かぐわしきは 君の…
   〜香りと温みと、低められた声と。

 “愛は惜しみなく?” (番外編)


世界三大宗教の開祖であり、
雲上の天の国にても、
地上から天へと召されてやって来た人々のみならず、
聖人たちや天使たちの精神的な支柱たる存在でもあった 神の子イエスは。
父の尊き御心や教えを、人々へ判りやすく説くことに長けていて。
懐ろ深き慈愛の説法により、心を救われた人々は日増しに増え、
やがては、彼を取り囲むように、大きな輪を作るまでとなったほど。
決して 威容で気を呑み、そのまま従えたとかいうのではなく、
その神聖な寛容をたたえた存在感にて、民の心を惹きよせ、
判りやすい文言のみにて、人の道理、善行の誉れを真摯に説いた彼は。
そうまでの非武装態勢でありながら、
強大な軍事力や権力で民を統括し搾取をしいていた 時の為政者たちをも、
やがては本気で脅かすこととなるのだから皮肉なもの。

 “本人はといえば、
  初めてやって来たセールスマンにさえ
  そりゃあもうもう怯えてしまうような人柄なのにねぇ。”

いいえ、ウチでは その気になればいくらでも自家浄水が出来ますので、
どんなに優秀でお値打ちであれ、浄水器は必要としておりませんと。
穏健ではありながらも 仮面のように揺るがぬにっこり笑顔で、
お声もまた 付け入る隙なしのそれへときっぱり張ってお断りをし、

 「第一、毎月ギリギリでやりくりしておりますから、
  どんな永年分割をご用意いただいたとしても、
  そのような余裕なんて到底ありません。」

日本にはそれは判りやすい言葉もあって、
無い袖は振れないということを持ち出せば、
大概のお兄さんがたは 時間の無駄と悟り、結構すんなり帰ってくださるというに。

 「…ブッダ? セールスマンさんは帰ったの?」
 「ああ。帰っていただいたよ。」

玄関ドアが閉じてから幾合か。
恐る恐るという声がして、かちゃりと開いたのがすぐ傍らのトイレのドアで。
一気には開かず あくまでも怖ず怖ずという調子での細めに開くのへ、
思わずの苦笑が洩れてしまうブッダ様であったりし。

 “何でなんだろねぇ。”

どういうものか、イエスは押しの強い人がどうにも苦手であるらしく。
セールスマンは特に天敵扱いで、
追い払うどころか 居留守を使ってやり過ごすばかりなため、
単なる留守としか思わなんだらしき熱心な人であればあるほど、
何度も何度もやって来てしまう悪循環を招いてもいて。

 「大丈夫、足音も遠く去ったから。」
 「うん…。」

言葉の上でだけではなくの正真正銘 悪魔をも恐れぬ存在が、
なのに 商売人にはここまで怯むのだから、
正しく“商魂恐るべし”というところか。

 「ゴメンね、ブッダ。面倒ばかり押し付けちゃって。」
 「いいよ、誰にだって苦手はあるさ。」

やっとトイレから出て来ての、
今日のは“善きサマリア人”とプリントされたTシャツの胸元へ、
手のひら広げ、はぁあと吐息をついたほど、
おっかなかったよォとして見せるイエスなのへも。
おひげも似合いのせっかく精悍な面差しをしていて、
何ともまあ不甲斐ないとかどうとか思うより、
いっそ可愛いなと思えてしまうブッダ様であり。

 「わたしだってご近所の小学生は苦手だし。」
 「いやいや、それは厳然たる理由があってのことでしょうが。」

ああまで攻撃されちゃあねぇ…。
(苦笑)

 「でも、セールスマン以外の人へは、屈託なく親しんじゃうのにねぇ。」

ブッダには天敵の小学生たちだが、
大人のくせに好奇心が旺盛で、
遊具にも平気で乗っかっちゃうよな天真爛漫さが読まれるからか、
イエスには“遊ぼう”というノリで
わらわらと多数集まってくる子供たちであったりし。
当人にも自覚はあるのか、
そうなんだよねぇと同意の声を返してから、

