ロロノア家の人々
     
温泉に行こう!  “Tea time”より


        



 それはまだワタシが神様を信じなかった頃。…じゃなくって。
(笑) それはまだお子たちが赤ちゃんだった頃のこと。


「えっ? 温泉があんの?」
 ルフィがツタさんからここいらの話を少しずつ聞いていたのは知っていた。生まれ故郷だとはいえ、ゾロがこの土地に居たのはずんと幼い頃の話。のんびりした田舎であっても、やはり人が住む土地、何かと様変わりもするため、あちこち勝手が変わっていたりもする。また、あまりに小さかったので覚えていなかったりもして、さほど土地に明るいとは言えない夫より、今現在住んでいる人の言の方をアテにするのは当然のこと。
「はい。もう少し山合いの方へ入った小さな村なんですが、色々な効能があって評判の、結構有名な温泉があるんだそうですよ?」
「こーのー?」
 丸く編まれた円座に座って小首を傾げる幼い妻に、食べ頃に焼けたヤマメを串ごと手渡して、
「効き目って意味だよ。傷とか胃腸とか血の巡りだとか、お湯に溶け込んでる成分によって、色々な病や症状に効くんだ。」
 夫が説明を付け足した。今日は近くの川に出て、門弟たちと一緒に釣りに勤しんだ彼らである。最初は奥方だけが出掛けると言っていたものが、川とはいえ水に落ちるかも知れないというのがついつい心配になった夫が、誰かついて行ってやってくれないかと頼んだところ、希望者があまりに多数だったものだから、それじゃあ全員で出掛けようという運びになった。結果は大漁で、今夜のおかずは新鮮な川の幸。殊に師範夫婦は、ツタさんに手伝ってもらいながら囲炉裏傍で焼きながら食べている。他に"きりたんぽ"という、御飯で作るお餅のようなおかずもあって、吊るされた鍋にはそれと一緒に煮込むため、くつくつと山菜や鷄肉のよく煮えたのが用意されてもいる、たいそう贅沢な夕食だ。
「そっか。温泉かぁ。」
 よ〜く焼けて香ばしいヤマメを、頭からバリバリはふはふと頬張っていた奥方は、そ〜れはきれいに…骨さえ残さず平らげると、にぱーっと笑って拳を握る。
「よっし。温泉に行こうっっ!」
「おいおい、そんな簡単に。」
 言い出すんじゃないかという予測はあって、だが、作務服姿の夫は、ややもすると渋い顔をして見せる。
「子供たちはどうするんだ? まだあまり遠出はさせられないぞ?」
 彼らそれぞれに良く似た一男一女、それはそれは愛くるしい赤ん坊。この村に辿り着くまでの長旅の中、何度も熱を出したり夜泣きが続いたりと結構大変だったのをまだ覚えている。まだまだ何かと不安定な時期にあちこち連れ回すのはいかがなものか。それに、本人たちへの負担だけでなく、周囲にだって何かと迷惑がかかるだろうしと…そこまでは考えてないかな? この太っ腹な人たちとしては。
「…う〜ん。」
 そっか、それがあったよなぁと、腕を組んで考え込む奥方だったが、
「赤ちゃんたちでしたら私がお世話致しますよ?」
 ツタさんが笑って見せた。
「差し出がましいようですが、お二人ともこちらにいらしてからというもの、ずっとお忙しくしてらしたようですし。一度くらい、お二人だけでお過ごしになられるのも、良ろしいのではありませんか?」


