小沢弘明(千葉大学文学部教授):国立大学法人化法案を巡る状況と今後の運動の方向について(2003.2.21)

 

 

小沢弘明:国立大学法人化案を巡る状況

国立大学法人化法案を巡る状況と今後の運動の方向について

 

2003年2月21日

 

小沢弘明(千葉大学文学部教授)

 

 

【辻下 徹氏による抜粋】辻下氏ホームページ 03/2/28より);全文は独立行政法人化問題を考える北大
ネットワーク参照;永岑三千輝氏ホームページのコメント03/3/1参照

 

 

 「・・・この行政改革という話のときに必ず出てくるのが、行政改革によって「小さな政府」
を実現する、これが削減の論拠になっているわけです。しかし、日本はすでに非常に「小さな
政府」なんです。これは、国家公務員も地方公務員も含めてですけれども、公務労働の従事者
というところを考えてみますと、日本はすでに先進資本主義国の中では最低水準の「小さ
な政府」です。しかも、財政政策や景気対策ということとも関係してきますけれども、だいたい
不況のときというのは、例えば、僕はヨーロッパ史が専門ですけれども、ヨーロッパの福祉国家
であれば、不況のときは公務労働に従事する人を増やして失業者を吸収し、それによって購
買力を高めて、消費活動を刺激する政策をとるわけですけれども、
日本は逆をやってです
ね、民間が血を流しているのだから公務員も血を流して、首を切って、というようなことを
やっていくからデフレスパイラルになっていくのです

 ですから、おそらく政策合理性という観点から見ると、行政改革という形にもなっていない。
むしろこの間示されたのは天下りが増加するということでありますし、くわえて、「国立大学
法人」になっても現行の国立大学で行われているのと同じようにですね、文部科学省の幹部職
員のローテーション、全国の大学を回っていく、こういうシステムは維持されることになっており
ますので、これは行政改革にもなっていないという批判が可能であると思います。

 では、産業政策になるのかということですけれども、これもちょっと怪しいということであ
ります。
まず、現状の分析や現状に対する反省が全く欠如している。すでに科学技術基
本計画の5カ年計画の17兆円が終わって、今度は第二期の24兆円に入っていますけれども、
巨大な研究費が湯水のように特定分野には注ぎ込まれているわけです。研究費を使い切れな
くてどうしようかといっている研究室が一方ではあるんです。隣の研究室では、日常的な研究
経費にも事を欠くという非常に不思議なことが行われていて、そういう政策についての評価とい
うのが行われていないわけであります。例えば、核研では、だいたい研究者一人あたり年間
6000万とか7000万とかの研究費がつくと聞いたことがあります。そういう研究費をポンと与えら
れたときに、研究者がどう行動するかというと一年中仕様書を書いている、こういう器材を購入
したいとか、こういうことをやりたい、最後は、この微分方程式を解いてくれというのを民間委託
するんですね(笑)。そうやってお金を使う。
これはある種の公共事業の別形態でありまし
て、重点投資というのはこういう無意味な金の使い方を行ってきているわけです。

 
それがありつつ、逆に、一般的なところでは日常的な研究費というのが水光熱費で消
えてしまって、教育研究資源の不足が現実化しているという状況であります。例えば、千
葉大学では、2年前から大学院の博士課程の建物ができたんですけれども、建物は公共事業
だからつくってくれるんですが、維持運営費というのはつけてくれないわけです。そうすると研究
費がその分減るというわけです。建物は公共事業でつくるけれども、しかし、その中身、具体的
な教育研究活動に従事できるような環境はつくられないということになります。インテリジェント
ビルにするという謳い文句で高速LANの端末はここまできているんですけれども先につなぐも
のがない、そういう状況になっています。

 法人化は産学連携をさらに進めるためだという謳い文句がありますけれども、これも
現実にはあまり関係ないわけですね。ベンチャー企業の育成とかそういうようなことは法人
化とは関係なくすでに北大でも行われていますし、1月に行った神戸大学でも門を入って一等
地のところにベンチャービジネス何とかセンターという建物がすでにできておりまして、やってい
るわけであって、
それ自体は法人化とは直接の関係がないと考えられます。・・・」

 「・・・
では、こういう改革によって、教育研究活動が活性化するかというと、これは活性
化しないですね。すでに、大学人はみんな疲れているわけですね(笑)。冗談ではないほ
ど膨大な書類と中期目標・中期計画を何度も書かされ、しかし、何度書いても意味がない。意
味がないのに書かなきゃいけないという、こういう作業を繰り返しておりまして、知的産業にとっ
て非常に打撃的な雰囲気というものが蔓延しています。こういう雰囲気が蔓延していると、だい
たい人は怒るか、怒っている人はこういうところに来ているんですけれども、あきらめるか、つ
ぶやくかぐらいしかないわけですね。
こういう大学という場にとって非常によくない雰囲気が
すでに蔓延している。・・・」

 「・・・
何よりも、あきらめたり、単につぶやいているだけではなくて、積極的に文句をいう
ことが大事でありまして、この間の状況を見ていきますと、文句をいって潰されたところ
なんてないんですね。例えば、教員養成系の再編統合の問題で、
大体文句をいったところ
は止まっているわけです。できないんですね。鹿児島大学の田中学長はこの数年一貫して
文句をいってきましたけれども、それによって鹿児島大学が不利益を受けたことはないんです
ね。むしろ文科省は一生懸命建物とかをつくって懐柔に努めようとしたらしいですけれども
(笑)。学長は最後まで懐柔されなかったわけです。それと同時に、文句を言う活動として、この
後、雑誌の
『世界』でもう一回特集が組まれる予定ですし、それから『現代思想』も特集を組
むそうですし、
首都圏ネットではブックレットの発行を視野におさめておりますので、これらを
通じて問題のありかを示していきたいと思っております。

 また、
あるべき大学像というのをわれわれの側が考えて、それを批判の論拠、批判の
基礎にすえていくことが必要だと思います。つまり、こういう運動を行っていくと、今の国立大
学が良いのかということが必ず出てくるわけですけれども、私の考えでは、今の国立大学では
ダメだということをやはり基礎にすえなければいけない。
今の国立大学のままではダメだ、と
いうことですね。・・・」