河内洋祐:

草の根から見たニュージーランドの行政改革

 

北海道大学 辻下徹氏ホームページより)

 


 

【抜粋】全文はこちらにあります)

 

 

Tまえがき

・・・橋本首相が1997年4月にニュージーランドを訪問して改革を「成功」させた秘密は何
かと尋ねたところ、ボルジャー首相は「国民にとって何が何だかわからないうちに急速に
改革を押し進めたことです」と答えたことに象徴されるように、改革が非民主主義的に行
われたところに特徴がある。

 

 ちなみに、改革を開始した労働党も行政改革についての公約は一切せずに選挙に臨み、多
数党になったところで突然改革を開始したのであった。・・・

 

V改革の内容と実体

(1)医療


(a)利益第一主義に転換


 ニュージーランドの公立病院は、かつてはほとんどの町にあり、選挙によって選ばれた経営
委員会の監督のもとに運営されていた。

 

 今では任命されたビジネスマンのもと、その名称も公立病院企業体(Crown Health
Enterprise、略称CHE)となり、利益第一で経常されている。

 

ダニーディン市にあるオタゴ病院では、改革が行われた直後に任命された経営責任者が、地
方住民の健康を守るという本来の任務を忘れて、儲けの大きいサウジアラビアに分院を作ると
いう計画に夢中になり、非難を浴びて辞職するという事件があった。

 

 しかしこのような事件を起こす体質は構造的なものであって、一経営者の突出した行為とは
考えられない。

 

 その後も、利益のために病人の回転を早めようと、身寄りもない82歳の手術後の婦人を午
前3時に退院させたため、彼女は夜が明けるまで待合室で座っていたなどという、信じ難い事
件すら起こっている。・・・

 

 また新しい治療法を開発した医者に対して、対立する別の地域の公立病院企業体にその治
療法を教えるなという圧力が経営者からかかった例もある。

 

 そうすることで、新治療法を開発した医者のいる病院に他地域の患者を入院させて利益をあ
げようというわけであって、患者の利益を図るということは二の次になっている。・・・

 

 人員削減の結果、看護婦は労働密度が増し、流産する人が増えている。

 

 夜間には看護婦の手がまわらず、患者がベルを押してもなかなか来てくれなくなった。

 

 夜勤あけの看護婦は、人手不足からくる過労で頬がげっそり落ちて痛々しい限りである。

 

 

b)長期待ち時間、入院費高騰


 年間の手術数は予算によって厳しく制限されるようになったので、生命に差し当たり影響しな
いという意味での非緊急な手術では、待ち時間2年などということが普通になった。

 

 実際には待っている間に亡くなった人も出ている。

 

 入院患者を減らしたために病室ががら空きである一方では、患者管理の都合から、大部屋
に男女の患者を一緒に入れるようなことも起きている。

 

 公立病院でそこひの手術をしてもらいたかった患者が待ち時間2年と言われて、翌日手術を
受けられる私立病院を希望したところ、執刀したのは前の日にその患者を診察した医者で、手
術室は公立病院の一室だったという話もある。

 

 公立病院が空いている手術室を有料で貸し出し、医者は本務以外のアルバイトをしているわ
けである。

 

 私立病院では1晩の入院で2、3万円かかる(手術料は別)が、これは平均年収が300万円くら
いのニュージーランド人にとっては非常に大きな出費である。

 

 このような事態に備えて私的保険に入るのが普通になった。・・・保険料は65歳以上では倍
額になるので、年金生活者などは保険に加入せずに運を天にまかせたり、重病だけを対象に
した保険に入るなど、「地獄の沙汰も金次第」を地で行くような状況になっている。・・・

 

2)社会


(a)老人や家族の苦難


 老人ホームに入るためには、まず全財産を提出し、それが尽きたところで初めて公的な補助
が受けられることになった。

 

 そのため親の名義の家に住んでいる息子夫婦が、その家の売却にともなって追い出された
りしている。

 老齢年金受給者は、年金以外に稼ぐ(貯金の利子を含む)と、その超過分について最高
97%という懲罰的な税がかかる。・・・

 

c)バス・サービスの低下


 従来地方自治体が運行していたバスは自由化され、運行権を入札によって決めるようになっ
たが、そのために儲かる路線は民有となり、儲からない路綿が自治体の運営となった。

 

 それにともなって運行回数の削減、路線の廃止、運賃値上げなどが起き、市民の足はます
ます不便になった。

 

