横浜市立大学「あり方懇」の橋爪座長私案を評する (2003.2.8)

 

 

今野 宏:橋爪私案を評する


2003−2−8開催の緊急シンポジウム「市大の将来を考える」(市大を考える市民の会で配
布・発表された,今野 宏氏(元横浜国立大学教授)による「橋爪私案」に対する痛烈な批判

(スキャナーで取り込んで復元)

 


 

横浜市立大学「あり方懇」の橋爪座長私案を評する


今野 宏


(日本科学者会議.大学問題委員)


(2003年1月31日、2月8日改訂)

 

はじめに

 中田宏横浜市長の諮問機関「市立大学の今後のあり方墾談会」(あり方懇)は、200
3年1月16日に第5回会議を開き、座長(橋爪大三郎東京工大教授)が、最終段階での
議論のため、として「座長・私案」(中間報告)を発表した.

 そもそも大学自治の原則によれば、横浜市立大学(以下、市大)の将来のあり方を方向
付け、改革プランを作成・決定するのは市大自身でなければならない.しかるに、市大の
設置者たる市長が学外の「学識経験者」なる人士を集めて市大改革の方向性を問うことは、
設置者の権限で学外者の改革意見を大学に押しつけようとの意図を疑わせる行為であり、
教育行政の基本的あり方を定めた教育基本法第10条に抵触するおそれがある,

 はたせるかな中間報告の内容はあたかも設置者に全権限があるかのように「横浜市民
に、負担に見合った貢献をしてい」ない、などと決めつけ、廃校・売却を迫りつつ、廃校
せぬ場合の措置として改革の方針・プランを指示する、という筋立てよりなる、およそ高
圧的論調に満ちたものである.

(教育基本法第10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負
って行われるべきものである.A教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するため
に必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない.)

 しかも、中間報告にみられる主張の論拠は、概して
掘り下げた分析を欠き、随所で論理
的一貫性を欠く支離滅裂なもの
である.

 このように、横浜市の大学行政が危険な動きをしている現状を、21世紀の社会におけ
る大学の重要な役割を真剣に考える大学人・市民はとうてい見過ごしにできないであろう.
いま日本で進行している「平成の大学危機」に警鐘を鳴らす意味も込めてこの拙論を公に
し、諸賢のご批判を仰ぐ次第である.

 なお、教育基本法第10条の第2項は、教育行政の遵守すべき事項であるが、第1項は
教育にたずさわる者に対しての義務規定である点を指摘しておきたい.

1.あり方懇が示す「改革プラン」

 中間報告は「横浜市が公立大学を持つ意義」、「改革の方針」、「改革のプラン」の3部か
らなっている.そのうちもっとも具体的に改革のビジョンを提示した部分は「改革のプラ
ン」であるので、まず最初にこの部分につき論評を加えることとする.

 この部分は8っつの大項目の中に24の中項目があり、それらはさらに小項目に分けら
れている.ここでは、それらのいちいちに論評するのではなく、特に市大の将来像として
重大と思われる問題点につき論ずることにする.

1)研究を原則的に放棄する問題
 大学の目標とするところは、「教育に重点を」置くのであって、「市は研究費を出さ
ない」「研究は競争カある分野に限り、外部資金が得られた場合に」行う、「大学院は
研究者養成をしない」、などと、原則的に研究はしない、としている.

 しかし、本来「大学」における教育は研究と不可分の関係にあり、「最高学府」とい
われる所以もそこにある.研究をしないところでの教育は、指示されたことを無批判
に受け入れさせることでしかない.教育目標を就職と進学(ロースクール、MBA(Master
of Business Administration)、メディカルスクールなどの実務学校)におく、として
いるが、
これでは批判精神や探究心に欠け、創造力のない人物をつくる結果にならざ
るを得ないであろう.教育の質を低下させて、どうして市大の社会への貢献度を高め
ることができようか

 またこれは、市大に対し、研究する大学を30校ほどに限定し、大半の大学は研究
のできない名ばかりの大学にしてしまうという、「遠山プラン」の先鞭をつけさせるも
のである.

 さらに、基本的に研究を行わない大学に、どうして、あり方懇が考えるように、「競
争力ある分野」から資金を携えて研究依頼がくるであろうか.


