「幌羽山金峰寺をゆく」



幌羽山金峰寺跡
宮城県本吉郡南三陸町歌津


住所をクリックすると地図がでます。



【麓の村落の風景】
前日からの雨で流が急です。   
    【貞任山】
    安部貞任の伝説が残っているのでしょうか。    
    
    【田束山案内図】
    藤原秀衡時代に栄えた山だけあって、
    多くの史跡があります。   
【案内板】

田束山(たつがねさん)

海抜512メートル 本吉郡中屈指の高峯である。古昔から霊山として開かれ 近郷近在の崇敬を集めていた。開所は不詳であるが仁明帝の承和年中(西暦834〜847年)に天台宗に改宗したと言うことである。
 平泉の藤原秀衡 深くこの山を尊信し 山頂に羽黒山清水寺 山腹に田束山寂光寺 北嶺に幌羽山金峰寺及び七堂伽藍を建立し 本吉郡の総鎮守とし第四子本吉四郎高衡をして祀祭せしめた。
 僧坊は開山当初380坊あったが その後荒廃し、170坊に減り 秀衡支配時は78坊となった。文治五年(西暦1189年)源頼朝の代官・葛西清重の手に移り 以後四百年間その治に属した。この間 葛西も40余坊を建てている。天正一八年(西暦1590年)葛西氏も秀吉の小田原攻略に応ぜざる故を以て所領を没収せられ以後は伊達氏の所管となり明治に及んでいる。伊達氏も寺として三千石を寄進していた。明治二年神仏合祀の禁止により計仙麻大島神社となり 同六年郷社に列せられた。
 昭和四十六年山頂において十一個の経塚群を発見。元東北大学教授・伊藤信雄氏の指導を得てその一個を発掘 青銅製経筒に収められた経文・法華経十巻を確認した。調査の結果八百年前の平安時代の埋経であることがわかり 学術上貴重な資料とされている。
 変転星霜 寺坊は山火に焼け 雨露に朽ち いま残るものは往時の工事跡と礎石のみであるが山頂に立って首を廻らせば 眼下に展開する渺茫たる太平洋 背後に連なる北上山系の層巒等千古の面目に今尚接することができる。

昭和四十七年十月
南三陸町
本吉町
    【計仙麻大嶋神社】
    寂光寺の跡地でもあります。
    
    【田束山山頂】
    強風と激しい雨が襲う悪天候でした。
    上司からもらった16本骨がある傘を
    さしていったのですが、ひっくり返って
    玉砕されました。
    清水寺があったところです。
      
    【経塚群】
    【幌羽山金峰寺跡入口】
    山頂付近の駐車場から、少し車で下ります。
    
    【石像】
    幌羽山への遊歩道は石像が建ってます。
    【山道】
    本格的な道になってきました。
    【土壇】
    この一段上が、寺跡のようです。
    
            
    【幌羽山金峰寺跡】
    
    
    【石垣】
    石垣で囲まれています。
    昔は立派な建物が建っていたのでしょうか。
    
    【石祠】
    石祠がひっそりと残されています。
    奥州藤原氏時代の栄華は
    今は微塵も感じられません。    
    
    【幌羽山遠景】
   
    
【参拝難易度】★★☆☆☆
【参拝危険度】★★☆☆☆
【コメント】
田束山は駐車場があります。幌羽山金峰寺は路上に止めました。
道路から450メートル入ったところにあります。

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