市大改革について                   次へ 一覧 ホームへ

いま、横浜市大の改革が問題にされて、市民に対する大学の貢献ということが強調されているが、市当局の考える市民に対する貢献とはどういうことなのだろうか。
私個人としては久しく、市民とは何か、市民の立場に立つ文学研究はいかにあるべきかを問いつづけて来たつもりである。
それは人間とは何か、生きるとはどういうことかを問い、文学とは何かを根本から問いなおすことであった。市民的ということと、人間的、国際的、普遍的ということは決して別のことではない。
既成の学問の成果を市民にわかるように説き明かす<啓蒙>活動が市民に対する貢献なので はない。学問そのものが変革されなければならないのだ。

七月二十日、大学主催の改革シンポジウムが開かれるというので、いくらかでも大学当局の見解が聞かれるかと思ったが、学長が五分くらい挨拶して、市長が二、三十分も話すというもので、大学側の意見はほとんど示されなかった。
<よみがえれ横浜市立大学>というスローガンが高くかかげられ、市民のニーズにこたえるとか、改革が必要だとかいう言葉はしきりに繰り返されたが、掛け声ばかりで中身がすこしも見えない空虚なものだった。
改革をいうなら、今までの大学にどのような成果があり、欠陥があったかを具体的に明らかにし、そこから出発する必要があるのではないか。まるで無から有をつくりだすような態度で、よみがえれとか、市民のニーズとか言っても空虚であり、無意味である。
結局、財政問題がきっかけで、衝撃的な<大学の廃止も選択肢>という脅しをかけ、市長の改革の姿勢を宣伝しているのだとしか思われない。
たまたま市長に当選し、この一、二年市長を職業としているに過ぎない人間が、<廃止も選択肢の一つ>などと言うのはあまりにおこがましい。廃止できるものなら廃止して見ろと言いたい。その時は市長の政治生命が終わるときなのだ。

市大は明治以来の長い歴史があり、戦後新制大学になり、旧海軍兵舎を利用して開校した時から、苦しい市の財政の中で、四苦八苦して市民が養い育てて来たのだ。
そして、その規模と低予算の割りにはかなりの仕事をして来たと思う。各分野ですぐれた成果をあげ、高い評価を得ている。これだけの大学をつくりあげるために、どれほどの市民の税金がつぎ込まれてきたか。
理科の仕事は私にはわからないが、環境ホルモンの井口泰泉さんなどは、市民の生活に結びついたテーマで大きな成果をあげたのだと思う。横浜の地震について細かなデータを気の遠くなるような精密さで集積していた菊池正幸さんの仕事、サンショウウオと取り組んで悪戦苦闘しておられた朝島誠さんの仕事、その他ずいぶん多くの成果が誰にも認められない努力の結果として積み上げられているのだ。
卒業生も各分野で特色ある仕事をしている。市役所にも多数の卒業生がいると思う。教育界も同様だが、市大卒業生の多くは、派手ではないかも知れないが、各部門で信頼される人材として働いている。
とりわけ、医療の分野での貢献は大きい。もし、市大の卒業生がいなかったら、横浜市や神奈川県の医療の質はどれほど落ちているかわからない。単に大学病院のことばかりではない。医療生協で、恵まれない条件で働く市大の卒業生が多数いることを知ったとき、私は、それを市大の大きな特徴だと思った。
市大の教員の一人として、こういう卒業生を多く出したことに誇りと喜びを感じ、自分の生涯を、愉快に回想することが出来る。そのことを私は感謝している。

私が赴任したころ、その創立の当初から、市大は絶えず存立の危機にさらされて来た。日本全体が大変だったが、市の財政は火の車で、文部省の基準を満たすことはきわめて困難だった。
高齢にもかかわらず<市民の会>のシンポジウムに出席された大久保さん、元社会党の市会議員で市会議長をされた方が、当時の苦労を切々と語られた時、こうして市大は出発し、市民の努力で維持されたのだという思いが強くした。

市大の危機が伝えられると、卒業生たちが集まって、<横浜市立大学を考える市民の会>をつくり、驚くほど熱心に献身的な活動を展開した。これも、市大の特徴なのだろう。その多くは朝鮮戦争前後の草創期に、兵舎を改造したボロ校舎で学び、大学の存続のために奮闘した学生たちであった。

自由と民主の精神は、市大の学風となり、その後も長く生き続けたと思う。私も自由で、民主的な先輩、同僚に恵まれ、また、学生や卒業生に恵まれて、困難とたたかいながら、愉快に研究と教育の仕事をつづけることが出来た。
一九七〇年代以降、建物は立派になり、設備も整ったが、現実とあらがい、何もないところから未来をつくりだして行こうとする、抵抗と創造の精神は乏しくなったように思われる。
朝鮮戦争休戦五十年のいま、大学改革は市大だけではなくて、大学独立法人化の波は日本全体に及ぼうとしている。それは憲法、教育基本法の改悪にも及ぼうとする戦争体制整備の一環であり、これからはじまる激しい時代を予告するものだ。
市大ではこれが市長の政治的思惑から大袈裟に演出され、大きな反響を呼び起こした。これに対して草創期の学生たちをはじめ、各時代の卒業生たちが、市民や在学生に働きかける運動を始めた。学生たちにも新しい動きがあるという。制度としての大学の改革とは別に、本当の大学再生のモメントが、ここにあるのではないかと思う。 (二〇〇三年八月五日)