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1998年のミャンマー旅行。 東南アジア自体これが初めてだった。 東南アジアのことはあまり知らなかった。 ミャンマー人の『親切』をどこまで信用してもいいのか全くわからなかった。 |
<<<< ミャンマー(1998年) 『某Nホテル』と『某O食堂』 >>>> |
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マンダレーに到着した。 マンダレーでは、某Nホテルに宿泊。 そこにトラサンと名乗るホテル・スタッフがいた。 トラサンは「日本が好きだ」と言っていた。 もちろん鵜呑みにはしなかった。 そしてトラサンはツアー(というよりタクシーのチャーター)の誘いを持ちかけてきた。 彼曰く 「マンダレー郊外で『トンビュー』という祭りがある。 年に数回しかない祭りで、この祭りの時期にマンダレーに来たのは運がいい。 他の外国人たちはこの祭りのことを知らないので『穴場』である。 絶対行くべき。」 とのこと。 私はOKしてお金を払った。 『トンビュー』祭りを見に行くのは翌日夕方という約束になった。 散歩に出かけた。 ドリンク屋でイタリア人の女性と地元の男の人が話をしている。 私がそこを通りかかったとき、その人たちと目が合った。 二人とも笑顔で「ハロー」と言ってきたので、こちらも「ハロー」と返した。 その男の人が「ここへ座らないか」と相席を勧めてきたので、 そこのテーブルの席に一緒にさせてもらうことにした。 そして3人で会話をした。 その男の人は英語が話せ、また日本語の単語もかなり知っていた。 彼は「日本が好きだ」と言う。 彼は食堂を経営しているとのことで、このあと彼の食堂に来るよう誘われた。 私は彼に付いて行くことにした。 イタリア人の女性は別れ際に私に言った。 「気をつけなさいよ。」 (彼にわからないように言ってくれた。) ハッとした。 そう、ここは東南アジア。 - やはり気を抜いてはいけないな。 - 旅慣れたラテンアメリカとは違って、信用できる人・できない人の区別は全くできなかった。 もちろん疑ってばかりでは、旅はつまらなくなる。 信用と疑いのバランスを保ちながら人と接することを楽しむ...これもまた難しい。 その男の人(以下名前を忘れたのでO氏と呼ぶ)の食堂でコーヒーを出してもらった。 お金は要らないと言う。 私の頭の中に不安が過ぎった。 『アジアでは睡眠薬強盗が多い』と聞いていたからだ。 ...でも飲むことにした。 O氏は「感想ノート」を持ち出してきた。 そのノートはこの食堂に来た客が感想等を書き残したもの。 そしてその書き込みの大半は日本人によるもだった。 その食堂やO氏のことについて良いことが書いてあった。 それでもまだO氏を信じることはできなかった。 またウドンまでご馳走してもらった。 O氏と会話が続いた。 明日は何するのか聞かれた。 「日中はマンダレー・ヒルに行って、夕方はトンビューに行くんだ。」 O氏は「トンビューへ行くんだって!?」と目をまん丸くして驚いたように言った。 そんな言い方されたので、『トンビュー』って一体何なのか尋ねてみた。 O氏の話を纏めると、こうであった。 ・ マリファナとゲイの祭り ・ 治安が悪く犯罪が多発している ・ 行く価値は全くない そんなことを聞くと行くのが嫌になる。 O氏の方から質問が来た。 「トンビューのことは誰から聞いたんだ?」 私は答えた。 「某Nホテルのスタッフから『行くべきだ』と勧められたんだ。」 O氏はまた目をまん丸くして言った。 「あそこのホテルの人は信用しない方がいい! あそこの人たちは嘘つきだから気をつけなければならないぞ。」 トンビューに行くべきかどうか迷ってしまった。 某Nホテルのトラサンを信用すべきか...、 某O食堂のO氏を信用すべきか...。 両方とも信じられるタイプではなかった。 いろいろ考えて、結局トンビューなんていう怪しいツアーはキャンセルすることに決めた。 ちょうどそのとき、某Nホテルのトラサンがウドンを食べにそこの食堂へやって来た。 トラサンは私を見つけ相席してきた。 そこのテーブルを私とO氏とトラサンで囲むことになった。 私はトンビュー行きをキャンセルしたい旨トラサンに伝えた。 そして謝った。 トラサンは言った。 「えっ、でもお金もうもらっちゃってるぞ。」 私は 「お金なら別に返さなくてもいいよ。あげるよ。」 と答えた。 ウドンを食べ終わるとトラサンは帰っていった。 - 本当にこれで良かったのだろうか... - またO氏との会話になった。 O氏は私に宝石をくれると言い出した。 私は「要らない」と言ったが、強引に渡そうとする。 きっと安い緑色っぽい例の宝石だろうなと思ってたが、やはりそれであった。 (たまたま予備知識があって、石ころの価値しかないものが宝石と呼ばれているのは知っていた。) 