月夜見
  〜海に降る雪

       リトルガーデン 後日談
                 (そんなシーンは入る余地もないぞと言われればそれまでですが…。


        




 全身にじっとりとまとわりつく暑さに気がついた。身体の芯から"じくん"と滲み出た汗に全身の隅から隅までを蒸されているような暑さで、再び意識が飛んでゆきそうになったが、
"………。"
 時々、額や頬、首筋を冷たい何かが撫でていて、それがたいそう心地いい。
"…何をしていたんだっけ。"
 此処はどこだろう。どうしてこんな暑い中に横になってるんだ? 手は動きそうだが、足はダメだ。随分と重いし、向こう脛の辺りが両方ともかっかと熱い。まるで焼けただれた鉄の足枷でも嵌められているようだ。…ああ、また、涼しい風が吹いてくる。こっちへ行けば少しはマシになるんじゃないのかな。足が動かないんじゃダメか?

「…ダメだ。動いちゃ。」

 パッと視野が開けて、誰かが胸元へ覆いかぶさっていると気がついた。片方の腕の肘から先を差し渡す格好で胸板を押さえ込み、もう片方の腕で両腿を軽く押さえている。目が覚めたと同時に反射的に跳ね起きようとしたのを、こちらも反射的に食い止めたというところらしい。
「…ルフィ?」
「目ぇ覚めたな。」
 声をかけると、腕を離して身を起こす。帽子はかぶっていない。そんなせいか、少し固い表情がすっかり晒されて良く見える。ざっと見回したこの部屋は、怪我人がしょっちゅう出ることから設けられた"医務室"で、常時ベッドが空いている。
「ずっと付いててくれたのか?」
 それもお前が、と訊きたかったところをズボラするから、返って来たのは、
「そんな長いことじゃない。」
 微妙に肝心なところを空振った答えだった。少々記憶が混乱していたが、もう既に出航しているはずで、忌まわしくも思い出深い"リトルガーデン"は、もう遥か彼方となっているのだろう。
「静か…だな。」
「皆、疲れてるからな。ウソップは寝てるし、ナミやビビも休んでる。」
 相変わらず憮然としたままで応じるルフィで、ウソップやサンジに比べたら、自分と同様、言葉足らずなのが常な彼ではあるものの、それだけではないような気配がある。
「…怒ってるのか?」
「当たり前だ。」
 ちょっと意外な答えだった。
「自分で斬ったっていうじゃないか。」
 しかも、あの大怪我にもかかわらず、自力で歩いて船まで戻った人である。
「言っとくが…。」
 普段なら素直に耳を傾ける筈の、ゾロの声をさえぎって、
「助けを待ってるのは性に合わない。自分だけなら、ギリギリまで粘った上で諦めるって手もあるが、ナミとビビもいた。そんなだったら俺だってそうしたかもな。けど…。」
 皆に言わせりゃ"信じられない無茶をする"同士なせいか、何かにつけ言わずとも判ってくれる彼が、解るが判りたくはないと、そういう顔をしている。気概は解るが感情的に収まらないと、そんな顔をしている。
「目が覚めたんなら、薬、飲めるよな。」
 無愛想なまま椅子から立ち上がる。引き留めようと延ばしかけた手が宙を掻き、だが、ルフィはそれに気づいたかどうか。ドアを閉じる音までがどこかよそよそしいものに聞こえた。
“ルフィ?”
 宝物な筈の麦わら帽子を、ベッドのヘッドボードに引っ掛けて置き去りにしたままだというのも、彼には珍しいことだった。




        




 貯蔵庫から今日使う野菜を選んでキッチンへ向かう途中、ドアの前で突っ立っている彼に気がついた。立っている方向からして、凭れているドアの向こうから出て来たところか。
「…どうした?」
 声をかけると、はっと顎を上げて我に返り、
「何んでもねぇ。」
 短く答えるルフィだったが、何でもないって顔じゃねぇだろがと、サンジは小さくため息をついた。
「ほら、食堂に来な。腹に何か入れりゃあ落ち着くから。」

