月夜見
雨催い
       
 剣豪生誕日記念SSDLF
 
 

 ふと。辺りがシンと静まり返ったことに気がついた。此処がそもそも人々の賑わいからは随分と離れた場所だったから、昼日中であってもずっと静かではあったけれど。そういう"何も無い"という無機質な静寂ではなく。何かが人知れずこそりと張り詰めているかのような、ちょいと突々けばとんでもないことが雪崩を打ってあふれ出す、その寸前の静謐しじまのような。間近い嵐を感じてあらゆるものたちが息をひそめた…そんな"気配"を帯びた静けさが、周囲に立ち込めているような気がした。ガラスの代わりに頑丈そうな鉄の格子が嵌まった、廊下側に開いた窓から、音もなく忍び入る夜気も何だか重たいし。ほのかに錆臭い匂いもどこかからして来るようだから、もしかして雨が近いのかもしれない。
「………。」
 薄暗い中で何となくの感覚で拾えたそれらに、だが、それ以上の関心までは沸かない。時折聞こえる誰ぞの人声以外には、今のところ興味がない。それにしたところで、昨夜聞こいた下士官たちの会話を最後に、もうどうでも良くなってもいる。


    『…ということだ。海域外に出たのなら、無理から追うこともあるまいしな。』
    『それはそうだが…。』
    『また非情なことだな。』
    『そうだな。これまで奴の腕っ節に少なからず助けられて来たんだろうに。』
    『まあ、そこが海賊の海賊たるところってやつなんだろうけれどもな。』
    『我が身だけが可愛い、か。』


 下種
げすな輩よと吐き捨てるような言われよう。自分へ対してのものならば、不敵に笑って聞き流せたが。そうではなかったものだから…咄嗟にムッとしかかった自分の青さにこそ、力ない苦笑が洩れてしまった。小さな窓が天井近くにあって、昼には陽射しが浅い角度で、夜には月光がほのかな明るさとなって忍びいる。あとはただただ無愛想な、漆喰塗りのノッペリした壁。ただの漆喰ではあるまい。恐らくは中に鋼やら何やら埋めた多層構造になっているのだろうから、たとえ両の手が自由であっても、たとえ得物(武器)が手近にあっても、そうそう簡単には抜け出せまい。そんな獄舎の奥向きにて、重い鉄の枷を両手首にかまされたまま、軽く目を伏せたままで壁に凭れて座している。明かりも乏しく、壁も何も古びて煤けた、こんなところにポツンと放置され、尚且つ、そんな扱いに悄然と準じている姿は、命運尽きたことに気力も萎えた、ただただ情けなくも みすぼらしいばかりな男…と見えもする。

  ――― だが。

 短く刈られた髪をのせた頭が やや横手に傾いて据わっている肩や、すっかりと力を抜いて背を丸めた上体。一見すると、いかにも焦燥している人物の消え入りそうな印象ばかりをたたえていながらも…よくよく見れば。大きな肩に厚みのある胸板。立てた膝にひょいと引っかけた剥き出しの腕の逞しさも、飾りではなかろう強壮そうな力感をひそめており、巌
いわおのように雄々しく鍛え上げられた頼もしき体躯をした人物で。一口で言えば…重厚な男だというのがようよう偲ばれる。ちらりと覗く横顔には、切れ上がった目許に、口角のはっきりした口許。よくよく鞣なめした強い革のような艶つやのある、陽に灼けた浅黒い肌におおわれて、仄かに頬骨の立った精悍で男臭い鋭角的な顔容かんばせには…今の状況から しようがなくに張りつけられた、不貞腐れたような表情も結構似合っているけれど、本来の彼が陽の下で常に見せている、それは強気で不敵な笑みの方が、数倍も魅力的に映える筈。いまだ衰えない野望を抱いた覇気や、その若々しさから黙っていたって ほとばしるだろう精気を、だが、よくよく練られた柔軟性の中に巧妙にカモフラージュ出来る。そう。気配さえ薄く、頼りない風情で蹲うずくまっているように見えるのは、そう"見える"ように構えてのこと。まるで野生の生き物と同じよに、無駄な警戒を招かぬよう、その存在感を押さえることも出来る彼は、今やこの魔の海でも広く名を馳せている剣豪、ロロノア=ゾロという青年である。そんな男が何故また、海軍とはいえ…こんな小さな島に駐屯する小規模な陣営に捕らわれてしまったのか。

