに、試練は次々訪れて、そのたびにキリキリ舞いしている"大剣豪"なのが、何とも気の毒というか滑稽というか…。
"頑張らなくっちゃね。"
 まだまだこの後、恋人が出来たり結婚のお話が持ち上がったりと、いくらでも大きな波乱はやって来る。そのたびに、またまた慌てふためいたり眉間のしわを深くする旦那様なのだろうなと、こちらもまた今から見越して、苦笑が絶えないルフィだったりするのである。新春、初春。とんだ"お初"が訪れて、華やかで切なくも甘酸っぱい、そんな嵐をもたらされたロロノアさんチであったのだった。


  「…ところで。」
  「んん?」
  「お前だって男なのに、何でわざわざ"お母さんを"って呼ばれたんだ?」
  「だから、お母さんだからだよ。」
  「???」
  「お風呂の時とはさすがに違うんだろけどサ、俺は"お母さん"だから。」
  「?????」


  ――― 何だか微妙なお話なようで。
       そんな話題をこの人が持ち出そうとはねぇ。
しみじみ





  〜Fine〜  04.1.4.〜1.10.



  *カウンター 64、000hit リクエスト
    エータ様
     『ロロノア家設定で みおちゃんが大人になった日の風景を』


  *実際のお話として、この日ってどうだったでしょうか、
   ご家族の反応とかご本人の感慨とか。
   ウチはなんか あっけらかんとしてたような気もするんですよね。
   それでも一応、ケーキを買ってもらいましたが。
   少女まんがなんかでも
   センシティブな題材として取り上げられてたんですよ、昔はね。
   (『櫻の園』とかね。)
   今は…学習雑誌でも取り上げないかもですよね。

 
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