            ◇


 掃除や洗濯は、数人抱えている門弟の若い衆たちが修行の一環だからと進んでこなしてくれているので、ツタさんともう一人のお手伝いさんの仕事は、奥向きのちょっとした細かい家事をこなしつつ、赤ちゃんたちの世話をすることだ。そんな日常の中、まるで小さな子供のように、ツタさんの後をついて歩いては何でも手伝いたがるルフィであり、その折々に何かと他愛のない話をする機会も多くて。その中には海賊や怪物相手の戦いの中で大変な怪我を負った彼らであるという話もあって。あからさまにお聞きするのはどうかなと遠慮していた、旦那様のあまりに目立つ胸や足首の大傷の由来も、ルフィは…あまり露骨ではないような、至ってさらりとした扱いながら、既に語ってくれていた。
『男だからな、気にはしてないよ。でも、見ちゃった人の方が気にするかも知れないよなって、この頃はそんなこと言うんだ、ゾロ。』
 そして、だからこそ…身近なツタさんにだけは、前以て話しておいてくれたルフィだったのかも知れない。そんな記憶があったツタさんとしては、古傷にも効くという温泉にこの夫婦をのんびりとつからせてやりたくなった。何かと不慣れな新しい環境に、頑張って馴染もうとしている拙い奥方の無邪気さが我が子のように愛しいし、そんな奥方をいつもいつも柄にないやさしい眼差しで見守って、様々にフォローしようとやはり頑張っていらっしゃる若い旦那様にも骨休めしていただきたい。それで、差し出がましいことながらと、この小さな旅行を進んでお勧めしたのである。



 何かあったら隣村の本家の大師範に連絡するんだぞと、もう何度も…それこそ前日から、ツタさんや門弟さんの一番年嵩のお兄さんに言い続けていたご亭主で、
「ゾロって案外気が小さいんだな。」
「うるせぇな。しがらみってのは意識し出すと限
きりがないんだよ。」
「???」
 ルフィには分かりにくい言い訳をする。口利きがつい乱暴だったのは、お懐かしい海賊時代の服装に近い、洋装という軽快な格好になった若き師範殿だったから。
「馬子にも衣装って言うんだよな。」
「病は気からだよ。」
 どっちも違うってば。
(笑) 晩秋とはいえ山合いは少し冷えるので綿のワークパンツにブルゾン姿。普段はずっと、作務服か道着か和服という格好でいる彼しか知らないご近所の奥さんが、
「…ご主人の弟さんですか?」
と、通りすがりにルフィにこっそり聞いたほど妙に若々しい。そのルフィの方はといえば、こちらは学生さんのようなラフな格好を普段からしているので、フードのついたトレーナーと薄手のジャケットに、チェック柄のストレッチデニムのボトムといういで立ち。…はっきり言って"夫婦"には到底見えない、旅行好きな若者二人連れの道行きである。
「? その袋、何だ?」
 荷物はといえば、ルフィ用にとお弁当とおやつをパンパンに詰めたリュックと、二人の一泊分の着替えを入れた小さなボストンバックくらいのものだったのだが、それとは別に、妙に長細い袋を肩に担ぐようにしているゾロだ。訊かれたご亭主は小さく笑って、
「何って、刀だよ。」
「??? なんで腰に差してないんだ?」
 以前は当たり前のように3本の名刀を腰に下げていた彼だった。三刀流の海賊狩り・ロロノア=ゾロ。それが彼の肩書であり、大剣豪となった今でも"三刀流"という独特の剣術は、体力のみならず途轍もない集中力や精神力も必要な、誰にも真似の出来ない至難の技であることと、その威力の凄まじさから、この世界では知らぬ者はない。言わば、彼の彼たるを黙って語る"看板"のようなものでもある。
おいおい だが、
「こういう長閑な土地だ。変に武装していると、それだけで目立って余計な騒ぎになっちまうからな。」
 ほほお、やっぱり気を遣っていらっさる。大人になったもんだねぇ。
こらこら



