月夜見   冬のとある日

 

   「う〜〜〜ん。」

 鈍色の空だ。頭上には雪だか氷雨だかを蓄えてでもいそうな重いグレーの雲が垂れ込めて、いかにも"冬"という寒々しい空模様。ずんと湿った潮風舞い散る甲板では、気温も随分と下がって来ていて、
「おい、ルフィ。」
 キッチンの窓から見かけて見とがめたらしいサンジが、キャビン前のデッキまでわざわざ出て来て、主甲板に大の字になっている船長へと声をかけた。
「んなトコに寝てっと風邪ひくぞ? 何か着るか、さもなきゃあキャビンへ入れ。」
 何しろ相変わらずのあの格好だ。袖のないシャツに膝丈で切った短いジーンズ。しかも生足に草履ばきと来て、真夏には軽快でもあろうが、
「へーきだぞ?」
 どこか鈍チンな本人様の体感はともかくも、
「見てるだけでこっちが寒いんだよっ。」
 まったくである。
"ったくよぉ、保護者はどうしてんだか…。"
 その視線を甲板のあちこちにさまよわせれば。上甲板の柵、いつもの定位置に凭れている緑頭を乗っけた大きな背中が見えた。
「???」
 剣豪殿はいつもの場所でどうやらいつも通りの昼寝を敢行中らしいのだが、それなのにその相棒の船長さんは離れた主甲板でのごろ寝。そうそういつもいつも、べたべたと至近に居合う彼らではないが、それでもこれはちょっと珍しい構図。何だろうかと気になったらしいサンジは、キッチンのドアを閉め、主甲板まで降りてゆく。その長身にシャープなラインでフィットした、いつものダークスーツ姿の彼にはさして堪
こたえない気候だが、ほとんど素肌丸出しも良いところな恰好のルフィには、吹きつける潮風の塊りもかなり冷たい代物な筈。だというのに、やはり冷たいだろう湿った板張りの上へごろんと転がっている彼であり、
「何をやっとんだ。横になるだけなら、いつもの医務室ででも出来るだろうがよ。」
 雨や雪の降った日は、キッチン横の"医務室"にてチョッパーと一緒にお昼寝するのが常な彼であり。いくら寒いのは平気でも、それはそれ。どうせなら暖かい環境の方が心地良いだろうに、何を酔狂に"一人我慢大会"と洒落込んでいるんだろうかと思えばますます不審。靴音をこつこつと刻みつつ、傍までやって来た黒づくめのコック氏に、
「うん…。あのな、」
 ぴょこっと身を起こすとその場に胡座をかいて、幼
いとけないお顔を上げて見せる。大きな眸は相変わらず、元気な張りもあるのだが、口許が少々…物思いの傾斜で曲がっているかも。
「もうすぐ2月だろ?」
「ああ、そうだよな。」
 唇の端に煙草を咥わえたまま、片膝突いた恰好で傍らへとしゃがみ込む。それでもややサンジの方が目線は高く、そんな相手のお顔を見上げつつ、
「ビビの誕生日が来るなぁって。」
「お…。」
 おやおや。それはまたお珍しいことを。ただでさえ…季節感はないわ、波が荒れればそれに掛かり切りとなり、今日が何日なのかも曖昧になりかねない、そんな海の上だというのに。それへ加えて、下手をすれば自分の誕生日さえすこんと忘れてしまうような、そんなお呑気な彼なのに。
"ビビちゃんか…。"
 悠久の歴史を誇るアラバスタ王国の皇女、ネフェルタリ=ビビ嬢。このグランドラインに入ってすぐに、行きがかり上ながらも同行することとなって。そこから始まったのが、王国存亡をかけた一大紛争への殴り込み。アラバスタへ辿り着くまでの航海中も含めて、数々の試練や苦闘・死闘を一緒にくぐり抜けた、それはそれは大切な仲間。
"…う〜ん。"
 それを思うことがいけないとは言わないけれど、やっぱり何だか突拍子がないよなと…と、怪訝そうな顔でいると、
「チョッパーがな、薬の整理をしてたらさ、ビビが大きさ揃えて作ってくれてた"薬包紙"っていうのが出て来たって、何かしみじみしてたんだ。」
 ああ成程な、それで話題が広がって、そういえば…って間近いお誕生日の話も出たのだろうと、そこへの得心はいったが、
「何だなんだ、それでおセンチになっとったんか?」
 まさかこんなにも離れた場所からお祝いもなかろうと、静かな声で言ってやれば、
「それ、ゾロにも言われた。」
