部外秘資料2

 

 

部外秘資料2

(注:原文からスキャナーを用いて機械的に再現したもので,誤字等の不完全な点があるかも知れません.)

 

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学内資料 部外秘           大学改革戦略会議資料 平成1518

 

大 学 改 革 戦 略 会 議(原文には,さらに下線あり)

 

☆ 今年度の大学改革戦略会議について

 

*本学の問題点を具体的に洗い出すとともに、改革の方向性を打ち出す。

*この間、問題点・課題の洗い出しに向け、幹事会において議論してきた。今後は、課題を踏まえて改革の方向性を議論し整理していく。

 幹事会では、問題点の洗い出しについて項目ごとに議論、検討することとし、大学運営、教育、研究、人事制度、地域貢献、病院、教員と事務との役割分担を検討項目とした。

*方向性が出た段階で、これを学内に示し、大学としての中期目標・中期計画()に反映させていく。

*今後、戦略会議が打ち出した改革の方向性の大枠の中で、各部局ごとに中期目標・中期計画(案)を検討してもらう。

 

☆ 本学の主な問題点・課題について(幹事会の議論から)(原文には,さらに下線あり)

 

 

1 大学運営(組織・意志決定)

 

(1)教職員が大学運営に対する課題を議論していない。

 

○大学改革をすすめるためには、教職員の意識改革が必要で、そのためには現在、皆が共 有化していない市大の問題点を洗い出すことだ。

○教員に自分の学部をどういう方向にもっていきたいというパッションがない。一部の教員が言っているだけというのが現状。組織の中できちんと議論していない。

○市大の抱える問題は事務局にも横浜市にも責任はある。これまでは、教員がうるさいからほっとけばいいということだったと思う。今後変えていくために、問題を洗い出ししていき、議論する必要がある。口を閉ざしてはいけない。

○大学の中期計画について、学部での合意はなくても議論すべきだ。

○今まで色々なところで議論されてきたが、結論が出ない。しかし、当事者として実力があれば結論は出るはず。個人のことしか考えないから、結論が出ないのではないか。

 

(2)教育目標、教員人事など、大学としての基本的方針が不明確である。

 

○どういう教育していくかという理念がはっきりしていない。

○教員募集の際に本学の理念を明確に示すべきだ。理念を共有したメンバーで大学を構成していくことが必要。

○教育・研究・診療の目標を再確認する必要がある。患者にとってどのようないい医療が提供できるか。学生がどのくらい満足しているか、どれくらい成長しているか。社会がどれくらい要求しているかなどを再認識する必要がある。

○人事でいえば、各学部が自分たちの方針をたて、時代背景にマッチした人材養成などが出来るならいいが、そんな発想は全く感じられない。極端に言えば自分たちのテリトリーのなかで人材を確保しようとしている。今いる教員のなかでカリキュラムを組もうとする。本来教育理念・目標に対応してカリキュラムを編成し、それに対応する教員人事となってしかるべきである。

 

(3)旧来の学部自治が強く、学長、学部長、評議会の権限と責任が不明確である。

 

○学長はリーダーシヅプがとれない。教授会の意見を聞かなければ、何もできない。

○意思決定について決定手法はどうなのか。何でも学部に持ち帰らないと決められない。

○各学部カレッジがあっても、横浜市立大学がバーチャルだ。学長は誰でもいいということになる。

○学部長や学長の権限が位置付けられていない。学部長自身じゃ何も決められない。

○評議会では大学運営の本質にかかわることが本当に十分議論されているのか。

 

(4)教員と職員の役割分担が不明確である

 

○教員は教学に関することをするのか本筋。大学の運営にタッチするなら、責任も持つべきである。

○教員はこの大学で何がしたいのか。専門職として生きていくならば、極端にいえば予算になど興味を持たなくていい。予算に興味をもつなら、責任を持ってもらいたい。例えば、金が足りなければスクラップを出すことだって必要となる。

