キミの匂いがする風は 緑

 


  
“お望みどおりの…”




空の色がどんどんと濃くなるのに負けじと、
木々の梢の緑もそれは深まりつつあって。
このまま夏になってしまうんじゃないかというほど、
気温の高い日もあるけれど。
雨になれば案外どんと冷えてしまうので、
まだそこまでは気が早いというところか。

 「…イエス?」

聖家の朝は、まずはブッダが先に起き出してジョギングに出掛け、
戻って来て朝食の支度をしつつ洗濯機を回し、
イエスを起こして一緒に朝ご飯を食べて。
そのあと、仕上がった洗濯物を手分けして干し出すところまでが、
毎朝同じように紡がれる ひとくくりとなっていて。
一緒にでも片やにでもお出掛けの予定がある場合、
この後に“じゃあ出掛けよっか”と運ぶのだが、
特に予定のない日は、
六畳間の卓袱台について、
それぞれでPCを開いたり折り込みチラシを検分したりという、
言ってみれば“情報収集タイム”に落ち着くのがセオリーで。
今日も今日とて、
いいお天気の下で洗濯物を干し出してから、
なんて予定もないまま 明るい六畳間でのんびり過ごす
そんな時間帯と相成ったのだが。
排水ホースを上げたり洗剤を仕舞ったりという洗濯機の始末をしてから
遅ればせながら上がって来たブッダが居室を見やると、
今日は珍しくも、
イエスが先に 新聞に挟まっていたチラシの1枚を
しげしげと眺めておいで。

 「何なに、何のチラシ?」

一瞬、家電量販店のかなと思いもしたブッダだが、
それにしては…電化製品の写真が何かのマップのように詰め込まれ、
ごちゃごちゃした印象にならぬよう
青や黒地といったシャープな色彩できゅっと鋭角に絞り込まれた感のある、
あのお馴染みな紙面ではなさそうで。
むしろ、ふんわり柔らかな印象にぼかされた、
ベージュやサーモンピンクがやたらと覗いており。
化粧品や女性向けのブティックの宣伝か、
はたまた ドーナツやアイスクリームの専門店の、
新規開店のお知らせのようにも思えたが、

 「…うん。」

特にワクワクとしているようでもなければ、
かといって深刻そうな気難しさもないままに、
だがだが 妙に念入りに、
少しほど斜めに浮かせた紙面を眺めていたヨシュア様。
一通り 眸を通し終えたのか、そのままお顔を上げると、

 「あのね? 今日って“キスの日”なんだって。」
 「はい?」

特に潜められてた声でなし、
日本語として理解できない語句があった訳でもなく。
だが どうしてだろか、内容をすんなりと把握出来ない。
微妙な違和感があって飲み込めないというか、
理解は出来ても すんなり受け取ってはいけないよとする、
モラルという名の何かリミッターみたいなものが掛かっていたような、
そんな抵抗感があって。

 “………キスの日?”

それはあれですか、
極寒の湖で分厚い氷に穴を空けて釣り上げて
テンプラにして食べる魚のこととか、
もしくはアメリカでチョー有名なチョコレートの……

 “じゃあないよね、うん。”

貞淑な如来様が、白々しい抵抗をしている間にも、
そんな彼の前へと問題のチラシがすべって来て。
いかにも華やかな字体を使い、
知らないご婦人がたへ
“各々方よろしいか”と宣するような、
毅然と前向き 且つ堂々と

  今日は『キスの日』です、と

見出しとしてまず掲げられていて。
何でも、キスシーンが登場したことで話題になった、
とある邦画が公開されたのが 昭和21年(1946)の5月23日であったらしく。
当時の日本といえば、終戦の翌年…なのはさておき、
慣習的なものながら 男女交際にはまだまだ規制も多くて、
少なくとも接吻なんて なまめかしいことは いわゆる“情事”に値し、
結婚してからでないとなんて真面目に思われていたらしい時代でもあったため。
そんなカットが映画の1シーンとして大っぴらに映し出されるなんて、
それはそれはセンセーショナルなことであり…とかどうとか、
由来となったことへの解説が連なっており。