 「商人の人にもいい人は多いのにねぇ。」

駅前の商店街で 時々アルバイトをこなすことがあるイエスだし、
忘れちゃいけない、コンビニも大好き。
ブッダに至っては、
売り出しの日は逃さないとする チラシウォッチャーでもあるほどに、
商いへの差別区別はしない身であればこそ、
何とも極端なこの人見知り、
ブッダが不思議がるのは イエスにもようよう伝わるが、
さりとて本人にも どうしようもないことらしく。

 「これはもう、圧しに弱いからしょうがないとしか。」
 「様々な迫害を乗り越えて来といて それを言うかな。」

荒野での断食とかいう苦行とは別口の、正しく迫害。
武装した衛士らに捕らえられたり、
信仰を捨てねば命はないぞと迫られたり、
それは凄まじい弾圧の嵐にあってもいたというに。
そしてその挙句、
盗っ人と共にという辱めの下、磔刑に晒されもしたというに。
そうまでの壮絶な苦難をくぐり抜けてなお、
復活の後に まだまだ布教を続けた剛の者が、
一介のセールスマンと、顔も合わせられないなんてねと、
我がことみたいに眉をたわめて苦笑したブッダが、
その延長上に もう1つ思い出したのが、

 「…でも、そういや君って、
  梵天たちのことは それほど怖がりはしないよねぇ。」

圧しに強い存在の代表格、
しかも仏教の守護神でもある“天部”というから、
もはや怖いものなしの天下無敵じゃなかろうか級の彼らへは、
若い子用語で言う“全然平気”な接しようをしているイエスでもあり。
冷蔵庫を開け、
沸かしおきの麦茶を入れたクーラーポットを取り出すブッダが、
部屋へと戻りつつある友の背中を眺めつつ そうと訊けば、

 「何を言ってるの。」

卓袱台の傍へ よいしょと腰を下ろしたヨシュア様、
打って変わって けろんと笑って言うには、

 「みんな顔なじみさんだし、ブッダの家族も同然な人たちじゃないの。」
 「家族…。」

彼らの強引さに常々振り回されておいでの釈迦如来様におかれては、
それって ちょっと把握が微妙なんですけどと、
訂正してくれないかと物申したくなる言われようでもあるらしく。
グラスへ傾けかけていたクーラーポットが、
彼が握っていた部分だけ、
冷蔵庫で冷やした以上の霜をぴしりと まといつけ掛かったくらい。

  だがだが、

 “…まあ、そういう鷹揚さもイエスの持ち味ではあるのかな?”

冷や汗かいちゃったぁと、
窓から吹き入るささやかな風にお顔をほころばせている様子へは、
こちらも釣られてついつい口許がほころぶ。
茨の冠も瑞々しさを取り戻しての 深色の髪にいや映えて。
涼やかな双眸に明るい光を宿した、
いつもの のほのほとした笑顔に戻ってくれたなら、

  ま・いっかと

こちらも、何もかもがなし崩しになってしまうのを、
善しとしてしまうブッダ様であったりするそうで。(き、危険だ。)
さあどうぞと、卓袱台へすすめたグラスへ、窓からの明るみが淡く弾ける。
濃琥珀の麦茶が何とも涼しげなの、
わあと手にしてさっそくお口をつける様子を、
落ち着いてくれてよかったよかったと、
こちらも安堵しつつ眺めていたブッダ様だったものの、

 「そういやイエスって、
  わたしが女体化した姿へも随分と圧倒されてくれていたよねぇ。」

最初はそれと判らなかったほど平然としていて、
いやぁさすがは綺麗だねぇと余裕の発言まで出ていたものが。
戻った途端に“良かったァ”と感に入ってのしがみついて来たほどに、
実のところは、そりゃあもうもう焦りまくり、
女怪でも相手にしたかの如くに、圧倒されていたそうで。

 「あれは…あの時も言ったじゃないか。」

あまりに蠱惑的な美人さんになってしまったブッダだったので、
慣れない色香に圧倒されてしまい、
このまま戻らなかったらどうしようって焦ったまででと。
当時の言を繰り返した 神の御子様だったれど。

