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2004.2.21 Sat.   凝固
アロマトリートメントを肩中心で。肩が凝っているだけではなくて、肩甲骨のところがガチガチに固まっていると言われた。自覚症状ははっきりあるから、なるべく姿勢などには気を付けてはいるつもりだけど、それでも陥るバッド・コンディション、肩凝りと疲労感が極まればお決まりの頭痛、そしてちゃんと動けなくなる。動けなくなると何一つとしてまともには出来なくなる。そうなればますます本気で動けなくなるというズルズルの悪循環。おそらく必要なのはもっと意識的な、自分による、自分のための、自らの心身のチューニングとメンテナンス。しかし、頭のどこかがそれを常に放棄したがる。面倒臭がる。ぐうたらなだけではなくて、自分にはそこまでして生きている価値なんか無いんだと、勝手に死にたがる精神。それが最大の問題なのだ。わかってる、わかってはいるのに、でも。一度、家に帰ってから一休みして、また出かけるつもりだったのだが、寒気と眠気が一気に来て、仕方なく布団にもぐる。眠って起きたら、体がぐっと楽になっていた。
『アルネ』5号を見ながら、堀井和子レシピで、パンを作った。手順ごとに説明と写真が載っているので、とてもわかりやすかった。小麦粉にドライイーストを混ぜて10分間ひたすらこねる。生地をオーブンレンジに入れて2回発酵。ふくらんだ生地を焼いてできあがり。初めて作ったとは思えないくらいにちゃんと出来上がった(子供の頃に祖母がパンを作るのを手伝った記憶はかすかにあるけれど)。焼きたてにブルサン(ガーリック味のクリームチーズ)を塗って食べたら、自分の手で作ったのが信じられないくらいにおいしかった。
パン作りは石けん作りと似ている!と思った。そう話したら、手作り石けんよりもパン作りにこれから凝っていろいろ作ってみれば、と同居人が言った。単なる食いしん坊ではなくて、皮膚がとても弱いので、皮膚科に指定された銘柄のベビーソープ以外は使わないことに決めているから、石けんはどうしても使ってもらえないのだ。アレルギーがある人でも材料を選んで作れば使っても大丈夫と本に書いてあるよと説明しても、どうしても抵抗感があるらしい。専門医の言ったことの方が確実だろうから、無理強いもできない。でも、パンならば、作ったのを一緒に食べることができる。そう考えると、石けんを作るよりも、パンを作る方が、我が家においてはより実利的なんだろうな。うーん。まあ、どちらも道楽というか、個人的な楽しみという感覚でやってることなので、実利も何もあったもんじゃないのだが。気分としては、家庭科というよりも、理科実験の気分なのである。油と苛性ソーダから石けんが、小麦粉とイースト菌からパンが、生み出されるという、当たり前なことの面白さ。

FINISHED:
⇒トールマン・カポーティ『カメレオンのための音楽』(ハヤカワepi文庫)[amazon]
猫がぎっしり……。



2004.2.16 Mon.   偽伝記
自分の子供時代に愛着はないが、子供時代という時期そのものには絶えず魅力を感じる。だから子供時代を見事に描いた作品に出会うたびにすっかり夢中になってしまう。
『エドウィン・マルハウス』という小説は、語り手である少年が、隣家の少年=エドウィン・マルハウスが、夭折した文学の天才であると確信して、超人的な記憶力を駆使して詳述した伝記、という設定になっている。
見る少年と見られる少年。書く少年と書かれる少年。どちらが本物の天才であるのか?なんて問いはどうでもいいことだ。書かれることによって彼らは生成する。誕生から11歳になるまでの彼らの生。未成熟であると同時にすでに老成し達観してしまっているかのようなアンバランスな認識。この小説の中ではそれだけが真実で、それこそが子供時代のすべてだ。
「何かに執着できる能力を天才と呼ばずして、いったい何を天才と呼ぶのだろう?普通の子供なら誰だってその能力を持っているのだ。君も、僕も、誰もがかつては天才だった。しかし、じきにその才能は擦り切れて失われ、栄光は色褪せていく。そして、七歳にもなれば、僕らはもうひねこびた大人のミニチュアになってしまっている。したがって、もっと正確に言うなら、天才とは何かに執着する能力を維持する才能である。」
付け加えるならば、子供時代とは、失われてしまってからはじめて、その存在が意識され、過去から光を発するものである。それは必ず終わりを告げる、成長によって、あるいは死によって。「汚れちまった悲しみに」、あるいは、「奇跡は誰にでも一度おきる/だがおきたことには誰も気がつかない」。すなわち、光り輝く子供時代とは、終わってしまった時点からの、事後的な回想の中にしか、後述された伝記の中にしか、存在しえないものなのかもしれない。
スティーヴン・ミルハウザーの小説は、そのような失われた時を、好んで取り上げていて、それはいつも精緻で、そしてとても美しい。