 あなたも、素敵なキスで始まる 甘い熱い恋愛体験はいかが、と

微妙なあおり文句が挟まったのち、
薔薇だの羽根だの連ねられた真珠だのが散りばめられた
美麗な表紙絵で装丁された、
いわゆるロマンス小説のラインナップがずらずらと並ぶ、
つまりはそういう出版物の広告であったらしい。

 “…成程ねぇ。”

さすが記念日大国ニッポンで、
こんな浪漫ティックなフレーズ、関係各位が取りこぼすはずもないというもの。
ずらりと並ぶ様々なタイトルはこれでもほんの一部らしくて、
こういう日だからか“キス”というフレーズのあるものが目立つ。
そして、そんなせいか
ママには内緒とか、背伸びして…なんていう 可愛らしいもののみならず。
奪うようにだの、痛いほどの…だのといった、
やや官能的な匂いのするものも多数見受けられ。

 “いいのかなぁ、
  こういうものを一般のお茶の間にお届けして。//////”

例えば スポーツ新聞は
駅売りと家庭配布版とでは まるきり構成が異なっており、
駅売りのほうは、まま発行元にもよるらしいが
何とも悩ましい写真だの小説だのがでかでか掲載されていて、
職場で大きく広げると セクハラ行為だと処断されかねぬとか。
貞淑たれと躾けられて来たお嬢さんには刺激が強い代物であり、
そんなものを視野の中に据えられ、もじもじ含羞む様を
ニヤニヤ喜ぶのは視姦もどきにあたるとし、
女性に対する侮蔑だとする解釈がなされるためであり。

  ……あれ? 何のお話をしてたんでしたっけ。(おいおい)

女性からの性的誘惑もまた 立派な煩悩。
解脱のための瞑想中に襲い来た、マーラによる幻覚の中にもあって、
それを完全に無視しきった身だとはいえ。
たしなみの内の慎みとして、
そういった淫らな事象は出来れば遠ざけ、
粛々と完黙のうちに遇すものとしておいでのブッダ様。
普通一般とは異なる質のものであれ、
一応 結婚もして子を成してもいる身ゆえ、
酒や遊興に並ぶほど…という言い方では語弊があるやもしれないが、
それほどに人を狂わせかねぬ“欲”でもあると
単なる知識以上のものとして御存知ではあり。
ずんと時代が進んだ今でさえ、
金銭がらみと同じほど、
それがこじれたがための悲しい事件も尽きませんものね。

 “……う〜ん、と。”

開祖様ではあらしゃるが、極端な原理主義者でもないブッダ様。
とはいえ、天界暮らしが長かったこともあり、
微妙に古風な、折り目正しく生真面目な人性は崩しようがないようで。
しどけなくも艶な装束のご婦人が描かれたご本なぞは、
初々しい含羞みから…というよりも、
一体どんな虐待を受けられたのかという憐憫から
どうしても正視出来ないというよなお人であり。(う〜ん)
そういう一般的な妖冶には平然とした態度が通せる身のお人だが、

 “………いえす?////////”

そんな日があるなんて知らなかったなぁという、
実に素直な感心ぶりで見やっていたらしい、
博愛主義の人、アガペーの申し子様の態度にだけは そうもいかぬ。
青々と群れなす芒種の原のよに、それは伸びやかに育った恋情が、
彼の人の些細な吐息にさえ 大きく揺れ騒ぎ、
そのどよもしが総身を震わせるのを もはや自力では止められぬ。
始まりは 年少な友人への庇護感情だったはずなのに。
それが今では、

 「こんなにいっぱい、素敵なキスがあるんだねvv」

涼しげな玻璃の目許を弧にたわめ、
幸いかなと頬笑む彼の言うことならば、

 「…そうだね、素敵なことだね。///////」

時には魔に対しての苛烈な厳格さも持ち合わす、
聡明透徹にして堅実巧知な如来様が。
ちょっと淫靡なものもあるなぁと、
ほんのさっきまで困り顔でいたはずなのに。
イエスが言うなら そんな解釈もありかな? なんて、
それはあっさり、一緒に幸せ色へと染まりかねないのだから、

