妙なる囁きに 耳を澄ませば
      〜かぐわしきは 君の… 3

 “拗ねちゃうぞ”


秋と言えば、過ごしやすい気候となるので行楽も多く、
また収穫の季節であり、豊饒を感謝する祭りもいろいろ。
1年の苦労の結実を皆して喜び、
神様に報告しつつ感謝する季節で。

  それと同時に

来たるべき冬を前にして、山野は鮮やかな錦に彩られ。
それが次々に葉を落としての、
寒くなる前に、冬籠もりをする前に。
暖かくなるよう寄り添う人を見つけなよ、という
寂寥感がひしひしと迫り来る季節でもあり…。




     ◇◇


カレンダーも秋の風景のそれへと切り替わり、
まだまだ昼のうちは油断のならない暑さが続くも、
するするという速やかさで朝晩が涼しくなったし、
陽の照りようもやんわりと乾いたそれとなり。
ようよう見やれば物の陰が日に日に長くなりの、
昼を回れば陽射しもうっすら赤みを帯びていて、
日暮れどきが早まる気配をはやばや示唆するかのよう。
丁度そんな時間帯だからだろう、
いい感じで橙色で仄かに色づいた陽の差す中を、

 “しまった、しまった。”

思っていたより時間を取られたなぁと、
反省しつつも駆け足は厳禁と、
競歩よろしくの急ぎ足で家路を急ぐのは誰あろう。
ここでは“聖”という苗字を名乗っておいでの、ブッダ様その人で。
慈愛の釈迦如来様がお困りとあらばと、
どうか私を足代わりにしてくださいという、
それは健脚だろう頼もしい鹿たちが、
どこからともなくこの立川の街路に現れてしまうため、
急いでおりますと判りやすく走ることを封じておいで。
時折、そのやさしい肩から落ちかかるトートバッグを
大切そうに引っ張りあげつつ、いつもの帰り道をゆき、
やっと辿り着いた小さなアパート前で。
ほうと呼吸を整えてから、二階へのステップを上がり、
端のお部屋のドアを開けつつ、

 「イエス、ただいま。」

それは朗らかにお声を掛けたブッダ様だったのだけれども。

 「……。」

まだ三時も回らぬ午後の初め。
部屋の中も、まだ照明は要らない明るさをたたえていたようだが、
いつもなら打てば響くとの間合いで返って来るお返事も、
それとほぼ同時に飛び出して来る人の姿もないままであり。
とはいえ、土間には彼のスニーカーも出ているし、
閉めて出たはずの奥の居室の窓が開いているらしき気配もする。
何より、違えようのないご本人の気配もちゃんとするので、
居るには違いないとそのまま丁寧に靴を脱いでの上がってゆけば、

 「……。」

腰高窓の傍ら、桟に背中を凭れさせて座り込んでいるイエスが見えて。
不揃いな深色の髪の額回りに巡る茨の冠の下、
ちょっぴり眇められた双眸といい、
凛々しくもきゅうと引き絞られた口許といい。
立て膝をしているまんまの猫背なところといい、
上がって来たブッダを知らないもんねと無視することで
お怒りのほどを示しているのだろうに、
その視線はちゃんと相手を追い続けていることといい。

 「いえす、」
 「遅い。」

手を洗って、トートバッグから買い物を取り出し、
生鮮ものは冷蔵庫へ収めてという、
一連の手順をきちんと待ってからという“いい子”なところといい。
こちらも、気づいていつつもご機嫌とりはしないでいたブッダの横顔を
こらえ難い苦笑で引きつらせかかったほどであったが。
そういった我慢が出来た分、
そのお怒りのほども、尋といい質といい単純ではないということであり。
愛用のトートバッグは手にしたまま、居間へ足を運んで来たブッダなのへ、
満を持してという重きお声を、やっとこ放ったヨシュア様。
いかにも大陸の西方の人という、彫の深い面差しをやや俯けての、
言いたいことがたんまりありますという、恨めしげな構えになっておいでなのへ。
ブッダも卓袱台の上へバッグを置くと、
こちらはきちんとお膝を揃えての四角く座って向かい合う。

 「買い物って、一体どこまで行ってたのさ。」
 「駅前のスーパーと商店街だよ?」

お昼を過ぎてから出掛けたブッダであり、
イエスは例によって、ブログの書き込みへのお返事に勤しんでいたので、
お留守番を決め込んでいたのだが。

 「あんまり遅いからって電話しても出ないしサ。
  駅前にもさっき行ってみたけど、何処にもいないしさ。」

おやそれは意外と、
くっきりした二重の双眸を瞬かせるブッダだったのへ、

 「メールもしたのに捕まらないなんて…。」

激しかった声音がすうと引き込まれ、
背を浮かせ、身を起こしたイエスがすっくと立ち上がる。
お怒りはまだ引かぬようで、いかにも尖った表情のままだが、
ほんの数歩という間合いを詰めて来ると、
そのまま落ちて来るかのように身を放ったのが、
ブッダの肩とお膝の上であり。

 「ねえ、私には内緒なところへ行ってたの?」

いかにも男性のそれ、しっかとした骨格の腕でしゃにむにしがみつき、
ぎゅうと抱きしめての、そのまますがるような声を出す彼なのは、
今の今まで、ずんと我慢をしていた裏返しでもあろうから。

