「保呂羽神社跡・保呂羽館跡をゆく」


保呂羽神社跡
保呂羽館跡
(計須見城)
宮城県栗原市栗駒文字字中山西風


住所をクリックすると地図がでます。



【保呂羽館跡遠景】

鶯沢方面より。
小名(こな)霞ヶ岡ともいい、計須見城(けすみ・霞城)とも呼ばれました。
地元の方は保呂羽館とよびます。
御前山山頂に存在します。


【保呂羽館への道】

保呂羽館は山頂と聞いていたので、砂利道を高い方を目指して進んでいきます。

途中、急勾配で登れなくなりマイカーでの登城を断念。たまたま地元の方がいらしたので、場所を聞きいたところ、親切に軽トラに乗せていただき、入り口付近まで案内してもらいました。

本丸跡には石祠が二つあるとのことでした。

【御前山山頂付近】

けものみちを進んでいきます。
あと、ここ数日の陽気で熊が出るかも
知れないとのことだったので
恐る恐る進んでいきます。

【主郭】

一段高くなっています。
【石祠】

杉の木が生い茂っている中央に
一つ目の石祠を発見。

【保呂羽神社跡(左)】

石祠には「保呂羽神社」と刻まれています。


築地や段差があり立派な城であった
ことが想像できます。

周辺を見渡しますが、もうひとつの
石祠が見つかりません。
【もうひとつの石祠】

ありました!!1つ下の段(二の郭)に見えますが、少し形がヘンです。


【保呂羽神社跡(右)】

屋根がありません。よく見ると脇に
落ちていました。おそらく前の
大地震で、落ちたと思われます。
30キロほどあったようですが、
気合いで持ち上げ修復しま
した。

「保呂羽神社跡」が二つもあり
ます。というのは、城跡はちょうど
旧文字村と旧鶯沢村の境で、
一社一境が基本でしたが、
保呂羽神社が両村の村社となっ
たので、特別に保呂羽神社が
二社あったようです。
その跡にそれぞれ石祠が
置かれました。なので右(二郭)が旧鶯沢村で、左(主郭)が旧文字村のもの

【保呂羽館跡】
往古無冠太夫伯元がいましたが、
安倍貞任により滅ぼされたといいます。
15世紀末に二迫彦次郎が居したが、
富沢氏と上形氏の計略により、切腹し
ました。
二迫氏は小野寺氏との説があります。
保呂羽神社の台座にも小野寺の名前
が見えます。


【保呂羽神社遠景】

栗駒文字方面より。

鶯沢村風土記書上によると勧請不明。
鳥居が東向きにあったといいます。
別当は羽黒派覚宝院。祭日9月25日

栗駒町誌によると、祭神は大日霊尊、
吾勝尊。天保二年(1831)
9月25日に社殿を造り替えた記録があ
ります。こちらは文字の宝鏡院が司掌。
明治43年文字の愛宕神社に
合社されました。
【花山湖遠景】

保呂羽館より少し離れたところですが、
花山湖の夕日です。
この先を行くと山を越えて、秋田県へ入
れますが、大地震により崩落して通行
できません。

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