OVERTAKE
        〜ロロノア家の人々・外伝“月と太陽”より

         『Erde.』SAMI様、寄稿作品


ぴん、と張り詰めた空気の中で息をするのが好きだった。
まるで周りの空気さえ、どんどんと澄んでいくようで。
父親の道場の中の、その一瞬の感覚。
吐き出そうとする息さえも、まるで神聖なものであるかのように、静かに。
対峙する、二人の人間のその所作に。
まるで、大きな掌が自分の頭を固定するかのように、視線を奪い取っていた。
静かに、向かい合っていた二人が小さな掛け声とともに、少ない動作で立ち上がり。
その手に持った剣を交差する。
誰もが息を呑むその一瞬。その感覚が肌で感じられる。
「おにいちゃん、道場で遊んじゃだめなのよー!」
背後から、少し高めの聞きなれた声が響いてきて、慌てて後ろを振り向くと思わず手の力が抜けて、窓の格子にしがみついていたものが転がり落ちてしまった。声をかけたのは自分の妹と、それから友達の衣音、その腕の中には少し小さい彼の妹のちよちゃんが納まっていた。
「おやつ、だってさ」
笑いながら上から見下ろす彼の笑顔に、思わずむっとした表情を隠そうともせずに立ち上がった。ぱたぱたと体中の汚れを払う。
「何だよ、普通に声かけろよ」
「呼んだけど、気付かなかったよなあ?」
『なあ?』と笑いながら、妹に向かって声をかけると、自分の妹であるにも関わらず衣音の味方をするようなその彼女の仕種にむう、とする彼だった。そんな様子も想像のうちだったのか、彼は小さく笑った。
「今日はね、ツタさん特製のぼたもち、なの」
「うわあ、美味そうっ!」
「ぼたもち、ってだけで美味そうなのか?」
「衣音、バカだなー、ツタさんのぼたもちはものすごっく美味いんだぞ!」
ほら、食いに行くぞっ!と母親顔負けの食べ物に対しての笑顔を見せて、慌てて道場と自宅とを仕切るその植え込みを飛び越えた。せっかく声を掛けに来たのに、あっという間に残された3人はくすくすと笑いながら、彼の後を追って自宅のほうへと歩いていった。


 庭は柔らかな芝生で敷き詰められていた。春先のこの時期は、新しい若緑が裸足で歩くとその感触が瑞々しい。この庭は以前は庭園の様式を模して作られていたのだが、この若夫婦が住むようになってから少しづつ彼らの住みやすいようにと手を加えられていた。以前は金剛寺塀のそれだった様式も、高さを押さえて植物を傍へと沿わせている。また道場と自宅を分けている渡り廊下や、生垣などには優しい雰囲気の植物がたくさん植えられていて、どこかここの家の住人達のその心遣いが見えるような、そんな造りへと変化し始めているのだった。生垣は一部が小さな扉になっていて、お弟子さん達は道場から自宅へと窺う際にはそのまま真っ直ぐに玄関へと露地を向かうが、ここの家の住人、特に小さい子ども達はそんなまだるっこしいことは絶対にしないで、その生垣を通って帰ってくる。今日もそんな風に直接庭へと入ってくると、縁側で出掛ける支度をしている母親と会った。Tシャツに重ねた薄手のざっくりとした糸を無造作に編み上げたような赤いセーターに、ジーンズ姿でスニーカーを履いている。一見すると、普通の青年に見えなくも無い彼らの母親は、垣根の向こう側から戻ってきた子ども達に、にっかりとその太陽のような笑顔で笑った。
「あ。お母さん!」
「お出かけするの?」
「あ、お帰り。そう、ちこっと出掛けてくる」
「時間かかるの? 遊べないの?」
娘の言葉に、ルフィは笑いながらその自分に良く似たその黒いねこっけの髪の毛をふわりと梳いてやる。
「時間はかかるかどうか分からないけど、お兄ちゃんと行儀良く遊んでいるんだぞ? こんにちわ、衣音くんとちよちゃん」
「こんにちわ」
衣音のその言葉とともにぺこりと頭を下げると、抱かれたままのちよちゃんも一緒になってその小さな頭を振った。
「どこ行くの?」
「近所の皆さんが集まってるんで、顔を出してくる」
「行ってらっしゃい」
「ああ。衣音くん、お母さんかお父さんが来るまでウチで遊んでいてくれ」
「先ほど、お母様がお見えになりまして、終わるまでお預かりさせて頂きますよ」
ルフィの言葉に付け足したツタさんの言葉に、思わずうんうんと頷いているルフィは、壁に掛かった時計がふと目に入った。
「あ、もうこんな時間だ、行って…くるけど…」
そうとだけ言うと、ルフィはツタさんを振り返った。
「大丈夫ですよ? ぼたもちはたくさん用意してありますし、足りないようなら明日作っておきますから」
「ん、そか」
そうとだけ言葉を残すと今度こそ、ルフィはその小さな木戸から駆け出していった。その後姿をまるで母親のような優しい笑顔で見送ると、ツタさんはわくわくした表情を見せている目の前の子ども達に向き直った。
「さあさ、手を洗ってきてくださいまし。それが終わったらおやつですよ」