        2


 目的の村までは徒歩で行く。ここいらの移動は、基本的には徒歩であり、荷が多い場合や遠い場合、人数(特に女子供)が多い場合などは牛や馬に引かせる荷馬車を仕立てる。よって、運が良ければ同じ方向へ行く荷馬車に拾ってもらえることもある。体力には自信があり、気候も良いこの時期と来て、ちょっとした物見遊山のハイキングっぽい道行きを、野趣あふれる風景なぞ楽しみながらさくさくと歩む。さくさく、ざくざく、合間に手振り身振りのお喋りを少々。そうやって…足の速い彼らは、一般人には健康な若者でも丸々一日はかかる道程を半日足らずでクリアして目的地へ到着した。はっきり言って繁華街ではない。いかにも鄙びた湯治場で、長逗留して温泉療法を続けている客のための木賃宿が数軒と、民宿が数軒、背の高い大銀杏の樹を囲むようにして並んでいるだけのひっそりとした村だ。………ただ。ちょうど紅葉の時期なため、小山のように大きな銀杏は見事な黄金色に色づいていて。ルフィもゾロもそれが見えて来た途端、しばし立ち止まり、ポカンとしたままで樹上までの高さを見上げてしまったものだった。
「でけぇ〜な〜。」
「そうだな、何メートルあるんだろう。」
 遠近感を狂わせるとは正にこのこと。どんなにどんなに近づいてもなかなか辿り着けないと、気が急
く旅人用に作られたのだろう、一里塚どころか"半里塚"が道沿いにやたらに続くのが妙に可笑しい。(余談だが、筆者は新幹線の窓から初めて見た富士山によほどのインパクトを感じたらしく、蛍光塗料で塗られて夜中中光っている富士山の夢を見た経験の持ち主である。/笑)大きさが凄まじい上に、一枚一枚絵の具でべったり塗ったような、色づいた葉々の濃厚な黄色のインパクトがまた凄い。澄んだ秋空にいや映えて、正しく一幅の絵のような出来栄えだった。
「…いらっしゃいませ。」
 いつまでも呆然としていてもしようがない。我に返ったように歩みを進めて村へと入り、ツタさんから教えられていた民宿とやらに入って行くと、ちょっとした食堂のようになったお店になっていて。(後で聞いたら、日帰り客にはここで食事だけを出してもいるのだそうな。)初老くらいの、女将さんだろうおばさんが奥の方からパタパタと出て来た。
「明日の朝まで、ご厄介になりたいんだが。」
「ああ、はいはい。前払いになりますが、構いませんかね。」
 予約客でなし、夕飯の支度などにはこれから取り掛かることになるのだから、それも已
やむないシステムというやつだろう。
「ああ。ええっと、二人だけれど…。」
 財布を出しながら、だがゾロは、
「食事は多めに、そうだな、5人前ほど頼みたいんだ。勿論、金は出す。」
「? 構いませんが、ウチは料理の量は多い方ですよ?」
 怪訝そうな顔になった女将さんに、
「いや、ホントによく食うんだ、俺たち。」
「ホントだぞ。足りなくなったら困るから、沢山作っといてほしいんだ。」
 傍らからにこにこと口添えしたルフィだったが、ふと、
「あれぇ?」
 ややもすれば頓狂な声を上げて、
「…あれあれれ?」
 女将さんをジロジロと見回し始める。いくら子供っぽいとはいえ、もう分別とやらはついてる年頃の男の子。女将さんは少々気味悪そうに身を竦め、
「な、何だいっ、この子は。」
 咎めるような声を出したが、それにも構わず見回し続けたルフィは、
「おばさん、ツタさんに似てるぞ。」
 ニコッと笑ってそんなことを言う。途端、ゾロは"あ〜あ"と額を押さえた。天真爛漫も良いが、初見の人にそんなことを言っても通じる筈がない。
「ルフィ、失礼だろが、そんなこといきなり言ったら…。」
 窘めかけたその時だ。
「おや。ツタを知っているのかい?」
「…はい?」
 おやや? 女将さん?
「あんたらアケボノの村から来たのかい?」
「ああ、そうだが。」
「何だい、それを先にお言いよ。ああもしかして、あんたら道場の師範様ご夫婦だね?」
「…あ、ああ。」
 初見の人から"夫婦"と言われると、さすがにびっくりする。信じてもらえなくても構いはしないが、逆に先に言い当てられると、何だか…肩透かしにも似た素直な驚きを感じてしまう。女将さんは"うんうん"と頷いて見せ、
「あたしはツタの姉でシマといいますのさ。妹がお世話になってますねぇ。」
 からからと笑った。
「ツタはお仕え先のことを他所で話すような子じゃあないが、あんたらのことは時たま聞いてるよ。そりゃあ可愛い奥方と、若いのに立派なご主人だってね。よしよし判った。たんと御馳走してあげよう。ああ、だけれど二人分のお代はいただくよ? こっちも商売だからねぇ。」


