
| 【概説】 |
南北朝時代、多賀城に入っていた南朝北畠顕家に従い伊勢へと上っていったと見られる一族。 |
| 【伊勢小野寺氏関連地図】 |
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| 【戦国期の伊勢小野寺氏】 |
| 人 物 | 列 伝 |
| 団次 | ( ? ) 伊勢神宮文庫所蔵「永禄八年(1565)北畠家臣帳」の中に「三百騎組 五十石 小野寺団次」とあり、これが小野寺氏と伊勢を関連付ける最も古い記事である。北畠氏に仕えていたことが窺える。 |
| 【伊勢を本国とする近世小野寺氏】 |
| 所属藩 | 家紋 | 主家 |
| 三春藩小野寺氏 | 花菱 | 秋田家 |
| 津藩小野寺氏 | 酢漿草 | 藤堂家 |
| 赤穂藩小野寺氏 | 六葉木瓜・分銅 | 浅野家 |
| 江戸幕府御徒士小野寺氏 | 瓜の内井桁 | 幕府 |
| 京都町奉行小野寺氏 | 不明 | 幕府 |
| 田安家附衆小野寺氏 | 不明 | 田安家 |
| 大溝藩小野寺氏 | 六葉木瓜 | 分部家 |
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| 伊勢小野寺氏1【赤穂藩・大溝藩系】 |
| 【家紋】 |
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| 六葉木瓜 |
| 【伊勢小野寺氏1系図】 |
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| 氏 族 | 列 伝 |
| 伊勢小野寺氏1 | 十太夫は、「浅野家」(のちに赤穂藩)。秀友は「分部家」(のち大溝藩)へ仕えた。秀友の略歴によると、関ヶ原合戦の際、伊勢国津城、東軍、富田信高公、分部光嘉公と共に籠城し防戦したとあり、また、秀友の子友定、秀元はともに伊勢国下部田(三重県津市)生まれとあり、代々この地域に居を構えていたとものと考えられる。 詳細は「近世の小野寺氏」参照。 |
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| 伊勢小野寺氏2【津藩系】 |
| 【家紋】 |
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| 酢漿草 |
津藩藤堂家
| 【伊勢小野寺氏2系図】 |
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| 氏 族 | 列 伝 |
| 伊勢小野寺氏2 | 江戸時代後期に津藩藤堂氏の家中に見える一族。いつ頃から藤堂家に仕えたかは不明であるが、慶長年間の分限帳に小野寺姓のものは見あたらない。ともすれば、江戸時代中期から後期と推測される。住居は部田村・八王子前とあり、いずれも現在の津市内に当たる。詳細は「近世の小野寺氏」「津藩小野寺氏」参照。 |
| 伊勢小野寺氏3【三春藩系】 |
| 【家紋】 |
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| 花菱 |
| 【伊勢小野寺氏3系図】 |
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| 氏 族 | 列 伝 |
| 伊勢小野寺氏3 | 本姓二階堂。重忠は訳あって母方の姓、小野寺を称した。父、行充は関ヶ原合戦の際、富田信高軍に属し、津城に籠城したとある。重忠、正成は会津藩加藤家に仕えた後、秋田家へ仕えた。 詳細は、「近世の小野寺氏」「三春藩小野寺氏」項参照。 |
| 伊勢小野寺氏4【田安家附衆系】 |
| 【伊勢小野寺氏4系図】 |
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| 氏 族 | 列 伝 |
| 伊勢小野寺氏4 | 天守番の後、田安家に仕えた一族。市郎兵衛の父は不明であるが、本国は伊勢という。赤穂藩浅野家に仕えた、小野寺又八の弟、嘉右衛門の子孫が判明しないことから。その家系と関係も考えられる。詳細は「近世の小野寺氏」「田安家附衆小野寺氏」参照。 |
| 伊勢小野寺氏5【一身田小野寺氏】 |
| 【伊勢小野寺氏5系図】 |
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| 氏 族 | 列 伝 |
| 伊勢小野寺氏5 | 赤穂藩士小野寺十内秀和の叔母が伊勢一身田高田門跡の小野寺道貞に嫁いだとある。十内の書状には自らと道貞は伊勢小野寺氏の嫡孫であると記している。 |
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