○運営については、分離したほうがいい。教員は商品だ。商品が運営に口だして、商品の一部を運営のために時間を割くことは果たして教員のため、大学のためになるのか。

○全てに優れた人はいない。教員が全く運営にタッチしないのではなく、今は無理でも、ある年齢まで経験したらその人は以後運営のみに携わるとか、そのようなことも将来的には採用してもいいのではないか。

 

(5)評価制度がないため、やってもやらなくても同じ処遇であり、合理性に欠ける平等主義が浸透している。

 

○大学院の特勤は億単位だ。院生を持たない教員になぜ支払わなければならないのか。実 質的な公平性が必要だ。

○大学の中に厳しさがない。極端に言えば要らないカリキュラムの教員がなぜ必要なのか。各学部のなかで点検ができていないから、教員の選別ができていないのではないか。

○問題は・米国の例の様に2回休講したら次は給料カットするというシステムになっていないのが問題だ。

○教員はだれにも管理されていない。自己管理だから問題なのだ。国立は教員評価がはじまった。評価が一番低い教員はクビになることだってある。

 

 

2教育・研究

 

(1)本学の特色がない。

 

○今の学部教育では、どこにでもある大学と同じである。横浜市大を横浜市が維持する根拠がない。どこの大学でも今の横浜市大に代われる。

 

(2)設置の趣旨、教育目標や今の社会経済情勢に合ったカリキュラムになっておらず、カリキュラムを適切に管理している責任ある機関も明確ではない。

 

○各学部の教育目標はアドミッションポリシーに集約されていると思うが、それに照らしてカリキュラムは構成されているのか。カリキュラムを誰がどう評価しているのか。何処もそんなことをしていないのではないか。

○カリキュラム管理をしている責任あるポジションがないと思う。カリキュラムについて責任あるポジションがないということは教員採用についてもそれが適切かどうかのチェック機能がないということにつながっている。

○教育システムとかカリキュラムの選定システムとかは、学部長の権限の中に本来あるべきものだが、今のシステムでは活用できていない。

○設置の趣旨、今の社会経済情勢に合った教育をしているのか。それがカリキュラムに反映されているのか。大きな疑問である。

 

(3)大学として十分な学生指導をしていると自信を持って言い切れない。

 

○アドミッションポリシーで掲げている目標にあった人材育成をしているのか。入学してきた学生を教育目標に近づけていくという努力が教員側になされているのか。社会の状況が変わっているのに教員は変わらないで、昔のままの教育をしていけばいいというスタンスなのではないか。

○卒論を書く過程の中で、本当に教員が学生を指導しているのか疑問である。文章作成の技術ではなく、履修指導等をも含めた本当の意味での卒論指導があるのか。

○学生のレベルが下がったのなら、どうして大学のシステムを変えようとしないのか。改革は大学として実施しないといけない。教員がそれぞれ個人で、バラバラに考えているだけでは不十分である。

○意欲のない学生はキックアウトすればいい。実力よりいい点をつけて単位認定するのは、自らの指導に自信がない証拠ではないか。

 

(4)中規模総合大学と言っているが、学部間に壁がある。

 

○本学は中規模なバランスのとれた大学といっているが、実態はちがう。各学部には鋼鉄の壁があり、乗り越えられない。例えば、編入制度があるのに機能していないのは、めんどうだからやらないというのが実態なのではないか。

○学部横断的な教育システムが今は必要となっているのに、十分対応していないのではないか。

 

(5)大学院の教育の目的が不明確になっている。

 

○市大の規模で研究者を養成していく充分な人材や設備になっているのか、高度な知識人を本当に養成しようとしているのか疑問である。文系でいえば後期課程をもっていながら博士論文も書かせない、書かせられないという状況があるのではないか。

○大学院として機能していくのか検証しないといけない。外からみるとわからない。

○大学院には、研究があるだけで人材をどういう目的で教育していくのかが見えない。大学院教育は研究者養成が目的なのか、それともターゲットを絞った技術者なのか、高度な知識を付与しようとしているのか、スタンスがみえない。うちの大学院にきたら、こういう研究者を養成しますとか、こういう技術が身につくとか、こういう知識が身につけられるとかを鮮明にするべきである。