 ここでも、しわ寄せはすべて車を持たない人や運転のできない人、すなわち老人、婦人、低
所得層にかかるようになった。・・・

 

e)労働条件の切り下げ


 雇用契約法によって労働組合が一括して交渉する権利は大きく制限され、労働者は個人とし
て使用者と交渉することとなった。

 

 失業者が多数いる環境のなかで、個人対企業の交渉の勝負ははじめから見えている。

 

 労働条件は切り下げられ、大した抵抗もなしに首切りが行われるようになった。

 

 パートタイムが非常に増えている。

 

 失業率が下がったという統計をそのまま信用することはできない。・・・

 

 

g)公務員削減、コンサル依存増加


 行革によって公務員は大削減を受けた。

 

 その結果は行革の成功の好例として大宣伝されている。

 

 しかし実態は同じ仕事を民間のコンサルタントに出している例があまりにも多い。・・・

 

 コンサルタントは今やあらゆる面に進出しており、政策などを策定する高級なものから移民
や税金などの相談に乗るものまで、経営者やもと公務員などあらゆる「エキスパート」にとって
の絶好の稼ぎ場を提供している。

 

 これを庶民の側から見ると、役所の窓口で無料で済んだ仕事を、今度はコンサルタントを通
じてしなければらちがあかないということであり、出費が増えたということになる。・・・

 

 

h)税制改革で貧富差拡大


 所得税は最高66%だった累進税が、33%と24%の2種類だけになった。

 

 これは一見大減税に見えるが、消費税(GST、最初10%で、すぐに12.5%に増額され
た。・・・

 

 結局、この減税によっていい目にあったのは高額所得層であった。


 海外からの投資や利益の送金がまったく自由化されたため、大会社は税金の低い海外のタ
ックス・ヘイヴンに逃避した。

 

 ニュージーランドのトップテンの大会社は、国内で税金をまったく払っていないといわれてい
る。

 

3)国公有資産


(a)資産売却、私企業化


 行革によって国有鉄道、郵便局の貯金業務、銀行、電話、国有航空、林野庁などが、アメリ
カ、オーストラリアを主とする外国資本に安く払い下げられた。・・・

 つまり、あらゆる規制を廃止し、すべてを「神の見えざる手」の支配する市場経済に任せると
いうことである。・・・

 

 一切が商業秘密となって、経営内容や役員給与などについて国民の監視が全くきかなくなっ
た。・・・


(b)経営者の給与は大幅増額


 民営化された企業の多くが真っ先にやったことは、世界中から有能な経営者を集めるために
は世界的レベルの給与を支払う必要があるという理由で、経営者の給与を大幅に増やしたこ
とであった。

 

 経営トップの給与は今はアメリカ並みだといわれている。

 

 貧富の差はかつてなかったほど拡大している。

 

 その一万では大規模な合理化が行われ、例えば電話会社では3分の2の人が失業した。・・・

 

 

4)教育


(a)学生の経済負担増加


 大学の授業料はこのところ毎年15%くらいずつ上げられている。

 

 これは、「学歴を得れば就職に有利だろうから費用は自分で持つべきだ」という理由によるも
のである。

 

 最近まであった返還不要の奨学資金は廃止され、学生は政府保証の銀行借金(実質利子
10%以上)を借りて生活費や授業料に充てている。・・・

 

 その結果、卒業してもあまり金にならない学科、例えばラテン語、ギリシア語とか基礎科学な
どには必然的に学生が釆なくなり、そういう学科の廃止すら論議されるようになっている。

 

 一方、商学などはお金になるだろうということで、短期間に学生数が10倍にも増加した(ニュ
ージーランドの大学にはふつう定員はない)。

 

 歯学部では授業料があまりに高くなった(年に15,000ドル以上)ので、ニュージーランド人の
子弟は金持ちを除いて入学できなくなり、4分の3が留学生に占められるようになった。・・・

 

 

b)大学教育の質の低下


 ・・・教員には有資格で研究業績のある人を採用してきたのを止め、博士号も研究業績もな
い人を、安い貸金で毎年契約変更できる臨時雇いとして採るようになった。

 

 それによって年金の雇用者負担やサバティカル休暇その他の諸出費を節約できるだけでな
く、学生数の増減に対して契約を変更しないことでずつとフレキシブルに対応できるわけであ
る。

 

 しかしこのような先生に教わる学生はたまったものではない。

 