 作り置きのクッキーとミルクティー。いつもなら皿を置くより先に伸びて来る手が、今日はテーブルの上にさえ載ってない。
「目ぇ覚ましやがったんだろ?」
「…うん。」
「つい喧嘩になったか。」
「…。」
 なんで判るんだ? という眸を上げて来る。
"寝てる間だけ傍にいたかったなんてのは変だろうが。そういう相手が目ぇ覚ましたんなら、もっと嬉しそうな顔になってるもんだ。"
 本当になんて判りやすい奴だろうかと思いはしても、それをそのまま言って良いものか。うなだれている彼を前に、少々手をこまねいていると、
「ルフィさん。」
「ん?」
 どんな危機にも溌剌としている彼がこの沈みようだというのが痛々しいのだろう。おずおずと声をかけて来たのはビビだった。ナミと二人してこのキッチンへ丁度来合わせていたらしい。
「すみません。」
「何がだ。」
 単調な声。発した本人にはそんなつもりはなかったろうが、ビビにはどこか冷ややかなものに聞こえたようだ。それでも、勇気を振り絞るような面持ちで言葉をつむぐ。
「皆さんが…ルフィさんや Mr.ブシドーが酷い目に遭われたのは私のせいですもの。」
「何言ってる。」
 淡々とした声のまま、ルフィは否定して来た。
「悪いのは間違いなく奴らだ。何の落ち度もないお前は謝んな。お前に謝られると、俺たち、そんなにも力が足んねぇんだなって思い知らされる。」
「あ…。」
 きっちりと理を踏んだ言いようではあったが、
「くぅおら。」
 すかさずサンジが、後ろから回して来た足の先で後頭部をこづいている。
「そういう言い方は よしな。」
 勇気の要った"ゴメンナサイ"を否定されるのは結構手痛い。そういう繊細な機微にはうるさいサンジの叱責に、
「…うん。ごめんな、ビビ。」
 ルフィも素直に謝った。そこへ、
「ほら、ルフィ。薬と水。」
 ナミが薬を用意して持って来た。
「痛み止めはともかく、化膿止めの方は必ず飲ませるのよ? 分量は瓶に書いてあるから。」
 誰に…と聞き返しもせず、受け取ったそのまま立ち上がってキッチンを後にするルフィであり、それを見送って、
「あいつが誰かに当たるなんて珍しいな。」
「やっぱりダメージが大きいのよ。」
 サンジとナミが肩を竦め合う。
「え? あ、でも。」
 こちらは意外そうな顔になるビビだ。突き放すような口調ではあったが、充分庇ってくれた言い方ではなかったかと感じた彼女であるらしかった。だが、
「日頃のあいつなら"そんなことあったっけ"みたいな、すこーんと忘れたような言い方をするわよ。」
 ナミが太鼓判を押すわとでも言いたげに強く言ってのける。
「ホントに忘れちゃうんでしょうね。あいつにとってどうでもいい事は。」





        




