ビルマなチャイナ旅
(2006年夏 中国・雲南省の旅)

Ruili city

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中国に興味はなかった

別に好きでもなかった


でもとりあえず

成田から中国へ向かった


そして

中国初上陸




 雲南省のクンミン(昆明)の空港でTさんが待っていてくれた。
 Tさんは以前ラオスで知り合ったバックパッカー仲間である。

 しかしクンミンは、残念ながら私にとってトランジット空港。
Tさんとは軽く飲んだだけであった。

 だが、この短時間で、
中国旅行の大先輩のTさんから貴重な旅の情報を戴くことができた。

 これまでの私の持つ中国人(というより中国の漢民族)のイメージは『反日』。

 しかしTさんからは驚愕の言葉。

 「中国人は、それほど反日じゃないですよ。雲南省ではむしろ親日です。」

 「ええっ!?」

 もし本当ならば嬉しいのだが、そんなはずは...


 ともかくマンシー(芒市)へ飛び立った。


 マンシーは今回の旅のメインであるルイリー(瑞麗)に最も近い空港のある都市。
 夕方に到着したので、そのマンシーで一泊し、翌日ルイリーへ向かうのであった。



ルイリー市内
 ルイリーに到着。

 この辺りには、たくさんの民族が住んでいる。
 漢民族、ジンポー族、アチャン族、ドゥアン族、タイ族、そしてビルマ族など。



辺貿市場の入口

 辺貿市場は一直線のストリート。綺麗な店が並ぶ。
 しかし、ジュエリー類などバックパッカーにはあまり関係の無い店ばかりであった。


 ルイリーに、ジエガオ(姐告)というミャンマー国境の地区がある。
 この付近の国境は、ルイリー川を挟んで、中国領とミャンマー領に別れるが、このジエガオだけは、川を越えたミャンマー側にポツンと置かれた中国領なのである。


ジエガオ地区を訪れる。
中国とミャンマーを遮る国境のフェンス。
このフェンスの向こうはミャンマーのムセという町。
行ってみたいけど行くことは許されない。

でも行きたい。

でも駄目。

フェンスを抜けるのは簡単

でもやはり駄目。






ザンフォン(章鳳)にも行ってみた。
一人の大学生くらいの男の人がやって来る。
バックパックを背負った外国人が珍しいのか。

「町を案内するよ。」

でも断った。

その人を信じていいのか判らなかったから。

観光地ではないこの田舎町、
後から考えれば、
別に用心する必要もなかったかもしれない。



町を一人で歩く。

屋台でジュースを飲む。

ジュース屋のおばちゃんに聞く。

「ハン(漢)? タイ? ジンポー?」

おばちゃんはタイ族だと応えた。

雲南省の少数民族・タイ族

雲南省のタイ族とミャンマーのシャン族は
同一民族だと聞いたことがある。

じゃあ実験。

「インリーティティカ」

以前ミャンマーのチャイントンで覚えた唯一の言葉
『ありがとう』の意味のシャン語。

しかし
「???」

通じていなかった。
間違っていたのか、発音がおかしいのか
このシャン語の方言違いのためか?