 シマさんはツタさんに比べるとたいそう豪快な人で、それはまあ、客商売をしているせいもあろう。だが、気さくなところは全く同じで、
『ここの内湯も源泉から引いたお湯ではあるけどね、も少し先に入ったところに大きな露天風呂があるんだよ。村の湯で入り放題だし、効能もよっぽど上だ。脱衣所もすぐ傍にあるから、着替えだけ持って行くと良いよ。』
 小腹が空いたと言い出したルフィに手際良くおにぎりを山ほど作ってくれてから、部屋に通してくれた後、そんな風に教えてくれて。何だか、故郷に帰って来た息子たちを構うようなざっかけない様子なのが、気張らなくって気持ち良い。夕飯は7時を過ぎたらいつでも食べられるように支度しとくからねと言い置いて、自分の仕事へ戻ってしまったシマさんで。
『…じゃあ、行ってみようか?』
 そもそもそれこそが目的の遠出だ。わずかな荷物の中から着替えと手ぬぐいを持って、シマさんに声をかけて借りた、歯のちびた平たい下駄をからからと鳴らしながら、二人が出向いた露天風呂は、
「わあ…。」
 深い緑は常緑樹の梢と岩陰に張りついた苔と。湯に濡れた岩々の濃い色。そしてそれらに拮抗して、鮮やかな紅葉の美しい枝々が、何とも見事なバランスや配置で顔を覗かせていて。まるで、一流の日本画の画家が感性の赴くまま、肩を張らずに筆をおいたように、軽快でありながらも絶妙で感に入るという出来映えの風景の中に、その野天の風呂はあったのだった。
「きれいだよなぁ。」
 ほのかに湯気を立ちのぼらせて、さらさらとした湯をたたえた岩風呂の上へまで、紅葉の枝がしな垂れかかっていたりして。なかなかに風流な雰囲気なのがこれまた粋だ。こんな風にしつらえたここいらの人々にしてみれば、ただ柵や塀の代わりに適当に木々を配しただけなのだろうが、その適当さが巧妙に美観効果を醸している。時間が中途半端なせいか、他に客の姿はなくて。手早く脱いで手ぬぐい一枚で無骨な岩が取り巻く湯船の傍らまで寄って行き、ちょいっと手を突っ込んでみたルフィは、その細っこい体を震わせてくすくすと笑うと、
「ほら、早く入ろうよ。」
 のんびり構えているゾロを手招きで呼んだ。こうまで広い風呂へは、さすがに…一人でつかるのは少ぉし怖いのだろう。
「判ったって。」
 無邪気にはしゃぐ奥方に苦笑をし、明るく開放的なところで見やる伸び伸びとした肢体に少々…惚れ直す。(おいおい/笑)そういえば、陸に上がってからは、夏場でも結構きちんと服を着込んでいる彼なのだ。半袖やノースリーブに半ズボンといった軽装でも、海にいた頃の、あのつんつるてんの申し訳程度の服装に比べたら、きっちりとした行儀の良い"完全防備"と言ってよく。しかも、一年の半分は重ね着や厚着をしなければ過ごせない土地でもある。ルフィ本人は実はあまり寒さは堪えない体質らしいのだが、風邪を引いたらどうしますかと、周囲がこれも着ろあれも着ろと構うので、その結果、昔ほど肌は露出しなくなったという訳で。
「お前さ。」
「んん?」
「ちょっと陽焼けが落ちてないか?」
 気のせいか、肌の白みが増しているような。
