月夜見 
綿帽子・ふわふわ”
  



 心地いい潮風の中、ゴーイングメリー号は夏島海域を航行中。
「暦の上での夏になる前までには抜けたいもんだわね。」
 冬場だったら大歓迎なほど、気温・水温の平均値が高いこの海域は、真夏を迎えると灼熱地獄と化すことを、求めた訳でもないのに体験済みの彼らだったから。クルーの中でも慎重派な方の航海士さんが、半ば祈るように希望を口にしたけれど、
「そういう願いごとは、具体的な格好で思ったり口にしたりをしない方がいいって言うわよ?」
 黒髪のお姉様が聞きとがめたらしく、小さく笑いながらそんな助言を与えてくださる。
「え? そうなの?」
 ホントに?と、たまたまキッチンデッキに居合わせたトナカイドクターまでもが、何故だかびっくりしたように訊き返して来たのへ、
「ええ。正夢になってほしい吉夢と同じでね、形にした途端に、その“完璧な構図”から少しずつ欠けてゆくものなんですってよ?」
 だから、自分の胸の裡
うちでだけ、しかも曖昧なままにしておくといい。口になんてしちゃダメだし、多大に期待するのもよした方がいい。そうした方が叶いやすいんですって。わざとらしくもの内緒話、少しほど声をひそめて言い置くロビンへ、ナミもチョッパーも、何度もしっかり“うんうん”なんて頷いて見せている。
“銭勘定にはシビアなくせによ。”
 意外なところで、チョッパーのような子供と一緒の感性をしていようとはねと、聞くともなく聞いてたやり取りの中、いつも偉そうな航海士さんの反応へとついつい“くすす♪”と苦笑してしまった剣豪は、そんな自分のお顔が皆からは見えない方向、船首側の上甲板へと向かっており。結構な重さと存在感を持つ大太刀3本を、邪魔にもせずに腰へと下げたその威容や、底の分厚いワークブーツを履いての無造作な歩き方などなどから、どういう種の用心深さなのだろか、さりげなく気配を落としている消気の所作も相変わらず。だっていうのに、

  「ゾロ、さっき面白いもんが飛んで来てたぞ?」

 舳先の羊頭に胡座をかいてた船長が、待ってましたのタイミングにて、薄い肩越しに振り返ると、そりゃあ身軽に飛び降りてくる。午前中に壮絶な筋トレを後甲板にてこなすのが、ゾロの日課と知っていて、それでの“おあずけ”をちゃんと守っていたらしく、
「ほれ。」
 歩み寄ってくるのを待つのももどかしいとばかりに、自分の方からぱたたっと駆け寄り、まだまだ子供の域を抜けない輪郭・造作をした手のひらを片方、バッと広げて見せたのだけれど、
「…馬鹿には見えない羽衣か何かか?」
「あれれぇ?」
 お見事なくらいに空っぽの手のひらだったので、これでも気を利かせたつもりのお返事を返した剣豪さんであり。当のルフィもおやおやと常から大きめの眸をますます大きく見開いたものの、
「あ、ちくしょ、汗で縮んじまったんだ。」
 じぃっと手のひらを見聞してから、そっと指先で摘まんで見せたのが、糸屑みたいな小さな何か。
「捕まえんの、結構難しかったんだぞ?」
 面白かったけどと付け加えたそれは、どうやら元は、
「綿帽子か。」
「ワタボーシ?」
 何だそりゃあと、今度はルフィの方が訊いたのへ、
「ホントの正式な名前は知らねぇが、タンポポとかの花が終わると、綿毛のついた小さい種が出来るんだ。」
 彼にしてみりゃ、何てこともない知識というか物覚えなのか、すらすらと語って聞かせるゾロであり、
「まるで真ん丸な綿の玉みたいんなったそれが、十分に熟すと風に吹き散らかされてどこぞへ飛んでく。それの一種が飛んで来たんだろな。」
 陸地が近いかそれとも、島ぐらいでっかい亀か何かの背中に生えてたのが、時期よく飛んで来たのが届いたか。よっこらせと板張りの上へ腰を下ろしながら付け足した、結構物知りな剣豪さんの言いようへ、
「綿帽子か〜。」
 面白い名前だなと、綺麗な歯並びを見せて“きししvv”と楽しそうに笑った船長さん。何のついでだか、腰を落ち着けた剣豪だと見るや自分も甲板の上へとしゃがみ込み、それが当然のことと言わんばかりの態度にて、ゾロの懐ろ、深さのあるお膝の上へと乗り上がる。
「だ〜〜〜、こら。暑苦しいぞ。」
「今日はまだ涼しい方だぞ。」
 答えになってない応じ方をするルフィもルフィなら、嫌がってるよな言いようをしながら“じゃあその手は何?”と突っ込まれそうなほど案配よく、後ろへ転がっていかないようにと小さな背中へ延ばされた、ゾロからのフォローの手があったりもして。相変わらずな人たちがそれもまた定位置の座りように落ち着いて、さて。

