保育所「民営化」の新動向

−市長・市当局の「各個撃破作戦」?に対抗する若い保護者たち−

 

2003623

平 智之(商学部教員)

 

 故高秀秀信氏が市長の時代には、あまり見に行くこともなかった横浜市役所のホームページには、中田宏氏が市長に就任してこのかた、俄然われわれ「反体制派」は毎日のように目が離せなくなった。いうまでもなく、それ自体は結構なことである中田市長の「情報公開」政策のおかげで、市長の日々の動向やブレインと一体の政策立案などの過程や内容が、あくまで差し支えない範囲の一方的な情報だが、そのホームページで公開されるようになったからである。これらは、「見る人」が見れば、背景に隠されている事情や意図なども推測や忖度ができるので、私も大分そのような文章を書いて発表してきた(ちなみに、昨22日から既報のように中田市長は米国に1週間の外遊に出かけられたはずだが、その行動も「お付き」の2人の職員を通じて逐一、報告され掲載されるのだろうか?)。

 

 ともあれ、先週にも市役所のホームページには注目すべき内容が掲載された。それは、6月17日付けで、私も今月になってしばしば紹介してきた、市立保育所の「民営化」問題について、担当の福祉局による特集ページが、市役所ホームページの最上段ともいえる「市政トピックス」に、周知の「住基ネット」「横浜リバイバルプラン」などの重要施策にまじって突如、掲げられたのである(http://www.city.yokohama.jp/front/welcome.html、6月22日現在)。

 

 これは、個別の担当部局の施策の1つとしては、きわめて「異例の扱い」といえるであろう。そこの「市立保育所の民営化」のリンク、ないし福祉局の方のhttp://www.city.yokohama.jp/me/fukushi/mineika/index.html をクリックしていただけば、そこには、市大と病院の各「あり方懇」に相当する常設機関の市児童福祉審議会の本年2月の「意見具申」、それを受けて4月に中田市長が「今後1年当たり保育所4園の民間売却」を突然、記者発表した施策内容、それに「民営化Q&A」と、市民のこの問題に関する意見募集の送信フォーム、などが「ワンセット」になって用意され掲載されているのである。

 

 これに対しては、その4月の市長発表でいきなり今年度限りで「民間売却」を申し渡された、岸根(港北区)、柿の木台(青葉区)、丸山台(港南区)、鶴ヶ峰(旭区)の4保育園側でも、ただちに注目して「反撃態勢」をとったようである。特に、5月には市大と同じように保護者や市民が「守る会」やホームページを立ち上げた、前2園ではさっそく、反対意見の福祉局への送信が呼びかけられている(岸根 http://www.geocities.jp/madokakamen/、柿の木台 http://kakinokidai.com/ )。市大関係の皆さんも、ぜひご協力してあげましょう!

 

  ところで、上記の両園のホームページを見るかぎり、38歳の中田市長より若い世代が多い園児の保護者が立ち上がった事情は、彼らも「民営化」には絶対反対というわけではなく、今後その是非の議論や検討をしていくべきなのに、一方的に市長サイドがその決定と指定を行ない市当局(福祉局)が推進する、その拙速さと非民主的な手続きに怒っているのである。いな、それよりも何よりも、園児たちが慣れ親しんだ先生(保育士)が突然代わることをはじめ、保育園の運営主体が民間になることの環境変化に、子どもたちに精神上、発達上の悪影響が出ることを最も憂慮していることがよく分かる。特に、保育所の「民営化」は阪神地方ですでに実施されて、実際に弊害が出ている事実を基に「近未来シミュレーション」をした岸根ホームページの「最悪のシナリオ」という記事は、第三者の私も読んでいるうちに(私も40年余前に保育所に通ったので「遠い記憶」をよみがえらせつつ)グッと、心を打たれるものがあった。また、リンクされている大阪府大東市の先例を追った、民放では光る「社会派特集」を組むTBSテレビ『噂の東京マガジン』の番組記事もhttp://www.tbs.co.jp/uwasa/20021124/genba.html、やはり期待外れに終わった公共放送の「市大特集」よりはるかによく出来ており、一見の価値がある。

 

 話を市役所ホームページに戻すと、先週突然、市当局がこの問題を「トップ扱い」にしたの「ワケ」は、いつもの「憶測」をすればこんなふうである。私の上記の感想も含めて、ともかく「子ども」がからむだけに市大・病院よりも「民営化」問題で世間の注目と同情を集めやすく、これが社会問題化すれば情勢は市当局にますます不利に傾くだろう。そこで、権力・支配者の側としては、反対者・反体制の勢力に臨む常套手段として、分裂・分断策動と並ぶ、「各個撃破作戦」を採用したのではあるまいか(現下の国際情勢でも米英両帝国主義国が、アフガニスタン→イラク→北朝鮮・イラン、と次々とターゲットを定めて連続攻撃を画策していることを想起!)。つまり、最初に昨年の「リバイバルプラン」で狙いを定めた時には、中田ブレイン一派が「チョロい、チョロい」となめてかかった市大と病院は、卒業生や患者の市民も含めれば何万もの関係者がおり、予想外の手強い反対運動に手こずっているので、こちらは後回しにして、ずっと関係者が少なく運動も弱いと踏んだ4保育園に当面の「焦点」を絞ったと考えるのは、うがった見方であろうか?

