彼女の家へ曲がる横丁の所で私は急に「オッパイに接吻したい!」と言いました。それがこんな場所で可能であるとか、彼女が許すとか、それら一切不明の天地混溟の有様で、その言葉が、嘔吐でもするように口を突いて出てしまったのです。すると彼女は一瞬のためらいもなく、わきの下の支那風のとめボタンを二つはずしました。白い下着が目をかすめたかと思う間に、乳房が一つ眼前にありました。うす黄色く、もりあがって、真中が紫色らしい。私は自分がどのようなかっこう、どのような感情を保っているのかも意識せずに、そのふくらんだ物体を口にあて、少し噛むようにモガモガと吸いました。そしてすぐ止めました。何か他の全く違ったような行為をしたような気持、あっけない、おきざりにされた気持でした。彼女はやさしく笑って、「あなたを好きよ」と、ふり向いて言うと、姿を消しました。(武田泰淳「もの喰う女」)この後、「私」(=Tさん)は「彼女」=房子が見せたすなおさが、愛なのか、食慾を満たさせてもらったことに対するお礼なのかと考え、「まるで俺は彼女の乳房を食べたような気がする。」と思い悩みながら「すすり泣く真似」をするところでこの小説は終わる。
この「私」は作家・武田泰淳であり、「彼女」はその妻となった武田百合子である(と当然のように決めつけてみる)。『武田百合子全作品』第一巻の口絵の、武田百合子の若いころの写真を思い浮かべる。あの写真、めちゃくちゃかっこよかった、特に目が。あんな目がニヒルな気分で花火を見上げていたのかと想像すると、胸がどきどきした。それくらいに凄い美人。あんな美女が、惜しげもなくオッパイを吸わせてくれただけで満足じゃないのさ、とか何とかゲスなツッコミをしてみたくもなる。向い合って食べていた人は、見ることも聴くことも出来ない「物」となって消え失せ、私だけ残って食べ続けているのですが―納得がいかず、ふとあたりを見まわしてしまう。ひょっとしたらあのとき、枇杷を食べていたのだけれど、あの人の指と手も食べてしまったのかな。―そんな気がしてきます。(武田百合子「枇杷」)「彼女の乳房を食べたような気」になっていた武田泰淳は、「おろか」で「おとぼけ」だったはずの「彼女」武田百合子が、彼の死後に物書きとしてデビューして、こんなことを書くとは想像もしていなかったに違いない。
「あの人」に「乳房」を食べられた「彼女」は、いつのまにか「あの人」の「指と手」を食べてしまったらしい。
『ことばの食卓』に収録されたこの「枇杷」という短い文章は、読んでいて、ほんとうに悲しくてさびしくて、いてもたってもいられなかった。最初に読んだとき、寝る前に読んでいて、ほとんど泣き出しそうになって、慌てて本を閉じた。でも、何回読んでも泣きそうになる。実は、武田泰淳の本を読む前に、武田百合子の本を先に読んだ。長い間気になってはいながらも、ずっと読んだことがなかった。読みはじめると、なんで今まで読まなかったんだろう、と不思議になるくらいにすっかりハマってしまった。楽しいからどんどん読んじゃったけど、全部読んじゃうのがもったいないような気がしたりもしてた。
それにしても、武田百合子の日記やらエッセイやらはどうしてあんなにおもしろいんだろう?
『富士日記』や『日日雑記』なんかは、ほんとうに日記以外の何物でもなかったりする。事実、『富士日記』は、ノートに書き溜められた正真正銘の日記が、武田泰淳の死をきっかけに発表されて、作品として認知されるに至ったのだという。そうした日記・旅行記はもちろんのこと、エッセイとして扱われている文章の多くも、見聞きしたこと、起きたできごとが淡々とした文体で書き綴られている、それだけ、と言えば、ただそれだけ。なのに、それがやたらとおもしろい。そして、読んでいると、書いてある場所には行ってみたくなるし、書かれている食べものがどれもこれもおいしそうで、食べてみたくなって、だんだんお腹が空いてきたような気がしてくる。おかげで、『富士日記』を読んでからは山の生活が憧れになり、『遊覧日記』を読んだ直後にはヘビセンターに行ってみたくてたまらなくなってしまった。『犬が星見た』のソ連旅行も、1969年当時のソ連は物資不足で品質も悪く、その上気候的にも日程的にもきつくて大変な旅だったようで、実際に武田泰淳たち同行した人々が辛そうにしている姿、ソ連を出て北欧に入ってからの物の豊富さや設備の良さも書かれているのだけど、それを書いている武田百合子本人はそんなことを感じさせないくらいにずっと元気で、ふわふわとしているように見える。「やい、ポチ。旅行は嬉しいか。面白いか」「普通ぐらい」そんなロシア旅行記を読んでいると、灼熱の中央アジアにだって行ってみたくなってしまう。