  恋ってホントに恐ろしい。(こらこら)

まま、さすがは開祖様同士で、
多少の解釈差くらいは、その鷹揚さの中に容認出来もする。

 “ええ。
  ほら、よく言うじゃないですか、
  他所は他所、ウチはウチって。”

おいおい、にっこり微笑ってそれ言いますか。(苦笑)

 「♪♪♪♪〜♪♪」

中には略奪だの禁じられただのという微妙な冠つきの
様々な欲情、もとえ恋模様の数々を紡いだ
官能小説シリーズのお題目一覧を。
それは屈託ないまま、
まるでファミレスのメニューのように眺めているイエスなのも。
真の愛を人々へ説く彼にとっては、どんな形容詞であれ
ちょっとした詩作の中のフレーズでしかないのかも知れぬ。

 人から解脱した自分とは違い、彼は光の民の和子なのだ

ややもすると自分勝手なものじゃああったが、
そんな格好での納得があったせいだろう。
見るからに機嫌のいい様子なのへ乗じるように、

 「イエスには どんなキスが素敵なのかな。」

絵本の中に描かれたのの中、
どのお花が好きなのかなと問うような調子で
何の気なしに訊いてみる。
祝福のキスや再会を喜ぶようなキスならば、
それこそ挨拶の一環のように
軽やかに交わしておいでの人なのだから、

 『そうだね、
  長らく会えないでいた人との再会は
  それはそれは嬉しいものだから…vv』

彼自身の身の上のことともなれば、
そんなほのぼのとした答えが導き出されると、
てっきり思っていたのだが。

 「え…?」

例えるならば、
近々遊びに行く予定の公園のパンフレットを、
一緒に覗き込んでるようなものという、
いかにもほのぼのとした感のあった向かい合いようだったはずが、

 「えっと、あの…あのあの。////////」

ブッダから問われたその途端、
ぱあっっと顔が赤くなり、
それまでは伸び伸びと眺めていたチラシを、
広げた両手であわあわと隠すようにし始める始末。
あくまでも朗らかに訊いたというに、
何かしら魔法が解けでもしたかと思えたほどの変わりよう、
あたふたと焦るばかりの彼であり、

 「いえす?」

何だどうしたと、
彼自身の急変ぶりへこそ驚いてしまったブッダだというに。
真っ赤っ赤になったそのまんま、口許へゆるく握った拳を添えると、

 「そ、そりゃあ、あの、だ、だからっ。////////」

どうやら、ブッダから訊かれたことへ
答えようとしている彼であるらしく。
それにしては、
先程までの ほのぼのしていた様子からの
この極端な変わりようよ。

 「だ、だから、あのね?///////」
 「うん。」
 「私の、素敵だと…思うキスは、
  ってゆーか、言わなきゃダメかな、それ。/////////」

地の果てまで奪って欲しいなんてな、
いかにも情熱的な煽り文句も
上手だねぇとばかり にこにこと眺めていた彼なだけに。

 “一体どんな悩ましいのを思いついたんだろうか。”

今になって やや逃げ腰になりかかったブッダだったところへと、

 「だ、だからっ、
  キミとの、あのその、
  寝る前のっ、キス…っとかがっ。/////////」

 「……………っ。////////」

うあ、成程それは恥ずかしいと。
いきなり同じ土俵へ引っ張りあげられた格好になったからこそ、
イエスの態度の急変ぶりが やっと判ったブッダ様。
それが他人事ならば、
どんなに煽情的なドラマでも 所詮は対岸の火事に過ぎないけれど。
自分が体感したことをと想起してみたならば、
しかもそれが、キスという、甘やかで なまめかしいことならば。

