長谷川真理子:学問殺す国立大学法人化 『朝日新聞』時流自論 (2003.6.1)

 

 

 

長谷川真理子:学問殺す国立大学法人化

 

(首都圏ネットhttp://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/web030602asahi.htmlより)

 


 

『朝日新聞』2003年6月1日付

時流自論 

長谷川眞理子 学問殺す国立大学法人化


 私の専門は進化生物学であるが、今回は専門分野を離れて、科学者として発言したい。

 現在、衆議院を通過し参議院で審議されている国立大学の法人法案は、たいへん重大な問
題を含んでいる。その内容を考えると、大学人としての良心から義憤を感じざるを得ない。

 この法案では、各大学は、研究教育の中・長期計画を文部科学省の指示に沿って提出し、
それを文部科学大臣が認可することになる。また、大学の運営に広く「社会」の意見を反映さ
せるという名目のもと、大学の経営を決める評議会が設けられ、その構成員の半数以上は学
外者となる。

 −−−−−

 大学は、債券の発行も含めて自前でさまざまな財源を確保することが要請されており、うまく
いかなかった場合には、大学の改廃も文部科学省の権限内にある。つまり、学問の自由はな
くなり、大学は、利潤追求を目的として経営される組織となる。このような組織で活躍するの
は、目先の利益の追求が上手な人材、役人の天下り先の確保や接待にたけた人材であろう
が、そのことに対する自浄作用の仕組みは、どこにも組み込まれていない。

 全国立大学の教育研究方針を認可するような文部科学省、文部科学大臣とは、いったいど
んな実績のある立派な組織であり、人なのだろうか?「社会」を代表するとされる学外者とは誰
なのだろうか?法人化といっても、まだ多くの税金が大学には投入されるだろう。そこで行われ
る研究を、「社会」が求めるものに誘導するということは、結局は、産業界が求めるものを税金
によって肩代わりさせることになるのではないか。

 科学を始めとする人間の知的活動の価値は、生活を便利にしたり、経済の活性化をもたらし
たりすることばかりではない。無知は迷信や非合理的判断を生み、社会の発展を阻害する。
現在の私たちが曲がりなりにも数百年前の人々よりも賢くなっているとすれば、それは、過去
の人々のこういった知的営為の恩恵をこうむっているからだ。

 経営上の利益にはつながらないが、人類の知的レベルを向上させることに貢献する活動を
支援するには、社会にゆとりが必要である。そのゆとりを持つためには、そのような知的活動
に対する尊敬がなければならない。学問は金もうけの手段だという雰囲気の社会で育った世
代から、世界がその意見に耳を傾けるような賢者は生まれてこないだろう。日本が、この意味
で世界に活躍する人材を生み出したいのであれば、その活動の中心である大学を、数年を目
安にした企業的利益で判断するような制度を採用するべきではない。 

−−−−−

 自然界は、誰か全知全能の設計者によって誘導されてうまく運営されているのではない。自
然界の複雑な現象の多くが、司令塔からの指令なしの自己組織化、自律分散、創発的性質の
発生、ランダムな変異と競争などによってうまく統合されていることは、最近の自然科学が明ら
かにしている。

 アメリカのコールドスプリングハーバー研究所や、スイスのバーゼル免疫研究所のような、多
くの重要な研究を生みだしてきた魅力ある研究所はみな、自由で束縛されない雰囲気を大切
にしている。それが、新しい発想の芽を育てるからだ。その上で、研究者間の健全な競争が働
けばよいのである。

 また、基礎研究は必ずしも先が明確に見えるものではない。ヘモグロビンの構造解明で62年
のノーベル賞を受賞したマックス・ペルーツは、実に16年もの間、何一つ成果の出せない時代
を経験した。それでも彼をおいてくれたのがケンブリッジ大学なのである。

 日本のノーベル賞受賞者の数を増大させることが、大学改革の一つの目的であるようだが、
本気でそうしたいのなら、これらの話に学ぶべきである。

 学問の自由は、なぜ大切なのだろうか?それは、真実の追究という行為は、真実だけを審
判に行われなければ、信用されないからである。大学という組織は、中世ヨーロッパで、真実を
求めて議論するために集まった若者たちによって自然発生した。日本やドイツの大学など、19
世紀以降、国力増強を目的に国家によって設立された大学においてすら、大学の使命は真実
の追究と知識の蓄積と普及であり、それをまっとうするために大学という組織は自治を守り通
してきた。それは、知的活動の発展は、予測のつかない部分をかかえた、すそ野の広い活動
に支えられているからであり、抑圧と介入がよいものを生み出したためしがないからである。

 日本の大学が多くの問題をかかえていることは確かだ。日本の大学の研究者たちは、海外
にはないぬるま湯的環境を享受してきた半面、信じられないほど多くの無駄な雑用も強いられ
てきた。それにもかかわらず、日本の研究者たちは、これまで、かなりの成果をあげてきた。
日本のレベルをさらに上げるために必要なのは、そのような無駄な束縛を取り除き、健全な競
争環境を作ることである。

 今回の法案は、今後の日本を大幅に変える「画期的」な法案である。しかし、それは悪い方
向でしかないというのが私の感想だ。今、知のあり方について、国民的良識が問われている。

(はせがわ・まりこ 東京都生まれ。東京大学理学部卒。現在は早稲田大学政経学部教授。
専門は動物行動学、行動生態学。)