 

(6)大学院と学部、研究所の関係の整理が必要である。

 

○総合理学研究科には大学院専任教員が8人いるが、これをこのまま固定していいのか。連携大学院が鶴見にあるが、機構を変えて大学院大学にしていくのか、学部教育と密接にもっていくのか。今のままでいいとは思えない。

○なぜ、木原研究所が大学院生を募集できるのかわからない。総合理学研究科が募集する べきなのではないか。

○経済研究所について言えば、孤立無縁の中で5人で何ができるのか。大学として何をしてきたのか。

○大学院と学部の整理が必要ではないか。ただ優秀な学生をそのまま上げていこうという発想でいいのか。アメリカのように同じ大学の大学院へ進まない方がよい、他大学もみてまわるという考えもあるのでは。

○どこの大学院も学部と一体化していて、区別がついてない。無駄な出費をしていて効果が上がっていないのではないか。

 

 

3 人事制度

 

(1)人事の方針が不明確である。

 

○目標、目的に合った人を選んでいこうという人事にはなっていないのではないか。

○毎回の人事で学部としての理念を示して、それに則って人事をしなければいけない。そうでないと、その人その時の考え方によってバラバラになってしまう。

○募集要項に学部の理念や採用方針等が明示されていなければダメ。

○人事を自分たちの中だけのものと考えていて、外に向いていないのではないか。学部の方針、大学の方針が言えないと、きちんとした先生は来ないのではないか。

 

(2)人事に関する権限及び責任が不明確となっている。

 

○人事が失敗だとわかったときに、誰が責任を持つかをはっきりさせる必要がある。

○今は学部が選んだら決まりで、学長の所には決まったことだけしか来ない、誰と比較したかもわからない。にもかかわらず、責任は市長と学長の責任になる。人事関係の責任がぼけている。

〇人事に関する権限が明確でなく、誰も責任を負わない。

○合議体に責任が負えるのか疑問である。

○改善するためには、現在の人事制度を全面否定して、ゼロから立ち上げるしかない。発議権は現場に与えられたとしても、最終決定は全学的制度の下で決定すべきである。

○学長に人事の権限を持たせる。学長がすべてではなく、最終決定を学長がする。場合によっては、拒否権も持つ。

○拒否権があるような最高責任者が必要。

 

(3)旧来の学部自治が人事に関する無責任体制を生み出している面がある。

 

○教授会は責任を負わないのに人事をやっている。

○教授会で選ぶというやり方は利害関係があるために、一番良い人事から遠のいた人事をすることがあると思われる。

○今のやり方だと、1人の人が強固に反対すると動かなくなってしまう。マジョリティが必ずしも勝たないという不思議な民主主義がまかり通っている。

○学部長のなり手がいない。学部長が提案しても、教授会などで全て反対されていれば、いやになるのは当然だろう。

○制度上は学長が学部を指揮できるようになっているが、実際は選出母体が違うから指揮できない。

○「自治」には人事や教員の管理も入っているが、果たしていないと思う。自分たちに都合のよい所だけ自治と言っている。他の人を排除するという消極的自治。本来の責任を全うしていないと思う。

 

(4)人事に関する制度・システムを十分整える必要がある。

 

○うちの大学は、採用の基準はあっても制度がないといえる。全学部がバラバラの採用形態で、大学がどう人を採るかということがない。

○教員がいるだけで、教員を管理する母体がない。身分関係ではしばられているとしても、カリキュラムはしばられていない。人事やマネジメント機能は無いとも言えよう。

○突破口としては、病院のようなところに拒否権等をデザイン出来るきちんとしたシステムを作って、講座を切り離す。人事を誰が握るかですべてが決まる。私立の理事会のように、決めたものを拒否できるシステムを作るべきであろう。

