ロロノア家の人々
     
春うらら  “Tea time”より


 その場所は、他の屋内とはどこか空気の密度が違うような気がする。当然と言えば当然のことながら、調度も何も置かない、天井の高い、ぽかりと広い空間なせいだろうか。誰もいない時の厳粛な静寂には、何故だか神妙になる気配が満ちていて。冷ややかに冴えた空気の中に、高みに繰られた連子窓
れんじまどからの陽射しが斜めに差し込んで、板張りの床に長四角の陽溜まりを刳り貫いている。ピンと張った緊迫感と真摯な厳粛さ。そんな中、ととん…とたとたと、厚みのある床板を軽快に叩くような素足での足捌きの音と、木刀を叩きつけ合う堅い剣撃の音とが鳴り響く。
「たあぁぁっっ!」
 腹の底から突き上げるような勢いで放たれる、鋭い気合いもなかなかに一人前で、ほんの一瞬の間合いに飛び込んだ勢いのまま、
「…っ、うっ!」
 ぱしっと弾かれた木刀がくるくると円を描いて板張りの上をすべる。突きに押されて床へと座り込んだ格好の対手の鼻先に、あと数ミリの空間を残して木刀の切っ先が突き付けられている。
「よし、そこまでっ。」
 すかさずのタイミングで師範代の声がかけられて、差し伸べられていた切っ先が素直に引いた。その途端、床へと後ろ手に手をついていた方の少年が"はふぅっ"と思わずだろう吐息をついた。
「…通算13戦12勝1敗。勝者、衣音っ。」
 勝敗が言い放たれて、壁に沿って正座したまま見守っていた他の生徒たちも思わずのため息をそれぞれにこぼす。
「凄げぇよな、あいつ。」
「ああ。あんな小さいのにな。」
「まだ1週間だぜ? クラスに混ざって。」
 きちっと礼を交わしてから自分が座っていた列に戻る少年へ、そのすぐ隣りにいた緑頭の腕白そうな少年がにかっと笑った。
「やっと12勝か。」
「うん。あと3つだな、お前と一緒まで。」
 一番ちまくて一番年少。頭身も低くて普段の仕草もまだどこか心もとない、ホントなら来年加入のおチビさんたちだというのに、先週から参加し出した幼年クラスのお兄さんたちを片っ端から薙ぎ倒している二人組。一人はこの道場の師範の息子で、もう一人はそのお友達だそうだが、これがなかなか手ごわい豆剣士たちだったから、手合わせをすることとなった小さなお兄さんたちは堪らない。一際小さな体に似合わない、勘のよさやら俊敏さを生かした鋭い剣捌きが、ほんのわずかな隙さえこじ開けて容赦なく切り込んで来るものだから、たった一週間でもはや敵なし。衣音くんが落とした"1敗"は坊やとの立ち合いでのもので、だが、坊やの方の15勝1敗の"1敗"もまた、衣音くんにねじ伏せられた負け。飛び抜けて強いお子たちに、
『あの二人は明日にでも上のクラスに上げた方が良いでしょう。他の子たちへの影響もありますし。』
 直接この子供たちを指導している師範代が、師範へそうと進言しているほどだ。上のクラスというのは中学生たちの組で、だが、
『それはちょっと早いだろう。』
 師範はあまりいい顔は見せない。
『いくら腕っ節や勘が鋭いと言っても、まだ学齢前の子供だ。上の子たちに混ざって、攻守の組み立ての知恵だの何だのを身につけるのは早すぎる。』
 それに、剣を操る勘が少しばかり良いというだけで、一連の流れを眺めてみれば、まだまだ隙だらけの未熟なそれだ。馴染めば他の子らにもそういったところが見えてもこよう。そうと考慮し、しばらくは暴れさせておくさと静観の構えの師範であるらしい。
「今日はこれまで。」
「はいっ、ありがとうございましたっ!」


