伊豆利彦(横浜市立大学名誉教授):

日々通信 いまを生きる 第86号 『無法の跳梁』

 

 

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http://homepage2.nifty.com/tizu/tusin/tu@86.htm より

 

 >>日々通信 いまを生きる 第86号 2004年1月17日<<

 

陸上自衛隊の先遣隊がイラクに向かって出発した。
<復興支援>のためだという。

 

コイズミ代官はあまり遠くない過去に、日本は非戦闘地域に行くのだと言った。しかし、いま、危険はあっても行くのだと言う。
刻々に言うことが変わる。
いまは<復興支援>のためと意味不明瞭なことをいっているが、やがては何というか。
すべては、国民を欺瞞するための言葉だ。
ただ、日本には<ウソも方便>という言葉がある。

 

イラク特措法には次のように記されている。

 

<対応措置については、我が国領域及び現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域において実施するものとする。>

 

イラク出兵が憲法に違反することは明瞭だ。それどころかイラク特措法にさえ違反している。


しかしコイズミ無頼漢は、特措法だろうが憲法だろうが、わけのわからない理屈で、やすやすと踏み破ってしまう。多分、彼の頭脳では、自分の無法を無法と認識することができないのだろう。
もったいらしく、憲法前文を引用して、イラク出兵を宣言する偉大なる無法者なのだから。

 

成人の日に<市民の会>の事務局会議に出席するために横浜市大へ行った。
電車の中には成人を迎えた若者の姿も見られたが、さすがに例年より地味なのではないかと思われた。
イラクでは戦争が続き、自衛隊のイラク出兵が強行されて、日本が戦争に向かって大きな一歩を踏み出そうとしている年の初めである。

 

戦争は多数の難民を生み、侵略者に親を殺された子供たちが寒空に飢えている。そして、多数の若者たちが自爆攻撃で命を落している。
イスラエルでは良心的徴兵忌避の青年たちが刑務所に入れられている。
イラクに駆り出されたアメリカの青年たちの間では、精神に異常をきたすものが多く、自殺者も多数出ているという。
イギリスの大学では、学費値上げに反対して、学生たちが抗議闘争に立ち上がっている。

 

しかし、日本はなんと静かなことだろう。
休みなので、ほとんど人気のない大学のキャンパスを歩きながら不思議な気がした。
いくら休みだといっても、これは静かすぎる。
大学はもう死んだのか。

 

いま大学はでは、研究や学問については理解を欠く事務官僚が学長以下を屈従させ、公立大学の特殊性を強調して、学問の普遍性を否定し、矮小な市長と行政御用大学に堕落させようと躍起になっている。

 

何よりも彼らが憎むのは大学自治である。教師は自治の特権の陰に隠れてやりたい放題をしているというのが彼らの基本的な考えで、教師を自分たちの支配下におき、自由な研究の余裕をうばい、こき使いたいというのがその願望である。

 

彼らは常に教師の講義のコマ数が少ないのが気になる。大学に出てくる日数が少ないのが気になる。大学の決定権が教師にあって自分たちにないのが気になる。そういう不満が、改革の名のもとにいっせいに吹き出したので、どんな大学をつくるのかについての展望などないのである。

 

教師に対する評価というが、彼らにその資格があるとは思えない。そんな彼らが結束して橋爪大三郎というアメリカ帰りの社会学者を後ろ楯に横車を押しまくったのである。その基本的な立ち場はいままでの大学はほとんど何等市民に貢献するところがないから、廃校にしてもかまわないというのであった。

 

彼らがこれほど無法だとは思わなかったから、学部教授会なども十分に機能を発揮することが出来なかった。教授会はさまざまに決議したり、見解を述べたりしたが、それらを無視して大学案なるものが提出され、市長がそれを承認するという形をとった。

 

この大学案なるものは、橋爪大三郎を座長とする<あり方懇>なるものの答申以上にひどいものになっている。どうしてこんなものが大学案として提出されることになったのか不可解だが、その責任は、このような横暴を許した学長以下の執行部、さらには評議会、教授会の甘さにあるのだろう。

 

学長は理科の学問は金がかかるから市の言うことを聞かなければ金をもらえないというので、ひたすら市の言いなりになってしまった。学長はそのいいなりになるのが正しいと信じているのである。

 