砂漠の中の包の暮らしへのデジャヴ、もしかしたら私も感じるかもしれないと思って。(武田泰淳のソ連旅行記「船の散歩」「安全な散歩」は後に『犬が星見た』としてまとめられた武田百合子の旅行日記を参照して書かれたものではあるが、まるで別物になっている。)日記と言えば、平凡な日常系のテキストが、ネット上ではバカみたいに大量に日々堆積され続けていて(このページもその一隅を成していることは重々承知している)、それについては賛否両論があるわけだけど、武田百合子の文章というのは、そうした日記群に対して、ひとつのお手本でもあり得るのではないだろうか?極めて個人的な内容でありながらも、読者を楽しませることのできる平明な文章。サービス過剰な演出や意味付けを排したクールなスタンス。圧倒的な喚起力と、独特な魅力。飽きもせず毎日の生活をテキスト化して垂れ流している人たち、そうした日常系のテキストの凡庸さへの苛立ちを単純な嫌悪感によって表明している人たちに、ネット以前にこうした日常の書き方が存在しているということを知らせたいように思う。正直な話、武田百合子のように書く、ということは自分自身のひそかな目標だったりもする。もちろん、観察眼や言葉遣いのセンスのよさ、鋭さというのが、武田百合子の文章の素晴らしさとしてあるので、そんなものは真似しようと思ってもなかなか身に付くものではないんだってよくわかってはいるんだけど。
しかも、武田百合子の場合、そうした文章におけるセンスというのは、どうやら天然のものだったらしい。武田泰淳・百合子両方の担当編集者だった、村松友視による評伝『百合子さんは何色 武田百合子への旅』は、武田百合子の文章の魅力の根源に「詩人の魂」を発見している。武田泰淳・百合子夫妻と親しかった埴谷雄高は、武田百合子の才能を彼女の才能を「天衣無縫な芸術性」「一種独特な全的肯定者」と語った。本人を知る彼らを含め、武田百合子の読者が驚きひたすら礼賛してしまうのは、彼女の書きものが五官を繊細に駆使しかつ刺激する稀代の名文でありながら、限りなく天然に近い感触がするからかもしれない。意識的な技巧ならともかく、素晴らしく天然な言葉を前にして、それ以上言うべき言葉なんか出てきやしない。「文は人なり」とか何とか呟きながら、その天然ぶりを手放しで褒め称えるか、あるいは貶すか。そう、天然であることはほとんど無敵であることと同じだ。真似してみたところで、同じ境地に到達することなんかできるわけなんかない。(赤い口紅を気合い入れに濃く塗ってみるにしても、似合う顔と似合わない顔があるのといっしょだ。)だって、天然は天然であるからこそ、感動的なんだから!だから、天然というのは凄いし、強い。道端でいきなり丸出しにされたオッパイみたいにね。というより、天然だったから、せがまれるままに街角でオッパイを出して吸わせるなんてこともできちゃったのかなあ?
武田百合子が1925(大正14)年生まれだと知ったとき、ちょっとだけびっくりした。そのことを知らずに読んでいた『遊覧日記』『富士日記』の印象で、もっと若い人だと勝手に思い込んでいたから。『富士日記』『犬が星見た』の中の「私」というのは、いつも楽しそうで、遊んだり騒いだりして、もりもり食べて、運転手として車を乗り回し、旅先でも臆せず疲れずずんずん出歩く。頭に来ることがあったら「バカヤロウ!」と怒って夫に叱られてまた怒って、泣いたり笑ったり。朝っぱらから泣きじゃくってゲロを吐いたり、嫌いな奴が困っているのを見てこっそり「イヒヒ」って意地悪く笑っていたり。とってもパワフル。でも剛直にバイタリティ溢れる、というのでもなくて、微妙に脱力放心な雰囲気がある。そういう感覚が、祖父母の年齢の女性のものだとは思えなかったから、年齢がわかったときに驚いたのだった(武田百合子が今も生きていたら74歳になっている……)。それに、なんとなくヘンなヒトという感じがしてしょうがなくて、そのヘンな感じがところどころ自分と似ていて、つい親近感を抱いてしまったりもするのだった。
→文庫で読む武田百合子『犬が星見た ロシア旅行』(中公文庫、中央公論社、1982)
『ことばの食卓』(野中ユリ画、ちくま文庫、筑摩書房、1991)
『遊覧日記』(武田花写真、ちくま文庫、筑摩書房、1993)
『富士日記』上中下(中公文庫、中央公論社、1997)
『日日雑記』(中公文庫、中央公論社、1997)※『武田百合子全作品』全七巻(中央公論社)
→参考図書武田泰淳
「もの喰う女」(1948)
『めまいのする散歩』(中央公論社、1976)
村松友視『百合子さんは何色 武田百合子への旅』(筑摩書房、1994)