  「ナミのみかんの鉢から飛んで来たのかもな。」
  「それはないと思うぞ? だって凄げぇ丁寧に手入れしてるもの。」

 省略された主語は、今は面影もない綿毛つきの種のことであり。余計な雑草は見逃さないナミだし、それはサンジとチョッパーが手入れしている菜園も同じこと。限られた土だから、雑草なんかに栄養を横取りされてたまるかって言って、こ〜んな小さいうちから容赦なく引っこ抜いてるぞと。自分の手の指先を輪っかになるようくっつけて、何かしらを摘まむ真似をわざわざして見せる、船長さんの幼さよ。話の内容よりもそんな所作へと向けてのこと、微かながら目許を細め、小さく笑った剣豪は、
「村に居た頃は、そうやって空を飛んでけるってのは、何とも自由で気ままなもんだななんて思ったがな。」
 時折、潮風にはためいた勢いが余って、真ん丸な頭からすっぽ抜けそうになる麦ワラ帽子を押さえてやりつつ。気ままなところでは誰にも負けない、無邪気で冒険好きな船長さんをついつい見やる。
「? 今は思ってないのか?」
 そういう言い方だぞと、そこはいくら鈍チンな彼でも…言い回しに含まれてた機微が判ったか。自分よりも大柄ないい体格で、だからこそ居心地のいい懐ろから。頑丈そうな作りなのに、形も案外整っている、剣豪さんの顎先や口元なんぞを見やりつつ、ルフィがポンッと訊いたらば。
「う…ん。気ままなのかねぇと思っちまったからなぁ。」
「気ままじゃねぇの?」
 ふわふわ、気持ち良さそうに飛んでたぞ。
「けど、それってのは、自分の力でではないだろうが。」
「あ、そか。風に乗って飛んでたもんな。」
 風に行く先を左右されてたから、気ままじゃないって思ったのか? 端的に訊かれて、こちらもあっさり“うん”と頷く。
「じゃあ、鳥はどうだ? 鳥は自分の好き勝手に飛べるぞ?」
 ルフィがグライダーの翼を思わせるような両腕の広げ方をして見せたその弾み、傍らの柵へと立ててた和刀の1本が傾きかかったのを、器用にも後ろ手で支えてそれから、やっぱり見もせず元の位置へと直しつつ、
「大きな鳥ならともかく、小せぇのは海の真ん中にまでは出て来れねぇだろうがよ。」
「あ、そかそか。」
 延々と飛んでもいられず、だが足場がないから休めないだろう大海原へ。そんな…生きてくための最低条件まで危うくなるよなところには行けないし、行かない。自由奔放と言ってもそこはやっぱり、住まいや行動範囲が限られてる自由なんだなと、
“当たり前っちゃ当たり前な話ではあるが。”
 そんな住み分けがあってこその、多彩な生態分布図とそれぞれの適応とか進化でもあろうけど。何にでも“限界”ってものはあるのかなと、ふと思った時期もあったので。気ままな風任せなところを、どこか憧れの眼差しでもって、いつまでも飽かず眺めてた綿帽子の種を。こんな意外なところで見たのへと、ついつい感慨深くなったゾロだった模様。そんな遠い眸に気づいたからかどうなのか、