  "失態、ではあるか。"

 この"グランドライン"の航行には"ログポース"という独特の指針を用いる。強烈な磁気を帯びた島々によって構成されている海域であるがため、地磁気を読み取る一般的な羅針盤が効かないためであり、よって、先にある島と引き合っている磁力線の方向を記憶出来るという、独特な指針器を使うしかないのだが。その方向を確定させるだけの磁力を溜めるのに必ず島へと上陸せねばならず、また、その磁気が必要量溜まるのにかかる時間も島によってまちまち。相手の島が小さかったり遠かったりすれば、自然と時間も掛かるというもので。よって、島からの出港が、本人たちの意の侭
ままにならない場合も時にはある。………で。この島は規模としては小さいものの、港近くに海軍基地がある街だから。無用の騒ぎを起こすのも剣呑と、物資の補給もそこそこに、次の島への航路を指すためのログが溜まるのを息を殺すようにして待っていた彼らだったのだが。ひょんなことから町中にて"ささやかな騒ぎ"を起こしてしまい、正体を見極められた船長さんを逃がすため、剣豪さんが囮になり、そのまま何と捕らえられてしまったのだ。いつもなら、適当に足止めを兼ねた時間稼ぎをしてから、相手をやすやすと平らげて。そのまま彼自身も逃げ出し果おおせていたのだが、今回は少々間が悪かったらしく、
"…ダセェ話だよな。"
 自分の雄々しい身体と、自在に宙を走ることで"盾"にもなる隙のない剣撃とで、追っ手の進行を余裕で堰き止めていたのは、崖っ縁沿いの細い細い小道。先に船へ急がせた船長さんと仲間たちの姿が、結構な広さがあって…しかも迷いやすい獣道だらけの森の中に紛れるまではと"足止め役"をこなしていたゾロだったのだが、
『…わっ!』
 そんな彼の足元から、ひょこんと飛び出した小さな影。びっくりしたその上に、その小さな野兎が自分の足幅の間へぴょいと飛び込み、そのまま蹲ったものだから、
『こ、こらっ。退
けっ!』
 小さな背中、踏み付けそうになったのを躊躇
ためらった刹那、直接向かい合っていた海兵が突き出した…犯人捕獲用のU字型の槍"刺股さすまた"の先が肩を突き、バランスを崩して崖下へと転落。幸い命には別条なかったが、天下に"鬼神"として名を広めて来た剣豪が仔ウサギを庇って取っ捕まるとは何とも腑抜けた話よと、その日のうちにも海軍基地中の話題になったらしかった。………う〜ん。確かに、それはちょっと。らしいっちゃ らしいかもしれないけれど…ねぇ?(笑)
"…ちっ。"
 自分が生け捕られたことへは不思議と不安はなかったが、連中が無事に逃げ果せられたのだろうかと、そちらばかりが内心でギリギリするほど気になった。仲間とは名ばかり、皆それぞれに別々の野望を持っている他人同士で、日頃は寄ると触ると悪態をつき合っているような間柄だが、ここ一番の判断力や行動力には信頼をおいている。それぞれの得意とする担当分野においての一流揃い。そして。それぞれにそれぞれなりの意味合いから大切な、この世にたった一人しかいない"我らが船長"を守るためなら、何を捨て置いてでも逃げ延びようとしてくれる面々でもあり。だからこそすっかり任せはしたものの…直接対峙した面々に結構鍛えられた手合いが詰めていたことが意外だったので、向こうへの追っ手もさぞかし手ごわかったのではなかろうかと、そうと思うと何となく落ち着けなくて。
『安心しな、毒なんざ盛りはしねぇ。それどころか、これでも囚人食には勿体ねぇくれぇの御馳走を揃えて出してんだぜ。』
 気になったあおりで、手をつけなかった食事を取り替えに来た看守が、何を勘違いしてかそんなことを言ったほど。
『お前さんクラスの大物は、公開審判と公開処刑に掛けられる。だから、ピンピンしといてくれねぇと、こっちの面子が立たねぇんだとよ。』
 それと。もしかして仲間が助けに来ないとも限らない。殺しちまっては餌にはなんねぇからな。そんなような、どこか分かったような言い方をしていたところを見ると、
"…そうか。奴らは捕まってはいないか。"
 ほうと。やっとのこと、肩から力が抜けたゾロだった。そして、彼らの船が監視の隙をついて海域の外に出たらしいという話を昨夜とうとう洩れ聞いた。これでようやく自分のことを考えることが出来ると思った。此処を出さえすれば、まあ何とかなるだろう。あれこれと計画的な段取りや手管を取り揃えているほどの"知能派"ではないが、自分なりの脱出法くらいの心得はある。命も野望も何一つ、諦めてなんかいない。生きてさえいれば、いつか何処かで仲間たちとも逢えるだろう筈。これから、を、前向きに考える準備は万端だった。だのに…。

