月夜見 puppy's tail 〜その10
 

  “…痛いの?”




 11月の声を聞いた途端という勢いで、山々が山頂から色づき始め、辺りの空気ががくんとその気温を下げた。ただでさえ空気の澄んだ土地だから、秋冬の到来は下界よりも早い。殊に朝の冷え込みは格別で、今年の夏は寒かったが、秋の初めは妙に暖かな日が続いたりしたものだから、この冷え込みも尚更に"突然のそれ"のようにも思えて。
"…ううう。"
 実は立派な"毛皮"を持っている身でも、ここのところは少年の方の姿で朝を迎えているルフィにしてみれば、かえってギャップが大きいのか、
"寒いのは苦手だよう。"
 目が覚めはしても起き出せず、ぬくぬくのお布団の中で身を縮めていたりする。布団の端から出ていたお顔を引っ込めて、つんつんと冷たくなりかかってたお鼻を擦りつけるのは…傍らにある大好きな旦那様の胸板。背が高くて、雄々しくも逞しい旦那様だから。小さなルフィには余裕ですっぽりと収まることの出来る、それはそれは居心地のいい懐ろで、温かくて良い匂いがして、大々々好きな 幸せの砦。
"くふふvv"
 大きくて優しくて、とっても頼もしいゾロ。大好きvv 大好きvvっと、ちょこっと低めのふかふかお鼻や、マシュマロみたいに柔らかい頬をこしこしと擦りつければ、
「…ん。」
 それが刺激になってだろうか、旦那様が小さく唸る。長い腕が両方とも奥方の小さな背中へと回されて、そのまま"きゅううっ"て抱きしめてくれて。不揃いにぱさぱさと撥ねた黒髪の中、鼻の先っちょを突っ込んで"ん〜"なんて匂いを嗅ぐとこなんか、よほど犬族みたいなことするゾロで。子供みたいなことをするゾロに"くふふっvv"って微笑いつつ、
「起きた?」
「んー。」
 平板な返事。まだ眠いのかな?
「ねえねえ、今日も寒いみたいだよ?」
「んー。」
 今度の"んー"は"そうか、そうなのか"という意味合いのイントネーション。
"まだ眠いのかな?"
 会社勤めではないのだから、いつまで寝ていようが構わないゾロではあるが、毎朝の鍛練を欠かさない彼にしては、なかなか起きないというのは珍しい。今朝はルフィもかなりの時間をお布団の中で粘っていたので、これまでの"お寝坊さん"よりも既にちょっと遅めなのにね。
"昨夜は…早く寝たしな。"
 隣町のアスレチックサロンでのお仕事があった日で、だからって特に疲れて帰って来るようなこともなく。現に昨日もいつもと余り変わらない様子で帰って来たし、
"抱っこもしなかったのにね。"
 ご飯の時にビールを飲んだ訳でもないのに、いやに早めにササッて寝ちゃったゾロだったくせに。
(…それって。/////
"???"
 ちょっとだけ"おやや?"と思ったけれど、そんな寝室が窓からの朝日に侵食されてぴかぴかの目映さに満ちて来ると。不思議なもので…寒いようなんて縮こまっていたものが、まだそこにはない尻尾がふりふりと疼いて来て、じっとしていられなくなるのが"仔犬の性
さが"というもの。
「…るふぃ?」
 ムクッて不意に身を起こした小さな奥方の体を、咄嗟に…まるで逃がすまいとするかのように捕まえたご亭主へ、
「あのねあのね、ゾロ。」
 ルフィは大きな瞳を向けると、体を揺するようにしておねだりの声。
「ちょっとだけお外回って来ても良い?」
「寒いぞ。」
「大丈夫だよ、るうになるからさ。」
 いつものことだようと、だから離してくれないかなと、舌っ足らずな甘いお声で せがんだルフィだったのに、

