荻原昭英(S37年卒):

座長 東工大教授 橋爪大三郎氏への疑問

 

「アキオの独り言」http://members.jcom.home.ne.jp/akiogi1/index.htm

「大学改革論」http://yoogi53.hp.infoseek.co.jp/essay266.htm

「横浜市大改革」http://isweb44.infoseek.co.jp/travel/yoogi53/essay300.htm より

座長 東工大教授 橋爪大三郎氏への疑問

 東工大教授 橋爪大三郎氏は、とくに学者として研究業績もない、また教育学の専門学者でもない。
技術系の大学で「宗教社会学」を教えるという学者としても中途半端な存在である。
本当の学者だったら、文科系の大学、または社会学部で教授、助教授、講師、研究生、学生といった学問的雰囲気の中で活動する。
だいたい、まともな大学の学者だったら、大学の廃止ないし縮小という結論のわかっている懇談会の座長など引き受けるはずがない。
自分たちの存在の意義をを否定するものだからである。
 橋爪大三郎氏は、大学人、学会から疎外され、時流におもねるタレント学者である。
学者というよりはルポライターである。
学者という粉飾で大衆向けの低俗な本を多数出している。
売らんがためにはどんな本も書くし、収入になればどんな意見でも提供する。
 橋爪大三郎氏のホームページを見ると面白い。
自分の本を宣伝し、著書をリストアップして販売している。
「頒布会」をつくり、著書だけでなく、講演のレジメ、雑誌に載ったエッセイ、インタビユー、座談会、論文、新聞論説、コメントのたぐいまで手数料をとって販売している。
ネットビジネスである。
あまりこういう学者のホームページは見ない。
アイデアかもしれないが、学者としての見栄も外聞もない。
なりふりかまわずといったところがある。
まさに売文業者である。
しかも、政府、官僚に好まれる説を主張する御用学者である。
 著書も「 宗教社会学入門」、「政治の教室」など素人向けのものが多い。
 さいきん大学改革論で売っているが、それも粗暴、粗末な見解である。

 橋爪大三郎氏は、学問の自由と大学の自治について、その著書のなかで次のように述べる。
「教授会の自治とは、何だろうか。そのポイントは、人事権にある。誰を教授、助教授にするかは、教授会の権限だ・・・.そしていったん教授・助教授のポストにつけば、よほどのことがない限り(つまり、研究者として無能だったり、教育者として不適格だったりしたぐらいでは)、その椅子を追われない.・・・こんな具合で、大学教授にはまったく競争原理が働かない。
その結果、日本の大学は、目をおおうばかりの惨状を呈する」

「どうして、これほど、大学教授の身分が手厚く保護されるのだろう?「学問の自由」のためだともいう。・・・しかし、学問の自由は、研究も教育もしないで教授の地位にあぐらをかき、むだ飯を喰い、後進の道をふさぎ、学生に迷惑をかける自由ではない。
教授会の自治は、学問の自由を実現するための必要条件でも十分条件でもない。」(「橋爪大三郎の社会学講義2」p.88)


 橋爪大三郎氏の履歴をみる。
1948年、鎌倉生まれ。東京大学大学院人文科学研究科社会学専攻博士課程修了。
社会学専攻。
1974 東京大学大学院社会学研究科修士課程 卒業・社会学修士
1977 東京大学大学院社会学研究科博士課程 単位取得退学

大学院卒業後、講師、執筆活動?

1989 東京工業大学工学部助教授(社会学)
1995 東京工業大学工学部教授(社会学)
1996 現職

橋爪大三郎研究室

 素人目からは、東京工業大学院教授などといえばすごいと思うかもしれない。
しかし、東京大学大学院を卒業しながら、東京大学に残ることができなかった。
同程度かそれに順ずる大学に職を得ることもできなかった。
修士課程から博士課程 に進んだのに主任教授、教授会に評価されず、推薦も得られない。
人文学部や社会学部をもつ文科系の大学に行くこともできなかった。
それで博士課程の単位を取得したのに退学 した。
しばらくの執筆活動を経た後、やっと技術系の大学に職を得た。

 技術系の大学では、「 宗教社会学」などはあってもなくてもいい一般教養的な学問に過ぎない。
技術系の学生にとって専門に勉学する必要性は乏しい。
ゼミに入っても就職の助けにはならない。
したがってスタッフも秘書1人だけ、助教授、講師、助手といったスタッフもいない。
一代かぎりの名目だけの研究室である。
むしろ研究より教育に重点を置いた教育室である。

 人格、学識、素質などそれなりの事情があったものだろうが、橋爪大三郎氏の大学、教授会、主任教授への怨みは深刻なものがある。
浅薄な内容の本をたくさん書いても、テレビに出ても一匹狼的存在である。
学者仲間や学会からは相手にされず、評価もされない。
希望がかなえられなかった悲しさ、口惜しさから大学への怨みも日増しにつのってくる。
その怨念、逆恨みが大学への悪口雑言、改革論となっているに過ぎない。

エッセイの本文では主観的な意見は控えたが、横浜市立大学教員組合ニュース投稿記事を見ると私の感じたとおりの人物である。

 『王妃の離婚』という第121回直木賞受賞の作品を書いた 佐藤賢一という作家がいる。
山形大学を卒業し、西洋史専攻で、東北大学大学院に入学した。
しかし、東北大学大学院を卒業しても学部が山形大学では東北大学に残ることはできない。
ノーベル賞を取るくらい優秀なら別だが、ふつうは生え抜きの学生優先である。
他大学から来た学生は、客分、外様として扱われる。
よくて出身の山形大学である。
それも山形大学からの推薦依頼や空きポストがなければ不可能である。
実際はもっとレベルの低い学校しか就職の斡旋はされなかった。
さいわい作家としての才能はあった。
学問の世界はノンフィクションの世界である。
フィクションの小説に没頭する学生は、学者には相応しくないと判断されたのかもしれない。
大学院を中退し、別の道を選んだ。
 しかし、大学への怨念は深く、佐藤賢一氏はその随筆の中で東北大学大学院教授の悪口雑言を書いている。
いわばすてぜりふである。
橋爪大三郎氏は、それとまったく同じことをしている。

橋爪大三郎の著書
『性愛論』、岩波書店、1995年。
「売春のどこがわるい」、『フェミニズムの主張』,1-43、勁草書房、1992年。