月夜見
  〜海に降る雪・U 『ドラム王国後日談篇』

       *もしかして"蜜月バージョン"かも知れない…。
          (でも、今話にはさすがに"裏"は無いです。またいつかね。
おいおい


 吹雪に逆巻く場合は例外だが、雪はおおよそ音もなく降る。似たような情景である、さくらやアカシアの花びらが舞う時と明らかに違うのは、そう、その風景を縁取る"音"の存在だ。吹きつける風に梢ごとあおられてはらはらと舞う花びらと違って、辺りの物音まで吸収してしまうかのように、静寂の中を真白な来訪者たちがしんしんと降り下りて来て、風景すべてを真白に塗り潰してゆく雪。大洋の只中で降る雪は、積もる場もなく海に呑まれてしまうが、その代わりのように、見渡す限りの空から海までの広い広い空間一杯を無音のまま埋め尽くす様は、圧巻という他はない。



 豪雪と極寒の島、ドラム。厚い積雪と樹氷の群れと、中央に聳え立つ巨大な煙突のような円筒形の奇妙な山々という、風変わりな島。だが、グランドラインにあってはまだ尋常な方で、さほど多くはないながらも幾つかの村に分かれ住む人々が、長い歴史を紡ぎながら暮らして来た島。ここ10年ほど、とんでもない悪政と混乱と動乱に見舞われ、だが、新しく生まれ変わって再出発しようとしていた矢先であったらしくて。だが、そういうややこしい状況を、初めて訪れた自分たちは知る由もなかった。海賊だというだけで普通一般の人々たちから"悪党"呼ばわりされて疎まれるのは已無いとしても、あまりの過敏な反応についつい殺気立ちかけたりもしたが、病人を抱えた立場に理解を寄せてもらい、何とか上陸がかなった。そして………その後の展開や状況を、船での留守番を任された俺は何も知らなかったから。


 当時のドラムが改革の嵐の中にあったというのは随分と後になって知った。横暴で専横な我儘新王ワポルが、地位のみならず悪魔の実の能力を笠に着て、国民たちを散々苦しめた揚げ句、途轍もなく強力な海賊の来襲にあっては国民たちを見捨てていち早く島外へと逃げた。そこで、海賊たちより、むしろ彼とその軍隊とが再び戻って来ぬようにと、あれほどピリピリと警戒していた民衆だったらしい。自分たちが頼り
アテにしていた医者も、ワポルが限られた20人以外を追放した余波でこの島には一人しか残っておらず、その医師・くれはが住むという、標高5000メートル、壁面斜度90度、気温マイナス50度という壮絶にして極寒のドラムロッキー頂上を目指したルフィたちは、途中で猛獣ウサギのラパーンとやらの群れに襲われ、彼らが起こした大雪崩に呑まれた。そして、高熱に冒されたナミと、雪崩の只中に二人を庇って岩に激突したサンジとを抱え、素手裸足でとんでもない断崖絶壁の登攀に挑んだルフィであったらしい。苛酷な自然環境とも、執拗な追っ手であったワポルたちとも戦って、そうして迎えた大団円に、後から駆けつけてやっと同座出来た俺たちへ、
「あ、この野郎っっ!」
 俺のコートから勘違いをし、城の尖塔から突っ込んで来たルフィ。
「何しやがんだ、てめぇっ!」
 相変わらず元気そうなんで良かったと、気が緩んで怒鳴ったものの、
"………ん?"
 よくよく見れば随分な姿だったことへ言葉を無くした。
「ルフィさん、ナミさんは?」
「ああ。ナミもサンジも無事だぞ。元気になった。」
「そう…良かったっ!」
「あ、そうだ、ウソップ。新しい仲間を見つけたぞ。」
 ビビやウソップへと盛んに話しかけたり、新しい仲間だというトナカイを元気そうに追いかけ回したり。不意に黙りこくった俺だと気づいていながら白々しくも避けてやがる。上等じゃねぇかよ。何か言われるって判ってるってことだな、その態度はよ。