2)横浜市への寄与を義務づけられ、行政の下請化
 市は研究の負担を負わない、としつつ、「行政、企業、市民二一ズにこたえる研究」
は行う、としている.また、「横浜市からの委託業務を増やす」、などともいう.これ
らは、あたかも安上がりのシンクタンクを目論んでいるようである.

 大学における研究とは本来、諸科学の発展の必要を動機として行われるものである.
その研究成果と能力を持って社会に貢献することこそ大学の第1議的な使命でなけれ
ばならない.


3)大学の経営と教育研究を組織的に分離することに関して
 およそ経営とは、継続的・計画的に事業を遂行すること、またそのための組織(広
辞苑)であって、大学の経営は、大学の研究教育の事業を遂行するためにこそ行われ
るべきものである.あり方懇が、学長と経営責任者との分離を主張するのは、いった
いどのような経営理論から導かれるのであろうか.

 経営が企業本来の目的を逸脱して暴走し、ついには企業の破綻を招いた例を、我々
はいやというほど知らされている
ではないか.あり方懇の考えを聞きたいものであ
る.

4)教員の任期制
 助教授以下の教員をすべて任期採用にする、とあるが、これは国の大学法人化ビジ
ョンそのままの引き写しにすぎない.だが、それを強行すれば、大学の教育研究にと
って致命的な打撃となるであろう.
研究も教育も、従事する人間の自発的理念が自由
に発揮されてこそ優れた効果をもたらす性質のものであり、任期終了後の身の振り方
を心配しつつの教育研究でどうなるかは、あまりにも明らか
ではないか.

5)海外の大学との交流
 国際的に大学間交流を進めることは積極的な意味がある.しかし、その前提になる
のは、何よりも市大が国際水準で充実した大学であることが条件である.

6)医学部、及び付属病院等について
 あり方懇は、これらの施設は売却処分することを最善策と考えている.あり方懇は
ここでも医学部や付属病院の存在を全く理解していない.いま、先進県・神奈川で国・
公立を通じて唯一の医学部が市大医学部だという現実を、大都市横浜の責任としてど
のように考えるのであろうか.医学部付属病院は市中の病院では代わることのできな
い役割、すなわち、医学部の教育、研究の実験施設の役割がる.医学部が、医学の発
展に貢献し、あるいは医学生を世に送る使命を果たすために不可欠なのである.

7)大学自治の原則はどうしたのか
 
教員組織については、「人事は学長の下で行う」、「主任教授は各分野(毎)の教育研
究に責任を負う」、とあるだけで、教授会のことなど一切触れていない.教員組織の民主
的なあり方に全く関心もない.これでは学長専制も許され、自由な教育研究は保障され
ない.

2.市大存在意義に対する否定的スタンス

 第4回までのあり方懇の議論を踏まえて座長が執筆した中間報告の冒頭は、「横浜市が
公立大学を持つ意義」と題され、懇談会が本報告書を貫く根元的認識を提示する箇所とな
つている.

 この箇所の要約はおよそ次のようである.

 

 横浜市大には付属病院、センター病院を併せて1140億円の累積赤字がある.市民
にこれだけの負担を強いてまで大学を維持する理由が思い浮かばない.市大は教育・
研究両面で特徴が無く、精彩を欠き、市民に、その負担に見合った貢献をしていない.
負担をこれ以上増やさないためには廃校も検討すべきだ.負債は医学部および病院を
売却して償還し、市民負担を軽減せよ.

 

 廃校も売却もしないなら何らかの形で存続することになるが、市民に存在意義を証明
するのは大学の責任だ.

 このように言い切りつつ、その後に「改革の方針」(4項目)、「改革のプラン」(24
項目)、を並べ立てている.「大学の責任」というなら、これらの項目はすべて蛇足ではな
いのか.

 廃校・売却を最善の策とし、存続をやむを得ない場合とするのであれば、そこからどう
して積極的な市大のあり方が引き出せるであろうか.中簡報告は、図らずも市大の存続

に否定的である真意を曝露してしまったことになる.

3.中間報告の市大存在意義の否定には根拠がない

 およそ大学の存在意義を論ずるのであれば、累積赤字の存在や、市民の負担に見合った
貢献をしているか、などの財政収支レベルだけで考えるべき問題ではない.もちろん経済
的な存立基盤を考慮することは必要ではある.しかしその場合は、「累積赤字」の額だけを
示すのではなく、ある程度詳細な分析を明らかにする必要があろう.少なくとも経常的運
営費と将来への拡充投資を区別し、従来の市政のどのような大学政策によってもたらされ
た赤字であるのかを示さなければなるまい.

