<横浜市立大学教員組合ニュース 寄稿記事>   平成14年12月11日

学問の自由と大学の自治の敵,橋爪大三郎「あり方懇」座長の危険性

 

総合理学研究科 佐藤真彦

 

 

 先頃,「横浜市立大学の今後のあり方を考える懇談会」(以下,「あり方懇」)の座長である橋爪大三郎東京工業大学教授の"危険性"を広く知らせるための記事を,教員組合ニュースに寄稿するようにとの話があった.

 

 橋爪氏や「あり方懇」の危険な雰囲気は,倉持和雄委員長や平 智之先生のご報告,永岑三千輝先生のホームページ(http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/ ),矢吹晋先生のホームページ(http://www2.big.or.jp/~yabuki/ ),あるいは,「あり方懇」議事概要(http://www.yokohama-cu.ac.jp/arikata/arikata_top.html )などから,教員のあいだには,すでに十分に広まっているものと思われる.したがって,もはや,橋爪氏の危険性を知らせても余り意味がなく,現時点ではむしろ,橋爪氏が「あり方懇」の座長としてまったくふさわしくないことを"証明(論証)する"ことで,「あり方懇」の正当性に疑義を呈した方がよいのではないかと思う.

 

 以下に,いくつかの"証拠"を挙げるが,最も説得力のあるものは,つい先日(12月9日)公表されたばかりの平先生による「第3回あり方懇傍聴記」(永岑先生,矢吹先生のホームページ参照)である.官僚主導の「あり方懇」の実態とその欺瞞性・似非民主性を徹底的かつ赤裸々に暴露した,まさに,渾身のレポートである.

 

 まず,議論の大前提として,学問の自由と大学の自治は,思想・表現の自由に直結する民主主義の基本理念であって,これを破壊に導くような制度改悪を絶対に許してはならないという大前提がある.もし,民主主義を放棄するつもりがないのなら,この大前提にたって,その上で,長年にわたる問題点(講座制に代表される"封建的な身分制度"や人事の"閉鎖性"など)を洗い出し,時代の変化("冷戦の終結""グローバリゼーション""長引く不況""大学の大衆化"など)に,大学人自らが対応していくのが筋ではないのか.

 

 現在,大学に改革を求める圧力として,"大学に三つの悪弊:強すぎる教授会・研究偏重主義・悪平等""教授会自治をかくれみのに現状に安住""終身雇用の弊害""競争原理を取り入れて民営化""護送船団方式のぬるま湯から浮世の冷たい風へ"・・・などがある.

 

 これらの圧力の多くは,自民党文教族議員・行革推進派議員・文部官僚・御用学者などからのもので,(1)学問の自由と大学の自治という民主主義の理念の問題とその理念を制度として実現させる方法の問題を混同して,制度改革に際して誤って(または,意図的に),理念まで破壊しようとするもの,および/または,(2)教育・研究の国家統制を謀る非民主勢力のねらいを反映して,(また,行政改革・構造改革の潮流に便乗して,)意図的に,理念を破壊しようとするものであって,大前提となる学問の自由と大学の自治の理念を尊重しようとするものは皆無である.すなわち,これらはいずれも,意図的に(または,結果的に),民主主義そのものを破壊しようとするものであり,傍観・放置してはならないたぐいのものである.

 

 去る12月1日に亡くなられた家永三郎氏は,学問の自由と大学の自治を維持・発展させるための条件(1.憲法23条と教育公務員特例法の改悪阻止,2.国家権力による大学自治の侵害にたいする警戒・監視,3.教授会を中心とする民主的な大学運営と学内権限の集中化の阻止,4.政府によるリモート-コントロールを防ぐための大学財政の独立など)を,40年前にすでに,箇条書きにして提言している(家永三郎集第10巻,「学問の自由・大学自治論」,岩波書店,1998,p.378-382).

 

 現在進行中の国公立大学法人化などの潮流は,家永氏が提言した学問自由・大学自治の条件を真っ向から否定・廃止・消滅させようとするものである点で,きわめて悪質である.この悪質性・危険性をよく認識し,いま一度原点に立ち戻って議論することにより,抗しがたい現在の潮流を,なんとしてもくい止めるのがわれわれ大学人の責務ではないのか.

 

 いまさら,なにを悠長なことをと言われそうだが,わが横浜市大の現状のように,これらの点についてまったく議論がないままに,状況を無批判に受け入れ,それに合わせようとする"卑屈な"姿勢の方こそ,とても正常とは思えぬ"思考停止状態""脳死状態"ではないのか.大学人として,批判と懐疑の精神,すなわち,合理的な科学的精神が問われていると思う.

 

 橋爪氏は,その教科書(「橋爪大三郎の社会学講義2」,夏目書房,1997年)の中で,学問の自由と大学の自治を破壊する多くの粗暴な発言をくり返している.