 ぴちゅくちゅくとどこかで揚げ雲雀が鳴く声が聞こえる。春霞にけぶる空の高みに張りついて、小さな体で懸命にばたばた飛びながら放っているその声は、いかにも春だなぁという実感を招いて愛らしい。庭先に屋根囲いのついた井戸があって、道場でかいた汗を流すのに使われているのだが、その水はまだ少々冷たくて。力持ちな父に釣瓶
つるべを引っ張り揚げてもらったは良いが、桶へとあけられた水の飛沫の冷たさへ、ひゃあと声を出してはしゃぐ子らだ。
「お父さん、お父さん。」
 洗ってすぐの濡れた顔のまま、声をかけてくる長男坊に、
「んん?」
 応じながら手拭いを持った手を延ばして、頬からオデコからおとがいから、まだ濡れているあちこちをぐいぐいと拭ってやる。大きな手にもみくちゃにされながらも、
「オレも衣音も上手になったか?」
 一端
いっぱしなことを訊いて来る坊やであり、
「ああ、まあまあだな。」
「まあまあか。」
 何だ、そんなもんかと、ちょっと詰まらなさそうに口許を尖らせる。そんな顔をすると随分と母上に似ているから妙なもの。丁度今時の萌え出したばかりな若葉にも似た髪の色から深緑の眸の色、利かん気たっぷりな鋭角的な顔立ちなどは父御にそっくりだが、ころころと変わる様々な表情はむしろ母御に面差しが重なる子で。父と居るより沢山の時間をよく一緒に遊んでいるから、笑い方やむくれ方も自然と似て来るのかも知れない。そんな坊やへ、
「今は打ちのめしてる他の子たちだって、伊達にお前たちより長く剣を振って来た訳じゃあないからな。今はお前たちの方がすばしっこく隙を突いてもいるようだが、そのうち太刀筋にも慣れてくる。そうなったら、年が上の子たちの方がリーチだって長いし、力だって上なんだ。油断していると逆に叩きのめされちまうぞ? 重々覚悟しておくんだな。」
 なかなか手厳しいが、黙っておかずに言ってしまった辺りは、やはり親バカの現れか。そして、神妙な顔で聞いている衣音くんと対照的に、そんな心配なんてどこ吹く風という顔の坊やであることへ苦笑が洩れる。どうにも気になる気性をしている長男坊で、ついつい…この、昔は無頼で鳴らした海賊剣士が、柄になく襟を正してやりたくなったり"ちょっとそこへお座り"と構えたくなる。奥方は"腕白で結構じゃないか"とまるきり気にしていないらしく、
『似た者同士だから余計に気になるんじゃないのか?』
『…似てるか?』
『おう。俺のお目付役じゃあなかったなら、ゾロもああいうタイプだったと思うからな。まあ…落ち着きのない跳ねっ返りなところは俺に似てるけどさ。』
 成程、ルフィには説教しないで諦めていた分も、今の小さいうちから根気よく躾ければ何とかなるのではなかろうかと、そんな風に思ってしまう自分なのかも知れないなと、妙な納得をしつつ、
"けど、ホントに何とかなるのかねぇ。"
 三ツ児の魂、百までなんて言いますからねぇ。もう五つになった坊やであり、これはちょっと…手遅れかもしんない。
おいおい


