「母衣輪神社跡をゆく」

母衣輪神社跡
群馬県太田市金山町21・22


住所をクリックすると地図がでます。



太田市史に

「母衣輪神社『神社便覧表』(明治8年)によれば太田町字母衣輪(現金山町)には日本武尊を祭神とする母衣輪神社(現石祀)があり、むかしは太田町の鎮守であったとされている」とあります。

【母衣輪神社の参道跡】
現在は住宅街の坂道となり、石祠跡まで道は延びていません。

【受楽寺の山門】
立派なお寺です。
【母衣輪神社石祠の跡地】

現在は受楽寺の駐車場になっています。
ご住職に確認したところ、駐車場整備の
際に、石祠は寺の敷地内に移設した
とのことでした。
【母衣輪神社の石祠】

立派な石祠です。明治8年には神社が
存在したようで、いつから石祠になった
のかは不明です。
【庚申の石塔】
市にご教示いただきました情報では、元禄14年(1701)、元禄太田金山絵図には「袰羽山」。寛政4年(1792)寛政太田金山絵図には、「母衣輪山」とあり、山頂に建物が描かれているとのことでした。
この山は「母衣輪山」と呼ばれていたことがわかります。
翌週改めて母衣輪山の調査です。
受楽寺の脇のハイキングコースを登っていきます。最初は煉瓦道。
煉瓦道が終わると、土に変わります。
右にけものみちがあります。
気になるので登ってみます。
奥にはいると、寺墓地との境付近に、壊れた御堂のようなものがあります。南の方向を向いています。
ハイキングコースに戻ります。
右側には人為的に築かれた、石
垣があります。
奥に行くと、山頂付近へ伸びるけものみちを発見。入っていきます。
母衣輪山山頂。
群馬テレビの鉄塔が建っています。
標高93メートル。
ここに母衣輪神社が
建っていたのでしょうか?
周囲にはあちらこちら石が確認できます。
礎石でしょうか?
フェンスの廻りにけものみちがあるので、
一周しようとすると一番奥が崖になっていました。下までは20メーターほどありそうです。

「金山太田誌」によると
「母衣輪社は天正年中(1573〜1592)兵火にかかりて焼失す。金山全盛時代にては母衣輪の三寶院といひて神社に隣して山伏寺あり。常に触頭(元締め)の役をなせりといふ。神社の祭神は大己貴命を祀る」とあります。
この崖で修験者が修行していたかもしれません。
【石祠跡から母衣輪山を望む】
【母衣輪山遠景】

この周辺にある母衣輪神社は、
ここの影響を受けているのでしょう。
調査に関しまして、太田市文化財課さまに
ご協力いただきました。ありがとうございます。

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