  "………。"

 何でだか、気勢が上がらない。食事にも手をつけたし、今日一日は昼の間中ずっと仮眠を取っていた。体力は万全だし、手首に架せられたごつい手枷は、そのまま、漆喰壁を叩き崩す籠手の代わりに使えもする。日頃の鍛練で蓄えた筋力は、たとえ刀が手元に無くとも常人の数倍もの馬力を発揮出来るから、どんな分厚い、どんな頑丈な壁でも、この彼にはさしたる障害にはならない。そんなに広い基地ではないから、誰ぞを羽交い締めにして愛刀たちの居場所を探るのも、さほど骨ではなかろうし。………だというのに。何でだろうか、気勢が上がらない。

  "…いかんな。"

 呆れ半分の苦笑が洩れた。雨が近い。そして…此処には"彼"がいない。自分の気勢を萎えさせるには一番に効果のある条件が、よくもまあ上手いこと揃っていることか。湿気に過敏になるようなデリケートな人種ではないのだが、それでも…雨には何となく気鬱になってかなわない。大切なものを失った時に必ず響いていた雨音と匂い。生まれて初めて立ち塞がった手ごわい壁であり、そのまま好敵手同士となった少女が、実に呆気なく亡くなった野辺の送りをひたひたと濡らしたこぬか雨。初めて人を斬り、命を奪った晩に篠突いてた驟雨。それから…。

   ――― ………。

 立ち込める温気の中に、どこかで墨を磨っているかのような つんとする匂いが這って来るのが、薄闇の中、漆の上へ鮮やかな朱墨を零したみたいにくっきりと分かる。雷を連れて来そうなこの匂い…鉄臭い大気の匂いは、血の匂いにもどこか似ていて、何となく気が滅入る。何も嫌な記憶ばかりではない。砂漠の王国の内乱を治めた一件では、ぼろぼろになりながら戦った最終決着を恵みの雨の中で迎えたし、波が荒れるほどの嵐だと困るが、命の綱である飲料水を簡単に蓄えられるので、真水が降る雨は船乗りには歓迎すべきもの。なのにも関わらず、素直に喜ぶことが出来ない自分に気がつく。一番間近いところにあって、一番苦かった雨の記憶。他と違って"失った"訳じゃあないのだけれど、それでも。思い出すごとに苛々と。腹の底に、胸の裡に、居ても立ってもいられないような苛立ちを招く、あのシーン。