            ◇


「…な〜んか俺んこと、避けてないか? お前。」
「んなコトないぞ。」
 時には真横から吹きつけもする雪に純白に塗り潰された城壁が、今は無風の静寂の中、これも静かに降りそそぐ月光に青白く染め上げられていて、なかなか幻想的な風景である。天までの空間に雲以外の遮るものを持たず、宙空に孤高と威厳をたたえてそびえ立つ白いドラム城。その昔は民を厳然と見下ろし、権威の象徴だったろうこの城も、今は風変わりな老女医の住まいだそうで。その前庭で蒼い月光の下に二人きりという機会を持てた。だというのに、白い息を吐いてごろごろと雪玉を転がしながらの受け答えをするルフィであり、そう…こちらを真っ直ぐ向こうとしない。疚しいというか気まずいというか。こちらの言いたいことが薄々自分でも分かっているらしいと知れる態度であり、相変わらず判りやすい奴である。ここは焦らさず、受けて立ってやろうじゃないかと、
「怪我だらけだしな。」
「………えと。」
 容赦なく痛いところを突いてやる。…いや、ホントに傷口を突いた訳じゃなくて。
「まあ、すんなり運んでいるとは思ってなかったがな。」
 思えば…海域に入ったその時から波乱の予感はあったのだ。だのに、居残りを割り振られた身への、今更ながらの恨み言に近い言いようだったかもしれない。それらをぶつけられたルフィはといえば、
「………。」
 相変わらずこちらを向かず、腰までありそうなほど大きく育てた雪玉の表面を、ぺたぺたと叩きながら無言でいる。袖の片方が付け根から千切れたチェック柄のジャケットは、確か船から降りた時にナミが着ていたものだった筈。下はいつもの膝までしか無いジーンズに、やはりいつもの草履ばきという素足。この極寒気温の中、良くもまあ平気でいられると思いつつ、ざくざくと雪を踏み分けて近づき、雪玉の上へ広げて載せられてあった手を掴み取る。手袋は嵌めておらず、しかも、
「手当てしてもらってこれか?」
 痛々しく腫れて、まだらに色の変わった肌と、ほとんどが割れている爪。この手でよくも雪をいじれるなと呆れて、その冷え切った手のひらを片方、自分の頬に引き寄せた。
「…ゾロ?」
 自分の手で頬杖を突く時のような位置にと顎近くに添わせ、内側のくぼみを口許に当てて、そこへ口唇を押しつける。雪より冷たく凍えた手だった。
"…ったく。"
 無残なまでに傷ついた、小さなこの手の持ち主を見下ろせば、黒々とした潤みに頭上の星を浮かべた大きな眸をきょろんと瞬かせ、こちらを真っ直ぐ見上げてくる童顔が訳も無く愛惜しい。頬を寒さに真っ赤に染めながら、けれど本人としてはさほど堪
こたえていないのか震えてはいない。それでも何だか痛々しくて、腰に巻いたサッシュを解くと、コートの前を開け、細っこい身体を包み込む。
「わっ! 何だ、ゾロ。お前、上、裸じゃんか。」
 そういや素肌の上に着てたなと今になって思い出したが、
「構うな。お前だって人のことは言えない格好なんだからな。」
 そうと言って抱きすくめる。驚きはしたが逃げるつもりはなかったらしく、
「ひゃぁ〜、温ったけぇ。」
 嬉しそうな声が胸板にくすぐったい。ひやっと触れた小さな体の冷え切った感触に、だが…不思議なもので、こちらも尚の温かさを感じた。毛布でもあれば脚の方も包んでやれたが…と思いつつ、ふと、すぐ後ろの形ばかりの花壇らしき植え込みに気づくと、その縁取りに埋め込まれた石の、低い段差にすとんと腰掛け、膝の上…腰の深みへまで引き寄せて横ざまに抱えてやる。上半身はこちらの分厚い体のせいもあって二人分には窮屈だったが、長い裾は動きやすいようにか生地が随分と余っている型のコートだ。その裾をぎりぎり引っ張り上げて、大外から巻き上げるようにすれば、これもまた少々窮屈ではあったが、折り曲げさせた膝や脚を充分くるんでやれた。ぴったりと寄り添うような格好になると、そこはさすがに温かさに擦り寄りたいらしく、こてんと素直に凭れてくる。引き寄せるようにして抱え込んだ脚の方もまたかなり痛々しい有り様で。擦り傷や凍傷だけでなく、あちこちに小さな火傷まであったのは、ワポルとの戦いで砲弾を浴びたせいらしいと後で判った。
「こんなになって。俺がいりゃあ、ちょっとは…。」
 違ったろうにと言いかけたこちらの口許を、今度は自分から伸ばして来た手のひらで塞いで、
「悪い癖だぞ、それ。俺を叱るんじゃなかったんか? ゾロ。」
 ああ、そうだったよなと思い出す。つい…一番言いたいことが、想いが、真っ先に溢れてしまったようだ。ここは一応の順番を踏むべきだろからと、リクエストにお応えして、
「俺が無茶ばっかするって責め立ててから一週間と経ってないぞ。」
 リトルガーデンでバロックワークスの一味に捕らえられた。堅いロウによる拘束からその身を解放するためにと、自分の足を自分で切り落とそうとした無謀な行為を、
