教員組合から学長への公開質問書


藤山嘉夫(教員組合委員長)

 

「あり方懇」答申に関する学長への質問書

 

「市民の会」ホームページご意見箱No.56より)

 


 

小川学長への質問書 投稿者:藤山嘉夫 投稿日:2003/03/28(Fri) 10:06 No.56


横浜市立大学教員組合が「あり方懇」答申に関して小川学長へ質問書を提出しましたので、ご
参考までにお送りします。

藤山嘉夫(教員組合委員長)


「市立大学の今後のあり方懇談会」最終答申に関する学長への質問書



横浜市立大学学長
小川惠一殿
                            横浜市立大学教員組合


中田市長の諮問機関「市立大学の今後のあり方懇談会」が提出した最終答申は、横浜市立
大学の今後を考える上で座視し得ない。当事者不在のまま学外者のみで構成された「あり方
懇」がその見解を大学に結果として強要することになれば、「教育は不当な支配に服すること
なく」と定めた、教育基本法第10条に抵触する恐れがある。
このような重大問題を含み持った本答申は、同時に、その内容においても極めて恣意的かつ
操作的であると考えざるを得ない。答申は、市大を「公立大学としては標準かそれ以上の実績
を上げてきたと評価」しながらも「現状のままで存続する道は、まったく考えられない」として廃
校をも選択肢のひとつとして残しつつ、事実上の縮小改編を求めている。その最大の根拠とし
ているのは「横浜市立大学の累積負債」1140億円という認識である。しかし、この「横浜市立大
学の累積負債」は、実は、その大部分が附属病院・センター病院建設や医療施設関連に充当
された横浜市の「市債残高」である。したがって、それらは、市の「資産」としての価値を持って
いるのだが、答申はそれには言及せず、それをあたかも横浜市立大学の生み出した赤字の
ごとく描いている。答申は、市大改革の唯一・最大の根拠としていた赤字評価問題をクリヤー
しえないままに後の改革方針を展開するという矛盾を内包することになっている。
答申の「3.横浜市立大学の改革の方針」では、その方策について具体的に項目を並べてい
るが、そこでの展開は一層、恣意的かつ操作的である。通常、答申などで改革の具体的な提
案を提起する際には、教育研究や大学運営の理念が提示され、この理念に基づいて現状の
問題点を洗い出し、それらを克服する方向性の提示として具体策が提起される。それによって
こそ、改革案の説得力が了解されるものとなるのである。しかし、本答申ではそうした論理的な
前提作業が一切なされないまま、極めて具体的な改革の諸項目がいきなり並べられている。
本答申が、恣意的かつ操作的性格を強く有すると論定せざるを得ないのである。

このように問題の極めて多い本答申に関して、小川惠一学長は、新聞取材に対して、「答申を
真摯に受け止め、・・・答申に掲げられた改革の具体的内容を反映させてまいります」と答えて
おられる。事柄の本質は、「あり方懇」が市長の諮問を受けて市長へ答申を行ったものであ
る。諮問をしたわけでもなく、答申を受けた当事者でもない学長の口からそのようなコメントが
なされたことに対して、多くの市大OBや大学関係者、市民の間からその真意を測りかね大き
な驚きの声が上がっている。
 
そこで、横浜市立大学改革に関する横浜市立大学の最高責任者である小川惠一学長に最終
答申の提起する具体策に関わる限りでいくつかの質問をいたします。

(1)  答申は、「大学の目標」については、「研究と教育のうち、教育に重点」(4ページ)をおくこ
ととし、研究について、「市費による研究費の負担は、大学が精選した分野を除いて、原則とし
て行わない。外部資金が得られた場合に、研究を進める」(6ページ)として、研究を切り捨てる
方向を明確に示している。

@  教育と研究は表裏をなしており両者が相まって機能し得るものであると考えるが、学長は
研究抜きに教育が成立すると考えられるのであろうか?
A  答申は、「外部資金が得られた場合に、研究を進める」(同上)としているが、果たして研
究を行わない大学に外部機関が資金を提供してくるであろうか?この点について学長はどの
ように考えられるのであろうか?
B  答申では地域貢献が強調されているが、研究を行わないままでの地域貢献の水準は低
位なものとなる。そのような水準での地域貢献を前提することになれば、横浜市民の市民水準
を貶めて評価することになるが、学長はそれでよいとお考えであろうか?

(2) 「教員(主任教授を除く)は、任期制・公募制を原則とし、主任教授が人事委員会に提案
する」(6ページ)とされている。教育・研究は一定の長期的な見通しの下で自由な発想で進めら
れてこそ真の成果が期待される。任期制のもとでは、主任教授の意向を伺い、短期的に「成
果」を求めた教育研究が支配的となることが考えられる。そうした、「成果」主義的な傾向は、
答申が提起している「年俸契約」(6ページ)の導入によっても増幅されるであろうし、短期間で
一定の「成果」を期待する企業等からの「外部資金」(6ページ)への依存によってこの傾向は
強められよう。

@  短期間ではすぐに成果の期待できない研究が存在することが大学においては不可欠であ
り、そこから、大きな世界的発見が生み出されてきた歴史的な事例を指摘するに事欠かない
が、そのような基礎的な性格の研究を学長は不要だと考えるのであろうか?
A  即座には答えの出ない事柄にチャレンジしていくことは、社会が活性化していく上で不可
欠である。もし、目先の経済効率のみに目を奪われ、既存の社会の枠組みを超え出る要素を
不断に作り出せないとすれば、当該社会は縮小再生産するしかない。大学は、既存の社会的
枠組みを越え出て行く批判的な要素を不断に形成する「批判者」としての役割を歴史的に果た
してきたし今後も果たすべきであろう。これを担いうるようなチャレンジングな人材を養成し、ま
た、そのような質の研究を展開することは、社会に対する大学の独自の役割だと考えられる。
そのような大学の独自の役割について学長はどのように考えられるであろうか?また、「成果」
主義的な傾向はこれを阻害すると考えられないであろうか?

(3)答申では、「主任教授は、学長が人事委員会に諮るものとする」(6ページ)など学長の権
限を強化する方向が示されている。それとともに、この学長の「選考委員会」(5ページ)には学
外者も含み、さらに、「教員の採用・昇任」を審査する「人事委員会」(6ページ)にも学外者を含
むとされている。こうした方針が導入されるならば、学外者をも含む組織を前提にしてのトップ
ダウンが極度に強まることになろう。学問の府としての大学においては教育・研究の性質上、
教員相互の緩やかな共同関係が不可欠でありトップダウンの強化は、これになじまないと考え
るが、学長はいかがお考えであろうか?

以上、4月10日までに文書でご回答いただきたい。
                            2003年3月25日