【新庄藩小野寺氏二家】
1.小野寺保道家
2.大沢靱負家(工事中)
【小野寺保道家概説】 |
|
【保道家家紋】 |
![]() |
六葉木瓜 |
【新庄藩小野寺保道家系図】 |
![]() |
人 物 | 列 伝 |
左京 | ( ? 〜1644) 義道の子。仙北左京と称す。小野寺改易の際、父と共に石見へ同道する。正保元年三月二十二日死去。法名定修院殿宗近大禅定門。 |
保道 | (1600〜1679) 義道の子。初名直道。のち神尾内膳と称す。父義道改易の後、戸沢安盛に呼び寄せられ賓客の待遇を受ける。最初百人扶持。寛永年中四百石を賜る。延宝七年四月二日死去。享年八十歳。法名清山国中居士。 |
某 | ( ? ) 義道の子。佐々木(笹木)新左衛門と称す。播磨国姫路に住むという。父義道意向により、母方の実家である佐々木(鮭延)家の家名を継ぐように命ぜられる。 |
某 | ( ? ) 義道の子。仙北小十郎と称す。 |
女子 | ( ? ) 義道の子。駿河大納言徳川忠長の家臣、松坂将監の妻となる。 |
女子 | ( ? ) 義道の子。江戸に住むという。 |
高道 | ( ? ) 保道の子。小野寺主水と称す。四百石を賜る。三十八歳で死去。 |
女子 | ( ? ) 保道の子。 |
女子 | ( ? ) 保道の子。井関内蔵助正長の妻。 |
女子 | ( ? ) 高道の子。母は戸沢長九郎康包の娘。益田八郎左衛門実信の妻。 |
隆道 | ( ? ) 高道の子。初名鍋之丞。のちに主水、山内隼太と称す。母は戸沢長九郎康包の娘。家督相続後四百石を賜り御番頭を仰せつけられる。隠居して孤竹と号す。 |
道孝 | ( ? ) 高道の子。初名門之助、のち彦七、山内儀右衛門と称す。享保十九年(1734)新知行として百石賜る。 |
豪道 | ( ? ) 隆道の子。山内主水儀右衛門と称す。初名孫十郎。母は井関内蔵助正長の娘。享保九年(1724)家督を相続し四百石を賜る。元文元年(1736)旗奉行、寛保三年(1743)御番頭を仰せつけられる。 |
女子 | ( ? ) 隆道の子。母は井関内蔵助正長の娘。西村忠右衛門将賢の妻。 |
保道 | ( ? ) 隆道の子。山内此右衛門と称す。初名蝸牛。母は井関内蔵助正長の娘。小野寺吉左衛門の跡を継ぐ。 |
幸道 | ( ? ) 隆道の子。山内幸左衛門と称す。初名無平。母は井関内蔵助正長の娘。早世という。 |
儀平 | ( ? ) 隆道の子。山内を称す。山田仁右衛門の養子となる。 |
鷲蔵 | ( ? ) 隆道の子。山内を称す。母は井関内蔵助正長の次女。五歳にて早世。 |
興道 | ( ? ) 隆道の子。山内猶之助と称す。母は井関内蔵助正長の娘。羽州上山松平山城守家中、稲村左近義興の養子となる。 |
女子 | ( ? ) 道孝の子。進藤文左衛門の妻。 |
澤右衛門 | ( ? ) 道孝の子。山内を称す。初名友之丞。故あって追放される。 |
昌益 | ( ? ) 道孝の子。山内を称す。初名養皈。父の家督を継ぎ江戸へ行く。 |
休道 | ( ? ) 豪道の子。山内を称す。初名豊之進。のちに山内儀右衛門休道と称す。母は下田勘右衛門の娘。宝暦年中父主水から家督を譲り受け、四百石を賜わり物頭を務める。安永五月二十八日御番頭を仰せつけられる。 |
常尹 | ( ? ) 豪道の子。初名山内杢弥。長濱杢之助の養子となり長濱彦九郎と称す。のちに長濱杢之助常尹と名乗る。 |
女子 | ( ? ) 豪道の子。 |
隼太 | ( ? ) 休道の子。山内を称す。母は松岡平八の娘。惣領であったが他所に出たという。 |
某 | ( ? ) 休道の子。母は松岡平八の娘。他所に出る。 |
儀右衛門 | ( ? ) 休道の子。山内を称す。母は岡村右近の娘。天明七年四百石を賜る。寛政四年(1792)十一月二日お取次。 |
女子 | ( ? ) 休道の子。母は岡村右近の娘。岡村頼母の妻。 |
女子 | ( ? ) 休道の子。母は岡村右近の娘。 |