しかし、市とはなにか。予算を決定する役をする市長や市議会が市であるわけでないのはあきらかだ。
大学は行政の支配から自由でなければならない。それはかつての経験から明らかなことだ。しかし、国はわるい事をするかもしれないが、市はわるい事をしないというのが彼らの考えだ。しかし、市が国のいいなりになり、また、わるいものたちに支配されるということもないわけではない。
学問、教育の行政からの自立ということ自明の理だとおもっていたが、学長が予算の配分を気にしてこの原則を見誤ってしまったために、学長は市長の下僚であるかのように振る舞い、市長が任命する学長が理事長の下で副理事長になるというとんでもない案を大学案にしてしまった。

 

そして市長は、孫福某なる慶応大学の事務局長だった人物を理事長の予定者に任命してしまった。まだ、この大学案は市議会で審議を終っていないのではないかと思うが、はやくもこのような人事をおこなうのは市議会を無視した異例のことではないだろうか。
孫福某が大学についてどれほどの識見をもっているかは知らない。しかし、その大学を見る眼が私学の事務局長という経営者的観点であることは否定できないだろう。
経営のために大学があるのか、学問研究のために大学があるのか。
ここに本末転倒があることはたしかだ。
たしかに経営は大事だろう。しかし、学問研究のために経営はあるのだ。私学でもこれは問題になる。まして、公立大学では、ただ、経営の観点が優越するなら、公立大学を維持する意味はない。
公立大学は、国の支配からも、金銭の支配からもできるだけ自由に、学問研究を進め得るところにその特色があるのではないか。これが、たまたま市長になった人物だとか、市役所の公務員になったものだとかの支配に屈するなら、国立大学より矮小な大学になってしまう。事実、彼らはそのような矮小な大学が公立大学だと規定しているのだ。

 

ところで、このような誇りなき下っぱ根性は市だけのことではなくて、国のことでもあるらしい。コイズミ氏は、ただアメリカの御機嫌だけを気にしているのだ。
独立国の気概も誇りもない。なんとも情けない姿を露呈して憚らない。

 

かつては非戦闘地域に出兵するのだと頑強に言い張ったが、今度は危なくても行くのだと、また、恥ずかしげもなく言い張っている。こんなに言うことがくるくる変わる総理大臣なんか見たことない。彼にとってはなんとしてもブッシュ親分のために出兵しなければならぬのだ。あわれな三下奴のぶりではないか。

 

いま、日本の独立が問題になっているのだと思う。
戦後半世紀の対米従属からいかにして、日本の独立を回復するか。
憲法はアメリカから押しつけられたというが、いま、アメリカは日本の憲法が改正されることを期待しているのだ。そのアメリカの意を迎えて軍事力の強化のために、独立して普通の国になるのだと、憲法改正の旗を振っているのだから、これもまた国民欺瞞であるにちがいない。

 

アメリカの混迷をみれば軍事力依存ではどうにもならないことが明らかになったのではないだろうか。
軍事優先は朝鮮の国是である。いま、これは崩壊しようとしている。
鉄砲から革命が生まれるとい毛沢東の考えも、いまでは古くなった。
軍事力の意味が変わってきたのだ。
それが明らかになっただけでも、今度のイラク戦争は意味があるのだろう。
軍事的超大国のアメリカがその軍事力のゆえに崩壊するとき、新しい時代のはじまりが来るのだ。
その新しい時代を先導するのは日本の平和憲法だと思う。
日本はそれを放棄しても、苦難と流血の末にそれに戻ってくるにちがいないのだ。
そして、その新しい世界への胎動は、いまの世界にすでに認められると思う。
21世紀は戦争の世紀だった20世紀を止揚する世紀になるだろう。
イラク戦争に出会って私はそれを強く感じるようになった。
私は現代に絶望してはいないの。
ただ、それがあまりに多くの犠牲をともなうことを悲しむだけだ。

 

いまあらためて魯迅の言葉がよみがえる。そして漱石の言葉がよみがえる。
今年は初心にかえって、すこしずつ、文学の言葉を耕し直す仕事に励みたい。

 

はじめは、疲労感に襲われ、容易に書けそうもなかったが、書いているうちに、次第に世界が開かれる思いがしてきた。
今年も、この通信をたのみに日々の歩みをつづけたい。

 

いよいよ寒くなっていきます。お体に気をつけてお過ごしください。

 

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また、「私と日文協の50年」は「第12回 <民族>の問題と日文協の飛躍」を掲載しました。「大学問題」と合わせてご一読いただければ幸いです。

 

私はこの前の湾岸戦争のときに書いた「近代文学の周辺」がいまもなお命を失っていないと思う。

おひまのおりに次の項を読んでいただければ幸いです。

 

第七回  『破戒』と天皇制 「俗吏」社会と「異分子」排除
http://homepage2.nifty.com/tizu/syuuhen/7hakai.htm