大きな皿に乗っていた山盛りのぼたもちはあっという間に食べつくされて、そこに残ったのは奇麗になった皿だけとなった。ぺろりと少年は指を舐める。
「なあなあ、衣音」
「何だよ?」
きちんと行儀良く正座して、両手で大事そうに湯飲みを持つ衣音は、下から見上げてくるその楽しげな顔と一瞬目が合い、にかっと笑った。
「『冒険』行こうっ!」
最近、絵本から覚えたらしい『冒険』という言葉を、息子は頻繁に口にするようになっていた。何のことはなく、自分達が行ったことの無い場所へと二人で出かけて行ってみようと言う、楽しげな遊びなのだが、それに『冒険』などという名前がついた途端、どこかその遊びは物凄く楽しい、これ以上にはわくわくすることがないような遊びへと変化していた。
「どこに?」
「裏山にあのおっきい木あるだろ?」
「ああ!」
「あそこに行ってみよう! まだ行ったことないしっ!」
「じゃ、そうしようっ!」
にしし、と楽しそうに笑う少年二人を、妹はちよちゃんの口の周りのあんこをこしこしと拭いてあげながら、口を尖らせた。
「お兄ちゃんも、衣音くんも! 裏山に行っちゃダメって言われているのに! 怒られちゃうよ」
「お前が黙っていれば、怒られないよな、なー? 衣音」
「うん」
確かに今のところの理屈はそうなので、困ったような顔で衣音は息子の言葉に、曖昧な笑顔を返した。
「大丈夫だって! あんなに目立つ木なんだから」
「そうだね、日が落ちる前に帰ってくるし!」
「じゃあ、決定っ!!!」
勢い良く立ち上がって、ぱたたっと縁側から飛び降りると、そこに脱いでおいたスニーカーへと足を入れる。その様子に衣音もついていった。
「お兄ちゃんっ! 衣音くんっ!!!」
「じゃーなーっ! 告げ口すんなよー」
「大丈夫だから、心配しないで。ちよのこと、お願いするね」
そうとだけ言葉を残すと、二人はあっという間に裏山へと通じる竹林の中の小道を走り抜けていった。その後姿を見送りながら、妹は大人びたようなため息をつく。
「ちよちゃん、いいもんねー、私と一緒に遊んでいるもんね?」
ん、と小さな首を傾げて頷いた二人は、ままごとの道具を出して遊び始めた。




 ざわざわと高い木の梢が風に煽られて身を寄せ合うかのように、どこか物陰から誰か沢山の人数の人々が囁きあうような、心を不安に陥れそうなその声が響き渡った。気付けば、歩きなれた山道を見失っている。目標としていた裏山の木の姿さえ見ることは出来なくなっていた。高い木のてっぺんにでも登ることが出来れば、周囲を見渡すことも出来るだろうが、針葉樹の林の中に入り込んできていて、その登りづらい細長い木の頂上まで登りきることはさすがに毎日を遊びなれている二人にでも、ムリなように思える。
 おまけに、太陽は山の陰に隠れたのか、それとも日没の時間なのだろうか、何だか周囲は闇のその厚いベールにゆっくりと取り囲まれ始めている。パキっというどこかで枝が折れたような音がして、思わず今まで無言で歩いてきた二人は、びくうっとその身を張り詰めさせた。
「なあ」
「何だよ」
「考えたくないけど、オレ達迷子じゃないか?」
言葉にした途端、我慢していたその心細さと、不安が一気に二人の上に覆い被さった。まるで広い世界にたった二人きりで、明かりも何もなく放り出されたような孤独感。言葉は分からないだろうが、確かに今二人が感じたものはそんな感情だった。
「泣くなよ、衣音!」
「泣くかっ!バカっ!!!」
「ちゃんと帰れるんだから、絶対にオレがいるんだから帰れる」
根拠の無い自信はどこからわいてくるのだろう? 隣にいて、そんな風に断言する幼馴染に不思議そうな表情を衣音は見せた。しかし、まるでそんなことには気付いていないかのように、少年はにかっと笑った。その特徴ある緑色の髪のせいで、父親に良く似ていると生まれた時から言われ続けてきたのだが、その笑顔ははっきりと彼の資質の中に必ず存在する母親譲りの、まるで周囲に光をもたらすような太陽のような笑顔だった。
 どちらからともなく、手を差し出してぎゅうと握る。まるでこの世の中に相手以外は存在していないかのように、きつく握り締めたその掌は、しかしその温かみで、安心することも事実だった。
 闇雲に歩き回るよりも、少しずつ下る斜面を選び、無理をせずに回りながら降りてくると。
 ずうっと遠くのほうで、小さな明かりが見えた。一瞬、何か此の世の物ではないのではないかと、握り締めた互いのその掌に力をこめて、それでも確認しないと気が済まない。二人は音を立てないように、その明かりへと近づいていった。そして、その遠くから聞こえる聞きなれた自分の名前を呼ぶ声に、二人は思わず駆け出していった。


