PTより愛をこめて
〜最新号〜
第18号(2002.6.14)
拝啓
雨の多い季節となってまいりました。皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。平素は 「愛こめ」や「ホームページ」等にひとかたならぬ御愛顧を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、私は最近、皆様が前年度の終わりごろに死に物狂いでお書きになった『介助の留意点』という文書に目を通しているのでございます。思えばあの頃、最後の新任職員研修などというものをぶつけてしまいました。きっと、皆様の 死に物狂いに拍車をかけ、五臓六腑の隅々まで徹底的に疲労困憊させ、「もういっそやめたろかい!」という気にさせ、深い深いため息と共に底なし沼の深みへとはまっていくような幻覚を瞼の裏に生じさせたに違いありません。私など、よくぞ無事に夜道を歩けたものだと、今さらながらに改めて皆様の寛大さと愛情の深さに思いを致す次第でございます。本当に感謝の念に堪えません。
たまに地活でワーカーさんの手伝いに入ると、ワーカー(生活支援員)という仕事の多様さを思い知ります。気をつけなければいけないことがたくさんあるし、覚えておかなくてはいけないこともたくさんある。同時進行でいろいろなことを進めつつ、全体の展開や先々のことも考えなくてはならない。それを複数の人について、同時に行なわなければならない。他のワーカーの動きにも気を配らなければならない。
皆様がお書きになった『介助の留意点』を読んでいても、書かれていることやそこから類推されることの膨大さには圧倒されます。
はー、つくづくたいへんなお仕事でございますね。毎日が平穏無事に過ぎていけば、これ以上何を望むというのか、という気になります。例えばPTがワンポイントで生活のほんの一部分を見て何を言えるのか、と。レントゲン写真や血液検査のように、ある瞬間の状態を取り出したとしても、所詮その時はそうであったというだけのことではないか、と。
確かにそのとおりです。PTなんて生活を組み立て、援助する役には立てません。ワンポイントで見ても全体像はわからないでしょう。私がワーカーさんと同じ視点で居住者さん・利用者さんを援助しようとしたら、一から勉強しなおさないと全く役に立たないでしょう。
このように考えると、例えば皆様が死に物狂いでお書きになった『介助の留意点』に赤を入れることなど、とんでもなく僭越で不遜なことのように思えてくるのでございます。私にわからなくてもワーカー同士ならわかることもあると思います。それどころか日常の介助に入らない私が『留意点』を読む意味があるのかと思う人もいらっしゃるかもしれません。心情的には私自身もそう思います。自分がここにいるワケについても混乱してまいります。
しかしレントゲン写真や血液検査は、たとえその一瞬の状態像だけを切り取るものであっても、時に全体像を反映 したり、無自覚に進行している病気の兆候を発見する契機になったりします。見えない部分に心配な兆候がなければ、一瞬の状態像であってもちょっと安心できます。
施設におけるPTとはそのような存在なのでありましょうか。社会人が世間の目に耐えうる生活を要求されるように、ワーカーさんの仕事が、或いは施設としての仕事が社会に認知されるためには、自分以外の目からの批判に耐えうるレベルでなければなりません。そのような存在として認知されているなら、PTでも少しは役に立つのかもしれません。
でもあんまり楽しくないのですね、出来上がったものに手を入れるというのは。人の仕事にケチつけているみたいで。進行中のことやケースのことを一緒に考えるというのは楽しいのですが。そういうわけで、『介助の留意点』を読んで赤を入れてはブルーになっている今日この頃でございます。皆様のご健康と一層のご活躍をお祈り申し上げます。敬具
Still love you, anyway.