   ――― 悪りぃ、俺、死んだ…。

 宙の高みに設けられた処刑台の上。身動き取れない枷に嵌まったまま、あっさり簡単にその首を落とされかかった船長の、潔
いさぎよすぎる別れの言葉が、いまだに耳に蘇る。現実の素っ気なさを重々知っていながら、それでも…諦めなければ希望は届くと、望みは叶うと、漠然とながらだが、そんな風に思っていた自分。現に、どんな修羅場も窮地も自慢の腕っ節一つで切り抜けて生き残って来られたから。世を舐めていたつもりはなかったが、それでも…自分の人生、たいがいのことは自在に運べる身になれたと、どこかで思い上がっていたのかも。だからこそ、あの瞬間、どうしてこの手が届かないのか、そして…どうして"彼"はあんなにもあっさりと、自分たちの居残る現世に見切りをつけられたのかと。その二つの事象へ…愕然とした後に猛烈な勢いで沸いて来たのは。分かりやすい絶望なんぞよりももっと激しくて複雑な、ただならぬ怒りという感情だった。辺りを真っ白に叩いて、全ての存在を一瞬だけ浮かび上がらせた後に ふっと掻き消した稲妻の光と雷鳴。そんな暗転の後も、もしも"あのまま"だったなら。自分もやはり生きてはいなかったと思う。人としての何かしらを見失い、暴れるだけ暴れて、手が届く限りの何もかもを屠(ほふ)って。そう…人としてはもはや存在してはいられなかったかも。………だが。その直後に、天の底が抜けたように一気に降り出した土砂降りの雨の中。

  ――― やっぱ生きてら、もうけ♪

 悪運の強い船長さんは、落雷に救われて、けろっとした顔で戻って来てくれて。雨の冷たさに意識も冴えて、掴み掛かって言い聞かせるのはいつでも出来ることだからと、その場から逃げることへと気持ちを切り替えることも出来た訳ではあるのだけれど。いやに呆気なく"ふしゅん"と萎えた憤怒は、だが、それなりに大きなものではあったからか。発散されなかった憤懣を満たしたいかのように、雨が降るたび…どこかから、記憶の底からじわじわと滲み出して来ては、嫌な想いだけを腹の底へ、鉛の重さで流し込む。

  "今、思い出してどうするよ。"

 早く此処を出て、奴らを追わなければならないのに。頼り
アテにしてはいる仲間たちだが、それでもやはり"戦闘"では自分ほどの働きはこなせまい。破天荒船長の背中を預かり、守れるのは自分だけだという自負がある。だから、とっととこんな味気のない場所、追ん出てしまわねばならないのに。何故だろうか、覇気が沸かない。まるであの時のルフィのように、何かしら観念している自分なのだろうか。みっともなくても構わないと、諦めの悪さで胸を張って来た筈なのに。世界一の剣豪になるためには、どんなことをしたって生き延びると、それをこそ唯一の心の杖にしていた自分だった筈なのに。
"…軟弱になっちまったもんだよな。"
 く…っと。不意に口許に浮かんだ苦笑を咬み殺す。こんな風にごちゃごちゃと考えるだけの余禄が、いつの間にやら心の襞のあちこちに蓄えられていた自分。必要なのは野望だけで良かった。そこへと辿り着くためなら人としての矜持さえかなぐり捨てようとしていたものが、いつの間にやら…仲間だの、彼らへの信頼だの、揚げ句に雨への憂鬱なんぞを、暢気にも心のどこかでなぞって堪能していたりするなんて。相棒や仲間という存在が、余裕をくれたということだろうか。自分以外はみんな敵。一瞬たりとも気を許さずにいた。力がついてきて雑魚には無視
シカトをくれてやれるようになっても、やはり何処かで…眠らない心が冴えた眼差しを周囲に向けていた。それがどうだ、大切なことを誰かに"任せたり、委ねたり"するようになっている自分。こっちからだって…もしも逃げ切れず、やはり此処へと収容された仲間があったなら、何がなんでも助けて逃げ出そうと構えてた。だのに…無事に逃げ切れたらしいと確認が取れた途端に、こうまで気が抜けるとは。これは確かに"腑抜けになった"ということだろう。こんな様を、あの船長さんに見られたならば、


  「何をぐずぐずしてやがるっ! とっとと逃げ出して来ねぇかっ!」


 そうそう、こんな風に威勢よく どやしつけられ……………………え?