 また、市民の税負担に見合った貢献、を問題にするのであれば、市大の活動が市民およ
び社会、さらには未来社会に果たしている貢献のすべてを貨幣価値に換算することができ
なければ議論にならないのではあるまいか.市大が創立以来、世に送った学生が現在まで
市の内外で社会的に活躍している貢献をいかほどに見積るのであろうか.最近市大は我が
国での環境ホルモン研究の先駆けを創ったことでも知られているが、その他市大の研究成
果すべてを含めて、いかほどの貢献に換算できるであろうか.
中間答申が投じた問題をま
ともに受け止めようとすると、ばかげた疑問が続々と派生するのである.

 大学が市民や社会、さらには未来に貢献している価値は、安易に貨幣に換算できない
ところにこそ在るのではなかろうか.

4.市大存在の普遍的意義と地域的意義

 およそ大学の存在意義を論ずる場合、学問、教育、研究が人類社会の発展の過程でどの
ような役割を果たし、その機能を発展させてきたかを顧慮することが有益であろう.

1)古代国家の成立と学問の発祥
 有史以来、文字言語による文化の継承・発展には、文字の教育と熟達が必要であった.文
字言語は、人類に新たな知的活動の分野を拓いた.収穫物の貯蔵・分配が記録され、
農事暦、社会的・政治的約束事(原始的法律)、豪族・帝王家の歴史の記述、伝承物語の
記録から文学への発展、冥界・天上界など想像世界の記述、旅行・航海の記録から地理
学、航海術の発生、農地の区画決定や灌漑・治水工事などのための測量術から幾何学へ
の発展、天体観測による暦の制定、穀倉・宮殿・巨大墳墓・寺院・神殿・祭事のための
構築物などの建築土木術、等々、の知的活動が拡大した.

 ギリシャは地理的に古代世界の交易の中心にあったため、広範な知識が集中するとこ
ろとなり、都市に学問を成立させた.プラトンのアカデメイア、アリストテレスのリュ
ケイオン、プトレマイオスのムセイオンなどの古代の大学とも言うべき機関が成立した.

 これらの事実は有史の最初から知識・学問が社会発展との深い関わりを持ちながら発
展し、その結果が社会発展に還元されるという関係にあったことを示している.

2)中世都市における大学の成立と印刷術の普及.
 ギリシャ・ローマのし衰退以後、ギリシャの学問はアラピア・インドに伝えられた.
12〜3世紀の中世ヨーロッパの諾都市(ボローニャ、オックスフォード、パリ、パド
ヴァ、ナポリ、トゥールーズ、ケンブリッジ、ローマ)に、現代の大学の原型といわれ
るウニヴェルシタスが次々に創立された.当時の学問は教会の教義の理論的基礎を深め
る役を持っていたが必ずしも枠にはまらずアリストテレスの研究やローマの法学など、
普遍的学問の伝統も引き継がれ、新たな発展の礎となった.神学者とともに医師や法律
家は、その高い専門性と社会的権限の大きさから、就任に当たって法衣をまとい、神と
自己の良心への誠実を誓う宣言(profess)を行う風習から、Professorの称号で呼ばれ、
他の専門学者をも呼ぶようになった.

 中世末期における印刷術の発明は、学問・技術・文学.芸術等、あらゆる知的活動の
範囲を飛躍的に拡大し、伴って高等教育機関は量・質とも充実を促され、やがて学者ら
は新たな学問、科学、の建設を始めるのである.それらの活動センターとして、絶対君
主は競ってアカデミー、ロイヤル・ソサエティー、などの機関を設立・主宰した.

3)近代ドイツに起こる新たな大学の潮流
 啓蒙期におけるドイツではヴォルフやカントらの努力により、哲学の神学からの独立、
「哲学する自由の原理」が確立され、大学は哲学を中心に真理の知的探究を目指す場所
と考えられるようになった.プロイセンのヴィルヘルム3世は1807年にベルリン大
学設置令を出した.シュライエルマッハー、フィヒテ、シュテッフェンス、などの哲学
者が新しい大学の理念や計画について論考し、権力的統制に煩わされない「教育および
研究の自由」「諸科学の有機的統一」「教授会の自治による組織運営」を建学の礎にした
ベルリン大学が創立された(1809).