            ◇


 普段着に着替え、帰途につく他の生徒たちからの挨拶を受けてから、師範父子と衣音くんの三人は揃って母屋の方へと向かった。枝折戸を抜け、時折笑い声のさざめく気配がする中庭へ直接回ると、縁側に集まった女性たち…と奥方が、何やら手作業をしながらお喋りしている真っ最中であるらしく、
「あ、お父さん。」
 母上の背中におぶさるようにぴとんとくっついて、大人たちのお仕事を眺めていた娘御が真っ先に声をかけ、それに続いてルフィが顔を上げた。
「おう、練習、終わったのか。」
「ああ。」
 昼下がりの春の陽気にぽかぽかと暖かいそこは、何ともほのぼのとした雰囲気に満ちていて、
「何してるんだ? 皆で。」
「土筆
つくしだよ、土筆の袴を取ってんだ。」
 今朝方早くに、門弟さんたちが裏手の竹林や土手の草引きがてら、ついでに摘んで来てくれたらしいのが、大人の腕での一抱えほどもありそうな大きめのザルの中、結構な高さの山になっている。
「土筆の"ハカマ"?」
 銘々で抱えているザルがなければお膝に上がりたいらしく、どこか甘えるように身を乗り出して来た坊やが訊くのへ、母御は甘く笑って手にしている土筆を目の前にかざして見せた。
「ここんとこのことをそう言うんだって。」
 春の野辺に顔を出すかわいい野草。土の筆とはよく言ったもので、その穂先から等間隔に節になっているのだが、その部分を取り巻く細い冠のようなぎざぎざを指しているルフィで、
「これを取り除
けないと、堅くて舌触りが悪いし、アクが抜けないんだって。」
 ふ〜んという顔になり、
「オレも手伝う。」
 坊やが手を出しかかったが、
「あ、坊っちゃま。おやつがまだでしょう? 衣音くんも、お部屋の方に用意してあるから食べてらっしゃい。」
 ツタさんが目配せをし、お手伝いさんが立ち上がってお嬢ちゃんを促す。
「さ、行きましょうね。」
「はぁ〜い。」
 それへと続くべく、庭下駄を蹴散らすように脱いで縁側へと上がった坊やが、
「衣音、来いよ。」
「うん。」
 声を掛けたのへ頷いたこちらは、だが、ちゃんと…坊やがばらばらに飛ばした分の下駄まで揃えてしまうから、
「お邪魔します。」
 相変わらずお行儀のいい坊やである。そんな彼からの会釈に"にっこり"と頷きを返して、さてさて。
「さあ頑張ろうっと。」
 続きに精を出す奥方だ。指先や爪をほのかに黒ずませて確かに"頑張って"はいるらしいのだが、一緒に並んで同じ作業をしていたツタさんやお手伝いさんと比べると…それぞれの膝のザルに収められた量が雲泥の差だったりするから、
"相変わらず不器用だからな。"
 ちろっと微笑した師範殿は、
「どら。」
 奥方の隣りへ腰掛けて未作業の分を手に取ると、大きな手だのに結構器用にぷちぷちと取り去ってはルフィの膝のザルへと放り込んでゆく。…と、
「あ、一緒にしたらダメだって。」
 奥方が非難するような声を上げた。
「何が。」
「俺のは…ツタさんにあとで点検してもらうんだから。ちゃんと取れるんなら別のザルに入れなよ。」
「…おいおい。」
 自分で、それも威張って言うことかな、それ。二人の会話にくすくすと微笑うツタさんの声に、ふと思い出すものがあったらしい。
「覚えてるか?」
「んん?」
 手は休めず、ゾロが呟くような静かな声になった。
「お前さ、ここに来たばっかの頃、いつもツタさんの後をついて回ってて。料理でも掃除でも、俺もやりたいってさんざん愚図って手ぇ出しちゃあ邪魔してたろが。」
「邪魔なんかしてねぇもん。」
 すかさず口許を尖らせるルフィであり、ツタさんもにっこり笑って、
「そうですよ。ちゃんとお手伝い下さいましたよ?」
「ほら見ろ。」
 なぁと顔を見合わせたりする。奥向き担当の皆さんのチームワークはなかなか手ごわいようである。まるで親子のような息の合いように、ゾロは思わずくくっと笑った。と、そこへ、
「…あ、は〜い。」