  ――― ぎゅうぅって。

 頼もしい筈の腕が、ルフィの小さな体を尚のこと抱き締める。少し浮かせかけてたお顔、ぱふんと胸板へ引き戻されて、
「…ゾロ?」
 どうしたの? 見上げてみたけど顔を見るより前に。ぎゅうっていう腕の拘束がもう少し強くなる。

  「まだ此処に居な。」

 あれれぇ? こんな風に引き留められたのは初めてだ。お顔を見ては言えないの? 子供みたいで…甘えてるみたいで恥ずかしい?
"なんか…。"
 なんか、カイがたまに愚図った時に似ている。今の構図とは逆になるけど、お顔をこっちの身に伏せて、覗き込まれないようにって"ぎゅうっ"て抱き着いて来て"ヴ〜ヴ〜っ"て拗ねて愚図るのと、何だか重なって見えて、
"やっぱり親子だなぁvv"
 ほのぼのと笑ったルフィさんである。…こんなデッカイ相手に可愛いなぁと感じるなんて、やはし母は強いなぁ。
(笑)
「ぞ〜ろ。」
「んー。」
 平板な返事は相変わらず。どこか とろんと、このまま また眠ってしまいそうなトーンのくぐもった声。
「判ったから。手、緩めてよ。」
 精悍で男臭いお顔をちゃんと見たいから。ねえねえってお胸をさすってみたけれど、
「………。」
 ゾロからのお返事はなく。
「…ゾロ?」
 また眠ってしまったのかな? いやいや、胸板はさっきまでと変わらない動き。寝てしまったなら、もっとゆったりと上下する筈だし。それに腕だって。ルフィをきゅうって抱き締めた力が ちっとも緩まない。
「…ゾロ? どうしたの?」
 なんだか…なんか変。そうと気づいて案じるような声をかけるが、それでも、
「………。」
 旦那様は答えてくれない。
"…どうしたんだろう。"
 怖い夢とか見たのかなぁ。それで一人ぼっちになるのがイヤだとか。いやいやそんな、自分と違ってゾロはそんなことで怖がったりはしないもん。それじゃあなんで? お腹とかが痛いとか? だったらこんなしてる場合じゃないんだけれど、それだったらお腹を庇う筈だよね。

  ――― ……………。

 それはそれは温ったかい腕の中で、なんでかな、なんでだろと"う〜んう〜ん"と考えていた奥方だったが、


  "……………………………あ。"


 何にか気づいて、大きなお声。階下に届けと張り上げる。

  「ツタさん、タクシーさんを呼んでっ! ゾロ、歯が痛いって。」

 おやおや、それはまた。………痛む場所まで? よく判るもんだねぇ、奥さん。








            ◇



  「ああ、はい。そうですね。これは"親知らず"が伸びて来てますね。」

 明るく清潔な診療室にて、小さなレントゲン写真をかざして眺めていた白衣姿のお医者様は、実に呆気なく そうと仰有り、
「今まで気配とかありましたか?」
「あ、いえ。」
 よく気がつきましたね、虫歯みたいに歯そのものが痛くなる訳じゃなしって、気がつくの遅れる人もいるんですよね。照明が内側に埋め込んである閲覧照射板に、レントゲン写真をパタリと留めて、
「ほら、下の二本がどっちも斜めに出て来かかってるんですよ。」
 アンテナペンで指して下さったが、ゾロはあいにくと専門家ではないのでよくは分からない。ただ、ルフィの指摘はバッチリと当たっていたことになる。


 【親知らず;oya-shirazu】

     永久歯の中でも一番最後に生えてくる、上下の左右、合計4本の大臼歯のこと。昔の人は50歳前後の寿命であったので、親が亡くなった頃に生える歯だから"親を知らない歯"というこの名が付いたと言われている。………俗説かな?おいおい 歯列なり顎なりの形成がほぼ完成してからという"忘れた頃"に生えてくるので、歪んで斜めに生えたり、他の歯や顎へ圧迫を加えたりして支障が生じ、大概は抜くこととなる場合が多い。