 「でも、別人になってしまったわけでなし。」

君ってそこまで女性には腰が引けてしまう人でもなかったでしょうにと。
言い重ねつつ、ふと、
ブッダの表情が止まってしまったのは、とある疑念へ辿り着いたから。

 ああ いかんいかん、

そういう嫉妬や何やといった
醜い固執を抱いてしまうのがよろしくないからと、
この情愛にも蓋しかかった自分だったのへ、
頑張ってみようよと言ってくれたイエスではなかったか。
もっとずっと前から君が大好きだったと、
だから、離れ離れになるなんて考えたくもなかったと。
いかんともしがたい想いに道を見失い、
絶望の淵にあった自分へやさしく手を延べてくれた、
その彼をこそ信じなくってどうするかと…。
頭の理性は頑張って踏ん張っているのだが、いかんせん、

  恋愛というのは
  知性による割り切りよりも情念が物を言う代物だったから。

 「……。」

ああいかんいかんと、思いはするのだが、
手にしていたグラスの中、麦茶の表がふるると揺れる。

 「…………………だから。」
 「だから?」

イエスからのお返事の、妙に間が空くのがまた、
いやな予感に火を煽る。
既にお怒りの片鱗を覗かせているらしきブッダの
“仏の顔”が減るのが恐ろしい…
という種の怯えようではないような匂いが仄かにする。

 「……。」

同じ文言を繰り返されて、
ますますのこと及び腰になってしまったイエスであり。
怖がらせるのは本意じゃあないけれど、

 「はっきり答えないと、今ここであの姿になっちゃうよ?」

言ったその途端、

 「…っ。」

イエスの薄い肩がびくくんっと目に見えて震えたほどだから、
これはもうもう間違いなかろう。

 “そりゃあ、女性に より惹かれてしまうなんてのは
  自然なことじゃあるんだけれど。”

邪まで強引な“横恋慕”は除外するとして、
異性への関心を抱くのは自然の摂理だし、
子を成して地に満てよとの教えを推進しているのがキリスト教。
至ってノーマルな話だってのはようよう判るその上に、

  相手は 他でもない“自分”だってのに

こうまで意識してやまぬ女性が
イエスの想いの中にいるなんてという。
何ともややこしい格好の、
憤慨というか悋気というかの 深くて粘り強い火種が、
ブッダ様の胸の底にて燻り始めてしまったらしく。

  ……いや本当に ややこしいったら。

何よりも イエスのはっきりしない態度が、
どうにもこちらの憤怒を煽ってやまぬ。
嘘がつけないからこその ありありと、
何かを隠しておりますと言わんばかりの沈黙で、
ガチガチと頑なに その身を固めてしまっておいでであり。

 “すっぱりと言えばいいじゃないか。”

君だからぐらついたんだよとか、あるいは君だというのを忘れてたとか。
意味合いは大きに異なるけれど、
そうと言ってくれたなら、
何だそりゃあとツッコんで終しまいと持っていけるだろうに。
なんだってこうも
“言えない言えない”と口を封じているイエスであるものか。
ブッダであってブッダではないあの女性を、
実は密かに想い続けているとでもいうのだろうか。
選りにもよって、此処へ連れて来いと言えない、
直接対峙出来ない相手だなんて、

  “分が悪すぎるじゃないか”

などと思う辺り。

  ……おいおい、何だか どんどん混乱していませんか?

ちょっと落ち着こうかと
仕切り直した方がよさそうな、
微妙に重々しい密度の空気になりつつあったそんな中。

 「だ、だからっ!」

逼迫した状況の鍵でもあった人物が、
とうとう堪えが利かなくなったか、えいっと口火を切って見せ、

 「だから…他の人が奪いに来ちゃうんじゃないかってっ!」

   ………………………………………はい?