  「…ルフィ?」
  「おうっ!」


 声がした方向、真正面の壁の上部をがばっと見上げる。天井近くに穿たれた風取りの穴。そこへと顔を突っ込んでいたらしきルフィであり……………。何故だか。そこで もぞもぞと止まっているばかりなものだから。
「だぁーーーもうっ、何してやがんだ、お前はよ。とっとと降りて来いっ。」
「だぁ〜〜ってよぉ〜、この壁、何か力が抜けて〜〜〜…。」
「てぇーいっ! 海楼石が仕込んであるんだから、お前は うかうかと触るなって、ナミさんやロビンちゃんから言われてただろーがっ!」
 壁の向こうからの、やはり聞き覚えのある声とによる会話が続いた…かと思ったら。

  ――― どごおぉっっ!!

 牢獄全体がびりびりと震えたほどの衝撃の後、真正面の壁にぴきぴきと亀裂が走って。
「どゎああぁぁっっ!」
 やっぱり数十センチほどは厚みのあった壁が、こちらへ向かって一気に…崩れつつもほとんどそのまま倒れ込んで来たから堪らない。がらがらゴロゴロ、重たげな瓦礫が崩れ落ち、もうもうと上がる土埃の中、
「………あ〜あ。」
 聞いただけで気の抜けそうな、脱力気味の溜息声へとかぶさったのが、
「何すんだよっ、サンジ! ゾロが死んじまったらどーすんだ。」
 俺たち、助けに来たんだぞ?と、涙が出そうなありがたいお言葉に、
「…そうかい、そうかい。世話ぁかけたな。」
 色々と言いたいことを 天こ盛りにしたようなお声とともに、がらがらと瓦礫の下から緑髪の"捕らわれの姫"が身を起こす。

  「誰が姫だっ!」

 こっちに八つ当たりせんでも…。
(笑) 漆喰や鋼や鉄線・鉄骨、ついでに海楼石だろう拳大の鉱石、堅そうな岩塊やら砂塵やら。かなりの分厚さで降り積もった中を一歩一歩掻き分けるようにして、髪の色が黄粉きなこ色に変わったほど埃塗まみれになった剣豪さんが牢屋…だった敷地から出て来ると、
「おおっ! ゾロだ!」
 こちらさんもおでこや鼻の頭やら、顔のあちこちに土埃を塗り付けた童顔の船長さんが、それは嬉しそうに飛びついてしがみつく。手が枷で塞がっていてバランスが取りにくかったか、それとも…今更に照れてのことか、
「こ、こら。辞めねぇか。」
 突然の愛しい温みへ少々たじろいで見せた剣豪さんへ、
「ヤダっ!」
 何日振りだと思ってんだ、と。妙なことへ偉そうに言い返しつつ、ぎゅむぎゅむと尚のこと抱き着く船長さんがさっきまで立っていた辺りからは、
「ドジにも程があんぞ、クソマリモ。」
 日頃からも可愛げなく吊り上がった眦
まなじりを、こちらも尚のこと鋭く尖らせた、金髪碧眼のコック殿が、いつもの闇色のスーツ姿を薄闇の中へと踏み出して来た。
「どんなに待っても逃げて来ねぇ。そんで痺れを切らして迎えに来てやったんだかんな。」
 恐らくこの壁をお見事な足技にて蹴り崩したのだろう、相変わらず偉そうに構えた好敵手殿の言いようへ、
「何を偉そうに履き違えたことを言ってやがんだよ。」
 こちらさんだとて黙ってはいない。
「何だと?」
「こんなとこにフラフラ舞い戻ってんじゃねぇって言ってんだ。こんな暇があったんなら、とっとと外海へ逃げねぇか。」
 何のために自分が囮になっていたのやら。せっかくあの場から逃れるための時間稼ぎをしてやったのに。それを無にしたばかりでなく、