「このバカ息子っ!」
ごつん、とその拳が頭の上に振り下ろされる。いつもだったら、一緒になって悪戯をしてくれる母親は必死になって探してくれたらしい。出掛ける前には鮮やかな赤い色だったセーターが、ところどころ破けて、泥がついてしまっていた。そしていつもだったら、礼儀だの、躾だのに煩い父親が黙って自分と衣音の二人をその大きな優しい両腕でゆっくりと抱き締めてくれた。
「…お父さん、お母さん」
「お前みたいなバカ息子は、オレの息子なんかじゃないやっ」
「ルフィ、お前、大人気ないぞ」
「だって、だって、めっちゃくちゃ心配したんだぞっ! この山は少しずれると大きな尾根へと続いてしまうって聞いたしっ!」
「無事に見つかったんだから良いって」
絶対に泣いたりはしない、と唇を食いしばっていた息子は、ルフィのその心配でたまらなかったらしい、どこか行き過ぎると泣き出しそうな顔を見て、初めてぽろぽろと涙を零した。
「…衣音くんも頑張ったな、悪かったな、うちのバカ息子につき合わせて」
優しく耳元で言ってくれるその父親の大人の言葉に、衣音はふるふるとゾロに抱き上げられたまま、その奇麗な黒髪を振るう。二人の様子にゾロは笑いながら、その大きな掌でまるで赤ん坊をあやすように、背中をぽんぽん、と叩きながら自分の胸元深くへと抱きしめてやる。子供は心音を聞くと安心することは、始めてから大分長い間経過した子育ての中で実感として身についたものだった。
「さ、帰るぞ」
「そうだな」
「で、何をしたかったんだ? 一体」
ルフィの言葉に二人は一瞬、その泣き顔を見合わせた。おずおずとゾロの腕の中で、息子が真っ赤になりながらゾロの口元で小さく呟く。
「……冒険」
その台詞に二人は一瞬言葉を失うと、どちらからともなく、くくくと笑い出してしまった。ルフィは二人の頭を今度は優しく撫でた。両親が歩き出すと、その柔らかな振動と、心地よい人肌の温み、それから緊張が解けたせいで二人はあっという間にゾロの腕の中で、すうすうと寝息を立て始めていた。
 やがて自分達の家の柔らかな、優しい明かりが見えてきた。お弟子さん達も気を遣って道場にまで灯を点してくれている。それらは奇麗に家の形を浮かび上がらせていた。
「久世さんチに謝らないとなあ」
「ああ?」
「冒険、なんて言われたら、オレもう怒れないよ」
笑いながらゾロの腕の中で眠ってしまった二人の顔を覗き込む。目の前の夫に良く似た少年のその頬をつん、と突っついて見せた。その様子に二人で顔を見合わせて、小さく笑う。
「そりゃ、怒れる立場じゃないからな」
「まったくだ」