  「何物にも縛られたくないなら、覚悟がいるんだ、きっと。」

 唐突な物言いはいつものことながら。何をまた、思い切った発言をなさっておいでの彼なやら。自分の懐ろという間近な至近を、顎を引いて覗き込むよに見下ろせば。切れ長の翡翠の眼差しを真っ直ぐ見上げるは、真円に見張られし黒耀の輝き。それが瞬きもしないまま、深い色合いの潤みを光らせて。
「だからよ、人間だってホントは、こんなに岸から離れたとこにいるのは不自然なのによ。」
 けども俺ら、こっちにいる方が長いくらいじゃんか…なんてな。今更なことをワクワクと、それは嬉しそうに言い張って。
「それって、船が頑丈だからってのも勿論あっけどよ。その前に、もっと大事なことがあってのことだろ?」
 危険な場所だって言われてんのは、何も今の、海賊とか無法者たちが闊歩している時代になってからじゃあない。空と同じくらいに広大で、なのに標識も何もなく不安定な。まるで砂漠みたいに、ほんのすぐそこにさえ何が潜んでいるのかも見えない判らない、手ごわいエリアの極み。ご大層な船に乗ってたって波や風にあっさりと翻弄されちゃうし、果てしがなくって掴みどころがないところだってのに、それでもそこを制覇したいと、その向こうには何があるのかなって好奇心が騒いでならなくて。それでとわざわざ危険を承知で船出をするよな人間が、風まかせの綿毛や陸から離れられない海鳥と違うのは、

  「覚悟があっての船出だからだ。」

 自分の意志からそんな危険なことをわざわざするんだ、きっとそこが違うんだぜ? それこそが誇らしいことだと言わんばかり。どうだ参ったかという胸張り腹張り態勢で、嬉しそうな笑顔で言い切る船長さんへ、
「…そうさな。よほどの馬鹿か、怖いもの知らずな向こう見ずしか、こうまでの航海はやんねぇわな。」
「だろう?」
 えっへへんと低いお鼻をそびやかし、おうともさと いかにも力強く応じたルフィだったそのお声を拾ってしまったものだから。あああ、ちっとも堪えてねぇぞ。あれは褒め言葉だと思ってるに違いない。いや待て、もしかしてゾロの方だって褒めたつもりだったりはしないか。いやいやそんな“婉曲な物言い”なんてな高度なテクニックを、あの綿毛頭が操れるものか。そもそも“お膝抱っこ”で語るような話題かなぁ、そだよね、説得力がないよねぇ…などなどと。朝のおやつを運んで来ていたシェフ殿と、皆で一緒に食べようと同行していた船医さんとが、上甲板へ登るステップの間際で立ち止まり、そんなご意見をこそこそと交わし合っていたりして。そしてそして、

  「………おいこら、聞こえてんぞ。」

 船長さん以外へは容赦のない剣豪が、寄り掛かってた柵の隙間から、ジロリという鋭い流し目を階下へくれてやった、丁度そのタイミング。彼らの上へと刹那の陰を落として、1羽のカモメが つーーーいっと滑空してった、何とも爽やかなお昼前の一時だったそうですよ。






   〜Fine〜  06.6.10.〜6.11.


   *最初に海へ空へ、乗り出してみたいなと思った人って、
    思考が物凄く柔軟だったなろうなと思います。
    だって何の足掛かりもない、向こうに何があるのかも判ってないうちに、
    何でまたそんなことを思い立つの?
    空に浮かびたいって思った人にしてもそう。
    飛び上がってその次は何がしたかったの?
    どんな眺望なんだろかという好奇心が疼いただけなの?
    勇気ある挑戦者っていう以前に、発想が凄いなと思ってやみません。
    それで言ったら、ナマコとか腐らした豆とか、
    最初に食べてみようと思った人は…
    単にお腹が空いてただけなんでしょうか?
(おいこら)

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