辻下 徹:組織への精神的隷属を強化する懸念(2002.12.15)

 

 

組織への精神的隷属

 

国立大学独立行政法人化の諸問題より)



文部科学省 中央教育審議会 「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在
り方について(中間報告)」に対する意見募集に提出した意見


組織への精神的隷属を強化する懸念


辻下 徹


2002.12.15

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中間報告は現代日本の多様な問題に言及しているが、組織と個人の関係の歪みを看過して
いる点に問題がある。企業や公共機関等の諸組織において、構成員が組織への過度な忠誠
を陰に陽に強いられながら、集団の論理への構成員自身の従順性が、それを支えるーー日本
社会のこの特性は、組織の論理と価値観が日本社会を支配することを許す。組織は人間に無
関心であり、その行動原理は没理的で非倫理的で無慈悲なものになりがちであり、組織の価
値観の支配は日本社会の諸病理の主因となっている。中間報告には、この病因を悪化させる
因子が多いように思われる。

以下、この点に絞って、意見を述べたい。

教育基本法が個人の尊厳を強調し得たのは、組織への個人の精神的隷属が大災厄をもた
らすことを日本社会が苦い体験により認識したからではなかったか。しかし、半世紀を経て、隷
属の種類や様態は多様化したものの、国や会社や学校や役所などに個人が精神的に隷属す
る度合が日本社会において弱まったとは思えない。それどころか、国民の生活基盤を不安定
化する政策が着々と組織的に徹底して進められている中で、その度合はさらに高まることが予
想される。

具体例を一つ挙げたい。直接的産学連携は大学の使命にとっては二次的な活動にすぎな
い。直接的産学連携に大学の諸資源を動員せざるを得ない人工的環境に大学を置く「国立大
学法人」化は、普遍的価値観に基づく本来の教育と研究の活動を困難にし、日本社会の意識
構造をさらに狭隘なものとする有害無益な政策であるーーこう考えていない国立大学教員は
居ないが、批判や反対の声は少ない。なぜか。以前は、大学には「長いものに巻かれろ」とい
う本能を克服した者が比較的多く棲息していたが、財政的隷属状態が続く間に、この本能に屈
する声が次第に大学社会の中で力を持つようになっているためである。これは、組織への個
人の隷属度の強化ーこの場合は財政的圧力による強化ーがもたらす国家的災厄の一例
と言えるだろう。

「長いものに巻かれろ」という本能が跋扈する組織は活性を欠き、危険な方向に組織が変化
していくことを構成員が察知しても軌道修正ができない。構成員の大半が専門的知識を豊か
に持っていても「有能」でも役に立たない。「長いものに巻かれろ」という本能から自由である精
神的風土を形成することが、日本社会が今取り組まねばならない中心的課題である。

現在の学校教育は、この課題の解決を阻む役割を果している懸念がある。「長いものに巻か
れろ」という本能とは無縁の青少年−−独立不羈の心性を持つ子供達−−は少数ながら相当
数居る。そのような青少年を「公共心がない」「協調性がない」として、あるいは矯正し、あるい
は排除する傾向が強まってきているように思われる。

この中間報告の柱となっている「公共の精神」は、「義務をしっかり果たそうとする責任感,規
範意識,伝統や文化を大切にする心」等の並列項目を見れば、「滅私奉公」に近いものを指向
していることがわかる。これらの美辞麗句は、諸組織が構成員の忠誠を強化するときに使って
きた言葉であり、これを重視することは、社会を蝕んできた「長いものに巻かれろ」という風潮
を強めるものであり、誤診に基づく治療である。万が一このような治療が施されることになれ
ば、日本を覆っている「長いものに巻かれろ」という雲はとめどなく厚くなり、日本社会は精神的
漆黒に包まれることになろう。

中央教育審議会の委員の方の中で「長いものに巻かれろ」という衝動を克服しておられる方
は、事務局が作成する草稿を推敲する作業に終始することをやめ、教育基本法の見直しが本
当に必要なのか、それとも、教育基本法が無視されてきたことが真の問題ではないのか、それ
をご自身で見極めて、一から審議をやり直して頂きたい。ご多忙中とは言え、片手間で委員を
勤めることをやめ、一国の未来を左右する審議のために納得のいく判断をご自身で得られる
まで調査と検討に時間を割いて、あなたがたが雲の上から私達に要求する「公共の精神」を、
あなたがた自身が示してみせて頂きたい。そして、人々が組織に隷属することなしに、精神的
に強く元気に生活できる、健康で活力ある社会の形成のために、教育において何が必要か、
どういう教育が障害となるか、を真剣に考えて、答申を出して頂きたい。