 「…ごめんね、イエス。」

彼からのぎゅうに応えるように、
飛び込んで来た上背をそのまま しっかり抱きしめ返しつつ、

 「……。」

強ばっていた背中が安堵してだろう やや緩んだのへ、
やさしい手の平を添わせ、何度も何度も撫でてやり。

 「まず。
  電話に出られなかったのはね、
  公民館では健康診断もやってたから、使用禁止になってたんだ。」

 「公民館?」

というか、健康診断ってなに? ブッダどこか具合悪いの?と。
ぎゅうとしがみついていたその身を自分から引き剥がし、
あっと言う間に案じるような顔になってこちらを覗き込んで来る。
そんな彼の無垢な素直さへ、
目許をやんわりとたわめ、眩しいものでも見るように頬笑んだブッダは、

 「そうじゃなくてね。」

離れてしまったのがちょっと寂しいかなと、
その分、こちらから手を伸べて、
イエスの薄い頬を撫でると、

 「来週の19日は“十五夜”といってお月見なんだって。」

商店街の掲示板にね、
手作り月見団子の講習会っていう告知が貼ってあって。
それが丁度今日の1時から。
飛び込み参加もお気軽にって書いてあったんで、

 「要りような材料を買って、
  そのままその講習会に交ざって来たんだけど。」

聞き取りやすいよう、ゆっくりと語るブッダの声を、
聞き入るイエスのお顔から、徐々に徐々に心配の陰が去り。
続いて現れた反応が、

 「……。//////////」

 「うん。今日お試しに作ったの、此処へ持って帰って来たよ?」

結構手間がかかるというか、
上新粉っていうのを捏ねたあと蒸してまた搗いてっていうのが、
思わぬ時間を食ってしまってねと。
言いながらバッグの口を広げ、中からスーパーの袋を取り出せば。
総菜売り場にあるような、プラの使い捨ての弁当折り容器に、
ピンポン玉ほどの大きさの丸いお団子が、
ゆでたばかりの里芋みたいにしっとりしたまま、
ずらりと並んで詰められているのが収まっている。

 「うわ、凄い。」

売り物みたいに綺麗だねと、まずはのお褒めのお言葉いただいたのへ、
ふふと微笑った慈愛の如来様。
そんな彼をば、じ〜〜〜っと見やって来るヨシュア様なのへ、

 「うん。食べよっか?」
 「いいの?」

あまりにあっけらかんと応じるブッダなのへ、
却ってイエスの方が やや遠慮をしかかったほど。
それへと、ふんわり笑みを重ねたブッダはと言えば、

 「だって生まものだし。」

と、常套の言いようをしてから、

 「イエスに食べさせたいって思ったから、
  行ってみた講習会だしね。」

 「…っ。/////////」

うわあと それこそ子供みたいに表情が輝いたイエスだったのは、
美味しいものが食べられるという、単純な意味合いからだけでは勿論なくて。
自分のためだけには作りゃあしない、
食べさせたい人のために手を尽くしたの、と。
後光が射して見えそうなほどの、
まろやかな笑顔で言うブッダだったのが嬉しくて。

 「さあ、食べようね。」
 「うんっ。」

 小皿とそれからお箸かな?
 そうそう、みたらしのタレも作ったんだよ?
 そのままでもちゃんと甘いけど、
 串に刺して炙ったのへタレをつけると、
 香ばしくなってまた美味しいって。

もっと美味しい、ずんと美味しいと、
イエスを喜ばせたくて言を連ねるブッダ様だが、

 “最初にちゃんと言ってくれたらいいのにね。”

私なら、訊いてってと声を張ってでも頑張って、
まずは誤解を解こうとしただろに。
イエスの早とちりも、
心配したし寂しかったという愚痴もちゃんと受け止めてくれて、
それからあのねと語り始めたブッダだったのへ。
ああやっぱり君って大人だよねと、
思い知ってたヨシュア様だったりするのでありました。

 「イエス? お茶がいいの? 飲みごろまで冷ますけど。」
 「あ・うん、お願い〜。///////」

来週のお月見のは一緒に作ろうねと、
わくわく語らいながら摘まんだお団子は、
ほのかに品のいい甘さがして、
それは美味しい出来だったのでありました。





     〜Fine〜  13.09.10.


  *拍手お礼とはいえ、
   いつまでもブッダ様を悶えさせとくのも何だと思いまして。(笑)
   ウチはブッダ様が振り回される話が多いですが、
   不思議ちゃんのイエス様は、
   把握がなかなか難しい人なんでそうなってるワケで。
   ただ、ブッダ様に負けないほど焼きもちも焼くと思うのですよ。
   焼きもちというか、私を放り出して何してたのっと拗ねるというか。
   相変わらず罪のない、他愛ないお人です、うん。

  *本文にも書きましたが、
   今年のお月見は19日だそうです。(後の月見は10月17日。)
   他のお部屋でも浚って来たお話ですが、
   もともとは、七夕と同じく中国由来の歳事で、
   天帝様に“今年も里芋がたんと取れました”と報告し献上した儀式が始まり。
   それが団子に変わったのは
   里芋に似ていて、収穫しない土地でも通用したからでしょうね。
   後の月見という習慣は日本独自のもので、
   中秋の名月を観たその同じメンツ同じ場所で、
   後の月も観ないと“片見(形身)月”と言って縁起が悪いと、
   粋な筋のお姉さんがご贔屓筋へ“おいでなんし”との文を送ったと言います。
   ……大人ってっ(笑)


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