 むむうと頬を膨らませるから。
"…おや。"
 あの保護者と対応が一緒だったというのは…何だかちょっと…複雑な気持ちがゆらゆら木の葉のように舞い降りて来て。心の地面に降りた瞬間、思い切りムッとしたシェフ殿である。
"あんな野郎と感じ入り方が同じとはな。"
 何だかトホホじゃねぇか、クソったれ…とか感じたらしく、せっかくの繊細なお顔が何ともしょっぱい面差しとなる。これもまた一種のプライドみたいなもんですかね。
(笑)それはともかく。
「こんな遠くて寒いとっからじゃあ何も届かないってのは、俺にだって分かってるさ。」
 夏島海域にあった灼熱の砂漠の国。雨こそ降るようになったらしいが、それでもやっぱり、今のルフィのいでたちでも十分心地よく過ごせるだろう、こことは気候がまるきり違う遠い国。
"まあ、気候の違いはあんまり関係ないんだけれどな。"
 まあね。それを言ったら、もっと遠くなった筈のチョッパーの故郷は、この辺りの海域に似た冬島でしたからね。時折ちらほらと落ちて来る雪に、懐かしいなとはしゃいでた幼い船医さんであり、暑さ寒さは"距離感"には関係がないのだが、
"寒いとこだと配達鳥も滅多に飛んでこねぇからな。"
 新聞を配達する鳥"ニュース・クー"は何とかやって来るものの、電信関係の鳥にはなかなかお目にかかれない。せめて手紙くらいならと思いついたらしいのだが、通りかかったナミに
『そりゃあ無理だわね』
とあっさり却下されたらしい。しかも、
「ゾロまでがさ、ナミの言う通りだ、諦めなって言うんだ。」
 ぶうぶう、不平たらたらと唇を尖らせる船長さんであるものの、まま、確かに。いくらルフィを甘やかすのが三刀流と同じほど得意技な剣豪でも
おいおい、このお願いばっかりは叶えてやれないお手上げな代物でもあろう。
"そんで、こんな離れたところで不貞寝してたってか。"
 ちらっと見やるは、厳格なお父さんの大きな背中。こういう時は頑として動かない、他の何かでご機嫌を取る機転が利かない、頑固に加えて何ともかんとも不器用な人。ルフィとてそんな彼であることくらいは分かっている筈だ。器用にも機転が利いたら却って気味が悪いかも。でもでもやっぱり気が収まらなくって…という不貞寝だったと。事の事情の全てを聞いて、やれやれと肩をすくめ、
「で。どうしたいんだ? お前としちゃあ。」
 お兄さんとしては、やっぱり早いとこ防寒態勢に入ってほしい。極寒地獄を今と変わらないいで立ちで駆け回ったほどに、寒さに無茶苦茶強い奴だというのは経験上から重々判っちゃあいるが。それでも…この幼い船長さんには、こんな風に安穏と何もない時くらい、ほこほこ暖かいところでのんびりとしていてほしいから。そういう場へとっとと追い立てる切っ掛けを見い出すべく、お望みとやらを訊いてみる。すると、
「う〜〜〜ん。」
 細っこい腕を胸元に組んで見せ、厳しいお顔になって考え込む。なんだ、お手紙以外は具体的なもの、何ひとつ思いついてもいなかったらしい。考えて考えて、
「うん。やっぱりビビのこと祝ってやりたい。」
 3年もの間、王宮からも国からも遠く離れて、自分の素性もひた隠しにして。たった16歳の少女が、世間というものをほとんど知らなかった王女様が、その身ひとつで飛び込んだのは、そこに所属し生き延びるだけでも苛酷すぎる、悪の魔窟バロックワークス。一触即発という状態の王国から離れたその上に、敵陣の只中に身を据えてその正体を探るためだけに身を粉にして費やした日々を思うと。頑張り屋さんだった王女のこと、やっぱり忘れられない、忘れたくない仲間だから。
「ビビが生まれて、だから俺たちと逢えたんだから、やっぱ目出度い日だもんな。」
 にひゃっと笑って、
「向こうへ届いたら一番嬉しいけど、それは無理なんだろ?」
「まあな。」
 まるで自分の力不足ででもあるかのように、残念がって眉を下げて是と頷くサンジへ、
「だったら仕方ない。自己満足で良いから、祝いたい。」
 おおお、自己満足とはまた、難しいお言葉を。
(笑)うくくとばかり、やっと笑った笑顔のままに機嫌も直ったらしいルフィに、サンジの側でも釣られるように笑ってやって、