『良くやったって褒めてやれない、とっても怖かった』
と責められた。文字通り身を削るような無茶をやらかしたことへ怯えた彼に、済まなかったなと謝ったのはついこの前。だというのに、謝らせた本人がこれではなぁと、暗に仄めかすと、
「それを言うんなら、ゾロだってその脚で早々と歩き回ってるじゃんか。」
 むうと口を尖らせて言い返す。無茶の数え合いに持ち込むつもりらしくて、
「お、一丁前に口答えするか。」
 ぎゅううぅっと腕を狭めて胸板へ押しつけるようにすると、途端に、
「あはは、苦しいよぉ。」
 辺りに立ち込める冴えた夜気を蹴立てるように、はしゃいだ声を上げて笑う彼で。それがまた、何とも言えぬ…小さなものの拙い愛らしさに満ちていて。
"こいつは…。"
 叱るつもりでいた気分を易々と蹴散らしてくれる小憎らしさよ。思えば、修羅場の只中にいる時はこの自分が対等な実力を認めている彼だのに。揺るぎない正道主義というポリシーの下に、どんな敵にも鬼神のように容赦なく立ち向かい、薙ぎ払われても叩き伏せられても、何度でも起き上がっては果敢に躍りかかって喰いつく粘り強さを発揮し、最後には血まみれになってでも勝利をもぎ取り、豪快に呵々
かかと笑うような奴なのに。そんな場と今のような平生との落差が、どうしてこうも大きい彼なのだろうか。こんなに小さくて、あっさりと掴まえられて。そして…こんなに愛しくて。戦いの最中に彼との呼吸の合いようへと感じる小気味の良い血の騒ぎが、一変して…毛並みの良い小さな生き物の、撓やかで壊れやすそうな感触を腕の中に抱えさせられたような。ちょっと不安定な、だがいつまでも撫でていたいような離れ難さを、とぽとぽと胸の奥へ注ぎ込まれるような感覚。
"…こういうのも蠱惑っていうのかな。"
 それとも、それは彼のせいではなくて、尋常ならざる場とは違う条件下でのこちらの安穏さが、そうと感じさせているだけなのだろうか? 戦いの最中と同様に、実は日頃だって頼もしい彼だのに、そうと思えない自分の感覚の方が訝しいのだろうか。
「…ふに。」
 体の芯へとゆるゆる染み込む温かさに眠気が催したか、ともすればうとうとと蕩けそうな顔をしながら、
「今こうして一緒に居られるんだから良いじゃん。」
 もう済んだことだと、取り合わないつもりなルフィらしいが、こちらとしてはそうはいかない。
「お前、俺ん時は何て言ったか覚えてんのかよ。」
 俺が腹を立てているのは、厳密に言えば無茶をしたルフィへではない。そうすることしか選べない状況を作ってしまった自分が不甲斐ない。何が剣士か、何が仲間か。肝心な時に何もしてやれず、彼一人に全てを背負わせた。それがどうにも歯痒くて。だのに、選りにも選って"彼"へと噛みついているこの矛盾。
「ビビから聞いたぞ。」
 ルフィは不意にそんな風に呟いた。んん? と小首を傾げると、
「ゾロ、麓の村であの"邪魔グチ"の兵隊をやっつけたんだろ?」
「邪魔グチ? あ、ああ、ブリキ野郎のことか。」
 まあなと応じた途端に、口許だけで"にぱーっ"と笑って見せる。
「ちゃんとゾロにしか出来ねぇ仕事してんじゃん。だから、傍にいなかったから俺に無茶させたって、いっつもみたいに自分に怒るのはナシだぞ?」
 理屈の順番に勝って"してやったり"という意味の笑いだったらしい。急に暖まったせいで眠くて眠くてしようがないのだろう。それがぎりぎりの限界だったらしく、ぱふっとこちらの胸板に顔を伏せたかと思ったら、あっと言う間にくうくうと寝息を立て始める。
「………お疲れさん。」

 子供じみて聞こえる、どこかやさしい船長命令だが、それを呑まねばならないことが歯痒い苦さで喉を焼く。ああやはり敵
かなわない。ぬくぬくと安らかに眠る顔を腕の中に見下ろして、せめてこのささやかな一時くらいは守ってやろうと、やわらかに腕の輪っかを窄すぼめたゾロだった。



 美しく、どこか物悲しい桜色の雪が降りしきる中、新しい仲間の加わった一団は、新しい航路へと漕ぎ出した。いよいよの決戦の場へ、いよいよのアラバスタへ。戸惑いや気後れは、後悔や慚愧(ざんき)と共に雪の中へ置いてゆこう。永遠の凍土の中、誰の目にも留まらぬようにと祈りつつ…。


   〜Fine〜  01.11.30.


   *冬が舞台のお話は、
    自然な成り行きとして"触れ合い"が盛り込めるのでちょっと好きvv
    別に大していちゃつかせはしなかったのですが、
    どこか『蜜月』っぽい間柄ということで。
    (だから"裏"がないという解釈もありです。
こらこら

   *いつもお世話になっておりますカエル様へ、
    4000HIT おめでとうございます記念、です。
    どうかお受け取り下さいますように。

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