 化膿止めと解熱剤、それと痛み止め。薬と水の載ったトレイを持って部屋に戻ると、
"…寝てる。"
 枕の上、見慣れた寝顔が迎えてくれた。それでなくともどんな怪我でも"寝て治す"と豪語する男で、加えて寝付きも良い。ほんの数分もあればあっさり眠りに落ちることが出来る彼だ。
"………。"
 さっきまでの青ざめた顔ではない。ただすやすやと眠っているだけだと判る。いつも気難しそうに眉の間に深く刻まれている皺もなく、すっかり安心し切った顔でいる。
"………。"
 サイドテーブルに薬とコップをトレイごと載せて、そっと額に手を伸ばす。もうすっかり熱は引いている。何だかホッとした。様態が良くなったことへだけでなく、眠っていてくれたことへもだ。………と、
「やっぱり、この手か。」
「…え?」
 手をどけると、切れ長の目が開いていた。
「ずっとタオルで拭いててくれたろ? 汗。」
「…うん。」
 頷いてさっきも座っていた丸椅子に腰掛けると、そのまま、ぽふっと、出来るだけ そっと、腹と胸の境目辺りに頭を載せる。
「…ごめん。」
「うん?」
「怪我してるゾロに怒るのは筋違いだよな…。」
「いいさ。心配させたのはホントだ。」
 掛け布に散ったぱさぱさな黒い髪。それをすくい上げるようにして、頭を撫でてやるゾロで、
「お前だって疲れてんじゃねぇのか?」
 岩山を乗せられて動きを封じられ、爆発のオマケつきという手や足で殴られ蹴られ、ロウによる就縛から逃れるために火傷も負った。この剣豪ほど大きな怪我こそなくたって、随分と疲れている筈だ。
「俺は平気だ。」
「じゃあ何でそんな顔してる。」
「…え?」
 日頃も、笑っていない時はどこか無表情に近い顔でいることが少なくない彼だが、それどころではないほど、さっきからずっと堅い顔でいる。
「怒ってるってだけじゃなさそうだ。」
「………。」
「吐き出せよ。ぶつける相手が目ぇ覚ましたんだからよ。」
「…もう良い。忘れた。」
 ぷいっと反対側に顔を向け直す。生きててくれたなら、それで良い。あの時と、今度とで二度目だ。死んだかも知れない大傷を負った彼だと知って戦慄したのは。むごたらしい傷口に息を呑んだ。まるで自分が切り刻まれたような寒気がした。
「ルフィ?」
 怪訝そうな声。気遣いを含んだやさしい声だ。なんだか、胸が痛くなる。
「判ってるんだ。そうするしかなかったんだとか、全部。…けど、どうしてだろうな。 "よくやった"って心から思えないんだ。豪傑海賊の冒険話を聞いてわくわくしたのと同んなじな筈が、なんか…笑えないんだ。」
 こっちを向いていつもみたいに"ししし…"と笑って見せようとして、だが、口許が小さくわななきそうになる。
「鷹の目の男ん時もそうだった。どっちも、あの時と同んなじなんだ。」
「…あの時?」
 もっと以前に逆上るというのか? ゾロがついつい発した怪訝そうな声に、言うつもりはなかったのか、少し逡巡したルフィだったが、また向こうを向いて、
「シャンクスが…。」
 小声で呟く。
"…あ。"
 彼の憧れる大海賊のことだと、即座に判った。丁度、ベッドのヘッドボードの角、上へ出っ張ったところに麦わら帽子を引っ掛けていたのが目に入ったのだろう。いつもあまり詳しいところまでは話してくれないルフィだからこそ、その少しずつを刻み込むように蓄積させて、何とか輪郭くらいなら手持ちの中にある。ただし、
"………。"
 ゾロにとっては、少々胸に苦い存在でもあるが。
「小さい頃に俺を助けてくれたシャンクスが、海王類に腕を喰い千切られたのに"腕の一本くらい安いもんだ"って笑ったのが、けど、俺には凄い辛かったし、悔しかった。」
 それと同じだと言いたいらしい。
「ダメだな。まだまだ修行が足りねぇや、俺。」
 そうと言って、それっきり。ただ黙りこくってしまうルフィであり、
「…ルフィ。」
 向こうを向いたままなのが、ゾロとしては落ち着かない。
「こっちを向けって。」
「………。」
 聞こえているのだろうに、身動きさえないことに業を煮やし、肩を掴んで引いてみたが、頑として動かない。さすが、疲れていても力だけはある。こうなったら…と、身を起こそうとした途端、
「! ダメだっ!」
 その振動から察したか、ガバッと身を起こすとやっとこっちを向いた。そんな彼の、制止しようとする腕を両方掴み取り、背後の枕へ倒れながら腕の中へと引っ張り込んで、自分には胸元が余るほど小さい背中ごと、そっと、だが、しっかり抱きすくめた。
「ゾロ?」
「…悪かったよ。」
 怖かったと、心配したと、言葉にされなくても充分伝わって来た。この、天下無敵で怖いもの知らずの少年が、だ。もう怖がるなと伝えたくて謝りたくて、でも、ルフィの気持ちに太刀打ち出来るような大きくて優しい言葉が見つからなくて、だから、抱き締めた。せめてこの身で代えようと、だ。
「その…ここ何年か、人に心配されたことがねぇんだよ。不安にさせて悪かった。もう許しちゃあくれないか。」
 抱きすくめられたまま、だが、強張っていた背中がゆるやかに萎えて、ルフィが小さく頷く。
「…うん。」
 一匹狼の風来坊。海賊狩りのロロノア=ゾロとして名を馳せ、恐れられこそすれ、その身を案じられたことはない。だからこそ出来た数々の無茶や無体でもあろうが、今は違う。仲間も出来たし、何と言っても誓いを立てた相手がいる。もう二度と負けないと、大声で誓った相手。それがこのルフィだ。
「心配されねぇくらい、もっと強くならなきゃな。」
 もっともっと強くなって、こいつが心配しないくらい強かにならなきゃ、本末転倒だ。
「そだな。」
 腕の中でもう一度頷いたルフィは、だが、
「でも、心配すんのはこっちの勝手だかんな。」
 そんなことを付け足した。
「心配してくれる奴がいるってのはありがたいさ。
 けど、それでやりたいことを諦められちゃあ、俺が腹を切らなきゃならなくなる。」
「はは…。覚えてたか。」
「当たり前だ。最初の約束だかんな。」
 やっと微笑ったらしく、胸元へ息がかかってくすぐったい。くすくすという笑い合う声に重なって、わだかまりが解ける音までが聞こえたような気がした。