舞城王太郎を楽しく読むための課題図書として、レクター博士のシリーズと、清涼院流水のJDCのシリーズを、同居人が買い集めてきた。こういうときの我々の意外な律義さはかなり文学部っぽいと思う。うずたかく積み上げられたその本の山が目に入ると、正直、読む前からうんざりしてくる。まずは『レッド・ドラゴン』から着手せよ、との指示。ガンバリマス。

FINISHED:
⇒スティーヴン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス あるアメリカ作家の生と死』(白水社)[amazon]



2004.2.15 Sun.   合戦
労働、疲労、危うく消尽。睡眠とゲーム。
「僕の一日は千四百四十時間あるみたいだ……」。
眠りすぎて夢の中で別の人生を生きてしまったみたいだ。
天才漫画家と生活を取り替えた凡夫が手に入れたのは、部屋いっぱいの珍獣の世話と、高校時代に憧れていた彼女。珍獣の相手はうんざりだけど、あの子が俺の部屋に遊びに来るなんて、まるで夢みたいだ。あの女とやれるなんて、まるで嘘みたいだ。問題なのは、彼女が、俺があの漫画家だと信じて疑ってないらしいことだ。俺が同じクラスにいたことすらも覚えているのか怪しいくせに。しかもあの漫画家の大ファンらしいのだ。洋服屋で働いているオシャレな彼女。彼女が手に入れたいのは天才で人気のあるあの漫画家の男であって、俺ではない。俺は俺にそっくりなあの漫画家の名前も知らなかったし、あんな洋服屋にだって近寄ったことすらも今までにはなかった。漫画家に連絡してみたら、南の島だかに行っている。すでに描けなくなっていたあいつがやりたがっていたこと。締め切りからの逃走。自分で買って飼っている珍獣たちからの解放。ふざけんな。漫画家の友人が異変にようやく気付く、自分が連れ立って遊んでいるのが、別人であると。さっさと気付よ、ボケ。それでも友達なのか?俺は苛立って苛立って苛立ちが頂点に達し、まだ不審がっているお友達を殴り倒してしまう。珍獣どもが騒ぐ。もうすぐあの子がやってくる。どうすりゃいいんだ、俺は?

FINISHED:
⇒森恒二『ホーリーランド』(白泉社ジェッツコミックス)[amazon]
⇒近代(こだい)ナリコ編『女性のエッセイ・アンソロジー FOR LADIES BY LADIES』(ちくま文庫)[amazon]
⇒舞城王太郎『煙か土か食い物』(講談社ノベルス)[amazon]

Video:
⇒『カタクリ家の幸福』[amazon]
沢田研二が一家のおじいちゃん役……かつて悪魔のようだったり太陽を盗んだりしていたのと同一人物とは思えない体型と面白おかしい弾けっぷり。妙に耳に残る一節、「遺書はないのか〜♪」byジュリー。ミュージカル+ホラー+コメディ、もっと全編歌い狂ってるのかと思ったらそうでもなかった。全体的に狂ってはいるのだけれども。