        ***


 今まであこがれてきたその匂いがくすぐる。
「海の匂いだ」
とりあえずこの特徴のある、憧れの、……そして体のどこかが覚えているようなその匂いの中へと飛び込んでいくには、船を手に入れる必要があった。それでも気付くと、体の奥底から湧き上がってくるその捕らえようの無い高揚感は、現実問題など眼中には無い。
 少年……もう、16に手が届こうとしている、その少年は立ち止まると港があるその町の石畳の上で、くるりと周囲を見渡した。活気のある港町のどこかざわざわとする、その雰囲気。誰も彼もが忙しそうに走り回っている。その様子に何だか体の底から楽しくてしょうがないその小さい頃から持て余してきた感情が、ゆっくりと持ち上がってくるのを感じていた。
「……海へ出るんだっ!!!」
わくわくして仕方が無い。本当に目の前に広がるのが、今まで自分が小さい頃から憧れてきた、目指していたその舞台となる、大いなる海。そして水平線の先にある、グランドライン。
「とりあえず、船を手に入れないとなあ」
「……船を買うなら100万ベリーはいるぜ?」
「んな、金ねえよ」
思わず口をついて出た台詞に律儀に返答が帰ってきたことには一瞬気付かずに、思わず素直に返事をしてしまった。んん?とその違和感に歩き出そうとしていた足を止めて、振り返った。
「じゃあ、その辺りの客船で、日雇いの荷物運びの仕事から始めるしかねえな」
「……っ!!! 衣音、何でお前こんな所にいるんだよっ!!!!」
「そろそろ海に飛び出したいとか言い出す頃かな、と思っていたから」
「そんな事を聞いてるんじゃなくてっ!!! お前、町の学校へと通うことにしたんじゃなかったのかっ!?」
「おう、通っていたさ。航海術を習いに、な?」
「何ーっ!!!?」
少年の驚きように、満足したように笑う衣音は背中の荷物を指差した。少年の背中にあるのは、昔から使い慣れていたその刀。同じように彼の背にあるのは、必要最低限の海図などの航海術に必要なもの。
「だからお前の小さい頃から大好きだった『冒険』とやらに、つき合せて貰おうと思ってな」
悪戯の最中のような、これ以上は無いほどの楽しげな笑顔で返す、幼馴染の衣音の言葉に思わず口をあんぐりと開けてしまった。
「しかし、本当に船の一艘も手に入れる前に海へ出よう、とか思っているとは相変わらずだなあ」
「余計なお世話だっ! 衣音、お前、町に出てから口の悪さに磨きかかってるんじゃないのか?」
「それこそ、余計なお世話だっての!」
ふぎーっ! と久しぶりに会ったはずのその幼馴染の顔をお互いに睨み付けた。相変わらずのその様子に、思わず同じタイミングで笑い出してしまう。
「お間抜けな誰かさんの為に既に働き口を探していたんだから、感謝の一言くらいあってもいいんじゃねえ?」
「……」
「ん?」
「でも、船長はオレだからなっ! 衣音じゃないからなっ!」
「わっがままだなあ…、別にオレが船長でもいいだろうが」
「オレだって!!!」
「了解、船長。とりあえず時間までに行かないと船、手に入れらんねえぞ?」
笑いながら少年の背中を押し出すかのように力いっぱい叩くと、衣音とその少年は小さい頃から変わらない笑顔で、距離で一緒に走り出して行く。

緑色の髪をして、その鋭い剣を振るう海賊王の傍らに。
いつも冷静な黒髪の航海士がいたことは、その海賊王の物語には当然のこととして語られていくのだった。


   〜
end〜



ええとまずは一番最初に謝罪の言葉を述べさせて頂きたく思います。
勝手にお名前をお借りしてしまいました久世衣音さま、
本当に申し訳ございませんでした。何卒寛大なお心で、お許しを頂きたく思います。
ロロノアさんの御宅の息子さんは、海へ出るのに一人で出るのだろうか?とか思いました。
そこまでご両親に似なくても、彼自身のカラーと言うものが
あればいいのではないかと。
そしてMorlin.さまの書かれていた小さなお子様達の交友関係図(笑)を
拝見した時に、そしてその後の二人で一緒にお稽古で道場へといらしている時に、
「息子と一緒に海へ出てくれるのは、衣音くん一押し!!!!」という
とんでもない心境へと陥ってしまいました…。
女将はどうもお店の仕込みの最中にそんな事を考えていたようです(笑)
本当に、本当にSAMIなんかの駄文でお名前を拝借させて頂きまして、
申し訳ございませんでした。

そしてMorlin.さま、遅くなった上にこんな文章でごめんなさい〜〜。
女将は大人しく日本酒を飲みながら、煮つけを作りに厨房で篭ってます(笑)


*SAMI女将の作られる煮付けは、ルフィ奥様一押しの絶品。
 是非、食してみたいものでございます。
 …いや、そうじゃなくって。(笑)
 ありがとうございます〜〜vv
 SAMI様のおかげさまで、
 このシリーズはどんどんと未来方向へも充実してまいります。
 (何たって“新海賊王伝説”ですものね?)
 もうもう、Morlin.だけで書いていたら、それは偏った代物になるところを、
 要所要所でぴりりと引き締めてくださって。
 こんな嬉しいことはありません。
 本当にありがとうございますvv

 それと、『遊楽天国』の久世様、
 お名前をお借りいたしますこと、快諾くださってありがとうございます。
 衣音くんには長男坊の行く末に付き合って頂くこととなってしまいましたが、
 親御様にはご心配のかからぬよう気をつけますので、
 (海賊にしといてそんな言いようもないかもしれませんが/笑)
 どうかよろしくお願い致しますvv
 ではではvv


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