「そうかな。いつも服をぎっちり着るようになったからかもな。」
 そうと言って屈託なく笑うが、旦那様としては、
"他に客がいなくて助かったよな。"
 だから、おのろけはもう良いって。
(笑) 
「………ふう。」
 かかり湯をし、手足などを軽く流してからいよいよ湯船へつかる。少し熱めで、だが、さらさらした感触の湯は、肌からすんなりと体内へ染み通って来るようで心地良い。
「温ったかいなぁ。」
 人目がないから遠慮なく、ぴったりとくっついているお二人で。こんなに広いお風呂なのにと思えば少々滑稽だが、なみなみとたたえられたい湯の浮力や、全身をぴったりと隙なく包むひそやかな圧迫感が何となく怖い奥方なのだから仕方がない。どこやらから野鳥の声が聞こえて来て、後はといえば、竹の樋
といを伝って注ぎ込まれる湯の音と、時折湯の上に波をたわませて吹きゆく風の音がするばかり。
「………。」
 ゾロとしては、穴場も穴場、こんな静かな名所を教えてくれたツタさんに感謝したいところだったが、
「こういうトコで良かったのか?」
 腕の中に取り込まれ、こちらの膝の上へと軽く腰をかけているルフィに声をかける。
「うん。」
 お祭り騒ぎや人の波。花火に夜店、カーニバルに喧噪。何だか浮き浮きするようなにぎやかなことが大好きな彼には珍しいことだなと、率直な疑問として怪訝に感じたゾロへ、
「だってさ。にぎやかなトコって、色々とお店屋さんとかがあるんだろ?」
 訥々
とつとつとそうと言い出す奥方で。
「まあ、あるだろな。」
「お酒飲むトコとか、女の人と遊ぶとことか。」
「………まあな。」
 成程と、察しがいった。にぎやかな歓楽街ともなれば、当然、酒場や様々な娯楽施設もあろう。そういうところに夫を近づけたくはない奥方であるらしい。いや、こうやって書くと当たり前なことだが、この夫婦の場合は…やっぱ当然なのかな?
「…何だよ。」
 ご亭主からの"納得"の気配を微妙に察して、恥ずかしそうにうつむいてしまうルフィへ、
「いーや、別に。妬いてくれてありがたいなってな。」
「…っ! 妬いてなんか…っ!」
 言いかけて、だが、くつくつと笑っているゾロからの視線に会うと、口許まで湯につかってぶくぶくと泡を立てて見せる。
"だって、ゾロ、カッコいいんだもんな。"
 明るいところで半裸の彼を見やるのは、ルフィにしたところで久し振りだ。船に乗っていた頃は、トレーニングや日盛りの暑さにつられてとっととシャツを脱ぐことの多かった剣豪殿で。よって彼の半裸の上半身は、大きな海を背景に、それこそこれ以上はないくらい開放的な場所で始終目にしてもいたのだが。陸に上がってからは、そういえば風呂と閨房とでしか見てはいなかったような。風呂はともかく閨
ねやの中では、じっくり見ている場合ではなく、
"…そっか。こんな肉付きの胸だったよな。肩も、腕も…うん。"
 視線で辿って輪郭をなぞり、間近でその隆起を確かめながら、そんな風に思うにつけ、ふと、顔がかっかと熱くもなる。
「…どした。のぼせたか? 顔、赤いぞ?」
「知らないよーだ。」
 おいおい、知らないってことがあるかい。
(笑) 