  《 幹部の救出のために舞い戻って来るかも知れない》

 ここの連中のそんな予測の下、体のいい"餌"にされていたのへ、見事に食いついてどうするかなと、むっかり怒って見せたゾロだったが、
「出てたサ、ナミさんが見事に追っ手を撒いてな。」
 サンジがポケットから摘まみ出したのは紙巻き煙草。口の端へと咥えたその先へマッチで火を点けつつ、
「お前が時間稼ぎをしてくれたおかげさんで、補給物品全部が余裕で積み込めたし、海上に出てからも釣竿に魚が入れ喰いでな。作り置きの常備菜にって、煮物・佃煮、作り放題だったさ。」
 …サンジさんたら。
(苦笑) 一体何の話だ、そりゃあ…とばかり、剣豪さんが怪訝そうに眉を顰めていると、
「だってのに、待てど暮らせどお前からの音沙汰がないからだな…っ。」
「音沙汰も何もねぇだろがよっ!」
 こんな牢獄から外海へ、どうやって連絡取れってんだっ…と。いきなり口喧嘩が始まっておりますが。
(笑) さっきからいやに自然体での会話をしている彼らであり、厳重収容されている囚人をこんな大胆な方法で救出するとは、彼ららしくはあるけれど…なんでまた この大騒ぎに海兵たちが駆けつけないのか。

  「………そういえば。何か所内が賑やかだが。」

 ゾロがやっと
(笑)そっちに気を取られたのへ、
「こら、まだ話半分…。」
 喧嘩の途中だろうがと食ってかかるサンジを押しのけて、
「気がついた?」
 小さなトナカイドクターさんが、自分よりも上背のある彼らの足元から、とんとんっと懸命に飛び上がりながら嬉しそうに笑って見せた。
「この町中の犬や猫、ネズミやタヌキ全部に声を掛けて回ったんだ♪ 今夜はこの基地でパーティーをするぞって。食糧庫のドアを開けとくから、皆で集まれって。」
 うくくと笑うチョッパーを抱き上げて、
「そっちの突撃に海兵の殆どが泡食ってるからな。こっちの様子見には当分来られねぇってことよ。」
 シェフ殿がにんまり笑って見せる。
"…成程な。"
 こっそりこそりという侵入はどうせ無理な相談だろうからということで取られた、彼ら向けの大胆奇抜な手筈なのだろう。途轍もなく思い切った作戦には違いなく、
"考えたのはウソップかナミか…。"
 いやいや、あの考古学者嬢かも。高額賞金首たちが全員がかりで出張るほどのこともなしと。それよりも、さあ逃げるぞという段階で実は細かい人手がたくさん必要な、船の方の守りを受け持って、作戦だけ授けたのであろうと思われる。あまりに鮮やかな作戦へ呆気に取られたか、口喧嘩の勢いもそのまま収まってしまった剣豪さんへ、
「ほら。手ぇ出せ、ゾロ。」
 ルフィが"にししvv"と笑いつつ、かざして見せたのは手枷の鍵。そして、
「これもこれも♪ ちゃんと持ち出しといたぞ♪」
 チョッパーが…肩車してもらってるサンジの首をひねって振り向かせ、その背中に差し込んで来た三本の刀をゾロへと見せる。
「…なんてトコに入れて来やがる。」
 ホンマにねぇ。
(笑) 錠の方へ集中しつつ、
「いいじゃん。きっと人肌に温ったまってるぞvv」
 訳の解らないことを言い出すルフィへ、
「どんな御利益があるんだ、そりゃあよっ。」
 相変わらず不機嫌そうに言い返すゾロだったが、
「そろそろ海兵たちもこっちに気がつく。」
 宵闇の中、別の棟の方を透かし見ていたシェフ殿が、こちらへは背中を向けたままに言う。
「助けに来たとは言え、こっから出てくのにまでは手は貸せねぇかんな。」
「ああ? どういう意味だ、そりゃあ。」
 回りくどい言いようへ、気が短そうな喧嘩腰で応じれば、
「船までの道行き、自分でしっかり退路を切り開けってことよ。」
 お迎えに来はしたが、脱走は自分の足でな…と、判り切った事、わざわざ訊いた彼だったのは。なかなか脱出して来ないまま、妙に腰の重かった…何にか感慨深げになっていたゾロの心情、彼なりに ちらとでも察したからだろうか。
「………。」
 そんな微妙なところをなぞられ、何とも言えない不機嫌顔で、相手の澄ましたお顔を思い切り睨み返していると、
「…よしっ。」
 船長さんの弾んだ声が上がったと同時。かしゃん…と外れて足元へと落ちたは、重くて忌ま忌ましかった鋼の手枷。別に…これのせいで逃げ出すのが億劫だった訳ではないが。
「はいっ、刀。」
 刀が手元に無かったから、あまりに腰が軽くってと…それで気が乗らなかった訳でもないのだが。
「あ。ちっくしょ、とうとう降って来やがった。」
 何となく苦手な雨の気配に捕らわれて、それで気鬱だったからという訳でもないのだけれど。何かが足りなくて動かぬままにいたこの身だったのに、