 「もうもうもうっ、ブッダのえっち。
  恥ずかしいから言わせないでよぉ〜っ。///////」

 「ご、ごめんごめん。////////」

やり取りだけを聞いたなら、
一体どれほど濃厚で官能的な情交を、
あのその交わしておいでなのかしらと、
ドキドキしつつ思われてしまいそうだけど…。

 ああいや、そうでしたね。
 お二人にしてみれば、
 それはそれは格別の官能を誘う、
 含羞みと興奮の綯い交ぜとなった、
 どっきどきの“情事”なのですものね。

思わぬことから、ちょっぴりリアルに、
自分たちの閨房のことをば 思い起こしちゃったらしいイエス様であり。

 「何か恥ずかしいよぉ…。//////」
 「ごめんね、イエス。//////
  顔が真っ赤だね、タオル絞って来ようか?」

切れ長の双眸に、薄い頬、
口許にはお髭も整えていて、
繊細な作りながらも歴とした男の人らしき風貌をしているというに。
困った困ったと真っ赤になってる様は、
ブッダでなくとも何とも案じてしまわれるだろう様相であり。
冷やした方がいいかなと、腰を浮かしかかったところ、
そんな動作を引き留めるよに、縋るような手が伸びる。

 「…ブッダがいい。///////」
 「え?///////」

消え入りそうな声は、でも、間近だったからしっかと届いて。
二の腕を掴まえた手が発揮した力は それほど強引ではなかったけれど、
囁くような、それでいて、
えいっという覚悟みたいな気色のこもったその声は、
ブッダを引き留めるには十分で。

 「わたし?////////」
 「〜〜。/////////(頷)」

やはり真っ赤になって、こくこくと声もなく頷くメシアであり。
長い髪の陰になったお顔が、
どれほどの含羞みに困っておいでかが見ずとも判るブッダとしては、

 そんな彼が愛しくてたまらない

 「…いえす。////////」
 「〜〜。/////////」

 アガペーとは別物の、でもでも、
 アガペーに匹敵するほど大きな想いで、
 この私を愛していると、毎夜囁いてくれる人。

 “いつもは、こんなにも照れたりしないくせに。/////”

浮かしかけてた腰を下ろして、
やや伏せられているイエスのお顔の頬へと手を添えれば。
意が通じたと察したか、
うつむいていたところから、静かに上げられた面差しは、
ちょっぴり覇気を取り戻したか、
先程までの頼りなさが少し薄れていて。

 「私でいいの?//////」

囁きで十分届く間合いだから、
こっそりとひそめた声で問えば。

 「ブッダがいいの。
  ううん、ブッダじゃなきゃダメ。//////」

それは澄んだ玻璃色の瞳に見つめられ、
静かな瞬き 一つごとに魔法がかかる。

 視線が重なり
 たゆたうように揺れて瞬き
 吐息が睫毛を震わせて
 頬の温みが一つに溶け合う

触れ合った唇は、
その瞬間だけ火傷しそうに熱くって。
でもね、あのね、
舌先に甘い吐息が触れたらもうもう、
夢中になっての“欲しい”がほとびる。

 このキスがいいの?//////
 うん、でももっと…。//////

 とろけるようなキスを、気が済むまで欲しい……






   〜Fine〜 14.05.22.


  *ちなみに、明日の朝刊に
   そんなウッフンなチラシが入るかどうか、
   当方はまったく存じませんので悪しからず。(こらこら)

   お題 連載始まったばかりですが、
   明日がそんな日なのでついつい寄り道です。
   初心なんだか、練れているのだか,
   とりあえず甘さだけは特別級vv
   不思議ちゃんと生真面目な如来様の恋路は、
   まだまだ一筋縄ではいかないようですね。

  *そして明日と言えば『おにいさん』の10巻 発売日、
   でもついつい逸ってしまって通販予約しちゃったんで
   手元にくるのは来週になりそうです。(とほほん)

めーるふぉーむvv ご感想はこちらへvv

掲示板&拍手レス bbs ですvv


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