○良い人が来ただけでは、効果がない、その人が活躍できる制度がなければならない。現状を変えるなら、変える方向付けをきちんとしない限りは変わらない。事前にオーソライズされ、結果をきちんと評価されるシステムがないと、そこまで行き着かない。

○大学教員はパーマネントで、教員を管理している人が誰もいない。そういうものを作らない限り、よくやっている人が馬鹿を見ることにもなると思う。このままでは、若い人にチャンスがこない。大学の機構を再構築しないとまずい。

○客観的な評価が必要だが、今の市大のシステムでは出来ない。

○評価も含めて考えれば、業績(教育、研究、運営などの実績を評価する)に応じた給与システムを導入するということも必要であろう。

○新任採用人事は、今後の大学院・学部・学科等の変革を見据え、採用時の条件を既得権としないことを申し渡した上で採用することが必要。現職教員についても、今後これに準じる必要があろう。

 

 

4 地域貢献

 

(1)大学の設置理念としての地域貢献、戦略としての地域貢献という意識や議論が少なく、確立していない。

 

○地域貢献とはこの大学にとっては何なのか。地域貢献とは、横浜市立大学が存在する第一の意義だと思う。

○教員は教育していることが地域貢献だと思っているが、大学としてもっと社会に出て行かなければならないと思う。

○横浜市から金をもらってこの大学が成り立っているという意識がない。喩えて言うならば、生んでくれた親に何をしてあげられるのか。大学が持つ資源で地域に何が出来るのかを考えなければならない。

○設置者があれをやってくれと言うからやる、というのが貢献ではない。もっと大学が己の存在を考えることが重要だ。

○地域貢献は市費導入の重要な要素である。

○医学部と理学部については税金を投入しないと無理だと思う。そこでは合理的な説明が必要になると思う。

○病院は役割が明確だからいいが、問題は120億の学部運営費(繰入金)だ。

○目標、評価、運営費交付金(資金)はリンクする。文科省は、国公私立ともに7年に1度評価しなければいけないという方針を出している。評価を受けない限り大学を存続させないということだと思う。横浜市が一番評価するのは、やはり地域貢献だと思う。

○横浜市大の設置意義の中に、特殊使命は地域貢献という趣旨があるが、十分意識していないのではないか。

○地域貢献を考えるなら、この大学がここに存在するという意味は何なのかという確認からはじめることが必要。

○なぜ、横浜市が大学をもっていなければならないのか。今の財政難の中で議論しなければならない。過去からあった問題が今、顕在化してきたと思う。

○地域貢献は、意識をしないと出来ない。意識を植え付けるには、やはり評価が重要となる。評価の仕方はこれから模索するのだと思うが、市民とか企業とかがどう考えるのかというのが大きいと思う。内部だけでなく、外部の評価も取り入れるべきである。

○生涯学習講座についても本学の教員だけではなく、外部の講師を数多く呼んで実施している。地域貢献の事業だと意識していない。地域貢献の中身を議論していない。

○生涯学習推進委員会がなければ、誰もリカレント事業など開催しない。協力しない。大学として、本務として地域に貢献するのだという意識が低い。

○経済研究所は極論すれば何もしていないのにそのまま生き残っている。経済学者で構成しているわけでもない研究所については、そのつど不要論、廃止論が浮上したが何も変わっていない。横浜市大の特殊使命は地域貢献であり、大学の運営の中にそれが生きてこなければならないはずだが、社会性がないからきちんと対応していない。地域貢献において、少子高齢化をキーワードにするとしたら、少子高齢化研究所になってもいいはずだ。

○大学がどういう地域貢献をしているかを発信していない。そういう努力をもしていない。

 

(2)具体的な地域貢献について議論していない。

 

○地域貢献戦略の目玉をつくるべきと思う。バラバラに動くのではなく、大学としてトータルに戦略を打ち出すべきである。

○個々ではやっていると思うが、問題は大学が組織的にどう地域貢献に取り組んでいくかということを明確にする必要があるということである。大学設置の理念を実現するための方策をとっていないのではないか。