  「行くぞ、ゾロっ。」

 いつだって目映い笑顔のこのお天道様に、こうとはっきり尻を叩かれては。どんな理屈も心情も後回し。何を置いても従わざるを得ないじゃないかと。男臭い顔に、やっとのことでいつもの苦笑が滲む。

  「おうっ。」

 冷え冷えと冴えた、だが、触れただけで呑まれそうになるような。そんな生気に満ちた双眸が、夜陰を射貫くように見開かれる。遅まきながら こちらへ駆けつけようとしている海兵たちの陣幕を見据えて、腰に差したる三本の刀を、とりあえずは二本ほど抜き放って両手に構えた剣豪さんへ、サンジが"くくっ"と短く笑って、
「迷子にだけは なんな? もうお迎えには来ねぇからな。」
「好きに ぬかしてろよなっ。」
 双璧さんたちの悪態の応酬、いつの間にやら…妙に楽しげな顔でのそれに変わっていて。紡いだ言葉こそお互いへのものなれど、戦意の方は共通の敵へ向いているとありありと分かるから、
「…行くぞっ!」
 船長さんの号令一喝。辺りの茂みを叩き始めた、強めの雨脚の音さえ掻き消して。気合いの籠もった怒号が上がった。只今売り出し中の『麦ワラ海賊団』が誇る"肉弾戦闘班"三巨頭たちのフルセット、お相手しなくちゃならなくなった海兵さんたちに、
"こういうのも出会い頭
がしらっていうのかな。"
 選りにも選って、意気揚々 やる気満々な時に当たるだなんて 間が悪かったねぇと。茂みの陰からつくづくと同情したくなったチョッパーだったそうな。………って。こらこら、戦線離れて隠れててどうする。
(笑)






  〜Fine〜  03.10.5.〜11.2.


  *PCくんが突然旅に出てくれた余波で、
   秋の予定は半月分もズレてしまいました。
   無事に済むのかどうかと何とも落ち着けなかったものだから、
   書き溜めも侭ならないままに11月になってしまいました。
   去年のにぎわいに比べて
   何ともささやかな"祭り"となってしまったことよ。
(くすん)
   もしかして時間が許せば、まだ何か書くかも知れませんが、
   今のところはこれ1本です。
   DLFと致しますので、よろしかったらお持ち下さいませ。

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