では気を取り直して
次の実験。

雲南省のタイ族とタイランドのタイ人は
近い民族であるとのこと。

「サワディーカップ」
「サバイディー」
「コープンカップ」
「コープチャイ」
知っている限りのタイやラオスの挨拶の言葉。

しかし
「???」

これらも駄目。

じゃあ
残るはタイ数字。
「ヌーング、ソーン、サーム、シップ...」

おばちゃんが笑う。
おばちゃんが言い直す。
「ヌーング、ソーン、サーム、シ、ハー、...シップ」

つい4をシップと言ってしまったが、
シップは10の意味だったのである。

おばちゃんがそれを訂正してくれたのであった。

いずれにせよ、
数字はタイランドのタイ語と一緒のようである。

ちょっとだけでもコミュニケーションがとれて嬉しかった。



ホテルに戻る。

カウンターの女性は英語が話せた。
始めは立ち話、そしてソファーに移って話し込む。

彼女は大の親日家。

以前この町で短期の日本語講座が開かれていたらしい。
彼女もそれを受講したのだとのこと。
簡単な日本語のフレーズを知っていた。

すると彼女のお姉さんもやってきて会話に加わった。
お姉さんは大学生で、妹は高校生。

二人とも県外の学校に通い、寮に住んでいるとのこと。
今はたまたま夏期休暇で実家(このホテル)に帰省中。

英語が話せて美人な女性が帰省中でこのホテルに。
本当に偶然だったが
やっぱり旅に出ると運がいい。

二人が食事に誘ってくれた。
地元料理の食堂へ連れて行ってもらう。


その途中で寺院も見物。

食堂はジンポー料理の店。
うどん料理を注文。
妹が食べ方の手本を見せてくれる。
茹でたうどんを掌に載せる。
味付けされた肉をさらに載せ、
手で寿司を食べる要領で食べる。

辛いけど美味しかった。


正直な話、
前回サッカーの中国で開催されたアジアカップ以降、
中国の漢民族なんてぶっちゃけ嫌いであった。
しかし、この旅行で、漢民族のイメージが徐々に変わって行き、
この小姐たちに会ってから漢民族に関して
好印象を持つようになったのは事実である。



お金の支払いのとき、勿論払うのは自分だと
決めていたが、二人はそれをさせてくれなかった。
大学生と高校生の小姐に
飯をおごってもらうのは
申し訳ないやら、恥ずかしいやら、
照れくさいやら、情けないやら
多謝、多謝。



ザンフォン市の次に訪れたところは、ノンタウ(弄島)という村。

だけど何にもなかった。
面白いところを嗅ぎ付ける鼻が
利かなかったからか?






ルイリーへ戻った。
荷物を宿に置き、再びジエガオへ足を運んだ。



ジエガオの立派な国境イミグレ。
しかしここを通過している人は
見当たらなかった。

国境だけに一応こんなものもある。

『免税店』。


渇いた喉を潤すため店に入った。
店員はビルマ人だった。
この店員はとても話好きで気さくな人だった。
ラーショ出身だと言う。





ところで中国名物ニーハオ・トイレって聞いたことがあるだろうか?
近年大都市中心に消えつつあるらしいのだが、
市場のトイレで発見してしまった。

ニーハオ・トイレとはドア無しのトイレである。

この市場のトイレはきちんと掃除がされていて
超清潔であった。
カレーライスとかじゃなければ
ここで弁当だって食える程!?

これならば、快適に用が足せる!
(但し、人が入ってこなければ。)

ニーハオ・トイレに関するイメージが
少しよくなった。









ルイリーからマンシーへ戻った。
 帰国が迫っているからである。

マンシーにも市場へ行けば少数民族に会える。


よく見かけるのがこの民族。
一体、何族であろうか。

少し歩くとビルマ語が聞こえてきた。

彼らはビルマ人。

ちょっとだけ言葉が通じるので
彼らにさっきの民族は何なのか聞いてみた。
「その人達は、シャン族だよ。」

シャン族、すなわちタイ族であった。

今までミャンマーでたくさんの
シャンの人々を見てきたが
その人たちのような
白いシャツに黒い帽子のシャンを
見たのは初めてだった。

自分の知っているシャンとは違ってる。




 
 市場を更に歩くと派手な民族衣装が目に付いた。
訊いていないので断定はできないが
おそらくジンポー族(景頗族)だと思われる。
ジンポー族とは
ミャンマーでいうところのカチン族である。




食事は市場がいちばん。

うどん一杯で1元(約15円)程度である。






田舎町から大都会クンミンへ行く。
フライトの関係上ここで一泊。

街や公園を散歩。




公園で踊ってる人
 
 



クンミンの空港で。
民族衣装が綺麗だったので民族名を聞いてみたら

ナシ族とのこと。



旅行前、中国人のことをあまりよく思っていなかった。
でも、この旅行で確かに変わった。


el 8/11/2007




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