○横浜がどういう街なのかを考えれば、国際都市、産業都市、市民都市だ。生まれ変わる時に来ている今、大学として3つの点についてどういう風に考えればいいか。この大都市の生まれ変わり、ルネッサンスに、大学が直接に間接に関わっていかなければならない。それが地域貢献だとすれば、具体的な戦略が産学連携だと思う。

○特許までいかなくても実用試案レベルでも中小企業にとっては大きなシーズなのでは。地域貢献というのは広い。戦略があって、意識を起こせば、たくさんあるのではないか。まずは戦略を明らかにする必要がある。

○地域貢献を考える際、少子高齢化を考えなければなければならないと思う。大学の対象は20代だけではない。30代40代での再教育も重要になる。キーワードは少子高齢化だと思う。

 

 

5 病院

 

(1)病院経営についての意識が十分でない。

 

○一番大きな間題は、やはり経営母体をどうしていくかだと思う。他大学では医学部の病院ではなく、大学の附属病院という考え方がある。さらには、全くの民営化という考えもある。どういう選択をしていくかだ。

○大学病院として求められている高度な医療を提供しなければならないこと、しかも、公立大学として地域貢献も進めていかなければならない。地域貢献でいえば、政策医療的な非採算部門というのは、完全な民営化となると切り離さなければやっていけない。そうするとある程度の市からの補助・援助は必要になる。

○医療の安全が優先しすぎて、経営にたいする感覚が薄らいでいないか。

○病院のマネジメントにはそれなりの人材が必要なのだ。マネジメントの観念がない本学の教員が病院長になってはいけない。病院長は外からもってくるということも考えられる。

○病院長も経営能力がある人材が必要。素人がするものではない。プロフェッショナルが必要なのだ。

○カルテの問題ひとつにしても、経営に対する意識の薄さが露呈している。個々の医師もそうだが、全体として十分な取り組みがない。

 

(2)病院長の権限が十分発揮されていない。

 

○病院が主体的に運営していくには、病院長の権限・リーダーシップが必要。しかし、そうなると医学部の講座制が大きな壁になる。医学部附属病院の人事には病院長が関与できない現状がある。それを解決するためには、医学部から病院は切り離し、病院長の権限を強化すべきだと思う。

○医学部では、教育・研究・診療という3本柱があるが、すべて教授がというのは無理がある。病院は、必ずしも教授が診療部長でなくてもいいと思う。

○人事の確執が病院にまで現れている。講座制の影響がセンター病院にまで及んでいる。それが病院長の権限を強化できない理由だ。これを改善しないと、経営改善はできない。また、管理部長や病院職員はもっと病院長のいうことを聞くべきだ。

○講座と病院を分けろというのは、講座の先生が臨床をやってはいけないと言っているのではない。臨床部長を兼任しなくてもいいだろうと言っているのだ。

○診療科部長が病院にいない。附属病院では講座にいて、センター病院では兼業している。こうした現状で良いのか。

○2病院の役割分担は最初はあったと思うが、現在ははっきりとした役割分担が出来ない。それにも講座制の影響がある。やはり病院長が人事にしても権限をもつべき。

○センター病院も、やはり講座と切り離さないと病院長の権限は強化できない。病院に関する人事は病院長が最高責任を持つべきで、拒否権も必要。あくまでも診療のために必要な人事を行うべき。

 

(3)診療と教育それぞれの責任があいまいになっている。

 

○教授が診療科部長を兼ねていることから、教育が忙しくて診療に手が回らない、診療が忙しくて教育に手が回らないと、責任があいまいになっている。

○医学教育の中で、病院は切り離せない。しかし、講座と病院は切り離せる。アメリカでは、学生実習は関連病院にまかせて、自前の病院ではやっていない。また、診療と教育は切り離せるのではないか。