がばりとお顔も上げての、そりゃあ真剣真摯な眼差しが、
すぐ傍らへ座していたブッダの双眸へ真っ直ぐに向けられる。

 「あんなにも綺麗な姿になってしまってっ。」

 姿の麗しさもさることながら、
 何もかもが印象的な、それは絶品の まさしく佳人。
 蓮っ葉でもなく、でもでも冷淡でもなく、
 知的で品があって、でもとろけそうな嫋やかさもあって。
 色恋に造詣の薄いイエスでも
 内心で飛び上がりそうになった級の美人だったその上に、

 「しかも中身は君なんだよっ?
  そんな完璧な婦人、
  今時のアクティブな男衆が
  おいそれと見逃すはずがないじゃないかっ!」

こんな“恥ずかしいこと”言うつもりなかったのにという、
恐らくは含羞みからだろ真っ赤になって、
目許も何だか潤みかかった様相になってのこと、

 「それを咄嗟に恐れちゃったほど、おっかなかったんじゃないかっ。」

肩を力ませ、強ばらせ、
またあんな怖い想いさせる気なのっ!?と言わんばかり。
別名“逆ギレ”ともいうべき、
それは勢いよく吐露された告白は、だが、

 「…………あの、イエス?/////////」

掛かって来んかいという覚悟の構えにしては、
お膝でぐうに握りしめたこぶしがやや震えてもいたけれど。
それでも十分に、
お怒りのブッダ様が それじゃあと転変したのを迎え撃つはずだった、
艶麗な姫御前の鼻面を、そりゃあ見事にびしりと叩いてしまっていたようで。
まだ男性の姿なままの“目覚めたお人”が、
口許押さえてのたじろぐばかりとなったほど、
チョー弩級のほめ言葉で舞い上がらせてしまったらしく。

  しかもしかも、

そんな大事なナイショを言っちゃってしまったからには
後は もうもうどうにでもなれということか。

 「だからっ、
  絶対に転変しちゃあいけないんだからねっ。」

 このままでもイケメンだし優しいしって
 女性の目が集まりかねないブッダなのに、
 その上、圧しの強そうな男の人まで
 押しかけて来たらばどうしてくれようかと。

つまりは、それを一番に恐れておいでだったらしきヨシュア様。
いぃい?と念を押しながら、
今回は自分の真っ赤なお顔を相手から隠すべく、
颯爽とお膝を立てての立ち上がり、
卓袱台の縁を回ると向かい合ってたブッダの方へ歩を進め、
呆然と固まっておいでの相棒様を
座り込みがてらというやや荒々しい所作にて、懐ろへ抱き込んでしまわれて。

 「え? あっ、えっと、あのあの、いえす?//////////」

うあ、何か とってもいい匂いがするんですけれどっ。
それにそれに、あのあのあのっ、///////
気のせいでなかったなら、
ぎゅうしている腕がいつもより強いんですけどっ。
胸板が堅いのありあり伝わって来てて、
ちいとも落ち着けないんですけれど……と。
相手が先に動転したのへ、呆気に取られた分だけ出遅れてしまい、

 「ええっとぉ。////////」

遅ればせながら、
こちらも今になって真っ赤になってしまった釈迦牟尼様。
螺髪の地肌までもが染まったんじゃなかろうかという赤面状態から 一転。
そんな当人のお気持ちの暴発をそのまま模した図のように、

  豊かな深藍の髪が ぶわっとあふれ出し。

真昼の夜陰がさらさらと流れて、
くっつき合ってた二人をくるむよに、
包み込んでの畳へまで、一気に埋めてしまったのでありました。





   〜Fine〜  13.07.30.


  *ぐだぐだな上に お約束ですいません。
   つか、ウチのオチは ほぼこれだということで。(オチって)笑
   きっと松田ハイツの屋根の上には
   愛睦の歌を奏でる優雅な尾長鶏が留まっているんですよ。
   それを見て遠慮するか、何だ何だと顔を出すかが、
   天部かどうかの物差しになる日も近いかも…。
   (そんな頻繁に“新婚さんモード”になっとるんか、君らは)

ご感想はこちらへvv めーるふぉーむvv


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