 

 たとえば,「教授会の自治とは,何だろうか.そのポイントは,人事権にある.誰を教授,助教授にするかは,教授会の権限だ・・・.そしていったん教授・助教授のポストにつけば,よほどのことがない限り(つまり,研究者として無能だったり,教育者として不適格だったりしたぐらいでは),その椅子を追われない.・・・こんな具合で,大学教授にはまったく競争原理が働かない.その結果,日本の大学は,目をおおうばかりの惨状を呈することになる.」(p.88

 

 「どうして,これほど,大学教授の身分が手厚く保護されるのだろう?「学問の自由」のためだともいう.・・・しかし,学問の自由は,研究も教育もしないで教授の地位にあぐらをかき,むだ飯を喰い,後進の道をふさぎ,学生に迷惑をかける自由ではない.・・・教授会の自治は,学問の自由を実現するための,必要条件でも十分条件でもない.」(p.88

 

 だいたい,「目をおおうばかりの惨状」だの,「研究も教育もしないで教授の地位にあぐらをかき,云々・・・」などの発言は,実際の調査に基づいたものとは到底思えない.同様の思い込みによる"無責任"発言(田中康夫長野県知事の政策と知事選に関する朝日新聞掲載の寄稿文)が,前信州大学教授の長 尚氏のホームページ(http://www.avis.ne.jp/~cho/naci.html )の公開質問状「橋爪大三郎先生にお尋ねします」で,「・・・もはや選挙違反の疑いが濃厚な,犯罪的煽りと言わなければなりません.」と手厳しく糾弾されている.なお,橋爪氏は長氏の公開質問状をまったく無視したらしい.

 

 ジャーナリストでアムステルダム大学教授のカレル・ヴァン・ウォルフレン氏は,その著書「人間を幸福にしない日本というシステム」(鈴木主税訳,新潮OH!文庫,2000,p.304)の中で,日本の審議会は国民を裏切る似非民主的な制度であるとして厳しく非難している.心ある横浜市大のある教員も,怒りをこめて,つぎのように断定している.「審議会を隠れ蓑にして役人が,役人の意見を世論をもって装うことは,日本官僚の常套手段です.今回の場合は,その典型的なかたちと思われます.私は「あり方懇」の設置自体に疑問をもっており,このような見識のさだかでない委員たちによって大学の運命が翻弄されるのは,とうてい容認できないという考え方です.」

 

 まったくその通りの正しいご指摘で,橋爪氏のようなタイプの人間は,官僚が気に入るように答申をだす審議会委員や懇談会委員には打ってつけの人物と思われる.

 

 実際,平先生による「第3回あり方懇傍聴記」には,高圧的・独断的態度で悪評の高い官僚(池田輝政総務部長)に「迎合し推進する発言と議事運営を行った橋爪座長一人」が,他の「良識」的な委員から「浮き上」っており,また,『「きわめて反動的な内容」の「同じ教育公務員としての配慮や"仁義"のかけらもなく,・・・言いたい放題の"非常識きわまる"発言をしていたのが最大の特徴であった.」・・・「教育も福祉もその他のセーフティ・ネットも要らない"弱肉強食の市場メカニズム"しか,それを批判すべき社会学者の念頭にないというのは大変に奇妙なことに思えたのが,私の率直な感想であった.」』とある.

 

 「あり方懇」の議事概要から窺える横浜市立大学像,あるいは,公立大学法人像第三次試案(2002-5-15発表)には,家永氏が40年前に提言した大学の自治を保障するための条件の痕跡もないばかりか,まさに,大学の自治を完膚なきまでに破壊しつくす悪質な意図が明瞭に示されている.

 

 したがって,橋爪氏(および「あり方懇」を主導している横浜市大事務局)は,まさに,"学問の自由と大学の自治(および民主主義)の敵(破壊者)"であると断じざるをえない.

 

 にもかかわらず,横浜市大の管理者的教員の多くが,大学にとって最も重要なものは何かを考えるのをやめて,橋爪氏の威圧的な発言や事務官僚の脅しに屈している(ようにみえる)のを見るにつけ,また,一般の教員の多くもそれに影響されて,"しかたがない"と,すっかり諦めている(ようにみえる)のを見るにつけ,ウォルフレン氏のつぎの言葉はわれわれに勇気と力を与えてくれると思う.

 

 「日本の上層部の人びとが簡単に脅しに屈するため,多くの外国人のあいだで日本人はみな臆病者だと思われている.・・・口で言うほど容易なことではない(が,)脅しにたいする簡単な対処法ならある.生命の危険がないかぎり,無視するのだ.脅しは,それに敏感に反応する人だけに効く.最善の対処法は戦うことだ.最終的には,真の市民となるためには勇気が必要なのである.(太字強調は佐藤による;同上書,p.345,346

 

 橋爪大三郎氏および横浜市大事務局の圧力に抗して,また,独立行政法人化・民営化の潮流に飲み込まれることなく,家永三郎氏が身をもって示したように,また,ウォルフレン氏の言うように,"荒野に呼ばわる少数者の声"を上げる"勇気"が,われわれ教員のひとりひとりに求められていると思う.