○講座横滑りの診療科になっているため、患者本位の診療を考えた体制になっていない。

○講座制問題を改善しないと、病院問題は改善しない。

○病院における研究をどうするか、また、大学院と病院との関係をどうするかが、問題である。

 

 

6 教員と事務職員との役割分担

 

(1)大学に経営管理の視点が欠如している。

 

○教員と事務の役割分担でいうと今は制度的に決定的に欠陥がある。このまま引きずっていくと自立した大学として成り立たない。私学では、教学の流れと経営管理の流れがあるが、大学が存在するというと決定的にお金の問題が大きいから、どちらを優先するかというと経営管理である。大学経営の基本的なところが、この大学には欠落しているのが間題である。管理機関として学長、評議会があるが、設置者サイドがマネジメントにどこにも入らない。経営管理が大学の中に制度化されていない。制度的には間違っている。

○建学の理念と経営とどちらを優先するかというと、定員割れしている大学などは経営だ。そうでない大学でも経営の理念を前提にして運営している。

○定員を増やせば偏差値が下がる。そうすると推薦が来ない。定員を増やすのではなく、教員を半分にすればいい。

 

(2)教員と事務職員との責任と権限が不明確である。

 

○大学の意思決定における事務の位置付けとか、管理運営が問題。教授会がごちゃごちゃいわなければ、すんなり決まる。その辺をはっきりするということだ。事務というよりは、大学の運営に関して教授会が何をやるかということを決めれば、逆に事務のすることがはっきりする。非常勤をカットすることとかは、教授会で決めることなのか、総務局で決めることなのかをはっきりさせればいいこと。

○教員と事務の役割が不明確。これを浮かび上がらせて連携しないといけない。

○教育・研究に情熱を持って、それを発信するのが教員の責任。それをやっていてくれれば、設置者は評価できる。

 

(3)教員と事務職員とのコミュニケーションが不足している。

 

○役割分担としてはっきり分けるよりも一体化した方が良い部分がある。この大学で問題なのはトップが学長なら、その下に一括したシステムがないことだ、それが原因で一体化できないのだと思う。

○教員は現実は違うのに自身をスーパーマンだと思っている。なんでも出来ると思っている。そこに事務が配転してくればやる気がなくなる。教育・研究の方法や事務処理の考え方などを、意見交換できなければおかしい。お互いにバリアをはってきたから大学経営がダメになった。

○事務局が設置者権限を持っているが、それを教員と共有できなかった。お互いの立場をわきまえながら意見を言い、議論することが出来なかったから今がある。

○教員と事務は役割分担を明確にしたほうがいいが、本質的には教員と事務が一緒になってやるような形をとらない限り、どんな制度をつくってもだめだ。どんな運営形態をとろうが関係ない。

 

(4)教員の側に現状の認識が不足している。

 

○教員は横浜市に雇われているという意識がない。設置者がつくった制度を知らないで議論している。権限の構造がどうなっているかを教員は知らなければいけない。

○教員は自分の役割をはっきり認識していない。制度の上にたった自覚がない。何でも出来ると思っている。事務局の責任も8割はあると思う。うるさい集団に対して面倒くさい、やめようと思って、力を発揮していない。

○どんな設置形態になったとしても、現在の意識を変えなければならない。そんなにすぐに変えられるとは思えない。まず自分達のおかれている位置を知るべき。現状を知らなければならない。ドラスティックに変えたときについて行けない。

○大学人の自由でありたいという願望があるわけだが、そのことと教員ひとりひとりがどういうふうに今の制度を認識しているかということの差の現れだと思う。市大の教員になった時に、公立大学であるということ、だからこういうルールがあるのだということを知らしめないといけない。

○社会を客観的に見るというのは必要だが、社会をわからないと大学は存在しないはず。社会を引っ張っていく役割があるはず。だから社会を常に見ていなければいけないはず。大学といえども社会的な存在なのだからルールがある。大学の組織が新しい教員にオリエンテーリングをしてきたかというとしていない。

 

* ○は(原文では,外枠で表示されている)、幹事会で出た問題点の例である。