<<< 戦国無双



2004.2.10 Tue.   初出勤
新しい職場に行った。昼からの出勤で、昼休みの時間帯に到着したら、やけに部屋が暗いので驚く。節電のために昼休みは一部を残して消灯されてしまうのだそうだ。放送が入り、ラジオ体操の音楽とともに、部屋は普通に明るくなった。用意されていたVAIOでさっそく新しい仕事に取りかかる。自宅でやっていることとそう変わらない作業でも、ちょっと勝手が違うだけなのに、思った通りに進められない。人見知りなので、初対面の挨拶をするたびに必ず挙動不審が出てしまう。そしてやたらと消耗してしまう。くたくたに疲れて帰る。通勤片道一時間、本を読んでいると意外とあっという間だ。とにもかくにも何事にも早く慣れないといけないなと。同居人は一度帰宅してから飲みに行ってしまった。すぐにお風呂に入って寝てしまおうと思ったのだけれど、どうしても石けんを作りたいという衝動にいきなり襲われ、石けんを作る。明日が休日で良かったな。メールやお葉書に心を励まされる。アリガタキコトナリ。



2004.2.9 Mon.   齡男
風邪が抜けない。同居人に感染させることに成功したようだが治らない。初出勤前なのに。福本伸行『最強伝説黒沢』[amazon]の話ばかりしている。我々の中にはたぶんに「黒沢」的な部分が確実に存在している。絶望感、無力感、そして、小物っぷり。黒沢の物語は、気付かなければ幸せでいられたことに不幸にして気付いてしまうこと、考えなければ良かったことを阿呆みたいに純粋に思考しはじめてしまったことからはじまる。黒沢というキャラクターは、あり得ないくらいに繊細で真摯であるあると同時に、どうしようもなく小心者で愚かしい。それが現段階での彼のろくでもない弱さであり抜きがたい悲しさだ。その弱さが、何かの拍子に大逆転して、いつしか「最強伝説」へと接続されていくのだろうか。我々はそれを待ち望んでいる、決して期待することなしに。とりあえず、今の時点では、「最強伝説」とは、黒沢のものではなく、竹内力のカオルちゃんのものである。

FINISHED:
⇒松本光司『クーデタークラブ』(講談社ヤンマガKC)[amazon]
「リアリティ」が強調されればされるほどに「リアル」が失われていく。



2004.2.8 Sun.   感冒
風邪引いた。週末だが病院以外に外出もせず。インドア派全開。テレビでサッカー。TSUTAYA半額レンタルで香港映画三本立て。結局のところ古装片が一番好きなのかもしれないなと。展開とかはかなり適当でハチャメチャだが。とにかく人間が飛びまくるし。リー・リンチェイならではの妙な爽やかさも一番いきいきとして見えるし(いつも若造扱いだが実年齢はすでに三十過ぎていたらしい……)。本読んだりマンガ読んだり。出不精というか引きこもりが習性と化しているというか。

DVD/videos:
⇒「クローサー」[amazon]
<<< 日本語公式サイト
⇒「マスター・オブ・リアル・カンフー 大地無限」[amazon]
⇒「カンフー・カルト・マスター 魔教教主」[amazon]

FINISHED:
⇒福本伸行『最強伝説黒沢 1〜2』(小学館ビッグコミックス)[amazon]



2004.2.6 Fri.   "by now the music becomes a little like a perpetual diary"
新宿に行った。TSUTAYAがレンタル半額なので、週末と祝日に見るためのビデオとDVDを借りた。伊勢丹と青山ブックセンター。危険地帯。欲しいものはいっぱい、欲しくても買えないものがいっぱい。物欲でフラフラクラクラ。同居人から舞城王太郎の他の本(『煙か土か食い物』)は『阿修羅ガール』よりもずっと面白かったとの報告。またそうやって期待をさせるんだから。でも、他の本をすでに読み始めてしまったので、しばらくは後回し。