       〜オマケ(蛇足とも言う。)〜

 やはり彼もまた疲れていたのだろう。しばらくぽつりぽつりと語らっていたのが、ふと応答がなくなり、顎を引くようにして顔を覗き込むと、すうすうと寝息を立てていた。そんなルフィへ愛おしげに微笑って、胸板の上へ載っけたままで幾刻か。
「…入るぞ。」
「ああ。」
 ノックに応じると、ミルクパン…小ぶりの片手なべと深皿を載せたトレイを手に、サンジが入って来た。
「おやおや、とうとう寝たか。」
 こちらもまた、彼にはめずらしく柔らかに微笑って見せる。
「薬は飲んだか?」
「いや。」
「丁度良かった。これ喰ってから飲め。」
 サイドテーブルの上、既に載っているトレイから薬瓶やコップを移して、新たに載せられたのは温かそうなミネストローネだ。
「…と、こいつが邪魔だな。」
 丁度胸板を占領しているルフィであり、配膳台を出そうにも置くところがない。
「いいよ、後で食う。」
「そうはいかん。冷めたら旨くないぞ。」
 すっかり熟睡モードに入っているらしいのを幸いに、そっと抱えて壁際にはめ込みになっているソファーへと移す。それから…胸元の温みが去ったことへそれは判りやすく名残り惜しげな顔をするゾロへ小さく笑い、
「あいつだけじゃねぇ、ビビちゃんも心配してるんだぜ、この果報者が。とっとと元気んなりやがれよ?」
「ああ。」
 ベッドの下から引っ張り出した配膳台を置いて、皿やコップを並べたサンジは、食べるのは本人に任せて、ベッドの向こう、小さな丸い窓を見やる。…と、
「…お。雪か。」
「え?」
 ちらりほらりと白いものが舞っている。
「へぇ、降るんだ。ホントに。」
「そういや、お前は知らないんだったな。」
 このグランドラインに入って最初の航路を行く途中、突然の大雪に見舞われたのだが、この剣豪は自分の身体に雪が降り積もっても気づかぬまま、ぐうぐうと眠りこけていたのだ。まったくもって、豪快なのもいいがもう少し繊細さっていうジャンルにも関心を示して欲しいもんだぜと、言おうとしかけて、だが辞めた。ソファーに移された船長を見やる眼差しのやわらかさは、わざわざそんなことを進言する必要のなさを示唆していたからだ。
「…静かだな。」
 辺りの音まで吸収するのか、雪が降ると一際の静寂に包まれるもの。ようやっと掻いくぐった大波乱。次の波乱を前に、一時の休息を味わう彼らであった。


                     〜Fine〜
   01.7.24.〜7.25.


  *今頃にこんな頃の話です。アニメで楽しんでいる組はこんなもんです。
   っていうか、あんまり本筋にからめた話は書きたくないなぁと思ってましたので。
   だって、色々と時間考証とかがややこしいじゃないですか。
おいおい
   やっとビビちゃんの登場です。
   実は、女の子キャラ大好きなんですが…扱うのは苦手。
   それでなかなか出せなかったんですよねぇ。
     

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