食材・食介情報 〜誤嚥ということ〜
誤嚥とは、飲食物や唾液や異物などが気管に入ることです。
たいていは、ゴックンという嚥下の後、誤って気管に入ってしまうことで起こります。
そしてたいていは、「むせ」つまり咳の力で気管から異物を追い出すことができ、誤嚥に至らないですみます。
しかし人によっては嚥下機能に問題があり、ゴックンとする前に、口の中にある物が喉頭付近まで流れ込み、呼吸を するときに吸い込んでしまって気管に入ることもあります。
また人によってはむせの力が非常に弱くて十分に異物を排出できなかったり、気管に入ってもむせることなく無症状の まま誤嚥に至ってしまうこともあります。
誤嚥したものが気道をぴったり塞いでしまった場合、窒息状態となります。
これとは別の「詰まり」もあります。
一つは口の中にあまりにもたくさんほおばってしまって、飲み込もうとしても飲み込めず食物や異物が嚥下途中で、または嚥下直前で止まってしまう場合です。いわゆる「喉につかえた」状態です。
どの時点でつかえたかにより、呼吸できる場合とできない場合があります。
まだ口の中にあって、嚥下反射が起こる前なら鼻腔へ続く上咽頭は開いていますから呼吸ができますが、嚥下反射が起こってしまうと上咽頭も閉じてしまうので、呼吸ができません。「お餅を詰まらせる」というのは恐らくこの状態だと思います。
もう一つは食道につかえた場合です。飲み込んだものの、塊が大きすぎて胃になかなか降りて行けない状態です。よく、おイモを食べている時に、顔を赤くしてドンドンと胸を叩く人がいますが、多分食道につかえているのだと思います。この ときはウッとなりますが、呼吸はできるはずです。
以上のことをまとめてみます。
<顔色>
良いもしくは赤い ⇒ 呼吸できている、むせている ⇒ 様子を見る
青い ..........⇒ 呼吸できていない .........⇒ 救急救命法を使う
<呼吸>
できる ⇒
@口の中に詰まっている ⇒ 叩かない。落ち着いて息をしてもらい顔を下に向けて掻きだすか、吐き出 してもらう。
A食道に詰まっている ⇒ 胸を軽く叩く、少量の水などを飲む。
B喉頭内に少量入った ⇒ 叩かない。咳に合わせて胸を引き下げる。
できない⇒C喉(中咽頭)に詰まっている ⇒ 救急救命法を使う。
......................D喉頭入口に詰まっている ....⇒ 救急救命法を使う。
<むせ>
あり ⇒ B
なし ⇒ ・呼吸できる 。.⇒ @、A、B(silent aspirationの場合)
。。 ・・呼吸できない ⇒ C、D
<嚥下>
前・・・@
・・・・B(嚥下障害の人にありえる)
・・・・C(いきなり異物が口に入った場合などにありえる)
・・・・D(ペースト食の人が固形物を食べてしまった場合にありえる)
後・・・A、B、D
※激しくむせた後、呼吸はできているが息苦しさがいつまでも消えない時、誤嚥して、もっと先のほうの細い気道に詰まっている可能性があります。
誤嚥物を取り去ったはずなのに、むせや痰が止まらない場合は、誤嚥性肺炎の疑いがあります。
この場合、熱発などの症状が出るまでの時間は誤嚥物によって異なります。嘔吐物(つまり胃酸)の誤嚥による症状は直後から現われ、食物では12時間ぐらい、水分はより早く現われるそうです。
誤嚥性肺炎による症状としては、一度ポンと熱(時に高熱)が出たあと熱は下がり、その後痰がからんだ咳が増えてくるというパターンが多いそうです。
激しくむせた後、詰まった後は、少なくとも24時間は呼吸の様子や痰がらみの様子、バイタルの変化に注目しているようにしましょう。
連載 : そもそも理学療法って何? (その3)
ところで、国家試験に受かって理学療法士になると、たいてい日本理学療法士協会(以下PT協会)に所属すると いうことを前回書きました。そのPT協会が一般の人向けに作っている小冊子に「理学療法って何?」という定義が 載っていますので全文を紹介します。
= 理学療法とは、病気・ケガ・寝たきりなどによって身体が不自由となった人々に対し、身体と心の両面から機能 回復・維持をはかる医療の一つです。実際には各個人の状態を調べて全体像(身体機能・心理面・リスクなど)をつかみ、適切な治療方法・目標を設定後、治療を進めて行く医療です。こうした理学療法は専門の理学療法士によって、病院を中心に地域や介護する家族への指導(住宅改造への助言・デイケア・訪問リハなど)、最近では 予防医学に対しての助言など幅広い範囲で行われています。=
なんのこっちゃねんと思うなかれ。これ多分PTが書いたんです、それも病院勤務の長かったPTが。それで別のPTが読んで「ア、いいんじゃないですか?」なんて言ったんです、きっと。つまり、PTなら書き手の気持ちがよくわかる解説なんですが、ちょっと漠然とした感じがすると思います。それに最後の一文は日本語としてヘンです。要するにですね、
= 理学療法とは、相手の身体に手で直接触れながら、身体に現われている不自由や制限をできるだけ取り除くことを目的とする治療方法の総称である。=
ということなんですね。
「身体に現われている不自由や制限」の内容としては、生命を保つために、あるいは家で生活するために、または 社会的に活動するために、身体的に生じているものが挙げられます。また、今現在起こっている不自由や制限だけで なく、今後さらに事態を悪化させうることも含まれます。