 まともにキチンと生え揃う人がまるきり居ない訳ではないらしいが、不思議と…治療までには至らず、そのまま生え揃ったという人を身近に見たことがないから、やはり一般的な認識として"厄介な歯"であるのに間違いはなく。………ここからちょこっとえぐい描写なので、反転描写に致しますが、
(筆者は大学生の頃に一度にめきめきと生えて来て。けどでも…頭痛がしたり耳の奥が痛くなったりという症状からは、歯が原因だとは全然気がつかず。風邪の心当たりはないしなと首を傾げていたら、丁度歯科にかかって治療中だった母が、親知らずかもしれないと閃いて下さったんですね。………で。一度に3本、処置致しました。上の1本は歯茎をちょこっと切って抜いたんですが、下の2本は同じ方法では引っこ抜けず。そこで、クサビとハンマーでガツンガツンと歯を叩いて割り砕いてから取り除くという、荒療治をかまされました。…今から思うと、物凄い構図の治療だったんだよな、あれ。)

 …という訳で。
「そうですね。今日は予約も午後からしか入っていませんし。今から処置して抜いてしまいましょう。」
 医師
センセーが事もなげに言い、
「あ、はい。」
 面倒だからとっとと済ませるに越したことはないと、その点へはゾロとて大賛成だったが、
「…あの、ちょっと待ってもらえますか?」
 横になるよう倒されてあった治療台から身を起こして立ち上がり、待ち合い室の方へと向かう。
「ルフィ?」
 白々と明るく、がらんとした待ち合い室の、ドアに近い隅っこに。フリースのジャケットをお膝に抱えて、ルフィは…ややもすると彼こそが病人のような、苦しそうなお顔でちんまりと座っていて。
"…やっぱりな。"
 だから、帰って待ってろって言ったんだと、内心でやれやれと息をつく。人の姿になると多少は感応レベルというかゲインも落ちるらしいが、それでも犬族の精霊なのだ。嗅覚は人のそれを遥かに凌駕しているのだろうから、この消毒臭い場所が平気な筈がない。
「ゾロ?」
 もう済んだの?と顔を上げたのへ、かぶりを振り、
「これから処置するそうだから、もう少しかかる。」
 途端に"あやや…"と泣きそうな顔をするのへそっと髪を撫でてやり、
「どのくらいかかるのか分からんのだ。だから、先に家に帰ってな。」
「でも…。」
 心配は心配。だから今まで待っていたのだしと、切なげな眼差しを"きゅう〜ん"と向けて来るのへ、さすがに胸が痛んだゾロだが、
「な? カイがお母さんは?って泣いてるかも知れんし、家で待ってておくれ。」
「う…ん。」
 二人の大切な子供。生まれて4カ月ちょっとになる赤ちゃんのことを引き合いに出されると、そこは逆らえないルフィママ。小さな肩を窄
すぼめて、それでもこくりと頷いたのを確かめて。タクシーを呼ぶと、それへと乗り込ませ、さて。
「お待たせしました。」
 ここまでは相変わらずに"愛妻家"のゾロさんだったが、きりりとお顔を引き締めて、いよいよの治療に臨むことと相成った。負けるな、頑張れ〜〜〜っ!
こらこら