        3


 少しして慣れたらしいルフィも湯の中で体をゆったりと伸ばしてみたり、時折湯から出ては辺りを見回したり。湯あたり用だろう、瀬戸物の椀が伏せてあった鉢の冷たい清水を味わったりしながら、何だか随分と長湯をしたようで。宿に戻るとさっそくシマさんが、
「ご飯が出来たところだよ。もう食べるかい?」
と声をかけて来た。用意されていた食事は山の幸をふんだんに使った見事なものばかり。
「ついつい気張って作り過ぎたけど、あんたら沢山食べるって言ってたから。」
 銀杏や栗、小魚の甘炊きやきゃらぶきなどの吹き寄せ。とろけそうな黄金色の風呂ふき大根。キジの炮楽焼きやイワナの姿焼きに、山菜と山鳥のふっくら炊き込まれたかやくご飯。サツマイモと栗の甘露煮のきんとんに、よく熟した柿やあけびといった、今が旬の山の果物。これにここいらの地酒らしい熱燗もついていて、甘いの辛いの、何ともまあ行き届いたメニューであることよ。半日歩いて、お風呂にじっくりつかって、お腹が空いて空いて"よ〜し食うぞ"状態だったルフィが充分満足したというから、シマさん、恐るべし。
こらこら


 少しばかり"食休み"をとって、それから内湯にもう一度つかって。ほかほかに温まって部屋に戻れば、並べて敷かれてあったのはふかふかの2組の布団。特に意識もせず、それぞれに布団に入ったが、明かりを落としてしばらくすると、
「…ルフィ?」
 ごそごそと、隣りの布団から奥方の小さな体が潜り込んで来た。浴衣が少しばかりくつろいだ、夫の頼もしい胸元にしがみついて来て、
「…あれって銀杏の音か?」
 小声で囁くから、
「ああ。」
 成程なと得心がいったゾロである。風の音が気になって、それで寄って来た彼であるらしい。確かに、他には音がないせいでか、銀杏の枝が風に騒いで揺さぶられる音は、結構響いて物凄い。家でも竹林の騒ぐ音を聞き馴れている筈なのだが、微妙に違うのがルフィには却って気になったのだろう。懐ろ深く引き込んで、細い腰や背中へと腕を回してやりながら、
「この風でだいぶ葉も落ちるのかもな。」
 何の気なしにそんなことを囁くと、
「ふ〜ん…。」
 呟いたルフィが、ふと、すりすりと額をこちらの胸板へ擦りつけてくる。
「どした?」
「んん。あの子たち、ちゃんともう寝たかなって思ってさ。」
 竹林の音を思い出し、そこから家に残して来た幼い子らのことを思い出したルフィなのだろう。日頃からも手慣れたツタさんたちにほとんど任せてあるとはいえ、拙いながらも母親として、一生懸命にあやしたり世話をしているルフィであって。こんなに長い間離れていたのも思えば初めてのこと。選りに選って母の方が、子供恋しくなってしまったらしい。
「大丈夫だよ。それに明日には帰るんだ。心配しなさんな。」
「…うん。」
 心細そうに見上げて来た大きな瞳へ、言い聞かせるように囁いて。やわらかく包み込むように抱き締めてやる。そういえば、銀杏の樹は母親の化身だと聞いたことがある。幼い子らを守り、また、幼子を育てる母親たちの味方でもあって、
"それで里心がついたのかな?"
 里心…。それって"ホームシック"って意味でしょうに。せっかくの二人きりだのに、そういうムードにならない辺りは、母親としての自覚がしっかり根付いて来た奥方だからであるらしく、もうちょっとの間は"可愛い奥様"でいてほしかった旦那様には複雑な心境でもあるらしい。ともあれ、いつの間にか寝息を刻み始めた幼い妻の寝顔に人心地ついたご主人もまた、大きな欠伸をひとつ放つと、目を伏せて深い息をつき、そのまま就寝の構えとなる。山里の夜は淑(しめ)やかな風の音の中にさわさわと、ゆっくりじっくり更けてゆくのであった。



   〜Fine〜  02.2.2.


   *カウンター15000HIT キリ番リクエスト
       らみるサマ 『温泉なふたり』


   *書いてから思ったんですが、例のサービス話おいおいで、
    ルフィは結局、湯船にはつかってたんでしょうか?
    まあね。海という場所に呪われているのであって、
    風呂や川では溺れないだろうなと思ってはいたんですが。
    ウチの話ではとりあえず、
    本人の気の持ちようから怖がっているということで。
    ちょっと特殊な"シリーズもの絡み"ですが、
    こんなお話でいかがでしょうか? らみるサマvv


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