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【保呂羽山道の石碑】
【保呂羽堂】
保呂羽堂は国指定重要文化財「平林城跡」の所領であった色部氏15代色部長真が天正19年(1591)出羽国仙北郡大森町の保呂羽山波宇志別神社から当地に分霊されしたことにより創建され、その後の安政5年(1858)に再建されたものと伝わる。保呂羽堂の奥行きが深く、幣殿と拝殿を前後に明確に分ける平面形式は越後特有の形式と知られている。
総欅造
本殿 一間社流造、棧瓦葺、向拝一間
拝殿 入母屋造、千鳥破風付、棧瓦葺、向拝一間、軒唐破風付
幣殿 切妻造、棧瓦葺
指定 平成19年11月20日
神林村教育委員会
案内板より
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【本堂への石段】
仙北一揆の折り、上杉家臣だった色部氏は豊臣家の命により、一揆の鎮圧にあたる為、小野寺氏の支城である大森城に在城。その際に保呂羽を崇拝したという。
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【保呂羽堂】
保呂羽信仰は修験道を主とする神仏混淆でしたが、明治時代の廃仏毀釈により、神社または寺院としての選択を迫られました。こちらは寺院としてその名を残し存続しました。
荘厳な造りです。
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【鰐口】
お堂だけあって、鈴ではなく鰐口が下がっています。
いい音がしました。
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【保呂羽堂由来】
由来が書かれています。色部氏の守護神などの記載があります。海上交通安全、五穀豊穣、家門繁栄などとも見られます。
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【本殿の彫刻】
立派な龍や唐獅子が彫られています。
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【軒の彫り物】
牛と思ったのですが像と人のようです。
背景には波と帆掛け船が彫られています。
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【保呂羽堂】
奥まで続いているのが判ります。
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【保呂羽堂裏側】
元禄の世、色部長真の子孫、色部又四郎安長は米沢藩江戸家老を勤め、赤穂四十七士が吉良邸への討ち入りの際、実父吉良上野介を助けるため出兵しようとした主君上杉綱憲を引き留めたと言う話がちょくちょく出てきます。
小野寺との関係はここでも続いているような・・・。
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【保呂羽山遠景】
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【平林城跡遠景】
上杉家家臣色部氏の居城跡です。
この後、上杉家の減封により色部家も
当地を去り、保呂羽堂も米沢にも建立
されました。
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【参拝難易度】★★☆☆☆
【参拝危険度】★☆☆☆☆ 【コメント】
千眼寺の左奥の山頂にあります。長い石段が続きます。 |