 かくて大学は単なる知識の切り売り機関となり、新たな知識を創造する場所ではなく
なった。

 


(c)外国人学生で稼ぐ大学


 外国人学生にはニュージーランド人学生の10倍もの授業料を課すことになっているので、大
学にとって留学生を多数受け入れることは死活の重要性を持っている。

 

 オタゴ大学では1996年度留学生の割合が10%に達し、外貨をたくさん稼いだということで「優
良輸出産業」として表彰された。・・・

 

 オタゴ大学では留学生のためにマレーシアまで出張して卒業式を行うようになった。・・・


 最近の選挙で保守党が勝利したオーストラリアではニュージーランドに学べということで、学
科の再編が進行している。

 

 クイーンズランド大学では物理学科が廃止された。

 

 南クィーンズランド大学では地質学科が廃止され、物理と化学が合併された。これらはいず
れも「儲からない」というのが理由である。・・・

 

 

5)科学研究


(a)研究機関の再編、企業化


 ・・・科学研究分野においても、キーワードは「自由化」、「競争」、「受益者負担」となり、経済
に直接有用な研究のみに予算が与えられるようになった。・・・

 

 国立研究所は再編縮小され、あるものは廃止された。・・・

 

 これらは商業活動を行う会社として、個別の重役会の管理経営下に置かれている。

 

 重役会はほとんど経営者、会計士、弁護士などから構成されており、科学者は一人しかいな
いのが普通である。・・・

 

 再編に際して科学者はほとんど相談を受けなかった。

 

 CRI(引用者注:公共研究企業体,Crown Research Institutes)傘下の研究所では、すばらし
い色刷りの経営報告書を毎年印刷配布するようになったが、株式会社として、その内容は収
支決算に主眼を置くものであり、経営者の顔写真などばかり載っていて、科学的内容は二の
次である。

 

 その一方では科学的成果の印刷の予算は削られている。

 

 

b)研究予算配分の変化


 再編の過程で、20年、30年という経験を積んだ働き盛りの世界的な科学者が多数辞めさせ
られた。

 

 比較的若い研究者多数が海外に職を求めて去ってしまった。

 

 数学研究所は1994年に破産して消滅した。

 

 化石や岩石の研究部門は廃止された。・・・

 研究所の再編とともに、研究費の配分方法も変えられた。大学も国立研究所も科学技術研
究基金から研究費の配分を受けるようになったのだが、それはあらかじめ定められた課題に
応じて行われる研究の結果を、科学技術省が「買い上げ予約」するという形で行われる。・・・

 

 

c)基礎研究は壊滅方向へ


 科学技術研究基金では新しい研究用機器の購入は認められていない。

 

 研究に使用した現有機器の減価償却を計算し、減価分を基金との研究契約に含めることに
よって回収するのである。

 

 基金の配分を受けるには内容が科学的に優れているかどうかではなく、経済戦略的に重要
かどうかによって判断が下される。


 その判断の基礎の一つは研究結果が最終的に応用可能かどうかである。


 このような基金の性格からは、やらないうちから結果のわかっている研究だけが行われるこ
とになるわけである。

 

 このような環境の中からは真に独創的な研究が行われるとは信じられない。

 

 優秀な学生が基礎科学離れを起こして手っとり早く金になる分野に流れていること、経験を
積んだ科学者が定年前に不本意に退職を迫られて辞めていっていること、残っている科学者
もその地位が非常に不安定になっていること、研究費への締めつけが厳しいこと、などによっ
てニュージーランドの基礎研究は壊滅的打撃をこうむったと断定せざるを得ない。


IV 行革は成功しているのか


 
以上概観したように、一連の改革によって、国民は何も利益を受けていないといっても
よいと思われる。

 

 税金などが下がったことがあったとしても、私的な保険料の増加などを負担せねばな
らなくなった。

 

 これは形を変えた税金に等しい。

 

 それだけでなく負担は低所得層により重くかかるようになった。

 

 貧富の差はアメリカ並みに拡大した。

 

 また、経済担当者の等式には入っていないように見える社会的コストは、堪え難いほ
どに増大している。

 

 社会は不安定度を増し、おおらかだった国民性は今や拝金主義に毒されつつあるよう
に見える。

 

 かつては世界のトップレベルにあった科学研究も、後継者は育たず、今までに築きあ
げた財産を食い潰してやっと息をついている。・・・

 

 これが大成功といわれるニュージーランドの行政改革の実体である。