 ベルリン大学の成功は広く世界に影響を波及していった.19〜20世紀の世界的な
学術・文化・科学技術、およびそれらに支えられた政治・経済・社会の発展は、これら
の大学存在と発展を抜きにしては考えられない.

 21世紀は、世界各国が平和のうちに交流し、地球環境を確実に保護しつつ豊かな人
類社会を築くことが求められている.そのためにも権力の干渉を受けない大学の充実

は、公共団体の責務としてふさわしいものになっていのである.

(参考@:「21世紀の大学像を求めて」日本科学者会議大学問題委員会編、水曜社刊.参考A:「21世紀に向けて
の高等教育世界宣言」1998,ユネスコ高等教育世界会議採択)

4)地域の住民・社会に対する貢献
 そもそも都市とはただ人口の集中したところではない.成熟した都市は生産・交易の
拠点であり、また政治の中心であり、かつ、芸術、文化、学術などの知的精神活動の継
承・発展をもって社会と人間の文化的発展に貢献する機能を備えているところでもある.

 横浜市は世界都市を自認する大規模都市である.そこにこそ、設備・能力ともに充実
した大学が存在すべき意義が存在するのでほないか.もちろん、市大のほかに国立・私
立の大学も存在するであろう.しかしながら、
市行政は市の学術活動を高めるため、国
立・私立の大学に伍してみずから大学を持ち、一地方都市の歴史的・地域的特色を生

かしたユニークな大学の整備につとめる義務があるのではないか.

 評価の高い市大が在れば、地域住民の子弟は容易に勉学の場を得られ、広く国内外
から集まる優秀な学生、研究者が、やがて地域社会の知的文化水準を押し上げること
に貢献するであろうことは、世界の成熟した文化都市での例を見れば明らかである.

5)市立大学は市民に負担を強いているか
 あり方懇はそもそも、市立大学はなくても私立大学で事足りる、との考えにたってい
る.それでは廃校により市民の負担を軽減できたとしても、他方では、やむを得ず私学
へ行った学生個人にさらに重い負担を課す結果になることに気づいていない.要するに
あり方懇は大学の普遍的・歴史的役割を知らず、国・公共団体が直接大学を設置し、あ
るいは公費による私学援助制度があったことの意義について全く理解していないという、
驚くべき「リベラルアーツの欠如」ぶりをさらけ出しているのである.

 すべての市民がこれほど貧しい知的価値観しか持たないとは考えられない.市民は自
分たちの町に、世に優れた大学が存在することを喜び、またどれほど誇りに思うであろ
うか.

 横浜市が日本を代表する国際都市を自認するなら、広く国内外の諸都市との比較にた
って、どの程度の大学行政への負担が妥当かを知る目安を得られるはずである.

 
横浜市長たるものは市民に対して、市立大学を大切に育てようと呼びかける精神の持
ち主であることを切に願わずにはいられない.

5.「改革の方針」について

 そもそも市大不要論にたった懇談会による改革の方針である.まともに反論する意欲
をそがれるが、かかる改革方針・プランがひとたび市長の権力を持って大学に押しつけ
られれば、大学にも市民にも大変な危険がある点につき指摘し、批判を加えることにす
る.

 ここでも冒頭に「市民の負担が重いことを考え」「経営合理化の実現を求める」と訴えて
いる.

 1)「大学の新たな使命を明確に掲げる」では、その書き出しに「横浜市立大学は設置以
来、目標の見直しを進めないまま、現状に甘んじてきた、」などと評しているが、
いった
いどのような調査に基づき、具体的にどのような点を指摘して言っているのか、一切示
されていない.
このような言葉は舅の小言に似て聞き苦しく、およそ建設的提言の文書
中には似つかわしくない(
文は人なり.持って銘ずべし).肝心の提言は、「たとえば、
『発展する国際都市・横浜と共に歩む、中規模リベラルアーツ・カレッジ』など」、「ユ
ニークな目標を」掲げよ」というのであるが、具体的には何をどうするのかさっぱりわ
からない、または、どのようにでも考えられる漠然としたものでしかない.