「判ったよ。その日は祝宴バージョンの飯を作ってやる。ただし。」
「んん?」
 どんな付け足しがあるの?と、小首を傾げる船長さんへ、
「あまり大っぴらには出来ねぇ。それは心得とけ。」
「??? なんでだ?」
「ロビンちゃんがいるだろうがよ。」
「???」
 う〜ん、相変わらずに鈍いお方だ。
"…まあ、彼女本人は、そういうのにいちいちこだわらない大人ではあるがな。"
 ビビとアラバスタ王国を苦しめた"バロックワークス"の元女幹部。彼女の場合は自分の夢に繋がる"手段"という形で関わっていただけで、クロコダイルの野望なぞ知ったことではなかったらしいし、それと…これは誰にも明らかにはされていないことだが、本当はポーネグリフの中に最終兵器の記述があったことを黙っていた彼女だそうだが、それはそれ。どんな事情がどんな思想や価値判断が彼女にあろうと、ビビのいた立場と正逆の位置に立っていた"仇敵"存在であった事はゆるがせに出来ない確固とした"事実"に違いない。とはいえ、
「今はもう関係ないじゃん。」
 やっぱりルフィはあっけらかんとしたもので。
"…言うと思いました、はい。"
 そもそも、彼女をこの船に乗せた時だって、そっちの点でのこだわりはまるきりなかったルフィなのだし。この点への彼の判断基準は相変わらずに謎なのだが、それを言えばもっと最初の、まだ素性が判らないでいたビビをウィスキーピークまで乗せてって良いと断じた前例だってある。
「な、な、お祝いだ。2月すぐのお祝い。」
「はいはい、了解しました。」
 これ以上は問答もないかという苦笑混じり。お日様船長が"にししっ"と笑ってくれるなら、もうもう何でも良いわいと、日頃はどこか気難しいシェフ殿もぎりぎり何でも飲み込んでしまう。
「判ったから、な? 頼むからキャビンへ入れ。」
 それか上着を着なと"めっ"という顔、あらためて目許を眇めると、
「判ったっ。」
 ぴょこっとバネ仕掛けの玩具のように素早く立ち上がり、そのままキャビンに向かうかと思いきや、
「ゾロ〜〜〜っ。」
 彼が向かったのは船首側の上甲板。ぱたたた…とお元気に駆け登り、
「あのな、サンジがな…。」
 早速のご報告と来たから、
"はいはい、そうですか、そうでしょうとも。"
 そんな背中を見送って。少しばかり…寒さの中にいたせいで、強ばりかかっていた長い脚を"くぬやろっ"と勢いをつけて伸ばしながら立ち上がる。これもまた、しようのない順番というか優先順位とでもいうのだろうか。何でも母親に報告する幼子のようなもので、あらゆる感覚を共有していたいからと自然にすっ飛んでいった彼なのだろう。苦笑と共にやれやれと、ちょっぴり甘酸っぱい感慨を噛みしめてみた、そんなサンジの視線が落ちてた甲板の板張りに、
"…お。"
 鈍色の空も何だか少ぉし明るさを増したようで、マストの陰がうっすらと浮かび上がって来たものだから、
"おいおい。"
 本物のお天道様まで誘い出した奇跡に、尚の苦笑が思わずこぼれた。
"まったく、我らが船長さんはよ…。"
 天然、自然児、破天荒。本人にはまるきり自覚がないらしいが、これまでもこれからも、目を離せない、人騒がせではた迷惑な、それからそれから…お取っときの最高な存在だ。これからもまた、全く先の読めない航海だけれど、彼という指針がいるならきっと大丈夫。そんな想いを新たに噛みしめ、温かいキャビンへと踵を返したシェフ殿である。



   ――― 航行進路に異状なし。





   〜Fine〜  03.1.23.


 *いえ、何だか違ったお話、
  それも出来れば“船上もの”を書いてみたくなりまして。(笑)
  でも、ネタがなかったものだから、こんなやっつけ仕事みたいなお話になってしまって、
  そんなお話に引っ張り出しちゃってゴメンナサイです、サンジさん。
  きっと、今書いてる例の奴で、結構主役張りな立場にいる人だからでしょうね。
  あっちも勿論頑張りますvv


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