つまり、急性期であろうが慢性期であろうが、ICUの中だろうが 在宅であろうが、赤ちゃんであろうがお年寄りであろうが、原因が事故であれ病気であれ心理的なものであれ、とにかく 身体面に現われた「不都合」を何とかしようとする時に用いる対策の一つが理学療法なのです。
そして「何とかしたい」と思うのが本人であれ家族であれ医師であれ学校の先生であれ施設の職員であれ、その意志があるところ、声がかかれば「アイヨ」と立ち上がるのがPTなのです。(つづく)
知的障碍のある方の歩行<episode X 歩行能力ということ>
「愛こめ」No.16からのつづき
(前回のまとめ)
歩き出すというのは身体機能としては「発達」だが、それによって人の領域に踏み入ることになるので、彼らは「他人」という異文化、目障りな存在に対して自分の中で折り合いをつけなければいけない。それを我々は「適応」と呼ぶが、我々は結局、彼らが我々の側の価値観を受け入れてくれるよう求めているわけである。
「適応」を要求せざるをえない私たちではありますが、歩き始めてから目立つようになる転倒や歩容(歩き方)、手をつなぎたがらないなどに対しては、もう少していねいに修正の機会を作らないと、ただ足を進めるという「機能としての歩行」を、状況に応じて周囲を見ながら歩くというような「能力としての歩行」に育てることはできません。能力としての歩行を獲得していないと、転倒や骨折などを契機として歩く意欲をなくしたり、歩行機能自体が急に衰えたりしてしまうこともあります。
例えば、よく転ぶ子どもの遊ぶ場所として、広々とした体育館のようなところと、手の届くところにつかまれる台などが ある子供用のL型おもちゃキッチンのようなところと、どちらが適しているでしょうか。転びやすい子どもにいきなり移動 手段として歩行を要求するところに無理があると考えるべきです。もっと床上の移動を含め、手を使い、立ち座りを 繰り返し、立位での方向転換をたくさん経験するべきです。
歩き方がぎこちないとか足の向きが片寄っているという場合も、ただその現象を修正しようとするのではなく、まずそうなってしまう理由を考えます。
歩行動作というのは非常に高度に洗練された動作なので、少し歩容が変わるだけで、多くの余分なエネルギーが必要になります。そんな効率の悪い歩き方を、基本的には楽をしたい子どもがなぜやっているのか。そこにはそうせざるを得ないわけがあるはずです。多く見られることの一つに、どこか不安定な部分を補ったり歩行中に感じるあまり好きでない刺激(足底への荷重感覚など)を意識して身体を緊張させている場合があります。
また身体の発達のアンバランスもありえます。同じような動作や姿勢をくり返すということが一定時期に見られた場合、ある筋や関節は発達しているけれども、別の部分は未熟なままで育ってきた、ということがあります。子どもは得意な ところ、使いやすいところをたくさん使って、さらにその機能を強めていく傾向があるので、よく発達しているところと未熟なまま育ってきたところは、ますます格差が出てしまうわけです。これがぎこちなさや足、膝、股関節の変形、体重の変則的な支え方として現われてくることがあります。
このへんになると、もう理学療法の領域です。
まず、こういうことがあるからこの歩き方になっているんじゃないか、と仮説を立て、そこへのアプローチを考えていきます。ある程度年齢が進んでいる場合は、もう自分のパターンに年季が入っているわけですから、なかなか根本から変えるというわけにはいかないことが多いですが、少しだけ、彼らの寛大さに期待して、受け入れてもらう余地を見出せないかという思いで関わっていきます。
理学療法の一つの手法に、「相手の動作パターンを崩して、使うべきところを適切な力関係(筋張)の中で使う動きを促す」というものがあります。
言い換えれば、できることだけをするのではなくて、持っている能力を使ってもらうことで、今まであまり使ってこなかったところを育てていくということです。
多くの施設、医療関係者、PT、ご家族、本人たちに、こうしたことは「訓練」と呼ばれています。しかし、一定の条件下で動くことを想定したものではないので、私はこの呼び方を極力避けています。
「運動」とか「練習」とか「体を動かす」とかちょっと苦し紛れの呼び方をしていますが、要するに「理学療法」を行なうと いうことです。
次回は最終回<< episode Y 知的障碍をもった大人の方の歩行に付き添う>>です。
平成14年度新任職員研修<ケース検討シリーズ>が始まっています。がんばってください。
「職員のためのストレッチ教室」は「ダンスダンスクラブ」に発展的に吸収されつつあります。詳しくは個人的にお尋ねください。
STPの食材・食介班は総論としてはあと2回を残すのみとなりました。9月からは各論に入ります。
トランスファー班は毎回『トランスファー王』を選出します。頚損ピボット王はデイプロ・パート職員の米坂さんでした。
このあと、片麻痺王、失調王、CP王と続きます。乞うご期待。
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