かぐわしきは 君の…
  〜香りと温みと、低められた声と。

 “白昼の…”


この夏の前半は、各地で豪雨と酷暑がまだらに暴走していたが。
それもさすがに“立秋”を前に落ち着いて…と言っていいものか。
八月に入ってやっと、全国均一で“猛暑日”が訪のう、
安定した夏催いになるとのことで。


東京の空はというと、
凄まじいまでの猛暑もあったが、
それと織り成すように顔を覗かせたのが蒸すばかりの曇天で。
暑かったりほどほどだったり、不安定な日和に体調を崩す人が多かったものが。
こちらでも やっとのこと夏も本番か、
どこまでもムラのない弾けるような正青の空が広がっており。
人のいない物干し場には、バスタオルからシーツにシャツにと、
大小とりどりの洗濯物たちが
乾いた風を受け、はたぱた気持ちよくはためいていたのだが。
その中でも一番の大物だろう、白地の大きなシーツが1枚。
まるで何かの旗のように、いやさ、壁の代わりの幕のように、
はためくたびに白地に陰の波を躍らせつつ、
竿一本丸ごと使って、大きく広げて干してあるそこへ。
どこか戸惑うような足取りで、小走りに駆け込んで来た人影がある。
明らかに追われていて、だが、身を隠してまでして逃げるのは善しとせず、
むしろ、相手を説得したいような切とした気丈さが感じられ。

 「…待って、話を聞いてよっ。」

なかなか均整のとれた、上背のある肢体は伸びやかで、
そのくせ、しゃにむな気色が満ちているのが不安げでもあって。
いやいや、いっそ悲愴と言ってもいいのかも知れぬ。
何せ、追って来た方の人物は、
その手に よく切れそうな大きなハサミを握っている。

 「そんなことやめてっ、
  お願いだから考え直してっ、」

懇願とか哀訴とか、
そんな悲痛な響きのする叫びを上げ、
追っ手を何とか説得し、考え直せと説きたいらしいのだが。
いかんせん、追っ手の側にはそんな惑いや迷いなどは微塵もないらしく。
その歩みも全く止まる気配はないままなのへ、
止められずの追われるまま、とうとう追い詰められたような格好で、
その背を預けたのが、大風にはためくシーツの大幕の前。
時折それは大きくひるがえり、
たわんだ裾が宙を弓なりに叩いては、
はたぱたと小気味のいい音を立てているところから察して、
もうすっかりと乾いているらしく。
追い詰められた側の青年の肢体が、その上へ色濃い影を短く落とす。
それへと行く手を遮られたか、
助けを求めるように双腕を広げた彼が、
後ろ手のままシーツを掴んでしまったのを見ても、
追っ手の意志は変わらぬらしく、

 「やめようよ、そんなこと。…ね?」

理屈がどうでも約束があっても、
他でもないこの自分の言うことなんだから聞き入れてよと、
そんなすがるような表情で言い募ったが、
それでも相手にはどうしてだか届かぬらしく。
青年の広げた腕へ向け、
左手が鷲掴みに掴みかかったかと思ったら、
そこへ続けて容赦なく突き立てられたのが、
まだ新しいのか、陽光が表面の銀色を濡らすよに舐める、
随分と大ぶりの裁ちバサミの切っ先で。

 「やめてっ! お願いだからやめてよっ!

金切り声は悲鳴に近く。
風が一段と強まったようで、
容赦なく振りかざされる切っ先と、
シーツに落ちた黒々とした陰が交差して無残にも刻まれる様が、
大きなはためきの中で揉みくちゃにされている。

 「お願いだよっ、イエスっ!」

その身の前にて腕を交差させ、聞いてよと声を荒げた彼だったのへ、

 「…ブッダこそ、危ないからそこから退いてってば。」

型はお揃いだけれどプリントされてる語句は別々。
うらぼんえと書かれたTシャツを着た、
ちょっと珍しい螺髪の青年が
延ばされる相手の手を果敢にも遮り続ける原因、
その前で立ちはだかっているシーツにこそ、
こちらは用向きがあるらしい、追っ手の側の彼は彼で。
るるどと記されたTシャツを着、
長髪にひげの、一昔前のヒッピーみたいな、どこか怪しい風貌をしていたが。

 「ああ、ここにいたんだ。イエスさん、それなの?」
 「あ、静子さん。そうなんですよ、すいませんね。」

背後からやって来た人へ返した言葉はなかなかに丁寧で。

 「ほら、物干し竿にナイロンのロープで
  ぎっちり留めちゃってんですもの、ブッダったら。」

それを切り離しに用意したらしい、よく切れそうな大バサミを、
後から追いついた凛々しい女性へくるりと柄のほうを回して差し出すと、
お願いしますと会釈をしての、それから。