       

 そんな市長サイドの「思惑」を実感しているのであろうか、上記保育園のBBS(掲示板)に見られるほぼ同世代の保護者たちの声は、私から見ても、大変に中田市長を個人的に批判する論調が目立つように思う。ただ、市当局の息がかかった「妨害勢力」を防ぐ目的もあって、管理者が相当厳しい対応をとっている余波で、私にすれば「率直な実感のこもった意見」と感銘を受けたものまで「不穏当」として削除されてしまったのは残念である。それで、現在は掲載されていないが、私が保存しておいたその投稿を再録しておこう。

 

 「 対策委員お疲れさまです。

    私たちは、夫婦で対策委員していますが、早くも息切れしそうです。長丁場なのに  情けないです。

 そもそも、共働きと家事育児できついところへの今回の事態です。無理が来ない方が不思議です。

    心身の健康の重要性を痛感します。

 たまには、家事や育児に時間をさき、 気分転換し、休養することも必要であると感じます。

   皆で、できることからやっていきましょう!思いは皆、同じです。

 いずれにしても、市や市長に対しては、無事決着がついても未来永劫、刀を鞘に納める気持ちにはなれません!

  なぜなら、弱者に対し、冷たい行政、政治であるからで、市民の力でこれを変えていかなければならないからです。

    本来、よこはま好きの私たちも、よこはま嫌いになりそうです。

   皆で、よこはまを住み良い街にしましょうね。

   ではまた 

 

  また、もう1つ、私が心に残った投稿(掲載中)も引用しよう。

 

「今回の『民営化』は変です、本当に弱い立場の子どもはどうするの?守れるの?。現市長が無名の頃、市が尾駅前で一生懸命いろんな報告をしていたその姿に、私は新しい時代の政治家が出てきたと少し感じました。市長選の時や市議会選の時も心の隅にいつもあなたがいました。今のあなたが行政でやっているこんなやり方をしたい為に頑張っていたんだ、市民の為また弱い人のために、市長は無給にしても頑張るよって勢いに見えた、期待を持った自分を今は恥じています。選挙の前は市民の見〔ママ〕方、でもうかると当選後は・・・やっぱり何処にでもいる政治家だった。ねぇちょっと!週刊誌に載っていた、あなたの問題はどこに行ったのでしょうか?しっかり抗議したんですか?週刊誌は謝罪文載せたのですか?市民のいないところで起こる時事〔ママ〕が多いです。」

 

  奇しくも、『週刊新潮』上の中田市長の政治資金パーティーの記事と思われる「週刊誌」のことを、市大方面ではいち早く紹介した佐藤真彦氏による、さる6月7日の「市民の夕べ」での井上ひさし氏の講演に関する迫真、力作のレポート、「『市長をつぎの選挙で落とせばよい』に割れんばかりの拍手」http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/030615inoue.htm と相通ずるものがある。また、そこで佐藤氏が引用している、ある市大卒業生の「政治家が一般人の声を無視して政治を行えば必ずその報いを受けることをお忘れなく!」という警鐘の言葉は、私も昨年の「リバイバルプラン」発表で、中田市長が「市大の存廃の検討も…」と口走ったと聞いて、「75年の歴史を刻もうとしている大学に対して、1度当選したばかりの市長が口にすべき言葉ではない」と教授会で批判した覚えがある。

 

 ちなみに、私も経験こそないが、父母の世代から第2次大戦中・戦後の日本の食糧難のひどさについては、耳にタコができるくらい聞かされて育ってきた。ところが、長じて経済史家になってから知ったことだが、同盟国でも「ドイツ国民」は日本国民ほどの食糧難には苦しまず相当の食糧は配給されていたという。その最大の要因は、独裁者ヒトラーは、合法政党のナチスを率いて選挙で勝利し第一党となって首相に就任したのであり、その後クーデター的に「総統」となって独裁体制を固めたものの、決して生まれながらの「皇帝」(カイザー)ではなかった。そのために、ヒトラーは、常に「ドイツ国民」の歓心を買い支持を繋ぎとめる必要があり、とりわけ食糧の不足のない配給に努力したのはもちろん、何よりも若い頃に著書『わが闘争』で妄想したウクライナの穀倉地帯を「わがもの」にするために、実際に不可侵条約を破ってソ連に攻め入ったのである(もちろん、ナチスがいう「劣等民族」にはひどい「しわ寄せ」がされたのだが…)。そこが、専制君主の「昭和天皇」を戴き、軍部が国民に「欲しがりません勝つまでは」を強要できた日本と、ドイツの事情の違いだというわけである。

 

 以上の歴史的事実にかんがみても、昨年3月の市長選挙では、絶対得票率(有権者総数に対する得票率)ではわずか16%強(有権者6人に1人の支持!)、45万票たらずで、2万票余の差をもって現職の高秀候補に競り勝った中田氏とそのブレイン諸氏は、すでにお考えだろうが、改めてこのことを肝に銘じておかれた方がよいであろう。いうまでもなく、それが「民主主義の神髄」であり、その第2次大戦の膨大な犠牲の上に樹立された「日本国憲法の精神」なのであり、われわれ戦後民主主義の世代ばかりでなく若い同世代の本来の支持層まで、それを「実体験」しつつあるのだから……。