 2)「横浜市の課題に、具体的に寄与する」では、「横浜市の抱える行政的課題、地元企業
が必要とする技術開発、経営革新、人材養成、市内の高等学校の二一ズなどに、具体的
に寄与するための教育研究システムを構築しなければならない.」(全文引用)という.

 大学が最高の学問の府として機能することが本来の姿であることは、3.でのべた.
市大が、学問の府として充実している結果として、これらの課題に応えることは有り得
ることである.しかし、指摘された課題に応えることを主眼としたのでは、とうてい学
問の府にふさわしいシステムは構築できないであろう.

 3)の「大学の経営管理を、大胆で先進的な仕組みに改める.」では冒頭に、大学予算に
占める学費負担の割合が16.9%で、慶応大学53%、関東学院大学81%、よりも
低いのは「放漫な経営体質」で、「即刻改め」よ、としている.

 しかし、学費負担率が低いことこそ国・公立大学存在意義の重要な一要素ではなかっ
たのか.教育基本法の第3条は教育の機会均等を保障している.経済的地位の如何で進
学の機会が左右されてはならないのであって、それを保障するのは国・公行政の義務と
なっているのである.ユネスコの「21世紀の高等教育宣言」では、高等教育の無償化
条項を確認している.

 市の大学予算を「放漫な経営体質を、即刻改め」よ.「そのためには、合理的で先進的
な、大学の経営体制、管理運営システム、人事システムを採用すべきである」とし、市
大が「我が国でもっとも進んだ経営管理の試みを取り入れなければ、市民は納得しない
であろう.」と力んで見せている.

 これは市大の私大化、しかも公的補助金を否定的に考える、およそ大学の公的性格
を全面否定し、稼げる顧客を相手に教育研究を売れという、とんでもない大学観である
と断ぜざるを得ない.

 4)の「横浜市民の二一ズに、積極的に応える」は、2)の趣旨を市民に対しても適応せ
よと言うもので、学問の府としての寄与を無視、あるいは著しく軽視するものであるこ
とも同様である.

おわりに

 あり方懇に対する市長の諮問内容は
(1)横浜市が大学を設置する意義に関すること.
(2)大学の経営のあり方に関すること.
(3)市立大学が今後目指すべき大学改革の方向性に関すること.
(4)市立大学の特色に関すること.
であった.

 

 これに対しあり方懇が打ち出した方向は、


(1)市が負担して大学を設置する意義は見あたらない.医学部・付属病院等の売却で
負債の償還をせよ.
(2)経営を教学から分離する.授業料の私学並みまでの値上げ.経費のかかる研究の

切り捨て.助教授以下の教員の任期制雇用.
(3)行政.企業.市民二一ズのための研究.自治体の課題を研究.横浜市の委託業務

の受け入れ.
(4)これといった特色は提示されず.

 

といった市大の実質的縮小を策したものである.

 総じてあり方懇は、「民営化論」にたって市大のあり方を論じているのである.従って、
市の大学予算を不当な市民負担と描き、一方で大学に対しては授業料収入を増やし、かつ
研究費を稼ぎ、財政的自活をする方向を追求せよ、と要求しているのである.

 人事管理に関しても、任期制導入による教員の不安定雇用化と無権利化を指向するなど、
民間企業にみられる悪しき人事管理の形を採らせようとしている.

 このような発想からは、大学にふさわしい教育・研究のあり方は提示できない.教育に
関しては「実務教育」的発想と、海外留学などの「目玉商品」で顧客を寄せる手法、など
が目に付くものの、現代の学生に広い教養と高い専門性を身につけさせる恵まれた教育環
境はいかにして実現できるか、といった本質的部分は見えてこないのである.

 研究に関しても行政・企業・市民の「二一ズ」にこたえるサービス、などが強調され、
本来大学でこそ行うべき学術的研究は不要なものとして、鼻にもかけない有様である.

 この中間報告は、近く提出されるはずの本答申の基盤となるものと思われるが、市長が
それを受けて、その方向で市大に改革を迫るとすれば、市大の教職員はもとより、
広範な
知識人に市長に対する失望を招き、非難が寄せられる結果になる
であろう.

 これはまた、大学法人化の先取りであるとして、法人化に反対する全国の火に油を注ぐ
結果になることも考えられる.
市長の分別ある思慮を切に期待する.

 

(色文字の強調は佐藤による)