「保呂羽神社をゆく」

保呂羽神社
岩手県東磐井郡藤沢町保呂羽字二本柳213

住所をクリックすると地図がでます。



夜明け前、保呂羽山付近iに到着。
山林に迷い込んでしまいました。
倒木のため、これ以上進めず。
小雨が見舞います。
まだ迷ってます。
保呂羽神社は見つからず。
引き返します。
やっと見つかりました。
保呂羽神社の入り口。
砂利道を進みます。
右側が山頂方面。
鮮やかな朱色の
鳥居が現れます。
両部鳥居(権現鳥居)
「保呂羽山」の文字が刻まれています。
「保呂羽山大権現別当羽黒派多宝院」が
かつての正式名称で修験道の羽黒派で
あったことがわかる。中央に釈迦文仏、
左右は、文殊、普賢を拝している。
祭神は、大名持命、少彦名命、日本武命。

創建は元慶六年(882)
紀伊国金峯山に蔵王権現が現れ、
当地へ飛来してきたと伝わる。
こののち永治(1141)の初め羽州仙北
へ飛行したというが、年代があわない。
お互いに意識していたことは、想像できる。

文明二年(1470)葛西家家臣の
藤沢城主岩淵近江守が中興した。
寛文二年(1662)火災により焼失。
寛文五年(1665)保呂羽山中の
杉松を使い社殿を再興した。

万治三年(1660)熊本の大名、
細川越中守が使者を遣わし、
越中守自筆の心経一巻、金襴の
御戸帳など献納を受ける。
(一説に越中守は保呂羽の霊夢を
見たという。)
その後、毎年正月江戸へ登り
越中守の屋敷へ参りご祈祷をする
例となった。

貞享元年(1684)より、細川越中守、
金三〇両、御袋様より金二〇両
毎年献納するようになった。

明治に入り、神仏分離令により
保呂羽山大権現を保呂羽神社に
改称した。
鐘があります。神仏習合を
象徴しているようです。
権現鳥居の左奥に鳥居がありました。
この奥から登ってくるのが
正規のルートのようです。
【保呂羽山中腹の板碑群】

保呂羽山には小野寺姓が多いようです。
上野平の要害館には、葛西家臣
小野寺主計頭が居たと伝わります。

保呂羽山はかつて金が採れたといわ
れています。事実、金越沢ダムや黄金山
など金に関する地名が多いです。

延慶三年(1310)、北面の武士が
金堀奉行を命ぜられ、当地に赴いたと
言います。五人は千葉文吾、熊谷丹後、
小野寺伊賀、佐藤岩見、山口土佐で、
小野寺は両替所役所方を勤めたという。

【保呂羽山を下る。】






【麓より保呂羽山を望む。】

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