FINISHED:
⇒田窪恭治『林檎の礼拝堂』(集英社)[amazon]
昨年末の忘年会でのプレゼント本交換でいただいた一冊。フランスのノルマンディーで廃虚になっていた16世紀の小さな礼拝堂を、日本人美術家が、10年という歳月をかけて、「林檎の礼拝堂」として見事に再生させた。その軌跡をまとめたのがこの本。「林檎の礼拝堂」プロジェクトについては、テレビで放映されたりしてけっこう話題になっていたそうなのだが、全然知らなかった……。写真を見ると、再生した礼拝堂自体も素晴らしく、また、礼拝堂を取り巻く風景もとても美しくて、遥かに遠いその村に、つい行ってみたくなった、ちょっとだけ。



2004.2.5 Thu.   "Demand the pages that you'll never read"
引き続き読書と映画鑑賞の記録。

■舞城王太郎『阿修羅ガール』(新潮社)[amazon]
物凄い期待をして読んだ。三部構成の第一部は、その期待を裏切られることなく、わくわくしながら読んだ。しかし。第二部・第三部でガックリ。物凄い失望。どうしてそんなに期待をしていかというと、作者が最近よく目にする名前で話題になっていると聞いていてしかも評判が良いから、というのもあったが、タイトルだけでグッと心を鷲掴みにされていたのだと思う。「阿修羅ガール」。(萩尾望都のコミック版の)『百億の昼と千億の夜』の阿修羅好きだし。マニュエル・ゲッチングも良いし。何よりも音の響きが好きだ。「阿修羅ガール」。第一部のアイコの女子一人語りの暴走っぷりの痛快さは、そのタイトルから勝手に広げていたイメージに、ぴったりとまではいかなくても、そうかけ離れたものではなかった。しかし。第二部・第三部でそのイメージはすっかり色褪せてしまった。どうして舞城王太郎の評価が高いのか誰か教えてほしいです、もし他に読むべき傑作があるならばどうか推薦してほしいです、などと懇願してみたり。だって気にはなるんだもん。

■『トランス・ポーター』[amazon]
2002年フランス。リュック・ベッソン製作・脚本。ルイ・レテリエ、コーリー・ユン監督。ジェイソン・ステイサム、スー・チー出演。
WOWOWで放映されていたのを見た。絵的にデジャヴ、と思ったら、同居人が最近やっているゲーム『HITMAN』にそっくりだ、ジェイソン・ステイサム(どうやらゲームの方が先らしい)。ジェット・リー主演の『キス・オブ・ザ・ドラゴン』(評価A)〜『ザ・ワン』(評価C)あたりから連なる作品。『ザ・ワン』では脇役だったジェイソン・ステイサムが主人公。元スポーツ選手だけあってアクションが決まる決まる。元軍人で現在はクールな運び屋稼業という設定がよく似合ってたし、コーリー・ユンの十八番と思われる小道具を活かした格闘シーンもばっちり。(もちろんジェット・リーの動きの滑らかさに比するとやや無骨なように感じられてしまったのだが……。)展開のテンポの良さとアクションの荒唐無稽さは実写版『ルパン三世』の可能性を夢想させるほどの出来栄えだった。スー・チーがかわいい。一目惚れ当然でしょあれは。結末の陳腐さがどうでもよくなるくらいにあっけらかんとスッキリ。
<<< 公式サイト

■『豆千代の着物モダン』(中央公論新社)[amazon]



2004.2.4 Wed.   読書記録
気が向いたら書評にしてgardeniaに投げます。

■伊坂幸太郎『重力ピエロ』[amazon]