            ◇



 結局はお昼を過ぎてからやっと帰って来た旦那様であり、
「ゾロっ。」
 心配で心配でお昼ご飯が喉を通らなかったらしいルフィが、タクシーから降り立ったご亭主の頼もしい体躯へ、玄関先で真っ先に飛びついた。
「ぞろぉ〜。」
「ほぉら、大丈夫ラから。」
 まだ麻酔で舌やら痺れていて呂律が回らず億劫だろうに、ちゃんと声をかけてやるお若い旦那様。相変わらずにお優しいことと、ほのぼのにっこりツタさんが笑って、
「さあさ、坊っちゃま。お家に入りましょう。」
「あ、うんっ。」
 ゾロのこと気遣わねばならないのだと、思い出したようにパッと身を剥がし、大きな手に自分の小さな手だけ重ねてつないで玄関の中へと先導する。
「ご飯は? まだ食べられないの?」
「ああ、まラ無理かな。」
 居間のソファーまで誘
いざなって、真ん中に座らせ、二階の寝室から降ろして来たお気に入りのブランケットをお膝にかけてやる周到さ。そしてそして、ちゃっかりと。旦那様のお隣り…どころか、お膝の上へちょこんとまたがって、そのまま懐ろへもぐり込んでいるあたりは、いつもとあんまり変わらない構図であるのだが。(苦笑)
「痛くない? 大丈夫?」
「ああ。」
 まだ痛いとか何とかいう段階ではなく、
「麻酔がちょっとな。」
 口の中が重く痺れて、苦くて、まともに喋れないのが面倒なだけ。そんな自分よりも、
「消毒の匂いって、嫌じゃラいのか?」
 特徴のある、刺すような匂いなだけに、苦手だろうにと察してやれば、
「う…ん、好きじゃないけどね。でも、ゾロは痛いの我慢してるんだし。」
 奥方なりに頑張っているらしく。でもでも、カイは愚図るかもしれないから。陽当たりがいい別のお部屋、ルフィが私室に使っていたお部屋に移してあるのと、説明してくれてから、
「ぞろぉ〜〜〜。」
 きゅう〜ん、と。眉尻を思い切り下げての切なそうなお顔が懐ろの中から見上げてくるのが、何とも言えず愛惜しい。心配で心配で堪
たまらないの、早く元気になってね、痛いの早くどっか行っちゃえば良いのにねと。真摯なお顔が懸命に訴えてくる。この胸の裡うちにつのってる想いを全て伝えたいのに、でも言葉をあまり知らない身のもどかしさ。鼻声になって"きゅう〜ん・くぅ〜ん"と、甘い甘い声を出す奥方なものだから、
"…それって狡くないか?"
 こっちだって、と。ゾロが苦笑する。何と言ってやれば、この愛しい人は安心してくれるのやら。気の利いた優しい言葉を何ひとつ知らない身だから、胸の奥底がうずうずと疼いてしようがない。消毒の匂いが近づくのは可哀想だけれど、
「………あややvv
 長い腕、その小さな身にからませて。懐ろの中へと、きゅうっと取り込み、
「しばらく匂うが、勘弁な。」
 そんな睦言、耳元で囁けば。
「あ、あやや…。/////
 何だか何だか、今朝方そうされてた時と同んなじで。何だか何だか、ゾロがルフィへと甘えてるみたいで。
「んもう、しょうがないなぁ。/////
 どんなに頑張っても ほころんでしまってしようがない頬を隠すようにと、大好きな胸板へぴとりと張りつき。真っ赤になったままの小さな奥方、やっとのことで安心して……………。


  「………ツタさん、なんか俺、お腹空いちゃった。」


  ――― お後がよろしいようで。
(笑)



   〜Fine〜  03.11.11.〜11.14.


   *カウンター 109,876 hit リクエスト
      ひゃっくり様『ゾロを甘やかすルフィ』


   *ルフィの側が甘やかすのってなかなか難しいです。
    精神的なところでは、既に色々と甘やかしてると思うのですが。
    (ゾロの言うことなら聞いちゃうとか、ゾロが決めたんなら良いやとか。)
    具体的にとなると…逆のパターンばっかり書いて来ましたからねぇ。
    何か…結局はやっぱりゾロの方が甘やかしてますね、済みませんです。

   *そういえば、一番最初に書いたオールキャラものが、
    ルフィが虫歯になるというお話でした。(懐かし〜いvv
    でも、ゾロが虫歯になるという設定にはかなりの無理があるため、
    (歯が擦り減りそうなほど、きっちり磨いてそう。/笑)
    それじゃあと"親知らず"というのを引っ張って来ました。
    でもな〜。
    親知らずって、こんな風に いきなり痛くなったかなぁ?


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