「国立大学法人法案の経緯と問題点」

辻下 徹氏ホームページ(http://ac-net.org/dgh/index.php )より

(タイトルは佐藤による)

 

国立大学制度を廃止する国立大学法人法案等が5月16日の衆議院文部科学委員会で無修正で可決され、5月22日には本会議で可決ました。文部科学省による必要資料提出が行なわれない段階での「審議未了採決」ですから、参議院で実質的な審議が行われなければ、国会の存在意義をないがしろにする科を現政権が負うことになると思います。

法案作成までの4年間の検討過程では、政・官・産の意思は十二分に反映されましたが、国民の意思も、教育研究の現場の意思も、真剣に問われたことはなく、 多くの パブリックコメント も棚ざらし同様に放置されました。このような国民不在・当事者不在のなかで、国立大学制度を廃止し大学を政府の受託会社に格下げすることが決まるとすれば、それは将来の日本が悔いる選択となるでしょう。

メディア関係者は、参議院での審議が終わるまでには、国立大学法人法案が大学改革を行政に白紙委任する笊法であることを日本全体の知らせ、日本新聞協会の新聞倫理綱領に記された「新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。」という、報道機関全体に妥当する責務を果して頂きたいと思います。また、国立大学協会は、54の国立大学の教員251名が連署した意見書を尊重し、臨時総会をただちに開催して国立大学法人法案の諸問題点を日本社会に向け明らかにするとともに、その責務遂行を妨げてきた幹部の方は職を辞してください。2003.5.25 辻下 徹)


 国立大学を独立行政法人化する方針が密室で「決まった」のは4年前です。

 独立行政法人制度は「小さい政府」を目指す行財政改革の中で、国家機関外部化の過渡形態として設計されたもので、3〜5年毎に各独立行政法人の存続・民営化・廃止を主務省総務省 が判断することになっています。定型業務を担う国家機関を想定して設計された独立行政法人制度を大学に適用することについては関係者の多くが疑念を持ち、旧文部省は2000年7月に調査検討会議を設け60名の「協力者」と共に、大学向けに独立行政法人制度を修正することを検討し、同会議は2002年3月に、国立大学法人制度設計の大枠を示す最終報告をまとめました。国大協は同年4月19日、臨時総会において法人化を異例の強行採決で了承し、それを受け文部科学省は2004年4月法人化を目指して準備を進め、2003年2月28日に国立大学法人法案が閣議決定されました。4月3日から審議が始まり、文部科学委員会では、参考人質疑2回以外には、わずか3回の審議で5月16日に可決しました。

法案によれば、「国立大学法人」制度は独立行政法人制度との違いは微小に留まる一方、学外理事を含む少人数の役員会を最高意思決定機関とするトップダウンの経営体制を義務付け、さらに学外者を過半数含む経営協議会を経営に関する中核的審議機関としました。また、国が国立大学法人を設立し、国立大学法人が国立大学を設置することとなり、さらに、全教職員が非公務員化となりましたので、学校法人との違いは、政府補助金が最初は多いこと、政府による徹底した管理と学外者経営により大学自治が抹消されることの2点だけと言えます。

国立大学法人発足時は国が現状のまま6割程度は出資すると予想されますが、それ以外の点では、経営形態にとどまらず債券の発行も可能になるなど、 非営利法人である学校法人を越えて、営利大学に近づけるものとなっています。

国立大学が国立大学法人となれば「評価」に基づく改廃や予算額の増減が制度化され経営基盤が不安定になるため、役員会は、企業からの寄付講座や資金援助を受け入れるために、また、志願者を確保するために、即効的成果が確実に期待できる研究活動や、人目を引く派手な教育活動を最優先することを余儀なくされます。こうして、学長も構成員も、真に創造的な経営・教育・研究活動 の持つリスクをとることは困難となり、確実に成果が上る活動が大学全体を覆い尽すことは明らかです。サバイバル的競争的環境で活性化する活動は創造的活動ではなくロビー活動や政治的闘争であり、そこでの「勝者」に必要な要素は抜け目なさと体力ですが、それは創造力とは無関係な要素であることを否定する人はいないでしょう。政府は、日本が知的社会となることをなにゆえか妨害しようとしている、と言えるでしょう。

独立行政法人化により、政府による大学の直接的コントロール強化や財界・産業界からの「使途限定出資」への依存度増大がもたらす教育・研究活動の「寡占化」・矮小化のデメリットよりは、大学教職員に意識改革をもたらすことのメリットの方が大きい、という考えが政治家・官僚・企業人・ジャーナリストの一部に見受けられます。現在の国立大学は多くの問題を抱えていますが、それは、職員の失職・降格への不安をかりたてたり、高い報酬への欲望を募らせることによる「意識改革」で解決できるような種類の問題ではありません。そのような、人の尊厳をないがしろにする手段は、問題を悪化させるものでしかありません。教育や研究などの創造的な精神活動を支えているものに関心がない人達が行う外科手術が心配です。

お願いしたいことは、国立大学法人法案を吟味し、 この政策にどういうメリットが一体あるのか、よく考えて頂くことです。現在の国策に近い分野の人達も含め、ほとんどの大学関係者は、「国立大学法人」化により大学の基本的機能が損われるだけでなく、本当に必要な大学改革への道が閉ざされることを再三再四警告してきました。こういった警告が妥当なものと判断されましたら、ぜひ、日本社会全体が、このことを認識できるよう努めてください。特に、報道関係者には、そのことをお願いしたいと思います。これまでの4年間、一部の例外を除いて、メディア全体が政府広報紙の役割をはたし国立大学法人政策の実現に協力してきました。多くの人により指摘されている、法案の膨大な問題点を詳細に報道し、報道機関の倫理の中枢となる「中立性」を取り戻していただきたいと思います。(管理者 2003.5.18)