「小説、まだまだいけるじゃん!」
これは、伊坂幸太郎の『重力ピエロ』の帯に、でかでかと印刷されている宣伝文句で、『オーデュボンの祈り』の解説(吉野仁)にも引用されているのだけれど、真実かどうかはわからないが、担当編集者が、『重力ピエロ』の原稿を読みながら、思わず叫んだ一言、であるらしい。
この『重力ピエロ』の帯というのがとても嫌いだ、個人的に。
家にある伊坂幸太郎の本は、いずれも自分で購入したものではないから、書店に並んでいるところをチェックしたということがないのだけれども、実際に書店で並んでいるのを見たら、かなりげんなりすると思う。
たとえば、伊坂幸太郎という人の本を面白そうだから読んでみようかな、とちょっと思っていて、書店で探していて、最初に『重力ピエロ』を発見したとしよう。そうすると、この帯がどうしても先に目に入ってくるわけだ。
「オーソドックス だけど古くない
 地味で大人しい けどカッコイイ」
「僕らの時代の新しい小説」
「小説好きで良かった、と素直に喜べる瞬間に出会えることをお約束いたします」
ガクッ。この空々しさ。小説本体を読む気が確実に目減りしかねない。
あまりにもセンスがないし、芸もひねりも感じられない。なんだか、もう、ここまでやられると、本当に宣伝であるのかどうかすらも疑いたくなってきた。販促戦略じゃなくて、実は意地の悪い担当編集者による嫌がらせだったんじゃないのか……などと恐ろしい深読みをしたくなるくらいだ。もっと他にいくらでも書きようがあるだろうに。
ところで、『重力ピエロ』についてなんだけれども?他にどんな書きようがあるわけ?うーん。別に特にないかも……。

■ビル・コールマン『“シンプル”という贈りもの〜アーミッシュの暮らしから』(青山南訳、フレックスファーム)[amazon]
<<< http://www.amishphoto.com/



2004.2.3 Tue.   読書記録
気が向いたら書評にしてgardeniaに投げます。

■堀井和子『私が好きなルール』(幻冬舎)[amazon]
こういうセンスが研ぎ澄まされた人の文章を読むと、正直な話、己の鈍感さを恥じ入りたくなる。輪ゴムの色合わせにまでも心を砕くような、隅々まで行き届いた、余裕と奥行きがあると同時に隙の無い、素敵なライフスタイルなんて、自分には絶対に無理。食器やテキスタイルなどの趣味や味覚についてのこだわりも、到底真似できそうにない。
しかし、性格にかなり天の邪鬼なところがあるという点については、共通しているような気もするので、天の邪鬼の先達の生活の知恵としては、大いに参考にさせていただこうとは思う。
それにしても、「自分がどんなおばあちゃんになりたいか」って、そんなことは考えたくもないことなんだけれどな、個人的には。今から考えておかないといけない事柄なのだろうか。楽しい想像なんかできっこないよ。現状がほとんどその日暮らしだし。

■伊坂幸太郎『オーデュボンの祈り』(新潮文庫)[amazon]
同居人が「ちゃんと終わる村上春樹みたいな感じで、ちょっとポール・オースターっぽくて、面白かったから読んでみて」などと、大いに期待をさせるようなことを言ってすすめてきたので、読んでみたけれど、かなり期待外れだった。つまらなくはなかったけれど。そんな感想を忌憚なく述べたら、悲しそうな顔をされてしまった。だから期待させすぎなんだってば。
コンビニ強盗に失敗して捕まった主人公が、逃亡して、ふと気が付いたら謎の孤島にいる。そこは仙台の先、牡鹿半島の南に位置する「萩島」。支倉常長を起源とし、日本の本土を含め、外界との交流を断っているという「萩島」なのだが、不思議なことに現代社会とのギャップはほとんどない。主人公が次々と出会う「萩島」の奇妙な住民たち。そして、「萩島」の中心にいるのは、なんと、喋るカカシ。しかも、そのカカシは、百年以上を生きてきており、未来を予測できるのだという。ところが、その翌日、カカシが解体されるという殺人事件(?)が起こり……。
ちょっとシュールな設定から、奥泉光の『プラトン学園』を思い出していたのだけれど、『プラトン学園』がどんなあらすじだったかが、全く思い出せない。連想の根拠は孤島繋がりのみだと思われる。では、どの辺りが村上春樹でポール・オースターなのかと言うと、それがまるで実感できなかったから、かなり期待外れ、という判断を下すに至ったわけで。
それから、設定に対して、描写や展開がかなり大味だったりするのにも、不満を感じた。読み進めさせてくれる牽引力があるにはあるけど、あまりにもオートマチックに話が進みすぎる気がして(特に後半)。
とか何とかぐだぐだ言いつつ、『重力ピエロ』に早くも着手したのは、「小説まだまだいけるじゃん!」と思わされたい、その一念なのか?