私は再三断ったが、O氏はどうしても受け取って欲しいらしい。 私は 「その類の宝石、もう持ってるから要らない。」 といって、ミニ・リュックから同種の宝石(というより石ころ)を取り出した。 その私の持っていたものは、O氏が渡そうとしてたものより大きかった。 O氏は驚いた顔して聞いてきた。 「その宝石どうしたんだ?」 私はニッコリ笑って 「きょうマンダレーに到着する前に、友達になったお坊さんからもらったんだ。」 O氏はビビッた顔になった。 こんどはO氏が物をねだってきた。 「Made in Japan の製品、何かくれないか?」 - やっぱりお前は日本製製品が欲しくて、 コーヒーやウドンを出したり石ころ渡そうとしたりしたのか。 - しょうがないから、私の持っていた日本製ボールペンとO氏のボールペンを交換してやった。 翌日はマンダレー・ヒルを訪れた。 丘の麓で、女の子が 「日本語の勉強をさせて欲しい。」 というようなことで話し掛けてきた。 (同じアジアの)タイを旅行したことのある人の話などから考えると、 こういう風に話し掛けてくる女は怪しいかもしれないと思った。 でも『話すだけ』ならと考えて、日本語の話し相手になった。 この機会に彼女に『トンビュー』のことを聞いてみた。 そしてトンビューへ行くことをホテルの人に勧められたが悪い噂を聞きキャンセルしたことも話した。 彼女は『トンビュー』のことをカタコトの日本語で話してくれた。 『年に数回しかないナッ神の祭りで行くべき』とのことだった。 - トラサンの言ったことの方が正しかったようだ。 - マンダレー・ヒルからホテルに一旦戻り、そして再び散歩に出かけようとした。 ホテルの前にO氏がいた。 O氏 「どこへ行くんだ?」 私 「市場。」 O氏 「俺が案内してやる。」 私 「大丈夫だよ。一人で。」 O氏 「いやいや付いていってやる。」 私は行き先の方角を変えた。 それでもO氏は付いてくる。 O氏は言った。 「Believe me! Believe me!」 信じろと言われれば余計に怪しい。 O氏を振り切って市場に向かった。 翌日もO氏は、私を見つけると毎回 「街を案内してやる。 Believe me!」 と言ってきた。 さてさて、私は図々しくまたタクシー・チャーターの依頼をホテルにした。 行き先は観光ポイント・アマラプラ方面。 料金を尋ねた。 トラサンは私に言った。 「いいよ。 お金はこの前もらってるじゃないか。」 「えっ、あれでいいのか。」 「もちろん。あのときのお金はタダでもらう訳にはいかない。」 「トラサン...。」 そのアマラプラ方面の訪問は楽しかった。 ホテルをチェックアウトするとき我々は固い握手で別れた。 ** ** ** ** ** 翌年、またミャンマーを訪れた。 前回訪問してなかったインレー湖を訪れた。 猫で有名な水上寺で、トラサンにそっくりな旅行者を見つけた。 その人は日本人女性を連れていた。 まさかと思って、声を掛けてみることにした。 「どこから来たの?」 「マンダレーから...。 キミ見覚えあるよ。」 「うん、去年マンダレーの某Nホテルに泊まったよ。」 「やっぱり! うちのホテルで3泊したよね。」 「トラサン、1年ぶりだね。」 「今晩、一緒に飯食べよう。」 偶然の再会に驚きと嬉しさと懐かしさがあった。 しかしそのあと、一緒の食事は、トラサンの連れの日本人女性が反対した為か、言い出した方のトラサンからキャンセルのお詫びがあった。 ** ** ** ** ** さらに一年後、マンダレーを再び訪れた。 そのホテルには、もうトラサンはいなかった。 |
これが私の初めての東南アジアの思い出。
不慣れな土地で、人を疑うべきかどうかに
かなり振り回されてしまった。
そんな悩みながらの旅も今ではいい思い出。
おわり
(注1) このあとミャンマーでたくさんの人と触れ合ってきた。 現在ミャンマーの人々を私はかなり信用している。 それどころか、私にとってミャンマー人は世界の中でも最も信用できる国民のうちのひとつである。 中には騙したりボったくろうとしたりする人もいるだろうが、悪質過ぎるものは殆どないと私は思っている。 しかし例外としてO氏だけは今でもちょっと私には信用できない。 他にもマンダレーを旅した人とO氏の話題になったことがあった。 |
彼も、O氏に関しては、誤解かもしれないが要注意人物だったと話していた。 (注2) 2000年、2度目のマンダレー訪問のとき、トンビューの祭りへ行ってみた。 大勢の人が集まり、賑やかな音楽が流れ、とても楽しかった。 おそらく毎年、8月の中旬ころ行われていると思う。 穴場の観光ポイント。 (注3) トンビューの正しい発音は『タウンビョン』とのこと。 |
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