《長たるにふさわしくないものが長の職務にとどまりつづけることは、大学が直面している厳しい状況では許されないことではないか?》 永岑三千輝氏『大学問題日誌』2003年5月7日付(2003.5.7)
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大学問題日誌03-5-7
永岑三千輝:
大学問題日誌2003年5月7日
2003年5月7日 商学部、国際文化学部、総合理学研究科(八景)の教授会決議は、実質的に
学長「要望」文書の明確な否定であり、大学の長としてそのような「要望」しかまとめられ
なかった学長にたいする不信任、すなわち学長不信任の表明である。学長が大学のきち
んとした意思を踏まえないで、「あり方懇」答申に無批判的に屈服した内容を「要望」として市長
に出したことは、これで医学部を除く全学部の明確な決議で批判されたことになったわけであ
る。その点を、総合理学研究科・佐藤真彦教授は「続出する学長への実質的不信任決議」
と明解に指摘している。このような学長批判・実質的不信任の全学的な高まりに対し、学長は
どのような態度をとるのか?
普通ならば辞任するほかないのではないかとおもわれるが。
一方に「あり方懇談会」答申をほぼ全面的に受け入れ実行しようとする確信と意思があり、他
方で、それは大学の総意や到達点ではないことがはっきり各教授会の決議によって大学内
外に明確にされ衆知徹底された場合、辞任しか道はないのではないか? 全学を代表すべき
職務内容と自らの確信とが合致しない場合、どのような態度をとるのが誠実か? 普通なら、
苦しすぎると思われるが。
市当局(市長)、市議会、市民、大学人は、学長のいうことを信頼できるか? その発言に重み
はあるか? 学長発言が大学を代表していない勝手な個人的思い込み(独断専行)だとすれ
ば、社会はどのように大学と学長を見るか? 今後学長発言は相手にされない、見向きもされ
なくなりはないか? 学長のリーダーシップはどうなるか? なくていいのか? 大学の尊厳は
どうなるか?
それとも学長は明確な「確信」でもないものを、市長に対して「要望」したのか?[11] それなら
それで、不見識きわまるといわれるのではないか? それこそ「あり方懇」答申に屈服したこと
を最終的に証明したことになるのではないか? 大学の長としての、大学の自主独立性の象
徴・代表としての学長の権威は失墜してしまったのではないか?
長たるにふさわしくないものが長の職務にとどまりつづけることは、大学が直面している厳しい
状況では許されないことではないか?
経済学科会や「市民の会」シンポジウム、「議論の広場」で提起されている「学長は即座に辞任
すべきだ」、「もはや辞任しかありえない」という意見は、間違っているか?
このような主張は、「戦略」ぬきの単なる「情熱」の吐露にすぎないか?何としてでも学長にその
職に留まるように引きとめる人々(が仮にいるとして)は、何を大学改革の「戦略」として考えてい
るのか? それは大学のためではなく、その人々の単なる自己保身戦略でないはないか。そう
でないことを願うが。
いずれにしろ、「あり方懇談会」答申を自分の意思として受け入れる学長の基本的態度と大学
各教授会の意思とはちがうことを直視しなければならない。
[11] 一部には、姑息な言い逃れをもてあそぶむきもある。そのような人の発言は、発言を続
ければ続けるほど、馬脚が現われる。文は人なり。恐ろしい。しかし、事実だろう。他山の石と
しなければならない。
○他山の石以て玉を攻(おさ)むべし
[詩経小雅、鶴鳴](よその山から出た粗悪な石でも、自分の宝石を磨く役には立つという意か
ら) 自分より劣っている人の言行も自分の知徳を磨く助けとすることができる。[株式会社岩波
書店 広辞苑第五版]