 お勝手の方からの声がした。乾物屋さんかそれとも居酒屋『えるど』さんかの御用聞きさんが来たのへ応対した門弟さんが、少し大きな声でツタさんを呼んだらしい。
「ちょっとすみません、行ってきますね。」
「うん。」
 年の割りには機敏で動き惜しみをしない働き者のツタさんが、パタパタ急ぎ足でお勝手へと向かう。それを何気に見送ってから、返事こそしはしたがこちらは顔も上げぬまま、プチプチと袴とりに熱中している奥方の無心な横顔を眺めていると、何となく顔がほころんでくるご亭主だった。まるで変わらないのだ。何にでも懸命で、だのに、どこか幼くて拙くて。戦いにはあれほど頼りになる、信頼のおける奴だったものが。今でも…ここ一番の決断や、自分や子らへの意見には、ちゃんと自信たっぷりに胸を張って、威厳とやらを保っている彼なのが。何故だろう、日頃の何でもないことへはたいそう危なげで、一時だって目が離せなくって。そして、その懸命さと拙さが、例えようもなく愛惜しい。
"…おっと。"
 そんな妻を見やる眼差しの"にやけ具合"がさすがに自分でも判って、
"いかん、いかん。"
 ぱちんと軽く、自分で自分の頬を叩いた師範殿だ。
「んん? どした?」
「いや…小さな虫がいてな。」
 誤魔化すと、それへは疑いを寄せなかったらしいが、
「あ、そのままの手ぇ使うなよな。」
 傍らにあった濡れ布巾を差し出すから、
「…几帳面になったな、お前。」
 この対応にはちょっとびっくり。ほんの数年前の海賊時代、物によっては手づかみで食ってた人物の言いようとは到底思えなかったからだが、
(笑)
「へへへっ。さっき俺もツタさんに言われたんだ。手伝いたいって言ったら手をきれいにしてからですよって。」
 正直に白状してペロッと舌を出すところがご愛嬌。言われた通りに手を拭い、こちらも再び作業に勤しむ夫の大きな手を見やり、
「………。」
 ふと、奥方はうっとりと蕩けそうなほど和んだ顔をする。何でも出来て頼もしい手だ。無骨だけれど、触ると堅いけど、力持ちで温かで、海にいた頃からのずっと、大好きだったゾロの手だ。刀を握る同じ手が、不器用ながらも頬にかかった後れ毛を掻き上げてくれもした。素手での喧嘩もかなり強い同じ手が、顎にそっと添えられると何故だか動けなくなるようになってしまったのはいつからだったっけ…。
「…どした?」
 その手がピタッと止まって、そんな声が掛けられた途端、
「あ…や、な、何でもない。」
 はっと我に返った奥方は慌てて自分の手元へ視線を戻した。何でだか頬がぽうっと赤らんだ妻にキョトンとしつつ、大きな手の中、小さな土筆は次々と、棘を取られてはザルへと収められてゆく。

 「………。」「………。」

 春のぽかぽかした昼下がり。大きさの違う二人の背中が縁側に並んで座っていて。少しばかりうつむいて、ほのぼの、のほのほと山菜料理の下ごしらえに勤しんでいる図というのは、見ていて妙にやさしい風景だったりする。これがあの、王下七武海のクロコダイルさえ素手で殴り飛ばした命知らずの海賊王と、血に飢えた魔獣、転じて、世界一の大剣豪の二人だと、一体誰が信じることだろうか。
こらこら


  ――― まあ、こんな日もあって良いかなと。



  〜Fine〜  02.2.13.〜2.14.
                     (あらあら、バレンタインデイだわvv


   *カウンター16000HIT リクエスト
     ちか様『二人並んで胡座をかいて、土筆のハカマを取っているゾロル』


   *いかにも春という風景ですね。
    土筆のおひたし、実はまだ食べたことがありませんで、
    でも、ツタさんの作るのだったら食べてみたいなと思う、
    食いしん坊将軍な筆者でございますvv(成敗ってか?/笑)
    ちか様、こんな出来でよろしかったでしょうか?


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