 「だからさ、ブッダ。皆さんも言ってたじゃないの。
  古いのでいいんだって、捨てるくらいなら出してほしいって。」

 「それは…判ってるけど。//////////」

説得の続きを今度はイエスの側からも繰り出しつつ、
二人して物干しの隅へと移動する。

 「昨日も、君はちゃんと納得していて。
  ウチに丁度いいのがありますって、進んで言い出したんじゃないか。」

ご町内の老人会の囲碁の会の皆さんが、
全国大会への地区予選、東京大会に立川市代表で出ることとなったので、
その応援用の横断幕を作ることになって。
使ってないよな大きい布はないかねぇというお声へ、
自分から“はい”と応じたくせに、

 「頂き物のシーツが何枚かあるし、
  随分古いから替えどきを狙ってたところだって。」

 「言ったけど…。///////」

今になって渡すものかと言い出した彼であり。
庇うように広げていた両の手を降ろさせたついで、
再び飛び出さないようにと押さえるのも兼ねて、
軽い拘束、掴んだままでいるイエスを前にして。
人目もあるせいか、さすがに先程のような取り乱し方はしなかったものの、

 「今日洗って干してみたら、
  真ん中が随分と擦り切れて薄くなってたんだ。」

 「? だったら尚のこと、替えどきってもんじゃないか?」

 「だからー。////////」

まだ言わせるかと、
ややもじもじと恥ずかしそうになっているブッダの心境とやらに、
先に気づいたのが さすがは静子さんで、

 「みっともないとか思っちゃったんだよ、判ってやんなって。」
 「はい?」

ナイロンの物干しロープとやらで縛り付けられていた端だけ切ると、
後はするりと外せたシーツを風の中だというのに要領よくぱたくたと畳み、

 「ここまで傷んでるのをまだ使ってたなんてって笑われないかとかね。
  家の中を仕切ってる立場になるとね、
  そういうことをまで思ってしまうものなんだよ。」

 「え?」

まだ、今一つ判ってなかったらしいところが、
独身男性、若しくはご亭主の感覚なイエスなら、

 「〜〜〜〜っ。////////」

図星だったか、
乳白色の頬やらうなじやら、真っ赤に染めてしまったブッダへ、
ふふんと…濃ゆい眼差しやさしくたわめ、
芯の強そうな頼もしい笑顔を向けた静子さん。

 「女だったら。
  いやいや、文句なく主夫の鑑じゃないか。」

でもま、今回はそこまで気にすることじゃあないから。
こんだけしっかりしてんのに“古くて恥ずかしい”とは、
どれだけいいトコの坊っちゃんなのやらだってのと。
洗いたてのシーツを小わきに、
朗らかに笑って去って行ったジャージ姿の姐さんへ、

 「……カッコいいね、静子さん。」
 「うん。」

何であの早とちりな竜二さんが射止めたのがか不思議だとは、
ご町内でも七不思議とされて…、いや今はそれはともかくとして。
弁財天さんみたいに頼もしい姐御を揃って見送ってから、
お互いのお顔を見合わせ合って、くすすと吹き出すのもまたお約束。

 「そっか、ブッダってば にわかに“世間体”を気にしたんだね。」
 「何だよ、そのにわかにって。///////」

物欲とは別口ながら、
それもまた“悟り”を前にして払われなきゃいけない
“煩悩”とかいうものだろうにと。
果たしてちゃんと気がついた お二人さんだったものなやら。

 「わたしを前にしても怯まず、
  身を呈して守ろうとした辺りは、さすがマイハニーだね。」

またぞろ要らんことを言って、

 「〜〜〜〜〜〜っ!////////」

真っ赤になった そのはにぃのふくよかな手で、
お口を塞がれてしまったダーリンだったのは、はっきり言って蛇足である。


  夏はこれから、元気に乗り切りましょうね?






   〜Fine〜  2013.08.05.


  *拍手お礼はこのまま
   “ハニー”シリーズとなってしまうのでしょうか。
   それはともかく、
(おいおい)
   何だかブッダ様のお誕生日のお話の冒頭の、
   梵天様 急襲するみたいな展開でしたね。
   どっちかというと“13日の金曜日”を狙いたかったのですが、
   実はもーりんもオカルトやスプラッタはダメなので、
   よく判らないのでありました。(これでは ヒッチコックかな?)

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