■高橋みどり『うちの器』(メディアファクトリー)[amazon]
花さんが、会話でも関心空間でも推薦していたので、読んでみた。楽しい一冊であった。しかし、あれだね、料理をあまりしない人間というのは、当然のことながら、食器へのこだわりも稀薄なのである……。「うちの器」、という感覚を、いつかは我が物として感じることもあるのだろうか、うーん、それはないかもしれないな、どうかな。

■猪本典子『FRESH』(朝日出版社)[amazon]
花の写真と花についての文章。自分が書きたい理想の文章に限りなく近い。こんな風に書きたい。憧れ。



2004.2.1 Sun.   辻恵子さん個展「かくれたかたち」
菜穂さんと一緒に辻恵子さんの個展に行った。
辻さんの切り絵の実物を見るのはこれが二度目。しかし、作品の小ささにまたしても驚かされる、きっと何回見ても同じように驚くのだろう。新聞や雑誌などの活字から切り取られて、形と動きと物語を同時に得たかのような人物像。その形象の繊細さ、それらから受ける印象の鮮やかさ。しかも、それらが、線や色を意図的に重ねていくことで、作り上げられて出来上がったのではなくて、あらかじめ固定されている色や図形の中から、ぱっと切り取られて存在しているものである、ということが、とても面白いと思う。
今回の個展では、表と裏の両側から見ることができる額装の展示があって、前回見たときよりも、その面白さをより強く感じた。手を繋いだ二人連れの切り絵、恋人同士かな?などと、ぼんやり想像しながら、裏側を見ると、「打率首位」というスポーツ欄の見出しがあったり。テレビ欄だったり。でも、もう一度、表を見ると、そこにあるのは、紛れもなく、辻さんの作品なのだった。
前回の個展を見たときにも書いたことだけれど、辻さんの目に備わっている、特別な力の存在を再度意識する。イロとカタチとパーツをスキャンして実体にするインスピレーション。辻さんが無印良品のハサミを使っていると聞いて、実は、その後に、同じ物をなんとなく購入して持っている。もちろん、真似なんかできやしない、できるはずもないとわかっているから、試みたこともない。日めくりカレンダーの一日一日の日付すらも、切り絵の素材となって独立した作品になる、辻さんの特殊能力は、自在かつ奔放で、さらには、この上なく洗練されたセンスまでもが装備されている。
会場にいた辻さんにご挨拶。たまたま会場にいらしていた辻さんのお母さんにもご挨拶。素敵な母娘であった。
菜穂さんと、辻さんのサイトで紹介されていた、会場近くの雑貨屋をのぞき、一階のカフェでチャイを飲んでおしゃべりしてから帰る。

夜、家で『カオルちゃん最強伝説』のビデオ2本を一気に。同居人と二人でゲラゲラ笑いながら見た。竹内力が演じるカオルちゃんは、とにかくメチャクチャ、最強にして最恐かつ最狂、よって最高。面白がれる人にとってはこの上なく面白おかしくて楽しい映画、でも、面白がれない人にはこの上なく下らない映画であろう。前者である我が家にとってはすでに人気シリーズである。現時点では竹内力の代表作としてすら認定しかねない勢いである。

⇒「岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説 EPISODE2 ロシアより愛を込めて」
2002年吉本興業=松竹。宮坂武志監督。竹内力主演。
全国総番長を目指すカオルちゃんが通天閣に恋したロシア総番長(?)と意気投合+激突!
⇒「岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説 番長足球」
2003年松竹。宮坂武志監督。竹内力主演。
はつ恋」のレビューを読んで以来、ずっと早く見たくてうずうずしていた。だってカオルちゃん+『少林サッカー』(?)!ちゃんと期待通り。

FINISHED:
⇒内田樹『ためらいの倫理学』(角川文庫)[amazon]

<<< The Attic of Rabbit





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