「保呂輪神社をゆく」

保呂輪神社
茨城県笠間市小原3282

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【保呂輪神社】

神護景雲二年(768)の創建。

祭神は大己貴命、経津主命、

武甕槌命。

約600メートル南にある小原城は

宍戸氏、里見氏、佐竹氏と領主を

めまぐるしく変えた。

江戸時代に至っては、宍戸藩と

なり、出羽から秋田氏が転封し、

藩を支配した。

秋田氏が三春に転封になってから

は幕府支配となった。

典型的な「ホロワ」で山に向かって

参道が延びる。周辺には小原遺跡

があり、太古から人の佇まいが

窺える。
【小原小学校跡地の碑】

明治五年(1872)小原山中の

「保呂輪山千手院」を仮校舎として

小原小学校を創立したとある。

「千手院」とあるので往古は

神仏混淆であったのだろう。
    楼門の屋根には、「五本骨扇に月丸」

    の家紋。秋田氏も出羽国保呂羽山

    波宇志別神社を信仰していた事実が

    あるので、秋田氏のものかと思ったが、

    秋田氏の家紋は「檜扇に鷹の羽違い」

    この家紋は佐竹氏の家紋のようである。   

    佐竹氏は常陸国にいる間「保呂輪」を

    厚く信仰したようである。出羽に転封

    になった後は、出羽国保呂羽波宇志

    別神社を藩主が参詣し、これをまた厚く

    保護、信仰した。
    【本殿】
【保呂輪神社の文字】

「保呂」+「輪」で「ホロワ」

「保呂」に「輪」の字を用いるのは

今のところここだけである。
苔蒸した石塔
    木切り株の中には茶碗や
    
    厚手の陶器の破片などが

    落ちていた。
小原城方面を望む

明神鳥居
【保呂輪神社側面の森】

この奥には不動谷地ダムが存在し、

水稲地帯に豊かな水を送り出してい

る。

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